第3話 富豪社長 巌の場合




俺は大企業の代表取締役をしている。

大金持ち。いや、超大金持ちというところだ。


世の中金だ。

金があれば何でもできる。

女だって金を握らせれば俺の靴を舐めることも厭いとわない。

金で命を買う事だって簡単だ。

金で何もかもがうまくいく。

美しさも、名誉も、健康も、地位も、何もかもが金で買える。

金で買えないものなんてない。


だが、もっと金が欲しい。

世界が買えるほどの金だ。

札束の風呂に入り、札束の海で泳ぎ、札束のベッドで寝る……そんなちんけな夢じゃない。


俺は金で『神』になる。


金は情報だ。情報は金になる。そうだ、未来のことを知れば何もかも俺の思い通りになる。

馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、小富豪の社長と話しているときに話題にのぼった『とある噂』を俺は暇つぶしの為にやってみることにした。

『あの世駅』という場所で、自分の未来が解る手帳を見ることができるらしい。


「つまらん噂だろうが、やってやろうじゃないか」


俺は意気揚々と×××駅の4番ホーム、13両目の車両に乗り込んだ。

酔っ払いが大勢乗っている。

俺は座れなかったが、座っているみすぼらしい恰好の一人に目をつけ、財布から10万円をだして目の前につきだした。


「俺は疲れている。座らせろ」

「えっ、あっ……はい」


そいつは10万を丁寧に受け取り、席を空けた。


――ほらな。簡単だ


俺は悠々と目を閉じた。

ザワザワと一瞬車内がざわめいた。


「いいなぁ。席ゆずっただけで10万も」

「俺が座ってたら良かった」


そんな声がちらほらと聞こえてくる。

その話題が落ち着く頃には人は入れ替わったようで、俺が10万渡した奴ももう降りていなくなっている様だった。

乗ってくるのも、降りていくのも酔っ払いばかりだ。


――どうせ安い酒をしこたま飲んで酔っ払ってるんだろうが、本当につまらん。ちっぽけな人生だな


ずっと目を閉じていると、俺は退屈に感じた。

それでも目を開けたらたどり着かないらしい。俺は我慢した。

そしてやっと終点を告げるアナウンスが流れた。足音が消え去り、俺は車内に取り残される。


――確か、目を閉じて乗り続けたらよかったんだったな……


そう考えていると、プシュー……と扉が閉まる音が聞こえる。


「オマタセ……イタシマシタ……ツギハ……×△※〇エキ……×△※〇エキ……」


――!


俺は恐怖と共に、歓喜に打ち震えた。

噂が本当だったということも、そして未来を掴んで俺は更に金持ちになるという夢を確かに俺はこの手に掴んだと確信したからだ。


――やったぞ……これで俺は世界を買える。『神』になるんだ。


俺は震えていた。

恐怖もあったが、武者震いだ。今から世界を手に入れる。

何もかもが手に入るんだ。

未来を手に入れる者は何もかもを手に入れる。

これ以上ないほど、俺は興奮していた。

俺が興奮して「暑い」と感じると、ふと冷房が強くなった気がした。


――なんだ、急に寒いほど冷房をつけるな……


大して気にもせず、俺はずっと目を閉じて終点につくのを待っていた。


「オマタセ……イタシマシタ…………シュウテン……アノヨエキ……アノヨエキデス…………」


――よし! きた!!


俺は目を開けたくてうずうずしていた。

しかし、勝者というものは焦ってはならない。常に、大切な局面では冷静に、的確に動かなければならない。

ジッと電車が止まるのを待った。


「オデグチハ……ヒダリガワデス……メヲアケテ……オオリクダサイ………」


目を開けていいというアナウンスがあったと俺は確認した。

目を開く。

そこはド田舎の駅のようだった。真っ暗で何もない。


――確か、電話ボックスだったな。出てすぐのところにあると聞いたが?


俺は電車から降りて、改札を見つける。ボロボロの改札だ。誰もいない。

切符と666円を置くらしいが、俺は面倒だったので100万円の札束を切符と置いた。先行投資と考えれば安いものだ。

何せ、これからおれは世界を手に入れるのだから。


「誰もいないのか、ここに置いておくぞ」


声を張り上げるように暗闇に言うが、誰も、何も出てこない。


――小汚い駅だな……俺のスーツが汚れるだろうが……


「ふん」


出てすぐのところに噂の電話ボックスが設置されていた。

街灯が一本立っているだけで、電話ボックスの中は真っ暗だ。かろうじて黄緑色の古臭い公衆電話が見える。


「汚いな……掃除くらいしておけ……」


乱暴に扉を開くと、俺はその中に入る。

マッチが置いてあり、隣には蝋燭とその燭台が置かれていた。短い蝋燭だと俺は感じた。


「マッチか、なんだか懐かしいな。昭和って感じ?」


昔は貧乏で、マッチで蝋燭に火を灯し、その明かりで勉強したこともあった。

もう俺にはマッチなんて必要ない。

100万円以上する上等なジッポを持っている。

俺はポケットからジッポを取り出して火をつけようとした。


ジャッ……ジャッ……


「あれ? つかないな……」


ジッポは何度石を擦ってもつく気配がなかった。


――おかしいな……朝煙草吸ったときはついたのに……新しいジッポ買うか……


ポケットにジッポをしまい、置いてあったマッチを擦ってつける。よく手元も水に俺は蝋燭に火をつけた。

マッチを下のコンクリートに捨てると、それを踏んで火を消す。


「さてと、これか……手帳ってのは。なんだこの皮? 見たことない皮だな……」


暫くその手帳の皮を見ていた。

牛にしては柔らかいし、明らかに蛇やダチョウではない。馬だろうか。


そして気づく。


人間の皮膚だということを。


――!!!


俺はその薄い手帳を落としそうになるが、何とか落とさずに済んだ。


「なんだよ、脅かすなよ……合成だろ……冗談きついぜ……」


一瞬驚いたが、人の皮を模した合成皮だと自分の中で納得する。

どちらが表か解らなかったが、俺の名前が書いてある方が表だと解った。表紙には『白井しらい いわお』と焼き鏝を押し付けられたかのように刻印されている。


ペリペリペリ……


表紙をめくり、一ページ目を見る。


『1977ネン チチ ト ハハ ノ アイダ ニ ウマレル (01)』


自分の生まれた歳がピタリと当てられていた。


――本物だ、これは……!! 次は? 次はなんて書いてあるんだ!?


ページを一枚めくる。


『1980ネン ホイクエン デ カズクン ヲ ナグル (02)』


――かずくん……?


遠い昔のことを思い返す。そうして俺は思い出した。


――俺のことを「貧乏っ子」って言ったやつだ……


貧乏を馬鹿にされて俺はカッとなって殴った。確かそうだったはず。

俺は貧乏を馬鹿にされるとどうしても我慢できなかった。今こそ俺を貧乏だと馬鹿にする奴はいないが、昔はよくそう言われたものだ。


隣のページ。


『1985ネン ゼンカモク 100テン ヲ トル (03)』


幼いながらに必死に勉強した過去を思い出させる一文だった。


――そうだ。俺は努力して金持ちになったんだ……


ぺらり……


『1991ネン メイモン シリツ チュウガク ゴウカク (04)』

『1994ネン メイモン コウリツ コウコウ ゴウカク (05)』


ぺらり……


『1995ネン オンナ ヲ カウ (06)』


ビクリ……と手と視線が止まる。あまりにも赤裸々なことが書いてあって、俺は思わず手が止まってしまった。


――なんだよ、これ……


隣のページ。


『1999ネン カイシャ セツリツ (07)』


ぺらり……


『2000ネン カイシャ ダイセイコウ カネ ノ アジ ヲ シメル (08)』


俺はそこでムカッときた。


――金の味をしめる? いいじゃねぇかよ、ずっと……ずっと貧乏だったんだから……


隣のページ。


『2003ネン カネ デ カッタ ニンゲン ニ クツ ヲ ナメサセル (09)』


「ふっ……」


そのときの光景を思い出して俺は思い出し笑いをした。

金を与える代わりに、自分の靴を本当に舐めるのかどうか試したのだ。結果、書いてある通り。その人間は本当に俺の靴を舐めた。


――あのときは必死だったな……気味が良い……


ぺらり……


『2004ネン ジコ モミケス (10)』


「!!!」


先ほどまでのいい気分が一瞬で背筋が凍り付くような気分になった。

俺はその手帳を他の誰も見ていないことを確認するために、電話ボックスの中から辺りを確認する。


――誰も見てないな……


俺は、人を車で轢いた。

自転車に乗っていた高校生だった。

その事故を俺は警察に根回しし、もみ消した。

高校生は死んだ。


――俺が悪かったんじゃない。急に飛び出してきたから……


心の中で何度も何度も言い訳する。

しかし、ずっと心の中でそのことだけは気がかりになっていた。

ニュースで流れた遺族の涙、必死に「息子を返して」と訴える声、何もかもが鮮明に思い出せる。

金をいくら手に入れても、過去の記憶を消すことは出来ない。

いくらいい生活をしても、自分の責からは逃れることは出来ない。


隣のページ。


『2004ネン カワ ウッテ カネ ニ スル (11)』


「!!!」


急に吐き気が込み上げてきた。


――誰にも、誰にも言ってないのに……こんな……


「おえぇっ……」


俺は手帳の感触に触れていられなくなり、一度手を放した。


「がはっ……おえぇっ…………はぁ……はぁ……」


唾液が口から漏れ出て、ダラダラと下のコンクリートに垂れていく。


――もしかして……この皮……


今まで忘れていたその罪悪感と恐怖感に、俺は震えが止まらなくなった。

事故の直後、違法ドラッグに手を出してハイになっていた俺は、こともあろうか死体ですらも金にかえようとした。


ふと我に返ったとき、その出来事は俺を酷く苦悩させた。

俺はその後も違法ドラッグに手を出し続け、夢と現実の境が解らなくなるほどに一時陥った。

気分が高揚し、嫌なことは一時的に忘れ、更に傲慢になった。

それはドラッグのおかげだ。

手帳の先なんて読まなくても解る。

俺はいくら金を手に入れても、その事実が明るみになれば破滅する。


――やり直したい……事故を起こした直後なら……まだ後戻りできる……金じゃ……記憶は……幸せは買えないんだ……


手帳に触れたくなかったが、俺は再び俺が最後に開いていたページを開く。


「…………確か、過去か、現在か、未来の自分に電話ができるんだったな……この番号か……10番……」


そっと受話器をとって、震える指で10を入力する。

自己をもみ消そうとした自分へと電話をかけた。


プルルルルル……プルルルルル……ブッ……


「も……もしもし?」


まだ若い、俺の声がした。自分の声をこうして聴くのは変な感じがする。

この焦り様から、人を引いた直後だということは理解できた。


「おい、お前、今人弾いただろ?」

「はっ!? はぁ!!? 何言ってんだよ、誰だよお前!!?」

「いいか、よく聞くんだ。今ならまだやり直せる。いいか? 後で酷く後悔することになる。いいから、自首するんだ」

「訳解んねぇこと言ってんじゃねぇよ! 死ね!!」


ブツリ……ツー……ツー……ツー……


電話が切れた。


俺は一度受話器を置いて、もう一度10番に電話する。


――頼む、頼む頼む頼む……


「オカケ ニ ナッタ デンワバンゴウ ハ ゲンザイ ツカワレテ オリマセ――――」


ガチャン。ピッ、ピッ……


「オカケ ニ ナッタ デンワバンゴウ ハ ゲンザイ ツカワレテ オリマセン サイド ゴカクニン ノ ウエ…………」


ガチャン……


かけなおしても、もう繋がらなかった。

そういえば、事故の直後に不気味な電話が俺にかかってきたことを、今の今まで忘れていた。

それは自分からの電話だったのだ。

しかし、俺はそれを無視した。

変えることができたのに、変えることができなかった。


――もうだめだ……このまま進むしかない……未来を見れば……変えられる……未来を知れば俺は人生を破滅させずに済めるかもしれない……


蝋燭はもう半分以上燃えていた。

俺はページを急いでめくって行く。

ろくでもないことしか書いていない現在のページを過ぎて、それでも一つ一つめくって目を通して、やっと現在のページの最後と思しきページへやってきた。


『2020ネン デンシャ ニ ノル (34)』


――これが、今ここに来たっていう現在だ……


ぺらり……


――頼む……もう時間がない……


『2021ネン デンシャ ニ ノル(35)』


「また電車に乗るのか……?」


そしてふと、隣のページを見る。


『2023ネン デンシャ ニ ノル (36)』


――なんだ……電車に……そんなにここに頻繁に来られるものなのか……?


そこからずっと『デンシャ ニ ノル』と書かれており、なんだか『年』のところがおかしかった。

2087年、3091年、6129年……どんどん増えていく。

ついに最期のページまでやってきた。


『1054297ネン デンシャ ニ ノル (66)』


そして最後のページのところに『この世駅』行きのボロボロの切符が挟まっていた。


「なんだよ……なんにも未来のことなんて書いてねぇじゃねぇかよ……!?」


もう蝋燭が消えそうだ。

俺は切符だけ取り、勢いよく手帳を叩きつけ電話ボックスから出た。

ずんずんと改札へと向かって行く。

ここに来たのは未来を知り、世界を掴むためだったのに、何の収穫もなく、ただ昔の嫌なことを思い出しただけだった。


「おい! 未来のことなんて書いてねぇじゃねぇかよ!?」


大きな声で暗闇が広がる駅員室へと文句を言う。


――あれじゃ、なんも解んねぇじゃねぇかよ……ふざけんなよ……


そう思っていると


ガシッ……


と身体中を後ろから掴まれた。


――なんだ? 誰かいるのか……?


そう思うにはあまりにも多くの手だった。

無数の手が俺の身体を、ところせましと掴んでいる。

青白く、細い腕が何本も、なん十本もどこからともなく、暗闇から生えていた。


「ひっ……」


振りほどこうと暴れるが、ガッチリと掴まれていて逃れることは出来ない。俺の身体は手に持ちあげられて浮いてしまっていた。


「ミライノコト……カイテアッタデショ……?」


駅員室の中から悍おぞましい声が聞こえてきた。ここにくるときにあったアナウンスのときの声と同じだ。

来るときは興奮していたせいか何も感じなかったが、今この状況でその声を聞くと、全身鳥肌が立った。


「オキャクサン……タクサン……オカネ……ハラッテクレタカラ……タクサン……デンシャ……ノレマスヨ……」


来た時に切符と100万円をおいたことを思い出した。

そして、俺が見た未来と駅員の言葉を理解した。


「そ、そう言う意味じゃ……!!」

「マモナク……シュッパツシマス……ゴジョウシャニナッテ……オマチクダサイ……」

「やめろ! やめろぉおおお!!! 金なら払うから―――――」


俺は


無限に続く電車の旅から


逃れることは出来なかった。



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