元勇者さん、ヒモになる。

こたつねこ

第1話 俺は断じてヒモではない

 『明るみになった勇者、オーウェンの素顔。

 魔王討伐時の際にはその権力を振り翳し、立ち寄った村落の金品を強奪。婦女暴行の数々。ランクの低い冒険者を魔獣の囮に使う等、勇者の行った多くの非道は被害者達の証言により明るみへと曝された。


 これらの犯罪行為に王都の衛兵他、民間調査団体と言った組合ギルドまでもが調査に乗り出したものの、進展は得られず。

 勇者が彼等の調査の妨害や脅迫をしているとの噂もある。半年前までは人々の希望として望まれていた彼も化けの皮が剥がれたと言うべきか、その名声は地に落ちた。


 魔王を打ち倒した事で人々の希望と信頼の象徴とされていた彼はいま何処へ――』


 元は紙にインクの染みが付いているだけのそれは、いざ目を通して見ると胸焼けすら覚える程の誹謗中傷の数々が並び立てられていて、思わず辟易した。

 勇者の尊厳の為にも口にさせて貰うが、この記事に書いてあるものの全ては事実無根の人々が作り出した噂話に過ぎない。


 村落の金品の強奪も、婦女暴行も、囮に使った云々も覚えがない。おそらくは噂話程度のものに尾ひれが付いたのだろう。

 詰まる所この小さな新聞屋が人の目欲しさにばら撒いたこれは、所謂悪質なゴシップ記事のようなもので、殆どが作り話だ。とは言え、全てと言う訳ではない。


 勇者に非道な事をされたという作り話が何者かにより世間に広められているのは事実だし、最悪な事に世間はその作り話を信じ始めていたのだ。

 原因としてはおそらく、魔王討伐後に王国で企画されていた記念パレードが突然ふいになったのと、勇者が凱旋にすら来なかった事にあるのだろう。


 何せその前々から勇者に対する誹謗中傷は今ほどではないにせよ、少なくはなく、では魔王を討伐したのに勇者が公の場に出なかった理由はそれらの極悪非道な噂話が事実であったからなのでは、と実しやかに囁かれ始めたのだ。


 王室の連中は無言を貫き、となると王国市民達の噂話を止めるものはなくなり、ヒートアップしていった。

 そして今に至る。人々の願いの元、世界を暗黒に陥れようとしていた魔王と討伐した勇者に待ち受けていたものは、世間の冷たい目だったと言う事だ。


 ――さて、まるで己の事のように勇者の擁護を述べる自分は何者なのかと疑問に思う者も居るだろうが、その通り自分こそが魔王を討伐したものの、現在進行形で非難の嵐を受けている勇者その人である。

 

「……畜生っ」


 名も知らない人間の書いた新聞をくしゃくしゃに丸め、路地裏にあるゴミ箱へと投げ込んだ。

 魔王を討伐するその理由に、名声が欲しかったからと言うような下心もあった。なのに実際に倒して王国に帰ってみれば、これである。


 今の俺は身を隠すように外套を纏い、酒の臭いを漂わせていた。

 世間の冷たい目から逃れるように口にした安酒であるが、酩酊するまでに呑んでしまった。

 

 既に足取りは覚束なく、これでは同居人に何を言われるかも判らないと、暗い思考から逃げる為に呑んだ筈の酒なのに気分は更に重くなるばかりだ。

 安酒特有の浮ついたものが持続するような感覚。辺りは夜の帳が下りた闇に覆われていて、人通りは少ない。これならフードを脱いでもいいだろうと、籠る熱気を逃すようにすれば存外冷たい夜風が赤くなった自分の顔に吹いた。


 ――そもそもの話、王族そのものが俺の存在を好ましく思っていなかったに違いない。

 理由は幾つか考えられる。魔王を倒せる程の実力を持った俺をこの国から追放したかった、魔王を倒した名誉を自分達のものにして、王室の発言力を更に強めたかった。


 その為に彼等は魔王討伐後に計画されていたパレードを中止し、更には俺に向けあまり人の前に姿を現さないようにと釘を打ったのだ。あれらのお陰で市民の勇者に対する疑念が植え付けられた。

 気付いた頃には全てが遅かったのだ。いや、気付いていたのに、知らない振りをしていたのかもしれない。世間は俺の事を信じてくれるのだと。


 パラノイアのようなものに取り付かれながらも、自身の千鳥足はしっかりと帰路に着いていた。自分が住む家に近づくに連れ、その一軒だけの電気が外に漏れている事に気付く。

 

 酒場を出たのは夜の0時程だ。深夜と言ってもいいだろう、なのにまだ起きて自分の帰りを待ってくれているのか、或いは単に彼女が夜更かししたい気分なのか。後者の方が有り難いが、この家の主は明日も早くから仕事があるのだ。その可能性は薄いだろう。


「――ただいま」

「ああ、おかえり。今日は遅かったな」


 扉を開けて中に入ると、家の主は平然とした声色で読んでいた本を閉じ、静かに此方へと近付いて来た。


「こんな時間まで起きていて大丈夫なのか、パトリオット。明日も朝、早いだろう」

「なに、眠る前にお前の顔が見たかっただけだ。それに幾ら団長の肩書きがあるとは言え、する事と言えば新人の面倒を見るくらいの平和なものだからな」


 王都直属の名誉ある騎士団の実質的なリーダー。そこの団長の任を務める彼女はこう言うが、決して楽な仕事ではない筈だ。

 入団したての新人騎士の教育は仕事のほんの一部分でしかなく、必要であれば書類仕事に始まり管轄内での犯罪組織の摘発や王都内の警邏も行う。


 他にも衛兵や組合ギルドでの解決が不可能だと判断された場合、騎士団が赴く事にもなるしそう言った事件の大概は凶悪なものだ。

 

 本当にこんな時間まで起きていて、明日の仕事に支障をきたさないかと心配する俺を他所に、傍らにまで歩み寄った彼女は一瞬その酒臭さに顔を顰めるような素振りを見せるも口にはせず、外套を脱がしに来る。

 その際に気分が落ち着くような香りが鼻先をくすぐり、ふと匂いを辿った。


 辿った先にはパトリオットの綺麗な顔と、宝石のような金色の長髪があった。

 こんな時間だ、身体を洗っていても何もおかしくはない。のだが、酒精に侵されている自分の頭に女性の心地の良い香りと言うのは毒のようなもので、挑発的にも思えたのだ。


 滑らかな金色の髪の下にある、彼女の肉体へと自然と目が行く。

 彼女がいま身に纏っているのは柔らかい素材で作られた白の寝間着で、仕事の際に付ける高潔なドレスとアーマープレートではない。


 肉付きの良い、彼女の身体のラインがくっきりと見て取れるその姿に目が眩むような感覚を覚えた。王国の疎まれ者である自分とは違い、彼女には地位と名誉があり、仕事がある。

 そんな彼女の邪魔をしてはならないと努めて目を離そうとするが、こんな時に限って外套を脱がす事に手間取っているのか、中々に彼女の方は離れてくれず、惑わすように女性の柔らかい香りが鼻先をくすぐって来るのだった。


「ごめん、自分で脱ぐよ」


 理性が蒸発するよりも早く、俺は彼女の華奢な腕から逃れるように距離を取った。必要以上に離れたのは彼女に襲い掛からない為の措置でもあったが、他にも外套を脱がしに来る彼女の腕が自分の身体に巻き付いて来る蛇のように思えたからだ。


 尤もこのようにか細い腕であるのだが、それでも彼女とて剣を巧みに操る勇猛果敢な騎士団の団長である。抱き寄せても殴り倒されるのがオチか――。

 脱いだ服を洗濯籠に自分が投げ入れようとするより先に、何かを思い出したかのようにパトリオットは俺に待ったを掛けると、近くにあった小包みを渡して来た。


 怪訝な思いと共に中身を確認して見ると、金色に輝く硬貨がそう少なくない数入っている。王国の現行硬貨だ、これだけあれば暫くは何もせずとも遊んでいられる。


「そう言えば、今月分の小遣いがまだだったな、すまない。足りなかったらもう少し渡すが……」

「おい、止してくれ。ただでさえこの家で邪魔になっている上に、碌な手伝いも出来ていないんだ。こんなもの貰えない」


確かに自分は金銭に困っている。何せ魔王を討伐した事による報酬を、未だに王族から受け取れていないのだ。

 その内に渡すとは言われたが、既にそう口にされてから半年近くが経過していて、自分から出向こうにも門前払いだ。


 今でこそ厚意に甘んじて彼女の家に住まわせて貰っているが、以前までは旅の途中で稼いだ金銭を使って日々を凌いでいて、稼ごうにも『勇者』と言う自分の称号が邪魔をして働けずにいた。

 故に前までの質素な暮らしの反動により贅沢をしたい衝動にも駆られるが――包みの中にある硬貨は、路頭に迷っていた自分に暮らす所を提供してくれた彼女が稼いだもので、俺が使っていい道理など何処にもない。


 これ以上世話になる訳にはいかまいと小包みを返そうとするも、パトリオットは俺の掌に触れるとその指を折り、無理矢理に硬い感触のする包みを握らせた。


「後ろめたさを感じる必要はない、お前には世話になったからな。その恩返しみたいなものだ。この金も、住む所を提供しているのも全部。少なくとも騒動が治まるまでは私もサポートする。だからお前も、私を頼ってくれ」


 口調も声色も冷静且つ理性的なものだ。

 なのに俺を見据えて来る彼女の碧眼には、並みならぬ感情の色が込められてあるような気がして、背筋に妙な冷たさを覚えるのだった。

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