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    【評価されるべき作品に、感想爆弾を投下します】企画に参加いただきありがとうございます! 大変長らくお待たせいたしました。
     感想爆弾を投下しに参りました。心の準備はいいですか?

     小川洋子作品が好きでよく読むのですが、僕のお気に入りの作品「海」の中に「鳴鱗琴」という楽器が登場します。大きな魚の胃袋に鱗が張りつけてあって、飛び魚の胸びれで作った弦が仕掛けてあり、空気の震えを鱗に伝えて音を鳴らす。海からの風が無いと鳴らせない、という架空の楽器です……なんて紹介をしましたが、もしかしたら作者も小川洋子ファンで本作はオマージュ作品なのだとしたら、それはそれで嬉しい(笑)
     魚の鱗でできたパレット、ザトウクジラの髭で作った筆、海水に筆を浸けないと出ない色、一度入れた色は夜になったら月明かりに照らして海に返す……本作に登場する道具達は架空のもので、なかなか扱いが難しいそうな代物です。それなのに、少女の語り口は真剣で、世界中探せば実在するんじゃないかと思わされます。道具そのものも、使い方も、余すところなくロマンがあって美しい。
    【突き抜けた風は止み、ベンチには軋むような暑さと蝉時雨が再び染み込んでいく。日除けというには小さすぎる錆びた屋根の奥で入道雲が湧き立ち音も立てずに飛行機がその入道雲を横切った】という冒頭の情景描写や、電車の中での立ち位置について【何よりも誰にも迷惑をかけず日常で一番他人が自分に迫ってくるこの時間をまるで幽霊かのように静かにやり過ごすことができる】と語る心理描写が、まるで実感を伴ったかのような現実味があって、物語の中にスッと入り込むことができました。
     本作の字数は3,672文字。主人公が父の実家にたどり着くまでに半分近く文量が割かれていて、「これ、このまま行ったら何も起きずに終わっちゃうぞ……?」と心配したのですが、最後まで読んだらそんな心配は無用だった。
     おそらく時期は夏休み、電車に乗って祖父の家に行く……のであればごく一般的だが、主人公が赴くのは、母親の言い方によれば「お父さんの家」。「おじいちゃんの家」ではなく。しかも母は同行しない。到着してみれば父親がいる。そして、紹介されたのは『再婚相手の連れ子』。ここでようやく分かる。主人公はいささか複雑な家庭事情によりこの家を訪れている。シチュエーションの設定にこだわりを感じます。食事の後に父と祖父が席を外し、残された主人公と少女の居心地の悪い空気も感じ取れました。
     ラムネサイダーが印象的なアイテムとして登場します(確か「海」にも出てきたなぁ)。ラムネサイダーは非日常の味がする……主人公の感覚は分かる気がします。日常的に飲むものではないし、ビー玉が入っている容器で、飲むときにちょっとコツが要る(言ってしまえば、飲みづらい)というのを考えると、ラムネサイダーは「飲み物」というより夏の季節感を味わうためのものだなぁと思います。作中では、主人公がラムネサイダーを飲むシーンが三回あります。その度に非日常を感じ、いつもと違う味だと感じる。久しぶりに父の家に行くというイベントも、突然現れた新しい親戚である少女も、その少女が語る非現実的なことも、主人公にとっては、受け入れるには時間がかかるというか、まだ馴染めないもので……心にむず痒さを抱えているように思われました。非日常感がある=主人公の内面の不安定さを表しているのかなと思いました。主人公の境遇とラムネサイダーとが上手く重なり合って、ただのファンタジーに留まらず、きちんと人間の心を描いた小説になっていました。「現代ファンタジー」ジャンルを名乗るのにぴったりな作品だと思います。
     最後の一文【身体の中で泡音を立てるサイダーから潮の匂いが微かにした】は締めくくりとして大変素敵で、読後感が気持ち良かったです。

     以下は、ちょっと気になった点。(「直してね」と押し付けるものではないです)
    ・【健也の瞳の中はいつも窓の外だった】→「視線は窓の外だった」もしくは「瞳の中にはいつも窓の外の景色が写っていた」かと思います。
    ・【返した返事】→わざわざ突くほどの問題ではないかもしれませんが、【返事】自体に【返す】という意味が含まれるので二重表現だと考える人もいます。「返事をする」で事足りるなら、こちらを選択することもできます。
    ・【父は彼女を再婚相手の芸術家の女性の連れ子】→意味は分からなくないのですが、いっぺんに情報が詰め込まれている息苦しさを感じました。
    ・作中では、少女が絵を描く姿までは書かれず、どんな作品が仕上がるのかも語られません。読者の想像に任せられていて、それが余韻のある読後感にも一役買っているように思います。一読者としては、主人公の想像の中だけでもいいので、少女が筆を走らせる姿や、キャンバスに描かれる海(鮮やかな青の海か、優雅に泳ぐザトウクジラか、きらびやかな鱗をまとう魚の群れ……たぶん少女はそういうモチーフを選ぶに違いない)を見てみたかったです。きっと幻想的な風景になることでしょう。実際のところはどうか分からない、だけど主人公の想像は膨らみ、期待が高まっているような描写があったら嬉しいなって思いました。

    追記:
    Twitterを拝見しました。去年の夏、カクヨム甲子園の結果を受けて、物書きを辞めることを匂わせるツイートがありましたね。でもこうして今書き続けられている。齧りついてでも書き続けていく姿勢、僕はとても好きですよ。

    作者からの返信

     ご返信と感想。それからTwitterに掲載までしていただきありがとうございました。
     王子さんの推測の通りこの作品は数年前に一度開いたことのある小川洋子さんの短編作品「海」の記憶を掘り起こして、そこに自分の旅に対する考え方や渚という存在の神秘さや美しさを付け足した作品になります。
     盗作と言われれば返す言葉もありません。ですが、自分の物語の礎には小川洋子さんの作品があって、その一部としてどうしてもこの作品を文字にしないわけにはいかないと思い書きました。その点をご理解いただき本当にありがとうございます。
     渚という場所は本当に不思議な場所です。地球上の大半が海か、陸地か、空に別れるのに渚という場所だけはその全てが溶け合って私達人間が生まれるずっと前から存在している。だから、それに筆を浸してみれば海と陸地の溶け合った色を描き出せるんじゃないか。そう考え始めて「海水をくじらの筆に含ませて空に描きぬ渚パレット」という短歌を作ったのがきっかけでした。
     この物語の中の「溶ける」という言葉は日常と非日常の溶け合いにも関係してます。日常と非日常は決してこれといった境界があるわけではなくどこか溶かしあってぼやけて存在している。そう思うのです。そして気付いたら非日常に、旅に出ていて、気付いたら元の日常に戻っている。ですから、この物語では日常がゆっくりと彼の中で非日常に変わっていくその過程を伝えたかったというのもあります。
     文庫版の小川洋子さんの『海』が収録された短編集の巻末のインタビューで小川洋子さんは「歴史的、時間的な積み重ねを経ながら、繰り返しいろんな世代にわたって読み継がれ、誰が書いたかなんてこともだんだん分からなくなって、最後に言葉だけ残る。たとえ本というものが風化して消えていっても、耳の奥で言葉が響いている。そんな残り方が私の理想です」と仰っていました。
     一概には言い切れないかもしれませんがそれが物語の意義の一つであると思います。だからこそ読み終わった後に少しでも空想を与えられるような作品を書きたいと常々思っていました。それが今回の終わり方です。渚パレットについては何も明らかにされてない。色も、絵も、彼女の生き方も、その先の物語は読み手の方々がそれぞれの渚を見て彩っていってほしい。できれば、そのアンサーがこちらに帰ってこれば書き手としてこんなに嬉しいことはない。独りよがりな考えですが、そんな思いを持って終わりました。
     長々とすいません。ご指摘いただいた箇所は修正させて戴きました。次にいつ作品が書けるかはわかりませんが、またより良い作品を書けるように精進していきたいと思います。
     今回は御感想を書いていただきありがとうございました。
     

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