二章 消えてしまった居場所⑤



「なっ」


 思わず声が漏れかけて、咄嗟に口を噤んだ。心臓が激しく脈打ち、頭から氷水でもかけられたような感覚に陥る。

 携帯電話を握っていた手から力が抜けていき、頬のあたりが痙攣した。

 裏掲示板に新たに載せられていたのは、紛れもなく私の写真だった。盗撮とかじゃない。私もこれには見覚えがある。仲がよかった頃にみんなで撮った変顔の写真だ。それが私の部分だけ切り取られて、晒されている。


『気持ち悪い』『やばすぎ』『こういう女ないわー』『ウケんだけど』『ブスすぎでしょ』


 その画像に対して、たくさんの心無い言葉が投稿されている。

 愕然として、力の抜けた手から携帯電話が滑り落ちた。なんでこんなことをするのかわからない。誰でも見ることができるようなネットで無責任にここまでするの?

 答えの出ない疑問ばかりが頭に浮かび、怒りや動揺、苦しさなど様々な感情がぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、心が潰されたみたいにずきずきと痛む。


「ねえ、落ちたよ?」


 誰かに声をかけられたけれど、返事をする気力がない。またあの窒息してしまいそうな感覚。このまま呼吸が止まってしまいそうだ。


「……なに、これ」


 私の携帯電話を見ながら顔を顰めている大塚さんが視界に入り、声をかけてきたのが彼女だったことに気づいた。


「これ……吉田さんだよね。〝あいつら〟にされたの?」


 喉が潰れたみたいに声が出てこなかった。けれど、大塚さんはまっすぐに私を見つめてくる。

 あいつらとは、大塚さんのことをいじめていた彼女たちのことだろう。

 仲がよかった頃、私がこの写真をSNSに載せた記憶も、彼女たちの誰かが載せていた記憶もない。だから、第三者が勝手にどこかから流用したとは考えにくいし、それに、私にこんなことをする人なんて他に思い当たらない。


「あのさ、もうこのサイト見ない方がいいんじゃない?」


 大塚さんの言う通りだ。頭ではわかっているつもりだった。見てもいいことは絶対に書いていない。だから見ない方がいい。こうやってなんて書いてあるのかを確認するたびに傷ついて、心が萎縮して、どんどん自分を追いつめていくだけだ。

 でも、確認しないのも怖い。今度はどんなことが書かれているんだろうと気になって、書かれていなければ安心して……ずっとそんなことを繰り返している。まるで一種の中毒のようだ。


「それと、もっと酷くなる前に先生とかに相談しておいた方がいいんじゃないかな」


 どうして?


「さすがにこれはやりすぎ」


 どうして……?


「私なんかに言われたくないかもしれないけど……ちょっと心配だよ」


〝どうして〟大塚さんは責めないんだろう。


 下唇 を噛みしめて、必死に言葉と感情を体内に留める。今口を開いたら、せき止めたものがすべて出てきてしまいそうだった。この醜い感情を大塚さんの前で晒したくない。知られたくない。


「……あんまり思いつめないようにね」


 私がなにも答えないことに痺れを切らしたのか、大塚さんは拾ってくれた携帯電話を私の机の上に置いて離れていった。

 自業自得だよって言われたら、なんだそっかと納得できた。でも、大塚さんは私を責める言葉を一言も発することはなかった。

 むしろ気にかけてくれているようにも感じられて、その彼女の対応が、日差しにじりじりと焼かれているみたいに痛くて、苦しくて、誰もいない暗い日陰に逃げてうずくまってしまいたくなった。

 どのくらいの時間、立ち尽くしていたのだろう。我に返って顔を上げたときには、教室には誰も残っていなかった。

 どうしてこんなことになってしまったのか、私はこれからどうすればいいのか。答えが出てこない。

 カバンと小さいトートバッグを抱きかかえて、教室を飛び出した。静かな廊下に私の足音が響く。肺が圧迫されて息苦しく、水中でもがいているかのように一歩が重たい。酸素を求めて必死に息を吸い込む。


 泣きたくない。立ち止まりたくない。

 滲んだ視界の中、涙が落ちないように眉根に力を込めた。


 まるで学校は出口のない迷路のようで、日に日に私の行動範囲が削られていくみたいだ。けれど、学校はあの頃からなにひとつ変わっていない。

 変わったのは私と彼女たちの関係だ。

 それなのに、私から見た学校は、以前とはまったく違う場所になっている。

 どうやって学校を出るのかも、知っているはずなのに、そこにたどり着くまでが酷く遠い道のりのように思えた。

 靴の底がすり減ったローファーは、鉛のように重たく感じられて、校庭を走っている運動部の掛け声や風に乗って聴こえてくる吹奏楽部の演奏に、ひとりぼっちの虚しさがこみ上げてきて耳を塞ぎたくなる。

 学校に来るとやっぱり消えてなくなりたい衝動に駆られる。

 嫌いだ。この世界も、私も、全部がどうでもいい。

 必死に足を動かし、俯きがちに真っ黒な校門の檻をすり抜けた。


『苦しくなったら、また来ればいい』

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