第29話 ある朝、機知によって策を練る③

 ヴェンディとも仲直りして、なんとなくトーヤを退けて、もうすぐ帰国できると浮足立っていたから油断してたんだ。

 門の外に出た途端に、私の視野は真っ暗になった。あれ、と思う間も無い。顔や手に当たる質感から布かなにかをかぶせられたのだと気が付いたのは、体を無遠慮にひょいと持ち上げられて固いところに転がされてからだ。


「っつ……!」


 なにすんのよ、という言葉は出せない。被せられた布の上からさるぐつわを嚙まされた。ぎっちぎちに絞められたそれは口を動かそうとすると頬にぎりぎりと食い込むくらい。パニックになった頭がその痛みではっとする。そこでようやくこの状況は「拉致」だと気が付いた。

 しかし気が付いたところで既に遅かった。暴れようにもさるぐつわを噛まされたと同時に手足も縛られて身動きが取れない。両足を持ち上げて振り回してみるも、それもすぐに何者かに押さえつけられた。

 がたっという音とともに体の下から振動が伝わった。ゴトゴトという音は、これは移動してる? まさか、さっき見えてた荷車? これ、城から遠くに連れていかれるってこと?

 ぞくり、と背中に冷たいものが走る。

 すると、すぐ耳元でお嬢さんとささやく声がした。


「おとなしくしててくださいねぇ。さもないと、あんたの手足がなくなるかもしれませんからね」

「っく……!」

「いえね、うちとしてはあんたに恨みもなんもないですけどね。ちょいとあんたにお話させていただきたいってひとがいるもんで」


 ささやく声には聞き覚えがあった。あの気風のいいケットシーの店主だろう。ということは、さっきの荷車に積まれたのか。あの大荷物の影に突っ込まれてしまっては、傍目には人が入ってるなんて気が付いてもらえない。

 なんで、というよりこれはマズいのでは。下手したら戦になっちゃうのでは? 私の脳裏に最悪の想像が浮かぶ。こめかみの近くで自分の脈打つ音が大きくなった。

 仮にも王の客の側近にこれって、ヤバくない? これ、大事になっちゃわない? どうにか穏便に済ませるには? 自力で逃げる? できる? この非力さで?


――ヴェンディ……


自分の迂闊さを激しく後悔しながら、私はこの事態がヴェンディの耳に入らないことを祈っていた。

 

 どの位がたごとと荷車に揺られていただろう。途中、大きな起伏や荒れた道を通らなかったところをみると、ひょっとしたらまだ城下町なのかもしれない。とにかく転がされたままなので振動がダイレクトに頭や頬に当たって痛い。

 なんてことを薄ぼんやり考えていると荷車がぴたりと止まった。振動を喰らいすぎてまだ脳が揺さぶられているようだったけれど、被された布ごと引き起こされる。自由の利かない視野でも、何となく辺りが暗いのは分かった。

 倉庫か、屋敷の中とか、なにか建物の中?

 すんっと鼻をひくつかせてみるものの、布にまぶされた香水のにおいしかわからない。視覚も嗅覚もだめで声も上げられない。これはとにかくこの拘束なんとかしないことには、と私は腹を決めた。


「さて、と。こっちが先に着いちまったようだね」


 がさごそと音を立てて目の前から布の覆いが外される。と同時にさるぐつわも外された。これは叫んでみても無駄ということか。試してみようかと息を吸ったところで、ぴたりと頬に銀色に光る冷たいものを押し当てられた。


「変な気を起こさないでくださいましねぇ。いっくら人払いしてるからっていっても、耳ざとい奴らは大勢いるんで、あんたの叫び声なんてすぐ聞きつけられちまう」


 にやりと口元をゆがめたケットシーの口調はのんびりしたものだったが、目つきは笑っていない。ひんやりとしたものは刃物だろうか。うちの城にいるケットシー、モナエルは虫も殺せないようなお嬢さんだけれど、こいつは簡単にその刃を突き立ててきそうだ。

 ごくり、と喉が鳴る。顔の覆いとさるぐつわは外されたけれど、手足はまだぐるぐる巻きにされていて身動きもままならない。


「おや、ビビってんのかい?」


 喉が上下したのが見えたのだろう。ケットシーは肩を揺らした。

 小馬鹿にされたままではいけない。なんとかして状況を把握して、逃げる隙を探さなきゃ。

 今自由になるのは顔と口だけだ。私はカサカサに乾いて貼りついた唇を無理やり引き剥がした。今なら相手はこのケットシーだけ。なら、と暗がりで大きく開いた瞳孔を睨みつける。


「ビビッてなんてないわ。一体何の用なの? こんなことしたらただじゃすまないわよ」

「おや、急に強気だねぇ。ただじゃすまないって、どうなるってんだい?

「下手したら外交問題に――」

「あんたが『殺されでもしたら』ってね。でもバレなきゃどうってことない。アタシとしてはニンゲンの小娘なんぞさっさと食い殺しちまえば証拠隠滅なんて簡単にできる」


 にゅっとケットシーが顔を突き出した。綺麗にカットされたヒゲの先がちくちくと当たるほどに近づく。お互いの鼻が触れるかどうかほどの距離で、彼女はぎらりと牙を剥いた。

 躊躇なく噛みついてきそうな、ぬらぬらと光る唾液がまとわりついている牙に一瞬身が竦む。肌で感じるこの空気は、戦場で感じたものと似ていた。命の危機のにおいだ。

 どうにかしなきゃ、という焦りでこめかみのあたりがずくずくと疼いた。目の前の一人だけ、なんて甘かった。こいつ、場数踏んでる悪党だというにおいがぷんぷんと漂っている。

 にらみ合いはほんの数秒だったけど、気圧された私に気が付いたのかケットシーは牙を収めてにやりと笑った。


「今すぐ取って食いやしないよ。あんたに用があるのはアタシじゃないからね」


 なんだと、いや、そういえばさっき先に着いたとかどうとか言ってたっけ。

 私は視線だけで周りを見渡した。薄暗いけれど、天井はそこそこ高い。顔回りには彼女の香水のにおいと布のにおいがまとわりついていたけれど、その隙間からなんとなく香ばしいパンのにおいがする気がした。パン屋さんか、お菓子屋さんか、食べ物屋さんが近いのかもしれない。ただアルバハーラの地理に疎いため、その情報は何の役にもたたなさそうだったが、なんとなくここは倉庫なのだろうとあたりを付ける。

 お菓子屋さんの倉庫――となるとこのケットシーの店の倉庫か? そりゃ自分の店なら自由にできるだろうけれど、アシがつきやすいのではないだろうか。それに商店街に近いならひょっとして警備の兵も、と思ったところで室内に一条の光が差し込んだ。

 あんた、とケットシーの声が心持ち華やぐ。細く開けた扉から、一つの人影がするりと室内に滑り込んできた。逆光になっているけれど、明るい色の髪がふさふさと揺れている。


「さて、お着きだ。あとはごゆっくり。そうそう。うちのひと、怒らせると怖いんですよ」


 ねえ、としなを作ったケットシーが振り返った先を見て、私は言葉を飲んだ。


「よう、早かったな」


 近寄ってきたのは、あのトーヤだったんだ。


「あんたぁ、こんなひょろいニンゲン攫ってこさせるなんて、やっぱりニンゲンがいいのかい?」

「んなわけないって。聞く事聞いたら用済み。そしたら食っていいよ」


 ふふっとケットシーが微笑んだ。目を細めたその顔は、愉悦に浸っているように見える。妙に艶のある腰つきでトーヤに近づき、すれ違いざまに彼の頬に唇を寄せた。それを軽く受けたトーヤは、にやりと笑って荷車へ近づいてくる。

 彼のまとうにおいは、甘く、香ばしい焼き菓子に似ている。やっぱりここはあのケットシーの店の倉庫かも。店に近いのなら城までの道は覚えている。なんとかこの戒めを解いて外に出なきゃ。

 私が脳内で道筋を思い浮かべていると、こつんと荷車が揺れた。トーヤが爪先で荷車を蹴飛ばしたのだ。そしてそのまま彼は行儀が悪いその足を乱暴に荷台の端に乗せた。


「よう、ヴェンディ王の秘書さん。気分はどーだい?」


 城で話した際には人懐こさ全開の口調だったくせに、えらい変わりようだ。スーツ姿ではあるもののネクタイはだらしなく緩め、ジャケットのボタンは全て外れている上に両手はスラックスのポケットに突っ込んでいる。

 陽気そうな表情はなりを潜め、これみよがしに顎を上げてこちらを見下ろしている表情を含めいい年こいてどこぞのヤンキーかチンピラかとでもいう出で立ちだ。


「……何の用?」


 じろりと睨み上げるがトーヤは眉一つ動かさない。ケットシーは腰を揺らして去っていき、私たちの間には一瞬の沈黙が流れた。


「何の用って聞いてんだけど。こんな事して、タダで済むと思わないで」

「タダで済まさねえためにやってんだよ」


 鼻を鳴らしてトーヤは荷台を蹴った。がたっと床面が揺れ、手足を拘束されたままの私は大きく体勢を崩す。遠慮もくそもない。私はバランスを保てずその場に倒れ込んだ。頬を強打し痛みに顔をしかめた瞬間、目の前にドスンと音を立てて黒いブーツの足が落ちる。鼻先スレスレをかすめた爪先はそのまま頬の下にねじ込まれ、私の顔に無理やり上を向かせた。

 屈辱的な扱いにカッとなるが、身動きが制限されているままでは抵抗もできない。私は強い非難の気持ちを込めてトーヤを睨みつけた。


「全く。今朝は肝を冷やしたよ。ヴェンディがいるなんて」

「……当たり前でしょ」

「結構派手にモメさせたと思ったんだけどね」


 はっとトーヤが短く息を吐く。顔の下にある爪先が小刻みに上下しているのか、私の視界はそれに合わせるようにぐらぐらと動いた。脳ごと揺さぶられる錯覚に襲われ吐き気がする。その時だ。ちゃりちゃりと顎の下で金属が揺れる音した。途端に焦っていた思考がクリアになる。

 なんで忘れてたんだろう。

 このネックレス、念じてヴェンディを呼べばあのひとが飛んできてくれる術がかかったシロモノだ。人間界との戦の際に飛んできてくれたことを思い出して幾分頭が冷静になる。大事にはしたくなかったけど、いざとなったらという対策があるだけで心強い。

 であれば目的を聞き出してからでも遅くない。


「……どういうことよ」

「そっちの魔王様、相当嫉妬深いって聞いてたんでね。あんたに他の男の影でも見えりゃ、勝手に別れてくれるか、逆上してくれるかと思ったんだけど。でも仲直りしてたみたいだから、作戦第二弾の実行やむなしだ」


 恨むんならオレじゃなく主を恨みな、と笑うトーヤに城内でナナカに追い出されたときのお人好しそうな面影はない。確か「僕」だった一人称もヤカラくさい「オレ」に替わってる。キャラ違いすぎるだろう。


「作戦って、なにするつもりよ」

「あんたはここで『行方知れず』になる」

「……は?」


 意図することが分からず、私の口からは間の抜けた音が漏れる。トーヤはそれを見降ろして、可笑しそうに口の端を歪めた。


「招待されて訪れているお隣の国で魔王が溺愛する秘書がいきなり姿を消したら、さてどうなると思う?」

「どうって……」

「きっと魔王は血眼になって探すだろう?」

「……そりゃ、探すでしょ」


 もしそんなことになったら、考えずとも目に浮かぶ。泣きながら必死の形相でおろおろするヴェンディの姿――。探してはくれるだろうけれど、陣頭指揮を執るのは誰だろう、クローゼか、あるいはナナカ辺りかもしれないな。


「そこへ、隣国の男が近づいていた情報があれば魔王は逆上する」

「……ぎゃく、じょう……?」


 するかな、しないんじゃないかなという言葉を飲み込むと、トーヤはそれを恐れと解釈したのかもしれない。歪めた口元を大きく開け胸を反らした。


「執着している女を盗まれたと解釈し、アルセニオに戦を仕掛けてくるだろう」

「……はい?」


 それはないんじゃないかな、と思うも言葉にならない。あんまりにもトーヤが自信満々に告げているそれは、ヴェンディを良く知る者としては夢物語にもならないことが分かるからだ。

 あの弱気で怖がりで戦嫌いな魔王が、たとえ私のためでもアルセニオに「戦」を仕掛けるなんてありえない。そもそも彼を疑うかどうかすら怪しいんじゃないかな。やるとしたら「相談」「泣き落とし」ではないか。

 しかし、ひょっとしたらヴェンディが疑惑を口にした時点で逆手に取られるということはあるかもしれない。それを口実に戦を仕掛けられることはあり得る。

 まさかアルセニオはそれを狙っているのか。だからトーヤに私を誘拐させたのか。

 それはダメだ。

 ヴェンディを呼ぼう、今ならまだ大事にならない。

 しかし私が彼の名を口にしようとしたときだった。トーヤの口から耳を疑う言葉が飛び出したのだ。


「その隙に乗じて、オレがアルバハーラを占拠する」


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