第22話 ある夜、戮力すれど協心せず①

 昼食、夕食ともに部屋でナナカと一緒にとり、結局この日は一度もヴェンディに呼ばれないまま夜となってしまった。城下の様子を報告しようとしたけど、クローディアを伴ってアルセニオとどこかに出かけてしまっていたらしい。

 食後のお茶を淹れてくれたナナカが部屋から下がり、一人になったタイミングで私は深く息を吐いた。あたたかいお茶のカップから立ち上る湯気がふんわりと揺れ、甘い桃の香りが薄く顔を覆う。いつもであればほっと落ち着くひと時なのに、今日はささくれた心にこの甘い香りすらちくちく刺さるようだ。

 昨日今日と、情報が多すぎて自分自身が混乱しているのは分かってる。遠山さんのこと、ヴェンディの態度、クローディアの思惑、そして豊かな城下町とその裏側のこと。いや、城下のことは正直いってこの国の王であるアルセニオの管轄なのでそこまで考えなくていい。考えなくてもいいはずなのに、なぜかあの子コボルトの小枝のような手足が気になった。


「こんなに豊かな国でも、やっぱり貧富の差ってあるんだなぁ……」


 頭では分かっていたつもりでも、何とも言えずに心が塞ぐ。

 そりゃ、うちだって決して裕福じゃない。いやむしろここに比べれば貧乏な国だったりするけど、逆に言えばここほどの差はない。どんぶり勘定のヴェンディが様々な要求や請求に対していいよいいよと言った結果、城や城下に多くの財がたまらない代わりに業者さんや農家さんには少ないながらもお金が回っているからだろう。

 この国は城や城下の大商人たちは潤っているようだけど、それは一か所に財を集めているからなのかな。もちろん、うちより農耕にも適した土地だし、交通の要所で交易も盛んってこともあるんだろうから、一般市民はうちの平均層より裕福なんだとは思う。思いたい。

 表向きの華やかな街、厳重な警備、多数の浮浪民。うちの国の運営の参考にと思いながら考えるけれど、もやもやが晴れない。その国の王と、それに連れ立って行ってしまったヴェンディと、そしてクローディアの姿が浮かんでは消える。

 お人好しのヴェンディが無茶ぶりをされているのではという心配もあれば、やっぱりヒトでは高貴な魔族の会談にはふさわしくないと思われているのかという悔しさ、ヴェンディからの信頼を失ったかもしれないという恐怖など、次々と胸に湧き上がる。

 ああ、これはダメな思考のループだ。考えるだけ無駄なやつ。

私はお茶を一気に飲み干し、大きく伸びをした。もういっそ一回寝て、それから頭を整理しよう。そうしてしまおう。


「リナさま」


 ベッドに身を投げてしまおうと足を向けた時、夜間だからか控えめなノックとともにナナカがドアを開けた。


「お休み前に失礼致します。お客様がお見えです」

「お客様? えっと、身支度するから少し待っててもらって」

「いえ、内密のお話があるとのことですぐにと」


 そんな急に、という言葉は飲み込んだ。すっと扉の前からナナカが身体を避けると、その後ろから姿を現したのは漆黒のローブを被ったクローディアだったからだ。部屋に入った彼女がフードを脱ぐと、長い黒髪が蝶の羽の様にしなやかに広がる。


「……クローディア、さま……?」

「とぼけた顔ですこと。ナナカ、貴女も同席なさい」


 クローディアは部屋の主よろしく、私がたった今お茶を飲んでいたテーブルに向って顎をしゃくった。ナナカもそれには異を唱えることもなく、ドアを閉めるとテーブルへと向かいさっと私のカップを片付ける。

 ちょっと、この部屋、私が借りてる私の部屋なんですが。なんなの、一体。ヴェンディのパートナーも、城やナナカの女主人も、自分だとでも言いに来たのか。

 主を待たずに席に着いた二人を呆気にとられながら眺めていると、クローディアが細い眉を吊り上げた。


「早くお座りなさい。ヴェンさまを悲しませたあげくに無能なポンコツ秘書になったのかしら。それとももうあちらのニンゲンに懐柔されでもして?」

「は?」

「わたくしがこちらに来た理由」


――お前は知りたくないの?


 氷の様に整った顔の美女がそう囁く。そこでやっと気が付いた。クローディアからいつもの甘い香水の匂いが漂ってこないことに。むせ返らんばかりに駄々洩れていたフェロモンが鳴りを潜め、代わりにギラギラと燃える魔女の目になっている。


「お話、お伺いします」


 私は姿勢を正してテーブルについた。


★ ★ ★ ★ ★


 本当にお前というニンゲンはポンコツですこと。


 そんな余計な一言からクローディアの話は始まった。深刻そうな話かと思えばこの言い草。本題に入る前にマウントを取ろうという姿勢に、かあっと頭に血が上るのが分かった。


「確かに貴女のような武力はありませんが、少なくとも城の財政を多少なりとも改善させている私にポンコツとは?」


 真向から受けて立った私に、黒髪の美女はふんっと鼻を鳴らした。


「お前の仕事ぶりの事を言っているのではないわ。ヴェンさまのお側に侍るなら、もう少し王のメンタルにも配慮してしかるべきではなくて? 昨晩久しぶりにお伺いして、麗しいお顔がげっそりとやつれていらっしゃってびっくりしましたわ」

「昨晩の宴まではぴんぴんとして、列席されていたお偉方相手にいつものように大口叩いてましたけどね」

「はあ……。やはりニンゲンなどに我々魔界の者の精神状態など微塵も理解できていないようですわね。ましてやヴェンさまのように高貴なお方となれば、お心の内を計ることがどれほどむずかしいか」

「鷹揚で能天気そうに見せていて、実は泣き虫で怖がりなんてことはよぉく存じてますし、その点についてはフォローを欠かしていないつもりです」

「まあ! 泣き虫なのではなくてお優しいだけですわ! ヴェンのそんな性格を分かっていてこのザマですの?」

「何を仰りたいんですか?」

「ヴェン様をお辛くさせるのであれば、お側にお仕えするにふさわしくないと言っているのよ。理由は自分の胸にでも聞いてごらんなさい。覚えがないとは言わせませんわ」

「……で、貴女はふさわしいと?」

「お前よりはるかにお力になれると自負してますけれど」

「その割に、ヴェンディ様にははぐらかされてばかりのご様子ですけど?」


 ふさわしくないとはっきりと言われればちくりと胸が痛んだ。そんなの、自分でも分かってる。昨夜だって、ちゃんと言えなかった自分が悪い。傷つけた自覚はある。

けど言われっぱなしは癪に障るじゃないか。それもこのクローディアに。カチンと来てついつい言い返せば、両者に挟まれたナナカがぱんっと手を打った。


「お二人とも、落ち着いてくださいな。もう、クローディア様も、そんな口喧嘩をなさるおつもりでいらっしゃったんじゃないでしょ」

「お黙り、ナナカ。話をしようと思ったところにこの女が余計な口をはさむからですわ」

「リナ様は見かけによらず喧嘩っぱやいのですよ。城主様も簡単にノシてしまいますし、売られた喧嘩はすぐ買っておしまいになるのでこのままではお話が進みません。夜は案外短いですよー?」


 ナナカ、あんたって子は主人に向かって、という言葉は飲み込んだ。

 喧嘩っ早いって、いやまあ、否定できないかもしれないけどちょっと酷い。あんまりな侍女に台詞に冷や水をかけられた気分になって口をつぐめば、クローディアもその形のいい赤い唇をへの字に曲げた。

 黙ってしまった私たちを交互に見やったナナカが微笑む。すると、バツが悪そうに顔をしかめたクローディアは懐から何かを取り出してテーブルに広げた。


「これをご覧なさい」


 広げられたものは一枚の紙だった。うちで普段使いしているペラペラのものとは厚みが違う紙は、燭台の灯りの下で見る色だけでも一目で高級品と分かる。これが何か、と言おうとするけどクローディアはそれを待たずに紙の下部に長い爪を滑らせた。

 そこまでに書いてあるものはとりあえず読み飛ばし、爪の指し示す場所を見ればそこには――。


「それは、アルセニオ様のご署名……?」


 四日ほど前に受け取った戴冠式の招待状に記されていたのを見たから覚えている。ちょっと癖があるけど勢いのある筆致で、彼の顔を見たときになるほどと納得した記憶があった。

 日付は二ヶ月ほど前、そして内容は、軍を連れて、薬を持ってと――これはなんだ、援軍の依頼か? いや、更に視線を動かして私は息を飲んだ。


「……これって、いや、でも」

「あら。ちゃんと読めましたのね。我が国ではあまり使われない雅な言葉と文字ですけど、読解できたようで安心しましたわ」

「そ、そりゃ読めますけど、でも……これはその、単なるクローディア様への出撃依頼でなく……!」

「そうよ」


 ――このクローディア・スラフに寝返れと。


 背筋が凍るほどに底冷えした魔女の声が書簡の内容を簡潔に告げた。

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