第6話 ある朝、氷点下を体験する②

 結論から言おう。

 案の定、騎士団長の館の料理も魔王城とはさほど変わらず、基本的になんでも塩ぶっかけて煮込んだだけのシロモノだった。

 いや、下手をすると彩なんかは魔王城のものの方がましかもしれない。とりあえず加熱調理された野菜はみんなちょっと色がすすけ、スープにしても煮物にしてもぐずぐずに煮込んだだけで食感も味もどれも同じようなものになっていた。生の果物が申し訳程度に添えてあるが、これも「伝統的」な盛り付けということで味のバランスなんて全くの無視である。

 あからさまに顔をしかめているヴェンディはもとより、その斜め前で食卓につく館の主たるクローゼの顔色も芳しくない。


「やはり、城で頂いたリナ殿の調理法で出されたものに比べると、相当見劣りしますね……閣下も召し上がれるものが少なく、偏食がバレ……いや発覚してしまう恐れが」


 ぼそっと独り言のように零れるクローゼの言葉に、料理長がびくっと体を震わせた。でもこれは料理をするスタッフの責任とは言えない。だって他の調理方法を知らないのだから。


「ここはリナに頑張ってもらうとするか」

「それが良いように思います。我々はこの食事で慣れていますが、人間の王を招いて会談をする以上、なるべくなら見栄えをよくこちらの威厳を見せつつお話をなさったほうが有利に進められるでしょう」

「ということだ、リナ。メニューの考案を頼めるかい?」


 にこりとヴェンディがこちらへ振り返る。嫌だとは言えないし、言うつもりもない。私は了承の意味でさっと頭を下げた。


「メニューができ次第、人間の王に会談を申し込むとしよう。いつぐらいになるだろうか」

「それは、少々お時間をいただけませんと……」


 すぐには無理だ、と続けようとした時にそれまで少しうつむいていたクローゼが不意に顔を上げた。


「昨夜拝見したメニューの草案でやってみたらいかがでしょう。まずは試作をして、それで出来たら日程を決めてはいかがですか?」


 良いこと思いついた、という顔だった。そういえば、昨夜ノートを見られたっけ。


「クローゼさま、あれはまだ草案の段階ですわ。香草があるかどうかも、香辛料もどんなものが合うかもまだわかりませんし」

「いや、でもあれは素晴らしい調理法だと思いますよ。実現できるよう、我々も手を尽くしましょう。調味料の類は館の倉庫になければ、領地の隅々まで探させます」

「いえ、まずはヴェンディさまにご裁可を……」


 ぱっと表情が華やいだクローゼの申し出に、許可を得ようと私はヴェンディを振り返った。すると、だ。魔王の表情がいつもと違う。

 例えていうなら、黒い。

 いつも家臣たちに対しては鷹揚な笑みを浮かべて対応する彼の顔から、「笑」というピースはすべて欠落して色を失っている。

 代わりにそこにあるのは、黒い何かだった。唇も、頬も、いつもは赤い魅惑的な瞳すら、その色は褪せて黒いベールでおおわれているかのようだった。


「昨夜……?」


 色をなくしてわななく唇から零れ落ちた単語に私ははっと息をのむ。

 これ、ひょっとしてヤバイヤツかもしれない。


「あ、あの、ヴェンディさま……」

「昨夜、何があったの……? 私が行く前に?」


 ヴェンディの様子がおかしいことにクローゼも気がついたのだろう。饒舌だったその口が閉じ、緊張した表情に切り替わる。そして私同様「昨夜」という単語にはっとしたのか、こちらへ視線を走らせた。

 お互いの視線が交差したほんの一瞬で、「これはヤバイ」を共有する。

 昨夜の出来事――使用人部屋から客間へ案内された後、手にキスされてじっと見つめあってしまっていたこと――は何としてでも秘匿せねばならないということを。


「昨夜ですね、私が使用部屋へ案内されたのをクローゼさまが不憫に思ってくださって、客間へご案内くださったんです」


 何か言おうをするクローゼを視線で制し、私はヴェンディの前にあるグラスへ水を注ぎながら、努めて何でもない風に報告した。努めて、とはいうものの、事実なのでこれ以上のことはない。


「その際にノートに書き散らした調理法のアイデアをクローゼさまがご覧になったんです」

「なんで、使用人の部屋にいたの……」

「なんででしょう、お館の方が勘違いなさったのかもしれませんね。案外居心地が」

「クローゼ」


 私の言葉を遮るように発せられたヴェンディの声は鋭く、騎士団長は胸を貫かれたかのように動きを止めた。


「どういうことだい」


 氷のような、とういう比喩が合っているのかどうか、おそろしく鋭利な響きをもった声音がさらにクローゼを刺す。食堂に居合わせた一同は、魔王のこんな様子に恐れをなしたのか微動だにできない。給仕の少女はテーブルの上の皿に手をかけたまま止まってしまっていた。よく見れば、昨日申し訳なさそうに私を案内した少女だった。カタカタと彼女の指先の震えが、皿を通して響いた。


「大変申し訳ございません。昨晩、我が屋敷の者への手配に行き違いがあったようで、リナ殿を誰かが使用人部屋へ案内してしまったようでした。私もそれに気が付かず、皆がすっかり落ち着いてから話を聞いて慌ててリナ殿をお迎えに上がった次第です。すぐさま別の客室へとお連れしました。屋敷の者の粗相は私の責任です、叱責はどうか私へ」


 大変失礼いたしました、とクローゼが深々と頭を下げる。私もそれに合わせて頭を下げた。ヴェンディは暗い瞳でじっと見つめ、何も言わない。その代わり、彼の背負う大きな翼の羽がぐわっと逆立っていて、ただならないオーラを発しているようだった。


「私はヴェンディさまに雇われた身ですので、使用人部屋が当然と思いましたし居心地が良いお部屋でした。ご厚意で客間に泊めていただいて、クローゼさまにはなんとお礼を言ってい良いか」


 急いで添えた言葉に意味があったかどうか。

 徐々に増していくヴェンディの威圧感に息が詰まりそうだ。改めてこれが魔王なのだと思い知らされた。火を噴き空を駆けるサラマンダー隊も、重い武器を操る歩兵の主たるゴブリンやウォーウルフといった強面連中を、世襲の魔王というだけで制御しているわけではない。

 そうだ。この人は単にお人好しの泣き虫なだけではない、魔王城の主その人なのだ。


「クローゼ」

「はっ」

「今の話に嘘はないと、信じていいね?」

「もちろんでございます」


 今の話の流れに嘘はない。その後、まで言及されたら――と背中に冷たいものが走った気がした。

 しかしヴェンディはそれには触れず、視線だけこちらへ動かした。


「リナ」


 聞いたことがないほど冷たい声に背筋が伸びる。詰まったのどをこじ開けて、私は小さく返事をした。


「昨夜クローゼが見たという草案をすぐに持ってきなさい。晩さん会のメニューを検討しよう」

「……はい」

「分かっていると思うが」


 ずしん、と脳に直接声が響いた。いや、比喩ではなく本当に、直接脳に言葉を刻み込んだんだ。その証拠に、彼の唇は動かない。それなのにはっきりと聞こえた。――君は私のものだ、と。

 じっと見つめてくる彼の瞳の圧力に頷きかけた。


「ヴェンさまぁぁぁぁ!」


 突然食堂へ甲高い悲鳴のような声が響き渡った。

 金縛りが解けたように全員が一斉に入口を振り返る。するとそこには、さっきと同じ薄手のローブを羽織っただけのクロ―ディアが、髪を振り乱した様子で立っていたのだ。


「く、クロ―ディア、どうしたんだい?」


 急な闖入者に毒気を抜かれたのか、ヴェンディの声が普段通りに戻っている。そんな彼のもとへ屋敷の主(の妹)が飛び込んだ。


「クロ―ディア、どうしたんだい。そんな姿のままなんて君らしくない」

「ヴェンさまのバカ! わたくしを騙しましたのね!」

「騙したなんて、いったい……」

「あの香ですわ!」


 あー、とヴェンディの顔がばつの悪い表情に変わる。どうやらクロ―ディアに盛った香の幻覚作用が切れたらしい。正気に戻って何かに気が付いたんだろう。ということは、まださっき廊下で会った時は夢うつつだったということか。

 館の誰もが口をはさめないまま、クロ―ディアはぽかぽかとヴェンディの胸をたたき続けていた。


「わたくしの料理も一口も召し上がってくださらなかったなんて! あんなにおいしいおいしいって言ってくださっていたのも、全部嘘だったんですのね!」

「いや、それは、ねえクロ―ディア……」

「召し上がる前に、デザートはお前だよって言ってくださったのに! ここに! ほら! キスまでしてしるしをくださったのも、全部その場しのぎの嘘だったんですの?」


 激昂するクロ―ディアはがばっとローブを脱ぎ捨てた。つややかな肢体があらわになり、全員がそれにくぎ付けになる。ほら! とヴェンディに突き出した胸元には確かに赤い跡が残されているのが見えた。

 しかも、複数個。


「わたくし、もう身も心もヴェンさまに捧げる覚悟ができておりましたのにこの仕打ち!」

「いや、待ってクロ―ディア。これには深いわけが……」

「ひどいですわ!」


 下着姿の半裸で泣き叫ぶクロ―ディアとおろおろするヴェンディはの姿はもう何のコメディだろうと思えるほどに滑稽だった。その場にいる全員が、さっきの緊張感がうそのように顔を見合わせて笑いをこらえている。

 でも笑えない人がここにいた。


「昨晩、ねぇ……」


 自分でいうのもなんだけれど、これぞ氷点下の声音だろう。さっきのヴェンディにも勝るとも劣らない。はっとしたように黒髪の魔王がこちらを見た。黒いベールがかかっていたようなオーラは既になく、いつものお人好しそうな赤い瞳が動揺を隠しきれずにきょときょとしている。


「り、リナ。これはねっ……! 君も承知の通りで、えっと……」

「何もしてない、ねぇ……」

「してないっ、してないうちだよこんなのっ」

「ヴェンさま! どういうことですの!!」

「いや、クロ―ディアもちょっと落ち着いてくれないか。これには訳がっ」

「閣下」

「クローゼ……!」

「妹が大変なご無礼を働いているとは承知しておりますが、それはそれとして少々お戯れが過ぎるようですな」


 この状況を笑えない人がもう一人いたらしい。騎士団長の凄みを見せつけるようなドスの利いた声にヴェンディはすくみあがるしかなかった。両目いっぱいに涙を浮かべてこちらへ助けを求めるような視線を送ってくるが、ここは華麗にスルーをする場面だろう。

 私はぷいっと顔を背けた。

 人のことを「自分のものだ」と宣言するくせに自分は、とイライラする気持ちが収まらない。腹立ちまぎれにクローゼの腕を取り、強引に食堂を後にする。


「リナぁぁぁ……!」


 大勢が居並ぶ食堂から、魔王の情けない声がむなしくこだました。

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