第3話 ある朝、食卓に鉄槌を下す ②

 震える声にビビっていると、彼はゆっくり振り返った。満面の、輝くような、いやむしろ輝いている笑顔で。


「おいしいよ! 生まれて初めて野菜をおいしいと思ったよリナ。すごい魔法だ! リナは魔法使いなのかい? 魔法で作ったはっぱをパンに挟んだの? どうしたらこんなにおいしいものができたんだろう。君に食べさせてもらったというだけじゃない、口に広がるすべてが、輝かんばかりだよ!」

「そ、それはよかったです……」

「これは? こっちも同じくらいおいしいの?」

「上に載っている白いものも一緒に召し上がってみてください。トマトは切ってありますから」


 あまりのテンションに若干引きながら、私は皿のトマトを指さす。ヴェンディはわかったとばかりにスプーンを拾うと、今度は「あーん」を要求することなく自分でトマトを口へ放り込んだ。


「おいしいよ!! こっちもすごくおいしい! なんだっていうんだ、この白っぽいソースは。これが付いているだけで、今まで嫌で嫌でたまらなかった葉っぱやトマトが見違えるようだよ」


 きゃっきゃしながらもヴェンディは皿の上の料理を次々口へ運ぶ。あっという間にサンドイッチも野菜のサラダも平らげ、おかわりを要求する始末だ。


「お気に召したようで良かったです。パンがお好きなことは知ってますけど、野菜も一緒に召しあがると一層おいしいと思いません?」


 サンドイッチのお代わりとサラダをちょっと皿へのせて手渡すと、待ちきれないといった風にヴェンディはそれらも口へと放り込む。気持ちの良い食べっぷりは、今までの偏食具合がうそのようである。

 ひとしきり食事を楽しんだあと、ようやく満足したように魔王はお茶を口にした。


「ありがとう、リナ。とても素晴らしい料理だったよ。こんなものは生まれて初めて食べた」

「こちらのお料理は味気ないですもんねぇ。調味料の問題だと思って、ちょっと作ってみたんです」

「なんだって、これはすべて君が?」

「はい、といっても材料は厨房の皆さんに揃えていただきましたけど」


 ふむ、とヴェンディは腕を組む。少し真面目な雰囲気になったその顔は、さすが魔王という風格がある、ような無いような。


「このパンにはさんだ野菜とソース、あとはこのトマトにかかった白いソース。これは恒常的に作れるものかい? リナの手料理という特別感を除いても、同じような味になるだろうか」

「使った調味料はすべて領地で賄えるものです。パンにはさんだ方は塩と胡椒と、酸味の強い果実の果汁、あと卵と油で作れます。トマトの方のソースは、これは好みもあるかもしれませんけどヤギやウシの乳に酸味の強い柑橘の果汁をいれて少し加熱したものです」


――つまり、マヨネーズとカッテージチーズなのである。

貧相な調味料のこの世界で簡単に作れるもの、と浮かんだのがこの二つだった。マヨは肉でも野菜でもなんでもかけて食べられるし、カッテージチーズもしかり。味噌や醤油はさすがにレシピが分からないので、今のところはあきらめるしかない。それがあればもっとおいしいものが、と思うけどこれは仕方ないだろう。


「こんなにおいしく料理が食べられるものなら、領地のみなにも教えてやりたい。至急、調理の方法を公布したいと思うが、異存は?」

「ありません。知的財産権も今回は放棄します」

「ありがたい、さすがリナだ」


 にこやかにヴェンディが微笑んだ。

 私もふっと肩の荷が下りた気がした。これで穀類の消費を抑えて、つぎの収穫期まで野菜や肉もちゃんと食べる習慣をつければ、今後ほかの作物が不作のときに応用ができる。

 頑張った甲斐があったというものだ。

 

「それにしても、ヴェンディさま。ものすごくおいしいって召し上がってくださいましたけど、そんなに?」

「そりゃあそうさ」

「じゃあ私もあとで食べてみよっと」

「……味見、していないのかい?」


 しまった。

 ほっとしたついでに余計なことを口走った。だいたいのレシピは頭に入っていたけど細かい分量はほぼ目分量である。こんな味だろうと高をくくって、まともに味を確かめもしないまま食卓に乗せてしまっていたのだ。

 私は愛想笑いを浮かべ、給仕のスタッフを呼ぼうと卓上のベルへ手を伸ばした。


「だったら、味見をしてみるといい……」


 急に湿り気を帯びた声で耳元でささやかれた。と、思った時には私の体は背後からヴェンディに抱きすくめられていた。

 からーん、と皿が落ちる音がした。

 これはこの間の二の舞になる。瞬間的に察知した私が体をよじるが、体格差もあるのか魔王の腕がそれを許さない。あっというまに床に押し倒された体勢となり、両腕を頭上で拘束されてしまった。


「何するんですかっ……」

「主の食事を、味見をしないで提供する悪い子にはおしおきがいるかな」

「私が作ったんだから、毒見も必要ないですし味はおおまか把握してましたしっ」


 ふふ、とヴェンディの口元が吊り上がる。薄い唇の間からは赤い舌が、ちろりとのぞいた。

 やばいやばいやばい。

 頭の中で警報が鳴り響く。でも両腕を拘束されている上、長身の彼の体の下ではもがくことも容易ではない。

 ゆっくりと近づいてくる彼の眼を見ちゃだめだ、と思っても、あの蠱惑的な輝きに意識を吸い込まれるように目が離せなくなる。

 

「じゃあ、一緒に味見をしよう……」

「え、遠慮しまっ……」

「私がしたいんだよ、リナ」


 ヴェンディは近くに落ちた皿の上に残ったマヨネーズを指で救い上げ、口に含んだ。そしてそのまま、私の唇へ自分の唇を重ねる。

 この間の二の舞にはなるまいと固く結んでいた私の唇は、いとも簡単に彼の舌にこじ開けられた。暖かく湿った塊が口内いっぱいに押し入れられ、その圧力に負けた私の唇は彼の舌を受け入れざるを得なかった。

 唾液とともに流し込まれるマヨネーズの味は、日本で食べていたものよりずいぶんとまろやかでフルーティだ。そういえば酢じゃなくて果汁をつかったもんな、なんて考えられていたのははじめのうちだけだ。

 上下の唇をかわるがわる吸われ、甘く歯を立てられ、そのたびに私の喉の奥からは悲鳴に似た声が漏れる。その声を聞くと、自分の声なのにどんどん私自身が高ぶっていくのが分かった。いつしか、私は自分から彼の舌を受け入れ、それを求めてしまっていた。

 唇の裏に舌を這わされ、歯をつつかれ、そして舌同士が絡まり引きあう。身動きできない体で、口の中だけが自由だった。

 ねっとりとした彼の舌が引くと、私はそれを追っていく。彼が入ってくればそれを受け入れ、吸い込む。

 何度も繰り返していくうちに頭の奥がしびれていく。こんな感覚は、初めてだった。


 気が付くとヴェンディに拘束されていた腕は解かれ、その代わり彼の手のひらが私のスカートをたくし上げていた。

 暖かい手のひらがむき出しの太ももに触れ、そうっと撫でられる。口の中を犯されたままの私は、なすすべもなくそれを受け入れ――


「城主さま! 国境付近から騎士団長のクローゼさまが謁見したいとおいでです!」


 突如室内に怒声に近い音量が鳴り響き、誇張ではなく心臓が止まりそうになった。

 はっと目を開けると、心底残念そうなヴェンディの顔がある。びっくりしすぎてどうしていいかわからない私とは対照的に、彼はすぐさまシレっとした表情を浮かべて体を起こした。起きるついでに乱れたスカートを直してくれるが、落ち着きすぎていてなんかちょっと腹立たしい。

 

「今行く。執務室へ通しておいてくれ」


 私を引き起こしながらヴェンディが何食わぬ顔でそう告げると、取次にきた者も承知したように頷いて去っていった。

 今のキスの余韻なのか、それとも突然の大声のせいなのか、私の鼓動は依然早鐘のようだ。


「な、なにが……」

「国境に常駐しているクロ―ゼがきたということは何かあったのかもしれないね。ちょっと行ってくるから、リナは落ち着いたら来るといい」

 

 ベッドで待っていてもいいけど、といたずらっぽくささやくと、まだ一連の出来事を整理できていない私をその場に残しヴェンディは去っていったのだった。

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