赤い糸が見える話

 目が覚めると小指から赤い糸が伸びていた。

 触れることは出来るが、引っ張ってもちぎれることはない。窓やら壁やらを突き破って外へ伸びているから、どういう仕組みなのかはわからない。突然おこった不思議体験に羽澤響は目を輝かせた。


「赤い糸が見えるようになったんだ」

「そろそろ起きてもらわないと困るんですけど」


 朝食の席で咲にいうと面倒くさそうな返事が返ってきた。見えないのか? と咲の前で小指を振ってみるものの、鬱陶しいという顔をされるだけ。どうやら咲や他の人間には見えていないらしく、響以外の赤い糸も見えないらしい。

 自分だけに見えるとはなんとも不思議な出来事だ。そう思いながら赤い糸をもてあそんでいると、咲が眉をしかめた。


「どちらの方に伸びているんですか?」


 自分にはつながっていないと確信めいた言葉に響は笑う。咲につながっていたらどうしようかと会う前の自分は少しおびえていたのだが、当人はそんな心配かけらもしていないらしい。

 咲には好感をもっているが、これは恋ではない。愛というのならば友愛。同じ目的に向かって生きている運命共同体。


「適当な女につながってるなんて抜かしたら、はっ倒しますし、その糸切り刻みますから」


 外行きの声とは違うドスのきいた声に響は思わず背筋を伸ばし、はい。と頷いた。咲であったら、見えない糸でも細切れに出来そうだ。

 そしてこれが嫉妬でも何でもないと響はわかっている。いうなれば、愛である。響にではなく、響が愛してやまない相手に向けての。

 それを思ったところでふと糸が伸びている方角が気になった。


 窓を開けて糸が伸びている先を見る。青空の中、ずっと先まで伸びている糸。その方角に確かに覚えがあった響は微笑んだ。


「咲、今日の予定はキャンセルで」


 その言葉に咲は眉をつり上げたが、仕方ないといった様子でため息をつく。起きて早々響が赤い糸が見える。なんていった時から覚悟はしていたのかもしれない。


 この埋め合わせは後でしようと考えながら、響はクローゼットへと向かう。何着かのスーツの中で一番上等。とっておきの時にしか着ないスーツを選んで、ピカピカに磨かれた靴を用意。しわが汚れないか鏡の前でチェックすると、車のキーを持って玄関へ。

 仕事用ではなくプライベート用の車に乗り込むと、すっかり覚えてしまった道を走る。途中でおなじみになった花屋によれば、ふだんは見かけない若い店員が驚いた顔をした。


「……デートですか?」


 めかし込んだ格好に女性として興味が引かれたのだろう。好奇心に彩られた輝く瞳がきれいだ。それに微笑みを浮かべながら、ユリの花を含めた大きな花束を頼む。


「最愛の人とデートなんだ」


 ついつい浮かれてウィンクすると店員の頬が赤くなる。素敵な花束に仕上げます! と意気込んで走って行く店員を見つめながら、響は小指からのびる赤い糸を見た。まだ遠くに伸びるそれは、日の光を浴びたからか自室よりも鮮やかに見える。自分が近づいてるからだと自惚れてもいいだろうかと響は花束が出来る間、じっと糸を見つめていた。


 できあがった花束は素人の響からみても素晴らしいできで、店員の「どうぞ楽しんでください」という輝く笑顔に後押しされて店を出る。

 そこから車に乗ればあっという間に目的地。駐車場に車を止めると手桶と柄杓、花束を持って歩き出す。丘の上という見晴らしのいい立地にそれはあり、眼下の町を見下ろしている。今日のような天気のよい日は一層空が高く、風が吹き抜け、心地よい場所となっていた。


「よかった。ちゃんと君につながっていたんだな」


 のびた赤い糸の先を見て、響はほっとした顔をした。もし違う人につながっていたらと考えて、少しだけ不安になったのだ。仮に別の女性につながっていて、運命だと言われたところでもう響は彼女以外を選べる気がしなかった。


 響の小指から伸びた赤い糸はまっすぐに「佐藤」と彫られた墓へとつながっている。

 捨て子であった前妻、アキには家族は兄しかおらず、その兄は今海外で子供たちに勉強を教えているという。当分墓にはアキ一人だろうが、それをアキは喜ぶだろう。


「百合さん、たまに会いに来ているかい?」


 アキの墓はいつ来てもきれいだ。兄の百合が帰ってくるたびによっているのかもしれないし、素直じゃない息子や、咲。もしかしたらリンも時折訪れているのかもしれない。

 日の光に溶けそうな真っ黒な服で墓を磨くリンを想像して響は笑う。そしてよかったと思う。旅だっても自分の最愛の人は愛され続けていると。


「会いたいなら直接夢に出てきてくれればいいのに」


 小指を揺らすとまっすぐに墓へと伸びた赤い糸も揺れる。日差しを浴びてキラキラと輝くそれを見ているとアキが笑っている気がした。


 響くんを驚かせたかったから。

 そんな柔らかい声が聞こえた気がして、響は嬉しくなった。

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