第五十八話 強敵

「黙れ!」碧衣は叫んだ。「理智の天使、ユーストアクア! 力よ来れ!」

 次の瞬間、その全身は青く光り輝き、碧衣の姿は変貌した。それを見て、躊躇いつつも、桃香と陽菜もそれに続いた。

「は……博愛の天使、ユーストピンク、力よ来れ」

「情熱の天使、ユーストイエロー……力よ来れ」

 変身した三人の姿を目の前にして、少女は微かに眉を寄せた。

「言葉では、理解して頂けないようですね」

「この……悪魔め!」

 碧衣は瞬時にユーストステッキを一メートルの長さに伸ばすと、空中を一閃させた。しかし既にそのときには、少女は後方へと飛び退いていた。碧衣は舌打ちしてステッキを腰帯へ插し込み、空中へ手を伸ばしてユーストボウを召喚しようとしたが、少女は跳躍して碧衣のすぐ目の前へと着地すると、その両腕を摑んでねじり上げた。召喚は失敗し、空中に現れ始めていた弓の形の光は、千々に砕けて空中に消え去った。

「私も無駄な戦いはしたくないのですが」

 碧衣の腕を摑んだまま、少女は諭すようにそう言った。

「桃香! 何をぼやぼやしてるのよ、早くこいつを……!」

 傍観していた桃香はその言葉で我に返り、持っていたステッキを振り上げて少女に飛び掛かっていったが、その攻撃には力が入らなかった。一つには相手が変身しておらず、モンプエラであるという確証が得られていなかったためであり、一つにはこれまでに見たことがないほどに、モンプエラらしきその少女が非好戦的であったためである。しかし碧衣が危機にある以上、助けぬわけにはいかなかった。

 しかし桃香のステッキが届く前に、少女は腕をねじり上げていた碧衣を、桃香に向って投げ飛ばした。ステッキは危うく碧衣を打ち据えそうになり、桃香は怯んで動きを止めた。

 その瞬間、肉薄してきた少女の飛び蹴りが身体に打ち込まれ、桃香は吹き飛んで地面へと叩き付けられた。陽菜はそれを見て、戦う決意を固めた。ユーストステッキを持って背後から飛び掛かった彼女は、瞬時に振り向いた少女の廻し蹴りによって、忽ち地面へと転がった。衝撃と痛みに、陽菜はすぐには立ち上れなかった。必死に首を擡げて見れば、桃香も同様である様子だった。

「こ……この……」

 腕を庇いながら、ただ一人立ち上ったのは碧衣だった。その脚は微かに震え、顔はまだ残るらしい痛みに歪められてはいたが、怯まずに彼女は立つと、真直ぐに敵を見据えた。少女は振り返り、平坦な声にやや力を籠めた。

「その状態で、まだ続ける気?」

「お前のような悪魔になんか、負けるわけにはいかない……」

 碧衣は空中に手を突き出し、ユーストソードを召喚した。少女は小さく息をつくと、同じように空中へ腕を差し伸べて、一本の武器をそこから引き出した。黒く長い柄を持つそれは、最初槍かと思われたが、尖端を見れば、銛であるらしかった。

 碧衣は長剣を、相手の少女は銛を構えて、互いに向い合った。数秒間の睨み合いの末、叫び声を上げて飛び掛かったのは碧衣だった。その動作は桃香や陽菜から見ても、誠に俊敏な、迎え撃つ隙もないほどの速度に見えた。

 しかし少女は冷静に銛を持ち替え、横向きに掲げて、振り下ろされたユーストソードをその柄で受け止めた。瞬間、火花が散り、碧衣は不意を衝かれたように両目を見開いた。少女は力を籠めて銛を回転させ、相手の剣を押し返した。

 碧衣は瞬時に飛び退いて迫ってきた銛頭を避け、歯を喰い縛って小さな唸り声を洩らすと、再び地を蹴って突進した。少女は斬撃を再び銛の柄で受け止め、碧衣はその度に新たな攻撃を繰り出して、高い金属音が繰り返し響いた。

 そして或る瞬間、碧衣が力一杯に振り下ろした剣を、少女は横に飛び退いて躱した。普段ならそんな失敗はしなかったであろうが、一向に攻撃に効果のないことに焦燥を感じていたのであろう、碧衣は力の加減を誤っていた。思わぬ手応えのなさに碧衣の身体は平衡を失い、大きくよろめいた。少女はその隙を逃さずに、握っていた銛の柄の先でその脇腹を突いた。

 碧衣は呻き声を発して、膝から地面へと崩れ落ちた。少女は無言でその手を蹴り、剣を手放させると、その喉元へと、銛の尖端を突き付けた。

「せ……先輩!」

 桃香と陽菜はほぼ同時に叫んだが、到底敵へと立ち向っていくだけの体力は残っておらず、ただ傍観していることしかできなかった。碧衣は眼を見開き、喘ぎながら、眼前に迫った銛頭を見つめていた。

 やがて少女は小さく息をつき、そして銛を引いた。

碧衣は勿論、桃香たちにも、その敵の行動は余りに予想を裏切るものであった。茫然とするユーストガールたちを見渡して、少女は澄んだ声で再び言った。

「一度、考え直しなさい。次はないかもしれませんよ」

 そう言い残すと、少女は踵を返して歩み去り、そのまま倉庫の陰に姿を消した。桃香はようやく熱いアスファルトから立ち上り、茫然と、一体今のは何であったのだろうかと考えた。しかし答えが、この場で出る筈もなかった……。

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