第二十二話 予感

 早穂は亜紀から眼を逸らし、再び金属柵の向うへと視線を向けて言った。亜紀は彼女の言葉に微かな安堵感と恐怖とを同時に感じて押し黙ったが、やがて、恐る恐る尋ねた。

「でも、早穂は、あんな風に、人を殺したりなんて……」

「しないしない、絶対無理」そこで早穂は初めて笑った。「亜紀も同じでしょ? 同じモンプエラと言ったって、全然違う存在なんだよ」

「よかった。でも……どうしてあんなことをするんだろう」

「わからない。でも、今年の初め頃から、市内で急に殺人事件が複数起り始めたよね。全部未解決のままで、警察も相当焦っているみたいだけど、全部あいつらの仕業だと思う。起り始めたのも丁度、私が初めて変身した頃だし。……きっと何かが起っているんだよ、この藤野市で」

「この街で、あんなのがまだまだ沢山……」

 いつしか亜紀も立ち上り、早穂と共に眼下に広がる景色に眺め入っていた。青空の下に広がる、その見慣れた市街の光景には、どこも危機を感じさせるものはなかった。しかし二人は、日常に忍び入る何者かの不気味な足音を、このとき確かに聞いていたのである。

「あのモンプエラたちも、私たちと同じように、どこかの学校に通っていたのかな。家族とか、いたりしたのかな」

 やがてそんな呟きを亜紀は洩らした。早穂は振り向くと、たしなめるように、やや強い口調で言った。

「そんなこと、考えないほうがいいよ。そうだったとしても、あいつらは極悪非道の化け物なんだから。説得なんて無理に決ってたし、多分警察でもどうしようもない。今日の奴だって、もう三人も人間を殺してるんでしょ? 成人してる人間だったら確実に死刑じゃん。そこまで強い罪悪感、亜紀は感じるの?」

「そう……だよね」亜紀は半ば気圧されるように答えた。「ごめんなさい」

「いや……」

 早穂は自分の言葉を悔いるように、慌てた口調で答えた。「こっちこそごめん、熱くなっちゃって。でも自分も同罪だと感じるのが厭だとか、そういうわけじゃなくて、本当に私たち、何も悪くないと思う。何なら次に同じような奴が現れたとしても、私、また銃でやっつけてやるよ」

 早穂は振り向き、手を銃の形にして、丁度そのとき砂場に降り立った鳩を、撃つ真似をしてみせた。亜紀は苦笑したが、次いで頭にふと浮んだ疑問を、早穂にぶつけてみた。それは話を聞いている最中も頭を擡げていた疑問であったが、話から受けた衝撃やら恐怖やらで、危うく忘れかけていたのである。

「早穂の御両親って……、どういう人?」

「え、どうして?」

早穂は激しく驚いた表情を見せた。その表情を見て亜紀は、自分の見立てが間違っていたのかもしれないと思い、慌てて首を横に振った。

「いや、ごめん……。もしかしたらと思って聞いてみただけ。私、自分の両親を知らないから……」

 亜紀はその事実を明かすことに僅かな躊躇を覚えたが、最早早穂に隠し立てすることはないだろうと、思い切りよくそう言った。早穂は大きく眼を見開いた。亜紀は続けた。

「私、零歳のときに病院の玄関に、籠に入れられて置かれていたのを発見されて、その後に今の両親に引き取られたんだ。市のほうでも調査を何度もしたそうだけど、実の両親に関する事柄は全然明らかにならなくて……。

私、ずっと自分の実の両親がどういう人なんだろうって、考え続けてたんだよね。この十数年間。でも自分が何者かに造られた存在だと聞いて、驚くと同時に……ああ、そうだったんだ、って思った。何があって私が生れたのかはわからないけれど、とにかくやはり、私は普通の存在ではなかったんだなって。だから早穂ももしかして、と思って訊いてみたんだ」

「私もいないよ、実の両親」

 亜紀は顔を上げた。早穂は大きく眼を見開き、亜紀を見据えたまま、一言々々、嚙み締めるようにゆっくりと繰り返した。

「私も、実の両親を知らないんだ」

 亜紀は咄嗟に、何と相手に返すべきなのかわからなかった。驚きと、やはりそうであったのかという思いが胸の内に交錯していた。それにしてもいざこうして言われてみると、いつも明るい早穂の姿は、何と孤児という言葉から醸し出される印象、今まで亜紀が自分と重ね合せてもいたその印象とは異なっていただろう。ややあってようやく、亜紀は言葉を返した。

「そうだったんだ……」

「亜紀、驚くと思うけど……というか私も、今凄く吃驚してるんだけどさ」早穂は真剣な顔をして、ベンチの亜紀の隣に腰を下ろした。「私も亜紀と全く同じなんだ。籠に入れられて、病院の玄関に置かれてた」

「そんな……」亜紀は驚愕に打たれ、急き込んで尋ねた。「どこの病院?」

 早穂が答えた病院の名は、同じ藤野市内ではあったが、亜紀が遺棄されていた病院とは別のものだった。しかし確認し合った結果、二人が遺棄されたのは共に同年の十月であり、同時に別々の場所に置き去られたと考えるのが妥当なほどであるということもわかった。

二人は突如として判明したこの事実を、どう考えるべきか思い悩んだ。しかし以前に早穂が遭遇した少女――モンプエラの言葉を信じるとすれば、二人は合成生物として作られた後、何らかの理由で病院に遺棄されたことになる。しかしそれが何を意味するのか、幾ら頭を捻っても、結論を導き出されるわけがなかった。

「ああ、もう全部わからなくなってきた!」

 散々唸りながら首を捻っていた早穂は、我慢ができなくなったというように立ち上ると、亜紀を振り返った。

「取り敢えずは考えるのはやめにする。でも、また親とかに色々探りを入れて、真相解明を目指したほうがいいよね、この問題」

「うん……」亜紀は弱々しく答えた。「早穂は……このこと、親御さんには言うつもりなの?」

「このことって、モンプエラとか殺人事件とかのこと? 言わない言わない、どんなことになるかわかったもんじゃないもん。亜紀はもしかして全部打ち明けるつもりなわけ?」

「ううん、そうじゃないけど」詰め寄られて、亜紀は慌てて首を振った。「でも、こんな大きな問題、私たち二人だけで抱え込めるものかな、って……」

「私は、自分がこんな存在であることを周りに知られたくない。それもあるんだ」早穂は答えた。「でもさ……何か大きな危機が、私たちに迫ってきてる気がするんだよね。それ……亜紀も感じるでしょ?」

 亜紀は小さく頷いた。それから二人は再び金属柵の向うに広がる景色へと眼を向けたが、晴れ渡っていた空はいつの間にか暗くつつあり、遠く望まれる山々の辺りには、黒い暗雲が垂れ込め始めていた。

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