第十五話 安定感抜群の職

 ちいさな子供が警察官や消防士になりたいという。結構なことだと思う。憧れやかっこよさからくる願望でも、なりたいという気持ちは本物だ。そこに不純な動機が入り込む余地はない。翻って、自分がどうなのかというと、就職先候補の一つとして、持ち駒になればいいと思って、そんな思いで受験申し込みをしている。

 公務員になりたいと考えている同級生は、公務員試験対策の予備校に通ったり、早くから試験勉強をしたりしていた。

 はっきりしている。たぶん自分は筆記試験に受からない。落ちる可能性が高いのに、それでも受験しに行くのは、もしかしたらウルトラCがあるかもしれないから。ペーパーテストはマークシート方式だから。いくつも理由を並べ立てて、テキストに書かれている問題が分からない不安をかき消している。

 大学受験のときは、確固とした信念があった。家から出る。だから頑張れたのに、なぜか今では頑張れない。

 家から出て、その次は?

「文くん、今いい?」

 襖越しに、遠慮がちな声がする。隣室からだ。

 悶々と考えている間に、食事と片付けは終わったらしい。欄間からは優しいあかりが漏れていた。

「……はい、ちょっとなら」

 遠慮がちに襖が開けられる。少しまぶしい。

「最近疲れてない?ぼーっとしてることも増えたし、家事、負担になってない?食洗器はみんなのボーナスが出たら買おうって話になってるから、他に負担になってる家事があれば、この機会に家電買うって手も――」

「大丈夫ですから!」

 これ以上、仕事を奪われてはたまらない。自分はいらない人間になんかなりたくない。

「今日、食器洗いしてもらえたの、ありがとうございます。でも、当番表通り、できますから」

 襖を閉める。

 真弓は無理やりにこじあけたりはしなかった。

 なにもかもが、うまくいかない。

 いやになる。

 ――なにか変化があればいいのに。

 文貴はスマホを引き寄せ、暗がりのなかでブルーライトを一身に浴びた。

 気まぐれにブックマークしている、大手のアダルトサイト。

 数タップして、見てくれが好みのタレントが出ているサンプル動画を発掘し、無音にしていたスマホの音量を上げる。イヤホンを差し込み、再生ボタンをタップ。

 動画と音声が、痴態を教えてくれる。

 それがどうしたといわんばかりに、文貴の体は反応しない。むしろ、嫌悪感すら覚える始末。

 早々に動画を停止し、履歴を消した。

 見る前よりも悪くなった気分に、文貴は辟易する。

 溜息一つ、すっと襖をあけ、キッチンに出ようとする。

「――――っ!」

 目の前に白い背中があった。上にはなにも着ていない。

 おそらく下着ぐらいはつけているが、胡坐をかいているので判断ができなかった。

「……雪野さん」

「んー?」

「人の部屋の前で露出して待ち構えないでください」

「人聞きの悪いこと言わないでー」

「大体、待ち伏せしてて俺じゃなくて真弓さんが出くわしたらどうするんですか、真弓さんに悪いじゃないですか」

「真弓ちゃんには出くわしたことあるけどフツーの対応だったから平気」

 もう、なにも言えない。

「……なにか羽織るくらいはしてください」

 文貴は部屋に置いていた薄手のパーカーをぱさりとかける。

「文ちゃんはさー、優しいよね」

「褒めてもなにもでませんけど」

「その優しさを自分にもふりむけてみなよ」

 パーカーをしっかりと着ながら、雪野は振り返る。

「頼れる社会人がいたら、頼っていいんだよ」

 こげ茶の髪がさらりと流れる。

「文ちゃんは誰かにとって必要な人間なんだよ」

 にこりと微笑んで、雪野は立ち去って行った。

 後ろ姿の、お尻に付けている、桃色の薄布がかわいらしかった。



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