第27話 優雅な朝

窓から差し込んでくる温かな光によって、俺の意識は浮上した。

 瞼を開けると真っ白な天井が広がっている。むくりと身を起こすと、そこは狭い室内であった。


「ああ、そっか。ここはハウリン村の家だったな」


 昨日までずっと王都の屋敷で寝泊まりしていたので、あまりにもスケールの違う室内に少し戸惑ってしまった。

 屋敷と比べると頼りないかもしれないが、これが普通の家というものだ。

 瞼を擦りながらベッドから立ち上がり、カーテンをめくって一気に窓を開ける。

 すると、ハウリン村の澄んだ空気が寝室に入り込んできた。

 勢いよく入ってきた風が前髪をめくりあげる。季節は夏に近いが、早朝だとまだ過ごしやすい気温をしている。

 前世のようにアスファルトで囲われていないので、熱が溜まったりしないからだろう。

 外には綺麗な草むらが広がっており、その奥には森がある。

 綺麗な自然を見ていると心が和むな。青い空と緑の地上のコントラストが素晴らしい。


 少しの間風を浴びていた俺は、寝間着を脱いで私服へと着替える。

 いつもの商人スタイルではなくどこにでもいるような村人Aの姿だ。

 ハウリン村では王都のような煌びやかな生活はしていない。商売相手がいないので見栄を張る必要もない。等身大の自分でいいのだ。


 ごく普通の村人服に着替えると、俺は寝室を出て一階のリビングへと降りる。

 洗面台で顔を洗うと、そのまま台所に移動して魔法具のコンロを着火。

 フライパンを置いて油を敷き、亜空間から取り出した卵を割り入れる。

 油の弾ける音が静かな台所に響き渡った。

 目玉焼きを作っている間に食器棚から平皿を出して、亜空間から取り出した食パン、レタス、スライスしたベーコン、トマト、チーズをのせていく。

 それらの作業を終わらせた頃には、目玉焼きが出来上がっていたので、すかさず具材として挟んでやる。


「簡単、亜空間サンドイッチの完成だ」


 亜空間から取り出して、食材を焼いて切って挟むだけなので誰でも作れるだろう。

 普通ならテーブルに座ってお行儀よく食べるところなのだが、ここには俺しかいない。

 なんだかんだと口うるさいエルザがいないので、台所に立ったままでサンドイッチにかぶりつく。

 塩っけの効いたベーコン、チーズの味がパンとよく合う。そして、瑞々しいレタスや酸味の効いたトマトが優しく包み込んでくれる。

 黄身を硬めにした目玉焼きの味がいいアクセントだ。

 これだけの具材があるというのに、それを一つにまとめてしまうパンというのは本当にすごいものだ。

 誰にも邪魔されることなく一人で味わうサンドイッチが最高だ。

 エルザたちは出自がいいだけあって、立ちながら食べていると注意してくるからな。

 しかし、ここは俺一人の世界。誰にも注意されることなく自由にふるまえる。

 気ままな一人暮らしの特権だ。

 締めるところは締めて、だらけるところはだらける。こんな切り替えができるのも二拠点生活ならではの良さだろう。


「ごちそうさまでした」


 サンドイッチを食べ終わると、平皿を流し台でそのまま洗ってしまう。

 昨夜の夕食が豪勢だったので、朝食はこれくらいでちょうどいいのだ。

 朝食を済ませると、俺はサンダルを履いて裏口に出る。

 そこにはだだっ広い草むらが生い茂っている。ただそれだけの光景であるが、緑に囲まれているだけで心が落ち着くというものだ。

 朝の陽ざしを浴びながら、ゆっくりと深呼吸すると土の匂いや草の匂いがした。


「少し凝り固まった身体をほぐすかな」


 身体を動かしたい気分になったので、元気よくラジオ体操をやり始める。

 懐かしいな。小学生の頃は近くの公園にスタンプとお菓子を貰いに、ラジオ体操に励んだものだ。


「クレト、おはよー!」


 身体を捻ったり、伸ばしたりしているとニーナが元気な声を上げてやってきた。

 家を出てみたら裏庭に俺がいたから声をかけにきたのだろう。

 たったそれだけだが朝から誰かが挨拶をしてくれるだけで心が晴れやかになる。


「おはよう、ニーナ」

「何してるの?」

「ちょっとした体操というか、身体をほぐしているんだ」

「へー、なんかわかんないけど私もやる!」


 奇妙な動きに興味を示したのかニーナが横に並んだ。


「じゃあ、俺の動きを真似してみてくれ」

「うん!」


 半分まで済ませていたけど、ニーナのためにも敢えて最初からラジオ体操をやってみる。


「あはは、変な動き」

「そうかもしれないけど、これをやると身体がスッキリするんだぞー」


 科学的とされる体操であるが、知らないニーナからすれば奇妙な動きに見えるらしく、ひとつひとつの体操をするごとに笑っていた。

 朝からご近所さんと並んでラジオ体操をする。なんて平和な光景なんだろうな。


「これで終わり」

「えへへ、なんだか楽しかった!」

「おはようございます、クレトさん」


 ラジオ体操を終えて笑い合っていると、ステラがにこやかに挨拶をしてくれる。


「おはようございます、ステラさん」

「朝からニーナの相手をしてもらってすみません」

「いえいえ、相手してもらってるのは俺の方ですよ」


 こんな可愛らしい少女が俺に構ってくれるだけで、こちらとしては一日の活気が湧くというものだ。


「ニーナ、そろそろ畑仕事をやるわよ」

「はーい! クレト、またね!」

「ああ、またな」


 などと別れを告げる俺たちであるが、ここからアンドレ家の畑は見えているので視界の中にはずっといたりする。

 それが何ともいえないご近所らしくて笑ってしまうな。

 さて、ラジオ体操も終わってニーナもいなくなってしまうと暇になった。

 本当に俺はニーナに相手してもらっていたことを痛感した気分。


「まあ、こういう暇な時間を楽しむのがいいんだよな」


 亜空間からイスを取り出して、そこに座る。

 ゆったりと日陰で涼むのは中々にいい。


「アンドレの言っていたようにソーセージを焼いて食べてもいいけど、さっき朝食を食べたばかりだしなぁ」


 そんなものを食べるとワインも呑みたくなるが、さすがに朝からそれはどうなのだろうな。

 いや、朝から呑むっていうのもおつだけど、今日はのんびりと過ごしたい気分。

 ボーっと椅子に座って考えていると、涼やかな強い風が吹く。

 それに伴い前方にある森がザザーッとざわめきを立てた。


「そういや、前に作ったはいいが使ってなかったものがあるな」


 木々を見て閃いた俺は、即座に立ち上がって移動する。

 森の中は、鬱蒼とした枝葉のお陰で日陰が多くて涼しい。

 すぐ傍で小川が流れているからか微妙に涼しく、清涼感のある水の音がしていた。


「うん、ここならいける」


 木の太さと間隔を確かめた俺は亜空間から手作りのハンモックを取り出した。

 エミリオの商会でロープが余っていたので、拝借して暇な時に作っていたのである。

 それを二本の木に巻き付けてしっかりと縛ると完成だ。

 ハンモックが落ちたりしないことを触って確認したら、ゆっくりと足を乗せて寝転がる。

 ハンモックに乗り込んだことでフラフラと揺れたが、それはすぐに収まった。

 体重がロープに預けられて、独特の浮遊感に包まれる。

 だけど、それがすごく楽で心地いい。

 木々の隙間から微かに青い空が見え、木洩れ日が俺の身体に落ちている。


「森の中でのハンモックは最高だな」


 家の中にも設置してやって、ハンモックで寝るのもいいかもしれないな。

 重さを感じない心地良さに身をゆだねて目を瞑っていると、近くで人の気配を感じた。

 思わず目をあけると、そこには興味津々な様子のニーナと苦笑いしているステラがいた。


「……ねえねえ、クレト。これなに?」

「ハンモックっていう野宿するための道具だけど……畑仕事はいいの?」

「だって、クレトが面白そうなことするから気になるんだもん!」


 気になっていたので問いかけると、ニーナが頬を膨らませながら言った。

 そうか。俺がハンモックをかけて寝転がる様子が畑から見えていたのか。好奇心旺盛なニーナからすれば、さぞ気になっただろう。

 もうちょっとニーナのことを考えて、人目につかないところに掛ければ良かったかな。


「なんかごめんよ」

「ねーねー、私もこれ乗りたい」

「ああ、いいよ。俺が抑えててあげるから寝転がってみて」

「やったー!」

「すみません、少しだけやらせたらすぐに戻りますので」

「気にしないでください」


 俺がハンモックから降りるとステラが申し訳なさそうに言う。

 これは俺が悪いのでステラが謝ることではない。


「はい、ここに乗って」

「うん!」


 とりあえず、ハンモックを手で抑えてニーナを乗せてやる。

 ニーナがしっかりと寝転がれたことを確認した俺は、ゆっくりと手を離した。


「うわー、これすごく楽しい!」


 ハンモックで寝転がりながら無邪気な声を上げるニーナ。

 ハンモックの楽しさにニーナもすっかりと虜になってしまったようだ。


「揺らしてやるー」

「きゃー! あはは!」

「ニーナ、満足した? そろそろ畑に戻るわよ」


 ちょっかいをかけて遊んでいると、ほどなくした頃合いでステラが終了宣言。


「母さんもこれ乗ってみて! すごく楽しいから!」

「ええ? 私も?」


 しかし、ニーナは帰るのではなくステラとの交代を促し始めた。

 どうやらこの楽しさを分かち合いたいらしい。


「ほら、寝転んで!」

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 ニーナと俺でハンモックを抑えてあげると、ステラはおずおずと寝転んだ。


「あっ、いいですね……」

「でしょでしょ?」

「――はっ! ここでのんびりしてたらダメ! 畑仕事をしないと!」


 ステラは三分くらい目を瞑った後に理性を取り戻したのか、ハッと我に返った。


「えー、もう今日はハンモックで遊ぶ日にしようよ」


 なにその平和な日。いつか暇があったらやってみたいかも。


「ダメよ。作物は私たちと同じように生きているんだから。きちんと世話してあげないと。行くわよ」

「はーい。じゃあね、クレト」


 これ以上誘惑には負けないとばかりに離れるステラと残念そうにするニーナであった。



 ◆



「クレト、ハンモックに乗せてくれ」

「私も乗るー!」


 夕方になると、アンドレがニーナを伴ってやってきたので、また掛けて乗せてやった。




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