倉橋つかさ(4)

 結局、勇司さんはそれ以上を語らず、他にお客さんがやってきたタイミングで魔王城から出て行ってしまった。

 出ていく直前に旺磨さんが夕方になったら店番を頼むと告げていて、その後に「よかった、親睦会はモモちゃんにつかさ君を連れて行ってもらおうと思ってたけど、僕も一緒に行けそうだよ」と微笑んでいた。

 それから「それぞれの世界で知人が全て共通しているとも思えないし、他意はないと思うから気にしなくていいよ」とも言ってくれたけど、僕は僕自身について語れることが少なくて、それはそのまま生きる意味というか、目的というか、指針というか、進むべき道が見えず宙ぶらりんになっている今の自分に自信を持てない状態なのは確かだった。

 記憶を思い出せないことに理由を求めていて、でも、その一方で知ってしまえば後悔するのかもしれないと忠告してくる自分もいる。

 そもそも大した意味なんてないのかもしれない……偶然の事故のようなもので平凡な僕の生活をちょっと忘れてしまっているだけなのかも。

 

(でも、普通さ……下着だけで外をうろついてるものなのかな、そんな状況ってある?)


 秋葉原にて新しく積み重なってきている時間が、記憶を失う前の僕は本当なにしてたんだよ? って疑問符を投げつけてくる。僕だって知りたいのに。

 とどのつまり、あれこれ考えても堂々巡りなんだから、それなら今の僕にできることをとりあえず頑張ろう、なんて結論に変化はないままだ。


 そろそろお昼休憩って頃に「僕らとモモちゃんは時間合うだろうけど、有紗君達の方はどうなるかわからないし十九時に万世橋まんせいばしの神田ドラゴン前集合って伝えてきてもらっていいかな?」と旺磨さんから頼まれた。

 万世橋の神田ドラゴンというのが僕にはさっぱり分からなかったけど頷いてみせて、ビルの四階にある岬識訳事務所へ向かうことになった。


 エレベーターから一歩踏み出すなり「靴舐めますから!!」なんて叫び声が壁越しに事務所の方から響いてきて、一瞬引き返そうかと思った。

 でも、僕にできることを頑張ろうと決めたばかりだったので意を決して扉を開けたら、土下座する日向さんと、そんな彼にゴミを見るような目を向ける有紗さんと天音さんが立っていた。


「こ、こんにちは」

「つかさくううううううん!! 聞いてよ!! 有紗さんと天音がっ!!」

「つかさ君やっほ」

「こんにちは、つかさ君」


 日向さん、有紗さん、天音さんの順番で僕に挨拶を返してくれた。

 僕が旺磨さんの伝言を話すよりも早く、涙目の日向さんが膝を床にこすりつけた状態でしがみついてきて……。


「あの二人、俺に優しくないの、二対一でぼこしてくんの、どう思う!?」

「どうしたんですか?」

「いやぁ、今日の親睦会にさ、どなたか友人を誘ってくれませんかって頼んでるんだけど……出会いが欲しいんだよ」


 表情はとても真剣、ううん? これは日向さんに味方すべきなのかな? もし僕がここで日向さんを見限ったら三対一になってしまうし……。


「つかさ君、無理にそいつの味方なんてしなくていいからね」

「有紗さんなら知り合いたくさんいますよね!? お願いしますよ!!」

「なんでそんなに必死なわけ?」

「いや、ぶっちゃけもう理由らしい理由もないんですけどね、癖になってんだ……女の子を求めるの」

「キメ顔なとこ悪いけど、ふつーにクズなんだけど」

「天音もやっぱ駄目? 必ず恩返しするからさぁ!」

「呼び捨てにしないでもらっていいですか? 馴れ馴れしくないですか?」

「昨日と言ってること違くない?」


 日向さんは上擦った声で叫んで、僕を見上げる。


「つかさ君もさ、ほら、少しでも手掛かりっていうかさ、色んな人に会うべきだと思うわけ、ね、つかさ君も出会い欲しくない?」


 言い方がちょっと気になるけど、一理あると思い頷いてしまう。

 仲間を得たからか、日向さんは僕から離れるように立ち上がって口調を強めた。


「ほら天音、つかさ君のためにさぁ!」

「私はその、上京したばかりで、こっちには知り合いとか全然いないし……」

「しかたないなー」

「なんでいきなりスマホを取り出すわけ?」

「ライン交換してやろうかと」

「有紗さん、この人ぶっていいですか?」


 ばちん、小気味いい音。


「あいたっ!! 確認の意味とは!?」

「おっけーおっけー」

「なんからぐいなぁ!! 今日らぐいわぁこれ!!」


 そんな賑やかなやりとりが絶えず続いてて、僕は自分から口を挟むタイミングがほとんど見つからず……名前を呼ばれたら返事をするロボットみたいになっていた。

 終いには天音さんが気を遣って用件を尋ねてくれて、それでようやく待ち合わせ場所と時刻を伝えることができた。

 そのまま残っていると魔王城に戻ります発言に再び一時間ぐらいタイミングを見計らうことになりそうだったので、そそくさと立ち去ったんだけど……。


(あ、日向さんにお父さんのこと――勇司さんと会ったこと言えてなかった)



 そんなこんなで夕刻、勇司さんとすれ違いでビルの外に出るとジャンク通りに沈みかけた太陽の茜色が混じっていて、空を見上げると薄い雲が幾つかのグループに分かれて沈む日に向かって緩やかな競争をしていた。

 旺磨さんと勇司さんの店番交代を待っている間、ビルの入り口近くで呆けていたら僕のすぐそばを小さな影が横切った。

 背後から現れたということは、つまり岬識訳事務所や魔王城がある雑居ビルから出てきた人なわけで、つい目で追ってしまう。


(子供? 魔王城のお客さんの中にはいなかったと思うけど、ビルの何階に用があったんだろ……)


 僕が知ってるのは四階と地下一階だけで、他の階でどんな人達が過ごしているのかはよく分かってない。

 一階だけは経路の関係上、ショーケースが幾つも積み重なって並んでいるのを見ているけど、管理している店員さん? とはまだ遭遇してなかった。

 昨日の日向さんとの散策や今日の魔王城でのお手伝いによって、秋葉原の景観というか文化というか、この街はサブカルチャー――この単語自体、旺磨さんから教えてもらったんだけど――の色合いが濃いのだと学んだ。

 そして、ビルから出てきた小さな女の子も例にもれず主張の強い格好をしていた。

 桜色の髪の毛は左右それぞれ耳元付近で結ばれていて、背中でゆらゆら風に泳いでいる毛先は少し色褪せて黄色味を帯びている。

 色合いは違うけど、メイドさんと似ているふわっとした曲線を描く衣装に身を包んでいて、言ってしまえばお人形さんみたいだ。

 そこで視線を感じたのか、女の子が急に振り返った。

 咄嗟に目を逸らしたけど、彼女がこちらに向かって歩いてくる気配がして、謝る準備を……日向さんに倣ってここは土下座だろうか、なんて考えていると。


「その子が噂の裸で有紗に抱きついてきた野郎ですか」


 なんてことだ……え、僕のやらかしたことって面識ない人にまで拡散されてるの? ん、その子? 僕じゃない人に話しかけてる……?


「ごめん、お待たせ……そうそう、つかさ君だよ」

雨頃あまころ胡桃こももです、モモでいいですよ」

「つかさです、はじめまして、です」


 反射的に挨拶を返し、次いで遅れてやってきたヒーロー……じゃなくて魔王様に最大限の感謝を、それこそ土下座をと振り返れば


「旺磨さあああああん!?」


 日向さんの歯切れ悪い忠告を思い出す。

 城から外に出るとみるみる残念になっていくとは……どういう意味なんだろうって疑問に感じてたんだけど、旺磨さんの姿を確認して理解できた。いや、状況はこれっぽちも理解できてないけど。

 旺磨さん(たぶん)は鳥、犬、猫、それから異世界出身と思われる生き物などにより生み出された混沌にのまれて、ほとんど全身が隠れていた。

 声を聴いてなければ歩く怪奇現象にしか見えない。

 しかも、群がる動物達の殺意が凄まじい……可愛い、癒し、生き甲斐などが代名詞になりそうなもふもふした子犬ですら牙を剥き出しにして旺磨さんの腕にぶらさがっている。


「旺磨さん、え、これ、え、大丈夫なんですか!?」

「モモに任せるです」


 胸を張って宣言したモモちゃんが旺磨さんに近づいていく。

 いつの間にか周囲の人々も足を止めて成り行きを静観していた。

 怪奇現象に立ち向かう少女の身を案じているのか、何かの撮影と勘違いしていて面白い瞬間に期待しているのかは定かじゃない。


「うがぁ!!」


 殴りました。群がる動物の隙間を器用に狙って鳩尾へ一撃決めました。


「うっ! ありがとうございます!」


 モモちゃんの理不尽なワンパンと旺磨さんの異質な叫び声によって驚いた動物達が散っていくのかなって予想したけど……そんなことはなくて、むしろ水を得た魚のように勢いを増して旺磨さんに襲い掛かっている。

 というか何処から飛んできたのか、本当に旺磨さんの足元で魚がぴちぴちと元気よく跳ねていた、水もないのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る