上代旺磨の経営苦難、或いは岬夜空の深夜徘徊

岬夜空(3)

「いつまで寝てるの?」


 夢の中のお母さんの声と、現実の落雷の音とが重なってわたしの目を覚まします。

 夢を見るのは好きです。わたしは実際には経験したことのない、母親に叱られるという光景ですら愛おしく感じてしまうのでした。

 魔王城の窓から見える外はまだ薄暗く、時々、雷の明滅によって室内を照らしています。

 ちょっとだけ埃っぽい布団から抜け出すと、肌寒さを覚えたので星食せいしょく――昨夜、ポッキーさんから貰った外套がいとう――を広げて自分の体を包みます。


(……お父さんもポッキーさんもまだ寝てるのかな?)


 壁に手をつけながら廊下へ出てみると、お城はまだ眠っているかのように静かで冷たい空気を漂わせていました。

 別の部屋で寝ている筈のお父さんはお酒を飲んだ次の日は昼まで起きなかったりするので……あてにはならないのですが、わたしが目覚めるのをずっと部屋の外で待ってたりするポッキーさんの姿も見当たらないので、どうやらまだ朝と呼ぶには早い時間のようでした。

 寝起きで重たい瞼をこすりながら、真っ赤な絨毯の先をするする追いかけ、やがて一階まで階段を降りていきます。


 竜にかじられて砕けてしまったかのような魔王城の端っこ、壁がばっくりと削がれて吹きさらしになっている通路の近くには地下へ伸びる階段があって、更に進むと大きな書庫が待っています。

 城内に流れ込んでくる横風に星食の布をはためかせながら地下へ降り、空っぽの燭台を目印にして歩いていると、すぐに書庫の扉が見えてきました。

 魔王城へ遊びにくると、ほぼ必ずと言っていいほど足を運ぶお気に入りの場所。

 知らない文字で書かれていて読めない本も多いですが、ここに置かれている本達はお家の近くの村だったり、道すがら宝箱から手に入れたり、旅人さんから借りたりして読む本とは違った……んー、なんて言えばいいのかな、そう、豊富なジャンル! この言い方もまた魔王城の書庫で学んだものでして、聞き親しみのない言葉が飛び交う文章は読んでいて飽きない、とても魅力的なものばかりです。

 でも、今日はそんな素敵な物語達からは目を背け、後ろ髪を引かれる思いで書庫の奥を目指して突き進みます。書庫の角まで歩くと、本棚が交差する場所に微かな隙間があって、そこに小さな扉がひっそり隠れています。

 足を止めて一度だけ深呼吸してから、意を決して取っ手を掴み……扉を押し開けると、より一層のかび臭さが奥から襲ってきました。

 この先に踏み入るのは初めてのことで、足取りも少し鈍くなります。


――本当は禁書庫への出入りは禁じられていました。


 ポッキーさんは、わたしの身を案じて「入らない方がいいのです」と言っていましたが……心の中でごめんなさいして、ゆっくりと歩を進めます。

 禁書庫の中は、悪夢が口を開けて待っているかのような不気味さに包まれていました。

 なにか遠くにいる人を見つけられるような……声を届けれるような、わたしの星空に込める願いの参考になりそうな、そんな手掛かりを求めてふらふらと本棚の周りを歩き回ります。


 灰色幻想譚、七つの棺と屍の檻、夢見の杖、エル・アルフ……それから知らない言語だったり、そもそも題名の書かれていない背表紙などが並んでいて、どれも内容がまるで想像できません。

 棚の上の方は背伸びしても届きそうにないので、届く位置にある分厚い書を取ってはぱらぱらと目を通して棚に戻し、また手に取ってはページをぱらぱらめくって……と繰り返していきます。


(……トマソンの大冒険……これも魔術書?)



――世界も元々は一つだったのである。些細な選択の違いによる枝分かれを繰り返して、分岐した可能性が歴史や文明に、まるで異世界のような模様を齎しているのだ。



 やや難解な冒頭の一文を読み進めていると、遠くで物音がしたような気がして背後を振り返ります。

 ポッキーさんが起きて、わたしの姿を探しているのかも。

 慌てて読んでいた本を閉じて棚に戻します。すると


「……あ、あれ」


 棚に収まったトマソンの大冒険が背表紙を透かして、その先に小さな世界を映し出していました。

 積み重なった灰色の瓦礫に挟まれて窮屈そうな道が背表紙の向こう側へ続いていて、指の先ぐらいの大きさの暗闇へ紛れていってます。

 それは本というよりは小さな箱のようで、さっきまで開いて読んでいたはずなのに……とても不思議な現象を目の前にして、ついもう一度手を伸ばしてしまいます。

 触れるか否かといったタイミングで視界がぐにゃぐにゃと歪み、意識が夢に溺れていくような立ち眩みが起きて、次いで足元が突然崩れ落ちました。

 少しして足がどこかへ降り立つのを感じて、奇妙な浮遊感に怯えて閉じてしまっていた瞳を開けると


――空は黒くて、地面は白くて、挟まれた灰色の世界に光を放つ破片がたくさん浮かんでいました。


『驚きました……まさかここに迷い込むなんて』


 頭の中に直接響くような、透き通った声の主を探すように辺りを見回すと、背後にわたしと同じ年くらいの子供が立っていました。

 男の子なのか女の子なのか……どっちにも見える可愛らしい顔立ちをしていて、絹糸のようにさらさらと揺れている長髪は太陽に照らされた湖の薄氷と似た淡い輝きを放っています。


「……あなたは?」

『僕は、そうですね……みなせそうたろうと名乗っておきます。読めますか?』


 目の前の子が微笑みながら人差し指で宙になにかを描くと、その先から小さな雲がぽぽぽと浮かんでいき それはわたしの知ってる文字で――水瀬みなせ蒼太郎そうたろうと読めました。


「わたしは――」

『知っていますよ、ヨゾラさんですよね?』

「そうです、えと、どこかで会いましたか?」

『いえ、こうして話すのは初めてですが、僕は何度か君を見ていますから』


 もしかすると、禁書に込められていた魔術が作用して術中に落ちているのかもしれません。

 水瀬蒼太郎と名乗った子にしてみても、口元を動かしていないのに確かな声が聞こえてきます。

 現実感が薄い、とでも言えばいいのでしょうか。


「蒼ちゃんくん、ここはどこなんですか?」

『男性として接してもらって構いませんよ』

「それでは、蒼ちゃん」

『……まぁいいですが、ここは塔の中二階、或いはオフィスビルの一室といった所でしょうか』

「ううむ? もっと分かりやすくお願いします。魔術の類ではないのですか?」

『さぁ、どうなんでしょうね……君達の呼び方にならうのでしたら、そうなるのかもしれません』

「蒼ちゃんも分かってないんですか?」

『ぐいぐいきますね……好きじゃないんですよ、不確かな結果を言語化するのは……』


 あとで話が違うと詰め寄られても面倒でしょう?

 その一言だけは咄嗟に愚痴を吐いてしまったといった様子で、蒼ちゃんの唇がもにょもにょ動いていました。


「魔王城に帰りたいです」

『帰れるといいですね』

「か、え、り、た、い、で、す」

『僕に言われても……あのですね、ヨゾラさん、君はトマソンの可能性に答えてしまいました……どうしてここに寄れたのか不明ですが、そろそろ引き離されるはずです』

「トマソン……そうでした、あの本が」


 蒼ちゃんの言葉を裏付けるように、再び世界が溶けていきます。頭を誰かにつかまれてゆすぶられているような立ち眩みも始まりました。


『その目で見てくるといいですよ。君のお兄さん……岬日向が救う筈だった、でも、そうはならなかった世界の姿を』

「ちょっと待ってください、お兄さんのことを知ってるんですか?」

『あの、離れて貰っていいですか? おい……てめー! 離せ!』


 咄嗟に蒼ちゃんへしがみつきます。頭巾がめくれて、ぼやけた視界に星空が広がったように見えました。

 また立っていたところが崩れ落ちていくような感覚に襲われ、足が地面を求めて宙を泳ぎます。

 怒鳴られながらも、ほとんど叱られたことのないわたしはちょっとだけ嬉しくて、より力を込めて蒼ちゃんに抱きつき、ぎゅっと目を瞑ります。

 しばらくそうしていると、やがて怖ろしい浮遊感も消え、どこかに降り立ったのだと自覚できました。


 蒼ちゃんから離れてまぶたを上げると、眼前には魔王城とも先程の不思議な空間とも異なる……右も左も崩れた建物が積み重なった薄暗い場所に居ました。

 トマソンの大冒険の背表紙に見た光景と似ていることに気付いて、周囲を見渡していると隣から大きなため息が聞こえました。


『クソガキが!! 僕を巻き込みやがって!!』

「そんな言い方しなくてもいいじゃないですか!」


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