第15話 商談

 ゼツの弟子であるリィーンとの邂逅後、ルヴィは自身が所有する家へと一行を案内した。

 村から持って来た薬の材料は、いつでも運べるよう庭の一角に置いた馬車の荷台に載せたままだ。


 ルヴィの許しを受け、ウォルファーがさっそく品物を吟味し始める。


「ふんふん……なるほどねえ」


 手で触れ、ときに匂いを嗅ぎながら素材を確かめるウォルファーの様子を、ルヴィは緊張しながら見つめ続ける。


 村から帝都までの間、素材の管理には気を付けてきたが、果たしてどうか。


「うん、だいたい分かったよ」


 頷きながら、ウォルファーは細い見た目に反して軽い身のこなしで馬車を降りた。

 手の汚れを払いながらルヴィの前へと立つ。


「……どうでしたか?」


 不安が顔に出ないように苦労しながら、ルヴィは格上の商人に問いかけた。


 硬い表情のルヴィと、緊張を隠せていないエミリーを眺めて、ウォルファーは何かを思い出すように目を細める。表情は柔らかだ。


「まあまあだね。初めてで知識もない状態なことを踏まえれば、上出来だと思うよ」


 ウォルファーからの評価にルヴィは強張っていた体を弛緩させる。これで遥々運んできた素材に値が付かない事態は避けられた。

 エミリーも「良かったです」と、安堵した様子を見せている。


 だが、ウォルファーの評価はあくまで「初心者にしては上出来」というものだ。これから村の特産物にすることを考えれば、「まあまあ」などという評価で安心してはいられない。


「ウォルファーさん、素材に悪い部分があったなら教えてください」


「ははは、貪欲なのはいいことだ。大きな点は湿気の対策をしていないところだよ。道中で雨は降ったかな?」


「はい。途中で何度か雨に遭いました。それでも、積み荷が濡れないようには気を付けたつもりですが……」


 素材を濡らしてはいけないという認識はルヴィとエミリーにもあった。だから雨天時には荷物に布を被せるなどの対策を行っている。


「ああ、直接雨に濡れないようにしていたのは見れば分かるよ。でも、雨のときは空気そのものが濡れているから、それだけじゃあ不十分だ。次からは湿気取りに何か入れた方がいいね。うちで乾燥剤も扱っているから、安く売ってあげるよ」


「ありがとうございます。湿気ですか……」


「少しの状態の変化が調薬では致命的になるからねえ。それから細かい部分を言えば、乾燥の具合にムラがあるのが気になったよ。あとで素材ごとの乾燥の目安を教えてあげよう」


「ありがとうございます。助かります」


 ウォルファーに助言をもらえることに、ルヴィは素直に礼を言う。本で学んだ知識はあるが、やはりその道の人間から直接教わることができるのはありがたい。


「太っ腹じゃねえか、ウォルファー」


 ウォルファーの親切さに、ゼツがからかうように声を上げた。


「なに、品質の良い材料があれば、より効果の高い薬が作れる。これは私なりの投資さ」


「そりゃそうだろうな」


 商人2人が笑い合う。


「……」


 ――助言もただの親切じゃない、か……。


 他人への助言すら金儲けを前提とする商人の世界を覗き見て、ルヴィは自身の未熟さを再認識した。

 つい先ほどまで、ウォルファーの助言がただの親切だと感じていたのだ。人生の大半を狩人として過ごしていたルヴィには、商人の在り方には慣れない部分が多い。完全な経験不足だ。


 それでも、行動しなければ経験を積むことはできない。


「ウォルファーさん、次に持って来る素材はもっと管理に気を付けますが、今回はいくらくらいで買い取ってもらえますか?」


「そうだねえ――」


 懐から荒い紙と小さな炭を取り出して、ウォルファーは馬車の荷物を数えながら書き込んでいく。


「うん。だいたいこれくらいかな」


 文字と数字が書き込まれた紙がルヴィへと渡される。記載されているのは素材の種類と数、種類毎と合計の金額だ。


 素材の種類と合計金額だけに目を通し、ルヴィは紙をエミリーに渡す。現在も勉強は続けているが、ルヴィの計算能力は瞬時に暗算ができるほど高くはない。


 ルヴィから紙を受け取ったエミリーは真剣に金額を確認し始める。


「……品質が普通だとすると、この金額は少し高いと思います。私たちに有利すぎる気がしますが……」


 困惑した様子でエミリーはウォルファーを見る。普通であれば、ウォルファーは相場より低い金額を設定し、ルヴィたちは値上げの交渉をするところだ。

 だが、提示された買い取り金額は、既にエミリーが想定していたものよりも高い。


 悩むエミリーを見て、ウォルファーは出来の良い生徒を見るように笑う。


「良く調べているね。君の言う通り、普通よりも少し高い値段を付けさせてもらった。これからお得意様になる君たちへのおまけだよ。――ただ、これは今回だけだ。次からはもっと厳しく見るから、そこは注意して欲しい」


 目が笑っていないウォルファーからの忠告に、ルヴィとエミリーは揃って頷いた。


「おう。本当に気を付けろよ2人とも。なんか落ち度があると、ウォルファーは本気で責めてくるからな。こんな顔をしてるが、別に優しくはねえんだぞ」


「ははは、ゼツは性格通りの顔をしているからねえ。というか、これから実際に商品を運ぶのは君だろう? 行商の最中に品質を落としたら、容赦なく値引くからね」


「おいおい、誰に言ってやがる。積み荷の価値を落とすような運び方なんかするかよ」


「まあ、ゼツならそうだろうね。さて、ルヴィさん。今提示した金額はあくまで概算だ。実際の金額は厳密に重さを量って計算させてもらうよ。馬車をこのまま私の店まで持って来てもらってもいいかな?」


「はい、もちろんすぐに運びます」


「うん、助かる。それからゼツ、弟子を少し貸しておくれ」


「構わねえが、利子つけて返せよ」


「本人に直接駄賃でもあげるよ。――リィーン、ちょっといいかい?」


 ウォルファーの手招きに、じっと商談を見守っていたリィーンが跳んでくる。


「はい。なんでもどうぞ」


「先に店に行って、素材の売りが入ると伝えてくれ。それで分かるはずだから」


 言いながら、ウォルファーが小銭を数枚リィーンの手に握らせる。チャリ、と鳴る音に、リィーンの表情が少しだけ緩む。


「分かりました。行ってきます」


 リィーンは軽やかに駆け出して、あっという間に見えなくなった。


「うん、これでよし。それじゃあ我々も出発しようか」


 ウォルファーの掛け声に、ルヴィは急いで馬車の用意を始めた。





 日光の入らない薄暗い室内に、染みついたように様々な匂いが漂っている。頭上の梁からは植物と小動物の干物が吊るされ、壁際の棚には瓶詰めにされた得体の知れない物体が並んでいる。

 ウォルファーの店の奥は、どこか怪しい雰囲気を醸し出していた。


「日が当たると悪くなる物もあるからね。暗いのは我慢して欲しい」


 瓶の中に萎びた内臓のようなものを見つけて顔を青くしているエミリーに、ウォルファーは落ち着いた表情でそう言った。

 既に慣れ切っているのか、薬の材料が常人には気持ち悪いという点には気が付いていないようだ。


 エミリーを目で応援しつつ、ルヴィは馬車から運んで来た麻袋を掲げて見せる。


「ウォルファーさん、これはどこに置けばいいですか?」


「ああ、そこの机に頼むよ」


 秤に乾燥した虫を載せながら、ウォルファーは長机を指差した。ルヴィに指示を出している最中も視線が秤から逸れることはない。


 ウォルファーが量った素材は、すぐに若い店員が別な袋に丁寧に仕舞っていく。

 エミリーは、その隣で量った数に間違いがないかを確かめていた。たとえ親しくとも商品の量はお互いで確認するのが普通だと、ゼツから助言されたのだ。


 その真剣な様子をしばらく観察してから、ルヴィは次の麻袋を運ぶために店の外へと出た。


 馬車から素材を店内に運ぶこと数往復。リィーンが手伝ってくれたおかげもあって、運び終えるまでにそう時間はかからなかった。


 すっかり空になった馬車から離れて店内に戻ると、ウォルファーも素材を量り終えたようだった。


「ああ、ルヴィさん。こちらは終わったよ。量っている最中、底の方に状態が悪くなっているものが少しあったけど……まあ、これも今回はまけておくよ」


 そう言ってウォルファーは鍵付きの箱を開け、ルヴィとエミリーに見えるように銀貨と銅貨を数え始めた。


「――はい。それじゃあこれが今回の素材の金額だ。間違いはないかな?」


 エミリーがルヴィを見て、「間違いない」と頷いた。


「大丈夫です」


「そうかい。それじゃあ取引は完了だ。これからよろしく頼むよ」


「はい、こちらこそ。これからよろしくお願いします」


 笑顔で言葉を交わし合い、ルヴィは素材の代金を革袋に入れて受け取った。


 ずっしりと手に感じる重量は、新たな村で初めて稼いだものだ。

 村を復興させるための第一歩目。とても感慨深い重さだった。同時に感じる責任の重さを、ルヴィは腹の底と飲み込んだ。


 それからルヴィは深く、細く、体の緊張を解くように息を吐いた。強張った体で射った矢が、獲物に届くことはない。


 脱力した自然体になり、隣に並ぶエミリーを見る。


「――エミリー、明日は村に必要な物の買い出しだな」


「そうですね。なるべく安く買えるように、交渉は頑張りましょう!」


「ああ、家の建設もあるから、しばらくは貯金しないとな」


 村の財源の当てはできた。薬の材料を売って金を稼ぎ、その金で村のために必要な物を買っていく。これで村の復興を進めることができる。


 あとは、この流れを途切れさせないことが、村長であるルヴィの役割だ。

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