第6話 合流
暖かな春の空の下、森へと続く街道を2頭の馬が走っている。
馬を操るのは旅装を纏った男女だ。その安定した手綱捌きから、乗馬に慣れていることが窺える。
その2人組みの片側、男の方が空を見上げながら呟いた。
「こっちの空は広いもんだなあ……」
呟きと共に、空よりも濃い青の髪が風に揺れる。
男の名はロイ。認知されていない前皇帝の息子という、この国で最も面倒な立場の青年だ。腹違いの弟の邪魔をしないため、身分を隠して逃亡中の身となっている。
ロイが城を抜け出してから今日で一月。目的地はこの森の中にある復興予定の村だが、本来ならば馬の足で一ヶ月も掛かる距離ではない。
それなのにこれほど日数が必要だったのは、追手を撒くためにかなり慎重に行動し、かつ遠回りをして来たからだ。
息を詰めるような緊張感の中では、ゆっくりと空を見上げる余裕もなかった。
久しぶりに見上げた青い空は、ロイの目にはとても新鮮なものに映った。
果てなど無いように見える空は、閉じ込められたような城の自室から見る空や、どこにいても高い塔と壁が目に入る城の庭から見るものとは別物のようだ。
そんなロイの様子を見て、ロイの逃亡の共犯者、乳母姉弟であるシエラは苦しい表情で頭を下げた。
「申し訳ございません、ロイ様。追手を警戒してのこととは言え、ロイ様にあのような不便を……」
馬上で器用に謝罪の姿勢を取るシエラ。その灰色の髪のつむじを見ながら、ロイはそうじゃない、と笑い掛ける。
「シエラを責めてなんかいないさ。むしろシエラには感謝している。俺一人では、城からバレずに抜け出すなんて不可能だった。文句なんてあるはずがないだろう?」
その言葉にシエラも頭を上げる。だが、その表情はまだロイに対する申し訳なさが浮かんでいた。
頑固なものだと思いながら、ロイは話を変えることにする。
「そんなことよりも、森に入れば目的の村はすぐそこだ。シエラも俺の呼び方には気を付けろよ。“様”付けは禁止だ」
ロイの言葉に、シエラは非常に困った顔をする。物心がついてからずっと仕えてきた主人に対し、敬称を省くのは心情的にとても難しい。
ロイの命令ならばいかなるものでも忠実に実行するシエラだが、この頼みには困っていた。
「……努力はします」
短く言ったシエラの様子を見て、ロイはニヤリと笑う。常に完璧な従者であろうとするこの血の繋がらない姉が、動揺を見せるのは非常に珍しいことだ。
「それなら今ここから始めるぞ。俺の名前を呼んでみろ」
「ロイさ……ん」
「はははっ、まあいい。いいぜ。シエラの話し方なら、その呼び方で違和感はないだろ」
城では見せないようなシエラの表情を見て、ロイは笑う。ロイ自身、城では自由に感情を表すことができる機会はそう多くなかった。
作り物の笑顔を浮かべる必要がないというだけで、気分は高揚してくる。
「さあて、目的の村までは後少しだ。さっさと行こうぜ」
「はい。ロイ様が望むならどこへでも」
互いの言葉に頷き、2人は馬を走らせる。2人を歓迎するように、森の木々が風でさわさわと揺れた。
「ああシエラ、さっきまた“様”って言ったらから、罰として今日は俺の世話をするの禁止な」
「そんな……っ!」
◆
狩人であるルヴィは耳がいい。魔物の鳴き声を聞き分けるのは、狩人にとって当然の技能だ。
故に、かなり早くから聞こえてくる蹄の音に気が付いた。
「なんだ……?」
「ルヴィさん、どうしました?」
急に顔を上げたルヴィを、エミリーが不思議そうな顔で見上げる。
2人はルヴィが建てた小屋の前で、乾燥させた素材の仕分けをしているところだった。干されてカサカサになった茸や薬草などは、村の再建のために売りに行くものだ。良い値が付くように、と、丁寧に手を動かしていた。
そんなところに馬の蹄の音。馬が勝手に走ってくることはあり得ない。ここを目指して誰かが来たということだ。
「ここに誰かが向かって来ているみたいだ。馬の音がする」
エミリーに言いながら、ルヴィは警戒するように立ち上げる。
「馬……行商人の方ですかね?」
「いや……馬車の音はしない。それはないだろう」
小屋に立て掛けてある弓と矢筒を確認し、ルヴィはエミリーへと問いかける。
「エミリー、守りの魔道具は?」
「え、はい。いつも身に着けてますよ」
ルヴィに応えながら、エミリーは腕に嵌めた腕輪型の魔道具を見せた。
「念のため、魔道具を使う心構えだけはしておいてくれ。誰が来るのかは分からないが、警戒をしておくに越したことはない」
「はい、分かりました」
素直に頷くエミリーから目を離し、ルヴィは村の入り口へ向けて目を細めた。
エミリーの耳にも馬の蹄の音が聞こえるようになった頃、ルヴィは村へと向かってくる2人組みを視界に収めた。2人組みの片割れは、ルヴィ達を見つけて手を振っている。
乗っているのは中々良い馬だ。そのことに気が付いた時点でルヴィの警戒心は上がったが、その馬を操る2人の様子を見て、さらに警戒を強めた。
馬は金のかかる生き物だ。畑を耕すためや荷馬車を牽くためならば、普通の村人でも馬を使う。しかし、乗馬用の馬となれば、平民が触れる機会はほとんどないと言っていい。
だが、こちらに向かって来る2人は随分と涼しい顔で馬を操っていた。疲労の色も薄く、馬上の姿勢にも不安定さはない。
乗馬が上手いということは、馬を飼育する余裕を持ち、さらに日常的に練習ができる環境にいる者である証拠だ。つまりは富裕層か、特別な職に就いている者。
そんな人間が、復興に手を付けたばかりの村へとやって来た。その事実は、ルヴィが気を引き締める理由として十分だ。
警戒に目を細めるルヴィ前で、2頭の馬は停止した。乗っていた男女が馬の背から降りて来る。
男の方はルヴィより少し若いくらいで、濃い青の髪に月のような黄の瞳。女の方は男と同じくらいの年齢で、光の加減によっては銀に見える灰色の髪と、薄青の瞳をしていた。
2人とも一般的な旅装をしているが、ルヴィは2人の仕草の端々から礼儀作法を学んだ者の動きを感じ取った。
男の方が女に手綱を渡し、一歩前に出て来る。ルヴィも同じように前へ出た。エミリーは、ルヴィの後ろで不安そうな顔だ。
「やあ、急な来訪は詫びよう。すまないな。俺はロイ。こっちはシエラだ。よろしく頼む」
友好的な態度を取るロイに、ルヴィは表情を動かさずに答える。
「俺はここの代表をしているルヴィだ。後ろにいるのはエミリー。詫びは不要だ。先触れが必要なほど、優雅な暮らしはしていない」
言いながら、ルヴィは目の前の相手を観察する。今のところ敵意は感じない。だが、厄介事の匂いはした。
ルヴィの台詞に、ロイは周囲を見渡し笑みを作る。村に何もないことを嘲笑するのではなく、自由に動けそうだと楽しむような表情だ。
「ルヴィ、か。よろしく頼む。俺たちがここに来たのは、復興のために住民を集めていると聞いたからだ」
ルヴィは微かに眉を寄せた。続く言葉は予想できる。だが、目の前の2人がわざわざ不便な開拓村に移住する理由が読めなかった。
「俺たち2人をここに住まわせて欲しい。ああ、これでも知識と機転には多少自信がある。村の復興には喜んで協力しよう」
ロイの言葉に、エミリーは不安から期待へと表情を変えた。ルヴィが住民の勧誘に苦労していたのを知っているエミリーとしては、ロイの申し出はありがたい。歳も近いし、話も合いそうだと、そう思った。
だが、ルヴィはそう穏やかな心持ちではなかった。
「ギルドに貼った勧誘を見たのなら分かると思うが、移住の希望者はある程度村の環境が整ってから俺が迎えに行く予定だった。今この場所は見ての通り何もない。……何か急ぐ理由があったのか?」
例え早く来たとしても、移住希望者に得はない。苦労が増すだけだ。
ルヴィの不審な目に、ロイは笑って答える。
「ははは、なあに、俺は少しせっかちな性分でね。そうと決めたら早く動かないと気が済まないんだ」
ルヴィに怪しまれているロイに、慌てた様子は一切ない。
「自分たちのことは自分たちでやるし、寝る場所は天幕で十分だ。ルヴィ、あんたの指示にも必ず従おう。それで、俺たちはここにいてもいいか?」
ルヴィはロイの笑みで細くなった目を見つめる。
少なくとも目の前の男は悪人ではない。それは早い段階で確信した。ルヴィが一時期身を寄せていた裏社会の組織には、真っ当な人間の仮面を上手く被る者もいた。だが、完全に悪意を隠し通せる者はいなかった。
どんなに上手く取り繕うと、秘めた心の悪臭は隠せるものではない。その悪意の気配を、ルヴィはロイから感じ取れなかった。
だが、ロイが悪人ではなくとも問題がない訳ではない。清く正しく生きようと、困難は向こうからやって来る。
ルヴィから見て、ロイは明らかに上流の人間だ。大商人の末の子か、あるいは没落した貴族に連なる者か。何者かは不明だが、たった2人でここまで来たことから、目的は明らかに逃亡と身を隠すことだろう。
冒険者すら寄り付かないこの地なら、人に見つかることはまずないと言っていいのだから。
「なるほど……」
曖昧な言葉を吐きながら、ルヴィは思考を回す。慣れない頭の使い方に軽く頭痛がして来たが、自らが選んだ道だ。逃げる選択肢などない。どれほど困難があろうとも、人生を懸けて村を立て直すと決めたのだから。
ここでロイの申し出を断るのは簡単だ。だが、簡単故に上手い手ではない。ギルドに掲示した勧誘の文章には、素性は問わないと記載してある。
ロイたちを拒否したい場合、その言葉は嘘となる。村に人が集まる前から嘘を吐いて、果たして移住者は寄って来るだろうか。
否、だろう。真実を語らず、それを行動で示さない者が、人に信用されることはない。
長としての経験がほぼないルヴィとて、それくらいは理解している。
それに、多少面倒な事情を抱えていようと、優秀な人材というのは喉から手が出るほど欲しい。知識を持った人間というのは貴重だ。金があれば呼べるものでもない。金も伝手もないルヴィとしてはなおさらだ。
だから――
「……一応、聞いておくが、2人とも犯罪歴はないな?」
「ああ。ない。世界に遍く精霊たちに誓ってもいい」
最後の確認をし、ルヴィはロイに右手を伸ばす。
「今はまだ名もない廃村だが、いつか賑やかな声の絶えない村にするつもりだ。歓迎しよう。ロイ、シエラ。これからよろしく頼む」
ルヴィの言葉と行動に、ロイは唇を吊り上げる。
「ああ、よろしくな。村長さん。あんたのその夢に、少し乗せてもらうぜ」
ロイの砕けた様子に、シエラは安心したように息を吐いた。
そして、この場で一番嬉しさを表しているのはエミリーだ。飛び跳ねそうな勢いでルヴィの隣へと並ぶ。その表情は、花が咲いたような満面の笑みだ。
「エミリーです! よろしくお願いします! ロイさん、シエラさん! ふふふ、今日はお祝いしないとですね、ルヴィさん!」
エミリーの様子に、つられてルヴィも笑みを浮かべる。
「そうだな。熟成させておいた鹿肉のいいところでも焼くか」
「おっ、それはありがたいな。さすがに干し肉ばっかりで、舌が馬鹿になりそうだったんだ」
本音混じりのロイの冗談に、ルヴィとエミリーはそれは大変だと笑う。日持ちすることだけを目指した干し肉が不味いのは、旅をするものならば共通の認識だ。
「ふふふ、少し早いですけど、お料理を始めますね。ロイさん、シエラさん、楽しみにしていてください」
旅で疲れているのなら、早めに休みたいだろう。そう考えて早く食事を作る提案をしたエミリーに、シエラが声を掛ける。
「エミリーさん、荷物を下ろしたら私もお手伝いいたします」
「ええと、休んでいてもいいですよ?」
「いえ、大丈夫です」
2人のやり取りにロイが笑う。
「シエラは人が働いているときにじっとしているのが嫌いなんだ。気にしないでくれ」
少し不思議な顔をした後に、エミリーは頷いた。
「分かりました。シエラさん、よろしくお願いします」
「ええ、美味しい料理を作りましょう」
早速息の合った2人の様子に、ルヴィは淡く笑う。エミリーと2人も悪くはなかったが、やはり人が多いのは賑やかだ。
この村に笑い声が響くのは、ルヴィにとって感慨深い。在りし日の思い出と重なる光景に、胸が痛いくらいだ。
軽く首を振って思い出と痛みを振り払い、ルヴィは前を向く。昔を懐かしむのは、望みを果たした後でいい。今は、新たな仲間と前に進むのが優先だ。
そう決めて、馬を移動させるためにルヴィはロイへと声を掛けた。
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