泣いて笑って咲かせる愛の花

1. 不安定な心

 それは、ほんの些細な会話がきっかけだった。

 ごく小さなことが始まりで、きちんとわかっていたはずなのに、一度失敗して学んでいたことだったのに、ばかなあたしは繰り返してしまう。

 けれどそれは、あたしだけじゃない。あたしたちの失敗だった。二人揃って間違えて、すれ違う。

 傷つけ合って、泣いて笑って、また泣いて。近いようで遠かった心の距離を、縮めて近づけて重ねるまでの一幕。

 胸が苦しくて、それでも最後は心温まる、あたしと郁弥さんの短くて長い、大切な日の出来事。 





「実際、日結花ひゆかさんの恋人の藍崎あおさきさんってどれくらい日結花さんのこと好きなんですか?」


 今日は珍しく二つのラジオ、"あおさきれでぃお"と"なみはなタイム"のパーソナリティーが全員揃って打ち合わせを行っていた。

 それは打ち合わせ後の雑談中、"なみはなタイム"パーソナリティの一人である高美たかみ花絵はなえちゃんからの質問だった。

 花絵ちゃんはあたしの後輩――年齢は上なのでお仕事的に後輩なだけだけれど――で、ラジオでかかわるようになって親しくなった相手の一人。ちなみに他二人は片や一緒にラジオを、片や声者として同期みたいなものなので、かなり前からあたしは親しくしている。

 そんな友達の花絵ちゃんから、会話にまったく出ていなかった話題を突然振られてびっくりした。とりあえず、話の意図を探るために聞き返す。


郁弥いくやさんが?」

「はい」


 意図とは考えたものの、なんとなく花絵はなえちゃんに言われるのも仕方ないかな、とは思った。だって、知宵ちよいを除いた二人はそもそもあたしの恋人についてほとんど知らないはずだから。

 例外の知宵は恋愛相談とかで色々お世話になったので、恋人の郁弥さんについてもあたし自身についてもかなり詳しい。だてにあたしの親友をやってはいない。


「あー、それは私も気になるかも。一応前に会ったことはあるけど、そのときは普通に日結花ちゃんの話信じちゃったし」

「あぁ、日結花があの人のことを従兄弟いとこだと偽った話ね」

「うんうん。もう全然疑わなかったよ。かるーく騙されちゃった」


 前に郁弥さんがあたしと智美ともみのサイン会に来たとき、従兄弟だなんだと嘘をついた話ね。でもまだあのとき恋人じゃなかったのは事実だし、そんなすっごく悪いことでもないと思うの。嘘をついたのは事実だから言い返せないけど。

 知宵の理解を経てじとっとした眼差しを向けてくる智美を流して、花絵ちゃんの言葉に返事をする。


「どれくらいと言われても困るわ。確かめたことないし、暇さえあればあたしのこと考えてばかりいるくらいじゃない?」


 これは事実だから大丈夫よ。たぶん。


「わぁ。自信満々ですね」


 呆れたような、驚いたような、なんとも言えない顔をする。


「まあ、恋人ってそういうものでしょ?」

「そうですかぁ…」


 ぽつりと呟き、遠い目をして言葉を続けた。


「でも、よくそこまでお互いを好きになれましたね。私は――私には、そう思えるほどにまで人を信じ切る力がありませんから」


 どこか遠くを見るように目を細める花絵ちゃんに、あたしと知宵ちよいは顔を見合わせて疑問符を浮かべる。どちらが尋ねるかアイコンタクトをし、知宵に任せようとしたところで先に別方向から言葉が投げかけられた。


「――はぁ、また花ちゃんのだめだめなところが顔を出しちゃったかー」

「な、なんですかその言い方はー!」

「えー、だって本当のことだし?」

「ぐぐ…べ、別に私だって好き好んでだめだめなんかじゃないですぅー!」


 一瞬しんと静まった空気はあっさりと霧散した。

 やれやれと首を振る智美に食って掛かる花絵ちゃんの姿は、親しげなじゃれ合いにしか見えない。

 二人の間にある空気感はあたしもよく知っている。それはそう、まさに知宵とあたし。

 同じラジオをやっていて、お互いのことを話して知っていくとわかることがたくさんある。単純な性格だけじゃなくて、昔のことから先のことまで、それこそ親しい友達にしか話せないようなことが話せるようになっていくから。

 花絵ちゃんの"それも"、智美だからこそわかるものだと思うと納得がいった。なにげに上手い智美の気遣いに頬が緩んだ。


「ふふ、今自分がだめだめだって認めたね?花絵さんやい。認めたね?」

「ななっ!?み、認めてませんよ?全然認めてませんから!」

「ふふん。どれだけ一緒にお喋りしていると思っているのかな?今認めなくてもこれまでのラジオを聞けばすべてまるっとわかってしまうのだよ」


 わいわいと話す二人を眺めながら手元の紅茶に口をつけた。


「ううぅ、だ、だいたいですね!智美ちゃんだって気になったんじゃないですか!?だって日結花さんですよ!?私たちが憧れた"あおさき"の片割れですよっ!?」

「ん?」

「…憧れ?」


 隣の親友へ目を向けると、あたしと同じく紅茶に口につけて眉間にしわを寄せていた。あたしと目が合って小さく首を振る。知宵も今の言葉の意味がわからないらしい。


「いや、私を巻き込まないでほしいんだけど。確かに知宵ちゃんには憧れているけどさ」

「と、智美さん?それは本当なのかしら?」

「わ、知宵が照れてる。いやそれより智美。あたしだけ外すってどういうこと?」

「だって日結花ちゃんは日結花ちゃんだし。知宵ちゃん、うん、まあ本当だよ。これでも私、知宵ちゃんのファンなんだ。へへへ」

「な、なんですかこの状況はっ」

「…それはあたしが一番言いたいわよ」


 相変わらずちょろい知宵はいいとして、智美が知宵のファンとか聞いてない。別にそこはどうでもいいんだけど、変に照れる二人についていけないわ。


「と、とにかくですね!はいみなさん注目です!」


 ピシッと手を伸ばしてテーブルの真ん中を陣取った花絵ちゃんにみんなで注目する。


「ええっと」


 三人分の視線を集めて少しだけたじろぐ。

 一番後輩(お仕事的に)だとはいえ、自分で注目集めておいてそれはだめよ。花絵ちゃん。だめだめね。


「これはだめだめだね」

「だめだめね」

「確かにだめだめね」

「うぅぅ…そ、それより!どうやったら人に好かれて好きになって信頼を築けるのか私は知りたいんです!」


 頬を真っ赤に染めながら一息で言い切った。

 すごい緩い雰囲気から、あたしとしてはかなり重い話。信頼を築けるか、なんてね。


「うーん、花ちゃんの言うままじゃないけど、どれくらい好かれているとかは私もちょっとくらい気にはなる、かな」

「私は別に。日結花の恋人のことなら色々と知っているもの」

「ん、そうね」


 知宵のさらりとした言葉を聞き流しながら、先ほどからひっかかっていることを考える。

 郁弥さんとの信頼関係は、今日まで時間をかけてゆっくりと作り上げてきた。壊さないように、壊れないように一つずつ積み重ねてきた。だからこそ、それがどれだけ大きなものになっているのかがわかる。

 ただ、ただ少しだけ。ほんの少しだけ思うこともある。友達になって、それ以上になって、恋人にまでなって、それが中途半端なものだとしてもやっぱり恋人は恋人で。恋人になったのに、それで何かが変わったということもないから――だからたまに、不安になる。


「――考えてみよう、かな」

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