第三十七幕 少しずつでも

「ネモ。」


またあの時の女の人の声が聞こえる。

気が付くと自分は見知らぬ部屋に倒れていた。

自分の知っている家とは違い、なんだか色々な煌びやかなものが飾られている。


「ネモ。」

声に惹かれて立ち上がろうとしたが上手く立てずにまた転んでしまった。

周りを見渡すと全てが大きくなっているように感じた。

なんとか手で這ってその声の方に向かう。

すると目の前に誰かの足が見えた。


自分は小さくなってしまったのだろうか。

何とか目の前に小さな柱のようなものを見つけたので立ち上がろうとしたがすんでの所で転んでしまった。


「あらあら。」と声が聞こえて自分は誰かに抱きしめられた。

一気に視界が高くなるような気がした。


「大丈夫よ。少しずつ。少しずつでいいから。」

その声は優しく、自分を慰めるようだ。

そしてその誰かは自分の頭を撫でた。


顔を見ようと頭を動かすがどうにも上手く見ることはできない。

すると扉を叩く音が聞こえた。


「儂だ。ヴァイスマンだ。」

扉が開くとそこにいたのは先生だった。

先生は白髪は多いが黒い毛も混じっており、少しだけ若返ったような見た目をしていた。


「ネモは立てたかね?」

先生は心配そうに自分を抱きかかえる女性に声を掛けた。


「いえ、まだです・・・。」

彼女の声色も少しだけ不安に包まれていた。

しかし「でも・・・。」と言って次の言葉を続けた。


「椅子の足に捕まってなんとかもう少しで立てることはできたんですよ。」

彼女は静かに自分の頭を撫でながら答えた。

なんだか気分が安らいでいくような気がした。


「すまんな・・・。」

先生は自分を見つめて申し訳なさそうに声を漏らしていた。


「謝らないで下さい。ネモの命を助けてくれたのは先生ですもの。」

彼女は優しい声で先生を慰めた。


「歩けるようになったら一緒にお出かけしましょう。大丈夫きっとできるわよ。だってあなたは・・・。」


次第に意識は遠く別の白い靄のような場所に飛ばされて最後は暗い場所に落ちた。



暗い部屋の中で目を覚ましたのはアニマだった。

ネモはまだ眠っている。

時間は目覚めの刻より一時間ほど前の時間だ。

彼女はまだ眠たい意識を両手で一喝すると寝台から降りた。


「う~ん。」

ネモの呻き声を聞いて一瞬アニマはびくりと身体を震わす。

先ほど目覚ましのために自分の頬を叩いた音で起きてしまったのではないかと思ったからだ。


彼の顔を確認する。

目は完全に閉じており、まだ眠っている。

ふうと安堵の声を漏らして。

着替えて自分の鞄を取って恐る恐る部屋を後にした。


宿屋の従業員に一言言って外を出た。

町はまだ眠っており、人通りは無いに等しい。

酒場など朝の準備をしている所もちらほらあり、忙しい朝のために黙々と準備を進めている。


そんな薄暗い町を歩いていく、目的地は昨日の休憩所だった。

ある目的があるためそこに向かって足を進めている。


休憩所は誰もおらず、灯りがぽつりぽつりとついているだけだ。

屋根で覆われているため中は薄暗い。

しかし進んでいると誰もいないはずの休憩所に一人の人影がいた。

その人影に近づくと「おはよう。」と声がしたのでアニマは「おはようございます。」と応えた。

人影の正体はザラだった。


ザラは銃を構えていた。

頬は少しだけ汗が滲んでいる。


「もう練習を始めてたんですね。」

「ええ、そうよ。昨日は待たせちゃったから何とか早く起きたわ。」

「そうなのですか。今日もお願いします。」

アニマはそう言うと鞄から夜梟を取り出した。


アニマは夜梟を構え、その後に夜梟は橙色に淡く輝いた。

そしてザラは手を添えてアニマの構え方を矯正していた。


「銃を構えるまでに精霊を精霊銃に移して。構える前や後に精霊を込めてると時間の無駄だわ。」

「は、はい。」

ザラに言われてアニマはもう一度銃を降ろして、肩の力を抜いた姿勢から再び夜梟を構えた。

今度は夜梟を構えるまでの腕を上げる動作の間に精霊を移すことに成功し、構えた時には夜梟は発射の瞬間をいまかいまかと待ち構えているかのように光輝いていた。


「そう、そのまま。」

彼女に自分の今の構え方は正解だと認められて一瞬だけ顔を綻ばすがすぐに引き締めて、一連の動作を繰り返した。

同じ動作を繰り返すだけでもかなり運動しているようでアニマの頬に玉のような汗が一筋流れた。

アニマの汗が柱に掛かっている灯りに反射してきらりと微かに輝いている。


「そろそろ目覚めの刻ですね。」

そういってアニマが夜梟を構えるのを中断した。


「うん、昨日より良くなっていると思うわ。」

ザラが腕を組んで頷きながら微笑んだ。


「ザラ、私の我儘に付き合ってくれてありがとうございます。」

「いいのよ。友達の頼みですもの。それに女の子の渡り狼って全然いないのだから私もあんたに教えることが出来て良かったわ。」

アニマとザラは目が合うと無邪気に笑った。


「そろそろ戻りましょう。ネモが起きてしまいます。」

「ええ、そうね。」

そして二人は休憩所を後にした。


町は少しずつ目覚め始めて人がちらほらと見えた。

目が覚めているものやまだ寝惚けているのかふらふらした足取りで歩いているものやお酒によったのか道の上で寝ている人間など様々だ。

街の灯りもぽつぽつと増え始めて、日常の始まりを予感させる。


「ねぇ。一つ聞きたいんだけどさ。」

「何ですか?」

ザラの一言でアニマが足を止めた。


「何であなたネモに練習しているの隠してる訳?」

「それは・・・。」

「それは?」

ザラはアニマの答えに注目しているかのように目を見開いた。


「秘密です。」

彼女は答えをはぐらかすと再び歩き始めた。


「なんかあなたたち本当の所はま反対なのよね。」

「反対とは何ですか?」

アニマが彼女の言葉に首を傾げた。


「ネモは一丁前の姿をしているようだけどホルスターには何にも入ってないのよ。逆にあんたは抜き身の銃だわ。」

「銃ですか?」

「そうよ。ネモは何も無いだけ無害でマシだけど、あんたは時々危ないことに突っ込みそうな所があるから気を付けなさいよ。」

アニマは彼女の言葉の真意を理解することが出来なかった。

そのままザラの言葉を考えながら宿に帰路についた。


部屋に戻るとネモはまだ眠っている。

しばらく隣の寝台で座って時間を潰していると目覚めの刻になった。

部屋の外は多くの足音で騒がしくなっていった。

するとその音のせいかネモが少し目を開いた。

そしてネモの隣に立って優しく言った。


「おはようございます。ネモ。」


第三十七幕 少しずつでも 完

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