エピローグ
事件が終わって私と榎音未さんは五葉塾管理のアパートに帰って私はわずかな気力でシャワーを浴びて髪を乾かし布団に倒れ込む。
時間は18時。まだ夏の日差しで明るい時間帯だというのに体力は限界だ。
一連の騒動のあとの妙な脳の冴える感じで録画していた『メガ・パイソンVSメガメカシャーク』を再生するけどB級映画のありがちな荒いプロットと展開の怠さと疲れもあってそれまで感じていた脳の冴えは一瞬で消えて眠りの世界に落ちていく。
夜にふと意識を取り戻す。まだ22時頃でうつらうつらしていて、このまま朝までもう一眠りいけるな、なんて思うけど枕元のスマホを少しだけ見ておこうとタップする。
めちゃくちゃにメッセージが入っている。
「あ」
私は通知を見る。
『事後報告ぐらいしてくれないと桐野困るんですけど!?』『おーい聞いてますか、桐野、桐野です』『久遠さーん』『久遠さん!久遠さん!桐野、桐野ですよ!塾長代理の桐野です!』『あの……怒ってます?越後屋さんの任務強引に押し付けたの怒ってます?』『あの、許して…許してください……超絶かわいい桐野の自撮りあげますから』『画像が送られました』『あの、すみません……調子に乗りました……反応、反応ください……』『もう、もうしませんから!可愛さは罪ですよね!桐野理解しましたから!』『報告……報告をぉ!』とメッセージが山のように師匠から押し寄せていて、「やっば!」と目が覚める。
師匠にも東光院さんにも何にも連絡してなかった。榎音未さんが一応東光院さんには無事ってことは連絡していてくれたらしいけど。
「はぁ、本当にですねぇ、報連相をですねぇ、ちゃんとですねぇ、してくれないと困りますよ本当」
「いやぁ返す言葉もなく……」
「申し訳ないです……」
私も榎音未さんもほとんど同じタイミングでアパートに帰ってだいたい同じように眠っていたらしい。私たちは二人揃って臍を曲げた師匠に平謝りすることになる。
「桐野はですねぇ、お茶を淹れて待っていたんですよ。労いでもしようかなと思って、この!桐野が!」
「はぁ……」
「申し訳ないです……」
と、そんな説教が十数分行われて私はだいぶ面倒になっている。榎音未さんは相変わらず申し訳なさそうだけど、私と言えば「いやそもそも師匠だいぶ無茶振りだったし」「越後屋さんの依頼とか伏せられてたしな」とか色々思うところがあってほとんど説教を聞かなくなっている。
「ほら……久遠さんもう聞いてない……」
弱い声になってる師匠の声が聞こえて「やばい!」と思うけど師匠もだいぶ溜飲が下がったようで調子が戻る。
「まぁお説教はこのぐらいで」
「はい、すみませんでした」
「申し訳ないです……」
「とにかく、お疲れ様でしたね。久遠さん、榎音未さん。東光院君はまだ忙しいみたいですけど」
後に聞いたところ東光院さんは公安との事後のやり取りだとか、私が連絡もしないで直帰してしまってからの師匠の愚痴をメッセージで送り続けられる対応とかでだいぶ忙しかったらしい。いや本当申し訳ない。
「今回、《怪異》と《異能》がそれぞれあった事件だったのですね」
師匠の呼び出しに向かっている間に送った簡易報告を見ながら師匠が言う。
そうして私は話す。今回の事件のあらましを。私が《視た》ことを。
「なるほどですねぇ。事前に山を張っていた公安の誰かさんは別として。榎音未さんが先に犯人を感知してたんですねえ」
師匠が少し感心したような様子で言う。師匠は何故か越後屋さんの名前を呼ばない。「あの誰かさんねぇ〜、気に食わないんですよね桐野。本当可愛さ感が合わないんですよねぇ。桐野、どう考えても最高にかわいい美少女なんですが? そう思いませんか久遠さん? 桐野の可愛さも世界遺産ですよ!? プンプン」とか言って急にハイになった挙句かわいこぶっていたので一度好奇心で軽く聞いて後悔して以来細かく聞いていない。
「いえ……私は結局気絶してしまいましたし……久遠さんにも東光院さんにもご迷惑を……」
「いいじゃないですか。何とかなったわけですし! 榎音未さんの経験になってよかったよかった」
榎音未さんによくわからない励ましをする師匠の抜けた調子に「命のやり取りだったんですけど」と指摘したい気持ちが少し湧くけどそれをする気にもならない。
というか、もしかすると、そもそも師匠はこうなるのをある程度見透かしていたんじゃないかという気すらする。
そもそも今回の一件、師匠の講義の直後に指示された話だ。
越後屋さん、今回の犯人の坂本、《怪異》である口裂け女になった小峰琴音さん。師匠が話した《信じること》がそのまま起きたような事件。まるで待ち構えていたかのように講義の直後に来た依頼。
——師匠が全部わかっていた、というのは考えすぎだろうか?
それもわからない。
ただ私が今、《信じよう》と思っているのは五葉塾が私や榎音未さんにとっての居場所ということ。今回の一件で榎音未さんとの距離は近づいたような気がする。師匠の何かを知っていて私たちに黙っていたのだとしても、それでも得たものが信じられるのなら今はそれでいい。
「あ〜、それと公安から情報共有をいただきました。というか五葉塾から要請しないでも共有してほしいもんですけどね〜。気が利かないですね、全く」
そう師匠が言う。
「それは今回の一件で、ということですか?」
越後屋さんからプライベートで師匠に連絡が行くことはない。わかりきっていることでも、つい聞いてしまう。
「ええ。今回の、誰かさんがかわいいことにした犯人について、尋問したそうですよぉ〜。どうやって尋問したのかは桐野も怖くて聞けませんでしたけど」
「それで。越後屋さんはなんて」
坂本は明らかに対 《異能》にも対 《怪異》にも精通していなかった。ただ無邪気に自分の力を振り回していただけ。そこに私は疑問がある。坂本がかつての90年代の『新王町通り魔殺人事件』を人力で行っていたとして、それから今回の一件までのタイムラグ。なぜ停止していたか、なぜ再開したか。
「やっぱり、急に目覚めたんだそうですよ《異能》に。思想に急な転換があったわけでもなし、それなのにここ最近で突然 《異能》が発現したんだとか」
「……それはおかしいですね」
《異能》はその使用者の精神の発露のようなもので、それは容易に変えられない。人生の過程で劇的な価値観の変動が起きることはあり得てもそれはせいぜい成人する程度までであって、坂本は当てはまらない。もしも例外としてあるとしたのなら、外部からもわかるほどの転換点があったのでは……と思ったのだけど。
「それでですね、《異能》を自覚した時の記憶がすっぽりとないんだと。不思議ですねえ。過去に衝動的に殺人を犯したとしても、十数年は沈黙を守っていた犯人が突然その衝動を堰き止められなくなって《異能》にいつの間にか目覚めているだなんて」
それと、もう一つ。
「不思議なことはまだあるんですよねぇ。東光院さんについでに頼んで、調べてもらいました。久遠さんが相対した口裂け女のベースは元々過去の新王町通り魔殺人事件の被害者、小峰琴音さんですね」
「……そうです」
「小峰琴音さんは正真正銘の常人でした。少なくとも、《異能》を持っていたわけじゃない。複合的な要因で《怪異》と結びつくこと自体はあり得るでしょうね。人の《信じる》ということは突拍子もないですから」
ですが、と師匠は言う。
「あれから十数年経っているんですよ。今回の件は。死亡直後に《怪異》となって人々の噂話によって《信じられて》その場に固定されていたのならわかりますよ。でも今回は話が違う。十数年間、あの場所には何も現れていないんですよ。それが、ある
本来であれば出来ない。出来ない、はずだ。
人が死んだ時、初めに何も生まれなければそこには本来何も残らない。地縛霊、と言われるものもそれだ。人が死んで「こんな死に方をしたのだからここから離れられない」と本人が思う。「あんな死に方をしたのだから、何かここに残るかもしれない」と周囲の人間が思う。それが《信じられる》ことで《怪異》になる。
じゃあ、琴音さんは?
私にはわからないことが多すぎる。
「何か、鮫神様の件といい、きな臭いことが多いんですよね。ここ最近。桐野はもっと心穏やかに仕事したいんですけどねぇ」
実働してるのは私とか東光院さんとか他の五葉塾の面々でしょうが、とツッコミたくなるけどそれどころではないので黙る。それに私自身、一連の事件に気になることが多すぎる。
「とりあえず今はそういう事件でしたよ、という共有ですね。これからも何かこれまでの常識とは違うことが起きるかもしれないので。まぁ桐野の方でも調べてみますよ。心当たりが全くないわけではないので」
心当たり、と言った師匠の瞳に憂いが宿ったような気がする。それまでおちゃらけた様子であった師匠が、その外見と一致しているような繊細な雰囲気を纏う。
私は師匠のことも深くは知らない。私が五葉塾に来た時から今と変わらない少女の姿でここにいて、私に《言葉》について教えてくれた人ということしか知らない。
何か聞けばこぼれ落ちてしまいそうで、世界が変わってしまいそうで、それが私に取って怖い。でも、同時に聞いてみたいと思う。
一歩、踏み出してみる。
「師匠、なんか心当たりあるんですか?」
「え〜聞きたい? 聞きたいですか? 桐野の極秘情報聞きたいですか! そ、れ、は〜〜〜〜〜うぅーーーん! 言いません! 桐野の胸の内は秘めるものですよ!? キャー! 乙女心を詮索しようだなんて久遠さんも無粋ですね!」
「榎音未さん帰りましょうか。聞くだけ無駄っぽいです」
「えっ、いいんですか」
こういう流れは押し切らないとダメだ。榎音未さんの手を引いて一気にこの部屋から出ることにする。
「いいんですいいんです。真面目に考えた私が馬鹿だった」
「ああ! ひどい!」
塾長室の扉が閉まる。師匠がわーわーまだ言ってるけど気にしない。大体報告自体はもう済んでいるのだ。
外に出て、榎音未さんが私に声をかけてくる。
「久遠さん、こういうことがまだ続くと思いますか」
「そうですね。多分、続きます」
鮫神様も、口裂け女も、終わりではなくて何かの始まりだ。
世界には悲しみが満ちていて、悲しみを生み出す人がいて、悲しみを享受する人がいて、きっとそれが何かのはずみで形を持つ。師匠の言うようにそれを糸引く何かが存在するのなら、もしかするともっとひどいことも起きるかもしれない。この世界はいつだってギリギリの瀬戸際で、それは簡単にこぼれ落ちる。
だから、続くだろう。悲しみも、辛いことも、きっと続く。
でも、それでも。
「それでも、私は信じることにしますよ。信じることを頑張ろうと思います。きっと、少しずつでも何かが良くなっていっているということを。私がほんの少しでも、何かをしていることがそんな良くする一部に繋がっていることを。だって、そうしないと榎音未さんに叱られちゃいますからね」
冗談みたいな口調なのに私の手に少しだけ、力が籠る。気がついたら榎音未さんと手を繋いだままだった。
もう塾長室は出たし、こうして手を繋いでいる必要なんてない。
それでも私はこの手を離さない。榎音未さんも、手を離さないでいてくれる。
今はもう少しだけ、あと少しだけこうしていたい気がする。
「そうですね」
榎音未さんがそう言って、手を握り返される。言葉以上に、伝わる何かがそこにあるような気がする。その手の温もりは、確かに伝わってくる。
榎音未さんの手を引く。
「はぁ、眠い」
「そうですね……正直私も気疲れが全然取れてなくて……」
そう笑って私たちのアパートへと帰っていく。家に帰るまでは、このままで。
私には、世界のことはまだほとんどわからない。この世界を構成する言葉も、それに連なる意味合いも何もかも。
それでも、今はただこの手に伝わる榎音未さんの体温だけでも、信じたい。
『弐 口裂け女。あるいは言葉師という仕事。』了
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