11.幕間 越後屋京子は迷わない

 越後屋京子は迷わない。自分を正しいと信じているからだ。

 越後屋京子はためらわない。絶対的な正しさが自分の行動には伴うと信じているからだ。

「ええ、お話を聞きたいだけなんですよ私は。坂本さん」

 声色は変わらない。淡々とした口調で質問が続く。異様なのは、彼女の背後に無数の人形が積み上がっていくその様。

「な、なんなんだよその人形!なんなんだよ!」

 男の声は半分悲鳴に変わっている。目の前の光景に、自らの正気が狂気に絡め取られていく。

 もっとも、男が最初から正気であるのならの話だが。

「なるほどなるほど」

 パラパラパラパラ、と手に持った資料をめくりながら越後屋が読み上げる。

「ふーむ。坂本武臣。50代男性。

 幼少のころから人の嘘について異様な関心を示し、追求する癖があり、大学自体にその性質からたびたび口論になる。一度はそれで暴行沙汰を起こすも示談に終わった、と記録にはありますねぇ。その示談の相手がそれからしばらくして交通事故だとか。それは結局未解決と。

 しかしその後は勉学に打ち込み、医師としての経験を積んで現在の整形外科クリニックの院長に……なるほど、なるほど」

「おい、聞いているのか、おい!」

 越後屋京子は意に介さない。ただ、自らの所属する組織のまとめた資料に目を通す。目の前の人物と自分の見ている資料との差異について思いを巡らせる。

「坂本さん、私はずっと気になっていたんですよ」

 越後屋京子は坂本の言葉を意に介さない。

「口裂け女は確かに鋏を持っていたんですけどぉ」

「ひっ!」

 人形が越後屋京子の背後から飛び出す。男に纏わりついていく。

「あの鋏、全然血に濡れていなかったんです。それに、女性の遺体と妙に距離があった。それにも関わらず、口裂け女は女性と貴方の方を見ていた」

 男に纏わりついていた人形にぐぐ、っと力が宿る。

 人形たちが体を磔にするように男の腕を広げていく。

「考えてみるとおかしいですよね。口裂け女に話しかけたのは私だと言うのに、刃物で襲撃されたのは、あの、ええと、なんて名前でしたっけ。そう、可愛い人でしたねぇ……榎音未さんという五葉塾の方でした」

 とことことことことこ。とことことことことこ。人形が集まり続ける。

「《怪異》というものは不定形の存在でありながらその実、非常に厳密です。それはそうですよね、存在しないものがある一定の文脈において形作られるものが《怪異》です。ゆらぎはあれど、根本的な原則は否定されないはずです。文脈によって生まれたものが、自らの存在を棄却するような行動は本来しないでしょう。

 さて、口裂け女の都市伝説には幾つものパターンがありますが、大枠としては口裂け女から道行く人へと語りかけるものがほとんどです。そうであるのならば、なぜあの時何もやりとりをしていない榎音未さんに攻撃が仕掛けられたのか」

「あ、ああ……」

 男の四方は既に人形たちで埋め尽くされている。その場を去ろうとどの方向へ移動したとしても人形たちに足を掴まれることは確実だった。

 越後屋京子はその光景を前にしても何も表情を変えることはない。細やかな微笑みを浮かべたまま、傘を空へとさしたまま、ただそこに佇んでいる。

 そして、現在進行形で自らの所有する《かわいい》存在が視界に満ちていくことに静かな喜びを感じるだけだ。

 彼女は指を3本立てて、坂本に見えるように示す。

「3パターンほど考えました。

 一つ目、この《怪異》は口裂け女ではそもそもない。これは考えにくかったです。目撃情報や、大まかな外見、そして私と共にいた久遠さんが口裂け女と判断していたということ。外見だけでなくあの《瞳》を介してもなお口裂け女と判断されたのなら、私が否定するのは難しいでしょう。

 二つ目、それならば。これは考えましたよ。久遠さんは自分の《瞳》のことを知っているようで知りませんからねぇ。その可能性は私にとって一番危惧するところでした。本当にそうだったら困るなぁと思っていたんですよ? 本当ですよ?」

 ですが、と言葉を区切る。

 越後屋京子のコンディションは既に先ほどまでとは違う。緩やかに全身に熱が巡り、《異能》を十全に使うに不足しない状態に至っている。

「それも現時点では考えすぎなように思えました。何せ久遠さんもまた、目の前の存在を《口裂け女》と認識しているようでしたから。あの《瞳》なら、それはないかなと。そこから外れてしまうのもおかしいかなと。ですからこれも保留としました」

「なんだよ……これ!なんなんだよ!」

 坂本はもう身動きが取れない。全身に力を込めようと人形たちを振り払うことが出来ない。小さく、柔いフォルムの人形たちに力で押さえ込まれている。

「三つ目。考えてみればこれが一番簡単でした。そもそも目の前の口裂け女と、この場にいた被害者と襲撃はそれぞれ別の出来事と考えることです。

 現場にいた被害者は口裂け女に襲われたものではない。

 そう考えると少しずつ輪郭が見えてきました。

 それで、一つ貴方に質問なのですが」

 突き刺すような眼光が、坂本へ向く。

「貴方、なぜ口裂け女が見えたのですが?」

「……」

「あの口裂け女、未完成です。

 《怪異》として完成し切っていない。完全に形となっていたのなら、それはもうシステムです。遭遇して一切の間を置くことなく、ただ単純に私に問いかけをしていたでしょう。

 私、綺麗? と。

 そう聞くだけだったはずです。ああ、もっとも久遠さんと向き合っていたらわかりませんけどねぇ。

 さて、話を戻します。

 あの口裂け女はまだ未完成の《怪異》でした。そして完全に形となっていない不完全な《怪異》を目撃できるのは、私たちのような《異能者》だけ」

「ち、違っ」

「違いません。私は正しいですから。答えは——貴方が犯人です」

 ピシャリ、と越後屋が言い切った。

 その言葉とともに、先ほどまで狼狽えていたはずの坂本が急に静まる。

「……穏便に済ませたかったのにさぁ」

「聞こえませんね。もっと大きな声で言ってくれませんか」

「お前、嘘ってどう思う?」

 坂本が静かに聞く。

「この世界には嘘が満ちているんだよ。どいつもこいつも好き勝手やっている。世界ってのは誠実に向き合わないと歪んでいくのに誰もが簡単に嘘をつく。だから世界が良くならない」

 越後屋の目の前で拘束されているはずの男が、饒舌に言葉を発していく。

「あんたもさっきの女子高生も嘘をついてたってことだ。真っ当な人間のふりして真っ当じゃない奴らが溶け込んでいるってことだ。それは嘘ってことだろ。おかしいだろそんなの」

 男の周囲が歪んでいく。

「うるさい。うるさいうるさいうるさい。どいつもこいつも。うるさいんだよ……嘘ばかりついているくせに。

 私はただ世界を正しくさせようとしただけだ……間違ってる、不実だ。嘘っていうのは良くない。良くないことだ。

 この仕事についてよくわかったよ。人は誰も彼も仮面をつけている。上っ面ばかりさ。大事なのは内面なのに、それなのに更にその上っ面を良くしよう良くしようって考える。誰も彼も顔顔顔顔。

 そんな奴ばかり私の元へやってくる。そんなにして人を騙したいのか? 金でも欲しいのか? 金を払ってまで?

 どうして正直に、美しく、正しく生きようと思わない?」

 坂本の問いかけに、越後屋が反応する。

 耳を向けて、不思議そうな表情で彼女が言う。

「うーん、聞こえませんねぇ。もっと大きな声で話した方が人には伝わりますよぉ?」

「ふざけるな!」

 絶叫、坂本の背後から高速で刃物が射出される。

 脳髄を貫かんとする軌道を軽やかに跳躍、越後屋京子はひらり、ひらりとかわしていく。

「なるほどなるほど。速度は十分みたいですねぇ。確かにこれを常人が食らったらほとんど致命傷でしょうね。先程の女性が生きていたのは貴方がおそらく急所を外したから……と考えると手数が多いだけでなく精密性も相当なんでしょうねぇ。そして射程は?」

 とん、と十数メートルの背後に越後屋がバックステップで跳ねる。《異能者》の《信じること》は《異能》だけには留まらない。個人差はあれど、常人の身体能力を凌駕する。

 越後屋京子は公安の中でも切っての武闘派。ゴシック・アンド・ロリータな装いでありながらその機動性は陸上アスリートを超えている。

 しかし、刃物の射出は速度を落とすことなく十数メートルの距離を取った越後屋を追従する。

「なるほど」

 それも越後屋にとっては想定内だった。

 カツン、と音がして人形が刃物を代わりに受け止める。刃物が地面に落下すると人形はその役目を終えたかのように地面へと崩れ落ちる。

「あぁ……ごめんなさいね、後で修理してあげますからね」

 越後屋は状況について一切の感情の揺らぎを持たず、人形にのみ感情を込めて語る。

「でも、おかげで情報が集まってきましたよぉ。射程もかなりのものがありそうですねぇ。では、威力は?」

 無数の凶器が再び迫り来る。越後屋が片手に持っていた日傘を射出された刃物へ向ける。

 今まさに日傘へ凶器が直撃しようとした時、空間が捩れ、刃物が逸れていく。

「うーん、さすが五葉塾から仕入れた特注品ですねぇ。概念障壁で何とかなると。まぁ、複数発だと保たないかもですが」

 一つ一つ、戦力分析を進めていく。

「姿を見られずに犯行を達成することが出来る。細かなアリバイなどの調整が必要でしょうがそこはゆっくり後で聞いていくことにしましょうか……」

「どいつもこいつも間違っている。欲に塗れている。地位や富を求めて美貌を求める。簡単に自分の姿を変えていく。不誠実だ、誠実じゃない。許されない。そんなことのために俺は医者になったんじゃない。俺はちゃんと正しくこの世界を治療しないといけない」

 坂本は独り言のように呟き続ける。この男もまた、自分の内にある信仰心に触れ自らの正しさに酔う。

「だから、患者の方々を《異能》で殺したと?」

「殺したんじゃない。正しく、ありのままでいれるように終わらせてやったんだ。世の中において生まれ育ちの美しいも醜いも関係ないんだ……人は老いて、緩やかに終わっていく。人の終わりは一つだ。それが当然で、ありのままで、本質で、それが美しいのに皆それを変えようとする。だから、私が終わらせる。私が同じ結末にする。私の《力》で実際に簡単にみんな同じになる」

「メタメタの滅多刺しで顔をグチャグチャにするのは同じにしたとは言いませんよぉ?」

「同じだよ! どいつもこいつも結局それで最後に整えるかどうかなだけだ! 結局私がメスを差し込むことに違いはないんだから!」

 坂本から威圧感が発せられる。それまでの震えていた男の放つものとは違う圧力。

 越後屋京子の周囲に刃物が展開される。

「あらぁ、ようやく私にむけてくれたんですねぇ」

「もう遅いよ。私のこの攻撃から無事な人間なんて見たことないからな」

「そうですかぁ。まぁそれは一体一で、同等の条件の戦いでそうなら誇るべきことなんでしょうけど、貴方はどうですかねぇ」

 越後屋京子は恐怖しない。常に自分の正しさを実感しているから。

「余裕ぶってないで死んでしまえよ!」

 再びの坂本の絶叫——そして彼女の周囲に展開された刃物が一斉に射出された。

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