7.別行動

 被害者の女性に近寄る。意識はないがぬいぐるみ達による治療は継続しているようだった。どこから取り出したのかぬいぐるみ達があらゆる治療器具を用いて応急処置を進行させている。

「……」

 全身の血の色が痛ましい。私はそれを見てどうしようもなく悲しくなる。

「すまないな、足を引っ張ってしまった。榎音未までこの状態で……」

 東光院さんが申し訳なさそうに言う。東光院さんに支えられた状態で榎音未さんが気絶してしまっている。

「いや、そもそも突然の出来事だったし、仕方ないですよ。私だってまさかこのタイミングで殺攻撃を受けるとは思ってなかったですし。大体榎音未さんをこの事件に連れていくように言ったの師匠ですし、見通しが甘かったんですって師匠の」

 東光院さんは妙に仕事をきっちりしないといけない、みたいな責任感が強いもんだからこういうミスがあるとかなり落ち込む。榎音未さんもなんか気絶したことに引目感じそうだな、というか師匠がそういうタイプと私を組ませてるってことなのか? なんてことが浮かぶけど、今はそんなことを考えている場合じゃない。

「災難でしたねぇ。口裂け女に襲われるなんて。立てますかぁ?」

 少し離れたところで、地面にへたり込んだ男性に越後屋さんが声をかけている。そもそも口裂け女に襲撃された男性の声で私たちはこの場にやってきたのだ。

「は、は、は、はい。き、急に襲ってきたんだよ。あの女が、わけわかんないですよ。何なんですか、何だって言うんですか」

「落ち着いてくださいねぇ。大丈夫ですから」

「そんなことっ」

「大丈夫ですよぉ。私たち。慣れているんですから」

 きゅー、きゅー。と言う声がする。

 あたり一面にぬいぐるみが配置されている。いつの間に、と思うけれど越後屋さんが既に口裂け女が逃走した時に設置したんだろう。

 被害者である女性の治療は進行していて、これならこの場から正式な治療を受けられる場所まで東光院さんに運んでもらうくらいは出来るだろう。

「突然のことで動揺しているのはわかります。ただ、状況を理解しないといけないんです。お名前を教えていただいていいですか?」

 現場にただ一人いた目撃者の男性に声をかける。

「……坂本です」

 そう答えた坂本という男性はまだ動揺が抜けきらないのか、息が切れている。

「ゆっくり深呼吸して、落ち着いて、そして話してください。貴方がどうして口裂け女に襲われたのか、どうしてこんな惨状になっているのかを。一つ一つ。丁寧に」

 越後屋さんが坂本さんに語りかける。

「貴方はこの先のクリニックのお医者さんですねぇ。お昼休みですか?」

「な、何で僕が医者だって知ってるんですか」

「あぁ、私、調べごとが得意でして」

 この先の病院——坂本整形外科クリニック。90年代の事件、新王町連続口裂け女通り魔殺人事件の被害者が通っていた病院。

 だからか、と納得が行く。越後屋さんは事前に大まかなことを調べていたのだろう。そこで関係者として目の前の男性についても知っていた。

「坂本さん。話が早いのでお聞きするのですが、今回殺されている被害者の方は坂本さんのお知り合いですか?」

「それは……」

 坂本さんの動揺は強いようで中々声が言葉になっていかない。越後屋さんが視線を坂本さんという男性に向けたまま平然と私へ声をかける。

「久遠さん」

 くるくるくる、と越後屋さんの日傘が回ってピタリ、と止まる。

「口裂け女の追跡はお任せします。貴女なら残穢を追うことも可能でしょうし。女性は私のぬいぐるみたちが応急処置をしていますが、一刻を争うでしょうね。東光院さん、とりあえず移動させても大丈夫ですよぉ。もっとも、生き残れるかは運次第でしょうけど。安全な場所程度までは私の人形の支援で護衛できるでしょうし」

「え、でも」

 この状況はかなり不安定だ。なぜ口裂け女が去ったのかも曖昧なまま。

 もしかすると追撃がすぐに来るかもしれない状態で分散していいのか?

 何よりこの場の調査を提案したのは越後屋さんではないか。

「口裂け女が逃亡してから数分経ってますし、ここで変に分散するよりも固まってしっかりと調査した方が」

「大丈夫ですよぉ」

 私の心中を察したのか、それともそう思うことすらもお見通しだったのか、越後屋さんが表情を変えずに言う。

「ええ、大丈夫です。多分、この問題はこうした方が解決に近づきますから。

 それに——《言葉師》は別に戦闘のエキスパートではないはずです」

 越後屋さんの言葉。

 私が何者であるか、何のためにここにいるのかという問い。

「久遠さんはその《瞳》を介して世界を《視て》言葉をつなぐことが仕事のはずですよ」

 まるで昼下がりにお茶でもしているみたいな微笑を浮かべながら越後屋さんが言う。

 言葉師。私を指す言葉。私は戦闘の心得もある《異能者》ではあるけれど、それである以上に《言葉師》として五葉塾にいて、公安に依頼をかけられた。

 《言葉師》という存在。

 《瞳》を介して世界を《視て》言葉をつなぐことが仕事。

 突然の事態で飲まれていたペースが自分の中に戻ってくるのがわかる。私がやらなくてはいけないことは後手に回って、後処理をすることでも、迎撃しようと備えることでもないはずだ。

 《言葉師》としての仕事、それを全うするべきだ。

「確かに——それなら口裂け女ともう一度出会うべきですね、私は」

 言葉師という存在。《異能者》であるだけならば五葉塾にも公安にもいる。言葉を見て、言葉を紡ぐ、言葉を介す。

 それが言葉師だ。

 今、越後屋さんは私に《言葉師》としての何かを期待している。そしてだからこそ今回私はこの事件に呼ばれた。

 つまりそれはきっと、ただの戦いのための人数合わせというわけではないはずだ。

「越後屋さん、わかりました。ちょっと頭を固くしてた見たいです私。私の本業は女子高生と言葉師ですからね、確かに。それに沿って動くべきですね。おっしゃるとおり」

「ええ」

「……じゃあ、信じますからね」

「はい、お任せください」

 私は越後屋さんに背を向ける。さっきは突然のことで対応が遅れたけど一連の襲撃で頭が冴えた。

「東光院さん、越後屋さんの言うようにここで分かれましょう。被害者の方の病院への搬送をお願いします。護衛は越後屋さんのぬいぐるみと人形がやってくれるそうなので何とかあとは頑張ってください。私は榎音未さんを抱えていくので」

「俺は構わないが……そっちに榎音未も連れて行って大丈夫なのか? 必要なら榎音未も俺が連れていくが」

「この状況で榎音未さんが私か越後屋さんから離れる方が危ないですよ。東光院さんなら何かあっても逃げるくらいは出来るかもですが、被害者に加えて榎音未さんも一緒だと逃げ切れないでしょ。距離が離れてなければ私の《言葉》でカバーもできますから」

 概念刀に触れる。鞘越しに鼓動を感じる。出来れば抜かない状況の方が望ましい。

「追跡します」

 《瞳》を使用。地面に/空気に/空間にこびり付いた怪異の残り香を《視る》。私よりも優れた異能者ならそもそも《瞳》みたいな特殊なものを介さなくても普通に出来るらしいけれど、私は《瞳》に頼って見るのが関の山だ。

「わかった。気をつけろよ」

 東光院さんがそう言って被害者を抱えたまま私とは別の方向へ駆けていく。

 私の見る方向、映る視界には無数の言葉たちが浮かんでいく。

 《怪異》の残穢——先ほどまでの戦闘の際の緊張によって増えた呼吸による二酸化炭素、《怪異》同様の《異能》の使用の残り香。

 私には、全てのものが《視え》ている。

「それじゃあ、越後屋さん。また後で」

 加速する。背後の越後屋さんがいる方向から感じる/視えるものは無視して私は駆ける。

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