第17話 災厄の邪神を消滅せよ!

 男の声にいち早く反応したミストが振り向く。すると、これまで一度も見覚えのない剣を腰に携えたトールが、少し困った顔で穏やかに笑っていた。


「ふん、遅いぞトール。貴様はこんなときまで遅刻とはな。まったく、帰ったら罰を与えてやるから覚悟しろ」

「悪いって。ただまあ、ちゃんと成果は持ってきたからさ」

「成果……それはその手に持っている、剣か?」

「ああ……」


 そう言って鞘から抜き放った剣は、セイヤの持つ聖剣とは対照的に闇色に光り輝いていた。しかしその剣の持つ力強さ、そして何よりも神々の力が宿った神聖さは、聖剣にも引けを取らない。


「その剣は、まさか……聖剣? いやだけど、聖剣は俺以外は扱えないはずじゃ……いやそうか、そういえばアンタは確か……」


 驚きを見せたのは、ミストよりも聖剣に馴染みが深い、勇者であるセイヤだった。彼は己の聖剣とトールの剣を見比べて、それが本物の聖剣であることを理解する。それと同時に、かつて古代遺跡に残された古文書に書かれた内容を思い出した。


 かつて魔王クロノと、そして千年前の勇者の力を引き継いだ邪神を滅ぼす者がいることを。そして、それがトールであることを。


「ふん、それで? その剣があれば、あのアホみたいに巨大化した邪神を倒せるのか?」

「あーどうだろうな? ただまあ、この剣は託されたんだ。だったら、やるしかないだろ」

「……そうか、貴様がそう言うならきっと、大丈夫なんだろうな」


 ミストはそう言うと、トールの体に抱きつく。突然のことに一瞬驚くが、そういえばミストは意外と繊細なのだと思いだす。彼女は、自分の背後にいる部下たちが傷つくのを酷く嫌うのだ。


 これほど邪悪で巨大な魔力を放つ邪神を相手に、内心不安があったのだろう。優しく抱き寄せると、ほんの少しだけ体が震えている。トールにだけ見せる、少し弱いミストの姿があった。


「最後は任せてもいいか?」


 トールはそんな、普段は強がった姿を見せながらも、少し弱い彼女が大好きだった。


「ああ、もちろん。俺が全部、終わらせるから」

「……よし! ではトールよ! この私、ミスト・フローディアが命じる! あのデカブツを、滅ぼし尽くせ!」

「りょうかい!」


 そうして、巨大な邪神の前に剣を構えたトールは、その力を全て解放する。闇色の光を放つ聖剣は、その力を増していき、どんどん巨大になっていく。そしてそれを振り被り、一気に振り下ろした。


「うおおおおおおおおお!」

「グオオオオオオオオオ!」


 しかし邪神が巨大になるスピードはそれよりも早い。それどころか、巨大な体からあふれ出る闇がどんどん魔界の大地を浸食し、泥となって流出されていく。


 トールの一撃は、生み出された泥を弾き飛ばす事で終わり、本体まで届かなかった。そして弾き飛ばされた泥は再び邪神からあふれ出し、魔界全土を飲み込もうとしてくる。


「ちっ! 威力が足りないか!」


 この邪神まで聖剣を届けようと思えば、かなりの時間を要する。しかし泥が侵食してくるスピードは速く、このままではジリ貧だ。


 そんな焦るトールの前に立つのは、不敵に笑うミストだった。


「トール、貴様は邪神を倒す事だけを考えろ。この泥は……私がやる!」


 この泥に触れればどうなるか、そこに含まれている邪悪な魔力を見れば誰もが想像がつく。


 ミストは邪神からこぼれ出る泥が世界を覆う姿を一瞬想像する。それは最悪の未来だが、今の彼女にこれを防ぐ手段はない。とはいえ、それを黙って見ているミストではない。


「ふん。邪神らしい汚い泥だ」


 ミストは空を飛び片手を上げると、莫大な魔力が集まりだす。それは徐々に形づくり、数多の龍となって空を支配するように飛び回っていた。


 そして、炎の、風の、土の、そして水の龍がそれぞれ交わるように集まると、一つの巨大な龍となり、迫りくる泥を睨みつける。


「喰らえ! 滅龍ヨルムンガルド! 汚らしい邪神の泥を吹き飛ばせ!」

「グオオオオオオ!」


 龍の咆哮が世界を震撼させる。その凄まじい魔力の放流は、世界を飲み込もうとする泥を喰い散らし、なおも止まらず邪神本体に喰らいつく。

 

「おいおい、なんつー魔力だよ」


 個人が出せる魔力の限界をはるかに超えたミストの魔術に、トール同様聖剣をセイヤが驚きを見せる。その威力は、セイヤが聖剣を全力で放った時に匹敵するほどだ。


「ふん、この程度造作ないわ! だが……ちっ、やはりやつ本体には効いていないか」 


 泥があふれ出すたびに滅龍ヨルムンガルドが喰らい続けるが、しかしそれでも泥の浸食が止まらない。むしろ己の危険を感じたのか、邪神からあふれ出す泥の速度はさらに上がったようにも見える。


 ミストは背後を振り返る。そこには、彼女を信じ、彼女を敬愛する『ミストちゃんファンクラブ』の面々が、彼女の号令を待っていた。そこに絶望している者は一人もいない。彼らはただ、ミストのために動ける事に幸福を感じ、そしてその勇士を目に焼き付けられることを誇りに思っていた。


 そんな面々の姿を見て、ミストは不敵に笑う。


「ふっ……貴様ら、持てる全ての力を私に寄越せ! これは世界を総べる最後の戦いだ! 出し惜しみなど無用! その身に宿す魔力の底まで全て差出し、私に勝利を見せて見ろ!」

「「「おおおおおおおおおおお!!!」」」


 その雄叫びは天をも貫き魔界の大地を震わせる。それと同時に彼らの魔力が一気にミストへ集まり、黒い闇が球体として圧縮されていく。


 長い髪が魔力に当てられて揺らめき、その美しい黄金の瞳と同色の魔力が昏い闇色と同化して妖しく輝き始めた。それはかつて世界を滅ぼさんとする邪神の魔力を使って生み出した魔術。


 その名は――


「我が魔の深遠、ここに極める。さあ邪神よ、これはかつて貴様が生み出した魔術を、私がさらに高みへと昇華させた世界最強の魔術」


 ――『終焉なる世界』


 そして、暗い闇が世界を覆い、一瞬だけ光が消える。


 その場にいる者が次に目を見開いたら、そこには泥を全て吹き飛ばし抉れた大地が広がっていた。


「く……」


 空を浮いていたミストは、ゆっくりと地上に降りると膝をつく。荒い息を吐き、顔面蒼白だがその意志の強い瞳はまだまだ鋭かった。


「……さあ、お膳立ては済ませてやったぞ。次はお前の番だ。情けない姿を見せるなよ?」

「へいへい。 ここまでやってもらったんだ。ここでやらねえと男じゃねえよな!」


 極大まで溜めた光が神々しく輝く。邪神を討つために生み出された神の剣。その力は、使用者の生命力を吸い続けることで増していく。聖剣どころか、まるで魔剣のようだと思っていたが、自分次第でいくらでも威力を上げられることはセイヤ好みでもあった。

 

 ――なにせ、自分の気合いと根性があればどこまでも高められるのだから!


「はっ! どうせこれが最後だ! 全部持ってけこの野郎!」


 瞬間、その輝きは増し、光り輝く刀身は巨大に膨らんでいく。もはや天に届くのではないかと言わんばかりに巨大になった邪神だが、聖剣の光はその身体すら超え天を切り裂いた。


「喰らい……やがれぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 振り下ろした聖剣を受け止めようと邪神が腕を交差させるが、聖剣は邪神を滅する最強の剣。


「ルオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

「ぐ、ぐぐぐぐ……ぐううううううう!!」


 苦悶の声を上げる邪神を切り裂こうと、セイヤはさらに魔力を込める。


 化物となった邪神は今、理性があるようには見えなかった。ただ本能に従って、その泥をまき散らす災厄そのものだ。その泥は一度ミストによって全て消滅させられたが、それでも無限にあふれ出してくる。


 しかしそれも、聖剣の一撃によって次々と蒸発させられていった。しかし――


「ぐ、ぐぐぐぐぐ! これは……まずいか?」


 邪神の耐久力はセイヤの想像を上回っていた。このままでは、邪神の防御障壁を全て吹き飛ばすよりも先に、セイヤが力尽きかねない。そして、ここでセイヤが力尽きれば、今もなお邪神を吹き飛ばそうと力を溜めているトールまでその魔の手が届いてしまう。


「負けねぇ……負けねぇ……!」


 ここで負ければ魔界も、地上も、そして彼が愛した女性も終わってしまう。そんなもの、今のセイヤに許せるはずがない。


「俺は、俺は負けね――」


 そう踏ん張っていたが、勇者とはいえ人間。すでにその身を神として顕現した邪神を相手に勝てず、聖剣の光も徐々弱っていく。


「ぐ……ちく……しょ」


 そして最後に力を使い果たし、地面に倒れようとしたその瞬間――


「大丈夫……」


 セイヤの背を支えるように、冷たい掌がそっと添えられる。それをした少女は、魔界を守るために誰よりも戦い続けた最も新しき魔王。

 

「あ、イリー……ナ?」

「大丈夫。貴方は負けないわ。だって、約束したもの」


 ――あなたは魔界を救ってくれるって。


 それは二人が初めて出会い、そして交わした小さな約束。


 もし誰か他の者が聞けば、大したことのないものだが、この二人にとっては何よりも掛け替えのない約束だった。


「さあ、今日この時を持って、私たちの魔界を取り戻しましょう!」

「……ああ、そうだな……長い戦いも、これで終わりにするぞ!」


 二人で共に聖剣を握ると、弱り始めていたその光が先ほど以上の輝きを放ち、一気に邪神を押し込み始める。


「うおおおおおおおおおお!! いい加減、沈みやがれぇぇぇぇ!!」

「ル、グ、ウ、ガァァァァァァ!!」


 一刀両断。黒い泥で構成されていた邪神の身体は二つに分かれ、悲痛の声が魔界全土に響き渡る。


 全ての力を使い果たしたセイヤは、イリーナの身体にもたれかかるように倒れこむ。


「っ――はあ! はあ! はあっ! どうだ! あとは、アンタの番だぜ! 頼むからここで決めてくれよ!」

「ああ、任された」


 トールが見上げると、邪神は二つに分かれてなお泥を形成し、元に戻ろうと醜悪な姿を見せていた。しかし聖剣で受けたダメージは邪神にとって致命的で、これまでと比べて再生速度が圧倒的に遅い。


「思えば、お前がいたから俺はここにいるんだよな」


 トールはつい先ほどのキキョウとの会話を思い出していた。


 千年前、魔王クロノと聖剣の勇者キキョウによって未来を託されたことでこの力を得て、そして邪神がミストを依代にしたからこそ、自分はこの世界に召喚され彼女と出会った。


 辛いことも多かった。絶望することもあった。だがそれ以上に、ミストと出会えたことは最高の幸運だった。


「まあ、だからって感謝はしねえよ。それに憐みもしない。だってさ――」


 黒い闇の聖剣が魔力を高めていき、それは次第に圧縮されていく。そうして生まれた闇色の剣は、その刀身こそ普通の長剣と同じ程度だが、そこに秘められた力は魔界全てを合わせたように強大だ。


「俺とミストが出会うのは運命だったんだから」


 ――クロノ、長い旅を終えましょう。

 ――ああ、そうだなキキョウ。


 黒い聖剣が邪神に向けてそう語りかける。それと同時に邪神の力が一瞬弱まり――


「終わりだ」


 トールが剣を振るう。



 この日、邪神によって画策された魔界全土を巻き込む大戦は終わりを迎える。それと同時に地上の勇者と魔界の勇者の、長い、とても長い戦いが終わったのであった。

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