第15話 魔王イリーナを救出せよ!

 セイヤは一人、怒号と血飛沫舞う戦場の空を突き進む。た飛行出来る魔人が邪魔をしてくるが、そんな相手はセイヤの敵ではない。一刀で切り捨て、目指す先は氷の城の上に立つ少女。


「よおイリーナ、約束通り迎えに来たぜ」

「……セイヤ」


 腰まで真っ直ぐ伸びた白銀の髪は美しく、サファイアのように澄んだ瞳は相変わらず人を見下すように冷めていた。それでいながら、その奥には不安と寂しさが隠れているのだから、ズルイなとセイヤは思う。


 セイヤの知っている彼女は、自分に向けてこんな顔をしない。彼女はいつも、どんなに不利な状況であっても、己の不安など決して見せずにふてぶてしく己を弄るのだから。


「んだよその情けない顔。俺を馬鹿にしてんのか?」

「近づかないで!」


 セイヤが手を伸ばして少し前に出ると、それを拒絶するように二人の間に氷の壁が生まれる。


「私は……今の私は邪神の眷属! この魔界を滅ぼす者よ! たとえ貴方であっても邪魔をするなら容赦しないわ!」

「はっ!」


 完全に鼻で笑いながら、セイヤはイリーナを真っ直ぐ見て叫ぶ。


「馬鹿みたいなこと言ってんじゃねえよ!」

「ば、馬鹿?」

「馬鹿だろうが! 誰よりも魔界を愛してるお前が、そんなこと出来るわけねえじゃねえか!」

「で、出来るわ! そもそも私は魔界なんて、こんな苦痛しかない世界なんて嫌いなのだから!」


 イリーナは怒りに満ちた瞳で睨んでくるが、そんなものセイヤにとっては何にも怖くない。


 セイヤは知っている。彼女がこの荒廃した大地を、血のように赤い空を愛してる事を。彼女ほどこの魔界を愛している者はいない事を。


「だいたい、この城凍らせてるだけで結局、誰も攻撃出来てねえじゃねえか! 無理なんだよお前が大好きな魔族を攻撃するなんてことはなぁ!」

「くっ! この、言いたい放題言って! 見てなさい!」


 イリーナが掌に魔力を込めると、百を超える巨大な氷柱が宙を浮く。それらの先端はセイヤと、その背後で戦っている魔族軍に向けられていた。


「死になさい!」


 無数の氷柱が一斉に襲い掛かる。目にも止まらない速度で飛んでくるそれは、まともに受ければ魔族軍は半壊するだけの威力を秘めていた。


「はっ、シャラくせぇ!」


 しかし、それらが魔族軍まで届くことはない。セイヤが聖剣を一振りしただけで、氷柱は全ては切り裂かれ、そのまま粉々になって地面に落ちていったからだ。


「この!」

「無駄だっての!」


 さらに多くの氷柱が迫るが、セイヤに傷一つ付ける事が出来ない。そんな攻防がしばらく続くも、先に息を切らしたイリーナが困惑した様子でセイヤを睨む。


「どうして……どうして通らないの!? 私の魔力は今、邪神様のおかげで上がってるはずなのにっ!」

「わかんねぇのか?」

「えっ?」 


 イリーナは疑問の声を上げるが、セイヤには何故彼女がわからないのか、それの方が疑問だった。


 何せ彼女が本気になれば、自分ごとこの大地の全ての命を凍らせることが可能なのだ。もちろん、邪神の力などない状態で。

 

 だというのに、こんな弱い魔術しか使ってこない、そんな理由など、一つしかないだろう。


「お前はさ、魔族を、魔界を傷つけたくないんだよ。だからこんな意思の弱い魔術になる」

「そんな、そんなはずは……」


 セイヤの瞳が真っ直ぐイリーナを射抜く。その眼光に押され、彼女は一歩後ろに下がるも、すぐに氷の柱にぶつかり下がれなくなった。


「邪神の眷属? この魔界を滅ぼす者? 無理無理、だってお前は――」

「や、やめ……」

「誰よりも魔界を愛する『魔王』なんだからよ」

「――違う!」


 イリーナが首を振りながら、掌を空へと向ける。すると、邪神の力と本来の彼女の魔力が交わり、恐ろしく強大な氷塊が空を覆い始めた。


「私は、魔界が大嫌いなの! ただ生まれ持った魔力が大きすぎるからとこの身は封印され、自分達が危機に陥ったらそれに対抗するためだけに都合よく目覚めさせられる! 起きれば父は死に、魔界全土は侵略されたこの状況で戦えと、魔王の血族としての責務を果たせと押し付けられる!」


 そんなイリーナの慟哭と共に氷塊はさらに大きくなり、もし落下をすれば大地を埋める魔族、魔人、人間問わずすべてを潰してしまうことだろう。


「そうよ、最初からこうすれば良かったんだわ……」


 まるで泣いている子供のように震える声で、イリーナは魔界の大地を見下ろしていた。


「邪神様は城を凍らせるだけでいいと仰ったけれど、この大地全てを氷尽くせばいい! そうすれば、全部なくなるのだから!」

「まるで駄々っ子の発想だな」

「黙りなさい! 例え聖剣の勇者であっても、今の私の全力を受け止められるとは思わない事ね!」


 そうして、イリーナが腕を振り下ろす。ゆっくりと落ちる巨大な氷塊は、まるで天空の大地がそのまま地上を潰そうとしているかのようだ。


「潰れなさい! セイヤも、魔族も、魔人も魔界も全部!」

「……イリーナ。お前の全てを、俺は受け止めてやる」


 イリーナを守る。そんな小さな約束さえ守ることが出来なかった。


 この世界に来て初めて、幼馴染達以外で守りたいと思った女性なのに、肝心なところで力が足りない。そんな自分が許せなかった。


 だが今再び、彼女を守る機会を得た。


「なあ聖剣、今まで敵を倒すためだけに使ってきたけど、今日だけはさ、あいつを守るために使いたいんだ。だから、力を貸してくれ」


 落ちてくる氷の大地を見上げながら、セイヤは聖剣に力を込める。その瞬間、これまで沈黙を保ってきた聖剣は、まるで暗い魔界全てを照らす光を放ち、真の力を解放する。


「潰れなさい! 潰れなさい! 潰れなさい! 全部、全部凍りつきなさい!」

「潰れねえし、凍らせねえよ。だってそうなったら、お前泣くだろ? だからこの一撃でお前の闇を全て斬り払う。」

 

 セイヤは光り輝く聖剣を両手で振りかぶり――


「極光剣……ひらめきぃぃぃぃぃ」

「……あ」


 激しい光が氷の大地を切り裂き、空を駆ける。そして――そのままイリーナを飲み込むと、聖剣の光はしばらく魔界の空を、暗いはずの大地をまるで太陽のように照らし続けていた。


 魔族が、魔人が、人間が、あらゆる種族がその美しい光に目を奪われ戦いの手を一瞬止める。


「っと」


 セイヤは空から落ちてくる少女――イリーナを不安なく抱きかかえると、ゆっくり地上に降りる。すると、すぐに腕の中でイリーナが身じろぎ、そして目を覚ました。


「ん、あ……セイ、ヤ?」

「ああ。大丈夫か?」

「……悪い、悪い夢を見ていたわ」

「そうか」


 光が消えた頃、氷の城がゆっくりと解け始め、空を覆う光が反射し美しい光景を作る。


「綺麗……こんな、こんな美しい魔界が見られるなんて……」

「もう少しだけ休んでろ。あとは、俺が全部終わらせて平和な魔界を作るから」

「……信じていいの?」

「ああ。そしたらまた、こんな綺麗な光景作ろうぜ。俺とお前の二人なら、いくらでも作れるんだからよ」

「そうね、綺麗な魔界。それも、悪くはないわ。それに、貴方と二人でっていうのも……」


 そう言うと、イリーナは小さく微笑みながら目を閉じる。


 もう彼女の中の邪神の力はない。聖剣の力が、その全てを薙ぎ払ったのだ。


 聖剣は邪神を滅ぼすために存在する。そして――聖剣の勇者もまた、邪神を滅ぼすために生まれたのだ。


 セイヤは近くで待機していた魔族軍の幹部、シルバにイリーナを預けると、背後から強烈な殺気を放ってくる敵に振り向く。


「よお邪神。リベンジに来たぜ」

「おのれ、おのれぇ! 聖剣の勇者め、邪魔しおって!」


 イリーナと同じ白銀の髪に、片翼の男が憤怒の表情でセイヤを睨んでくる。


 その力は強大で、聖剣の力を完全に解放したセイヤすら超えているが、それでも先日ほど恐ろしいとは感じていない。


「前回とは違うぞ! すでにイリーナによって作られた時間でこの身体の掌握は完全に終わっている! 前はクロノの意思が邪魔をして見逃すことになったが、今度はそうはいかん! 八つ裂きにして、聖剣も粉々に砕いてくれるわ!」

「はっ! やれるもんならやってみやがれ! 言っておくがな、俺は今マジで怒ってんだ! 人の女連れてって、好き放題しやがってよぉ! ぜってぇぶっ殺してやる!」


 二人がにらみ合い、尋常ではない魔力を高め合っていく。聖剣の勇者と世界を滅ぼす邪神。そんな彼らの間に入れる者など、地上世界、そして魔界全土を見渡しても――


「く、くくく! 相変わらず私を置いて盛り上がるのが好きな男だな貴様は。だがまあ今回は寛大な心で許してやろう。この氷輝くの光景は、それだけの価値があるからな!」

「ははは、許してくれてありがとよ。こう見えて、あんたが来る前に終わらせようと思って結構苦労したんだ」


 黄金の髪をなびかせ、威風堂々と歩き二人の前に姿を現したのは、かつて邪神の寵愛を一身に受け、そして今では地上世界の覇王にして魔界の侵略者。 


 その者の名は――


「ああ、そういえば初めましてだな邪神」

「ぬぅ! 貴様は!」

「ずいぶんと好き勝手してくれたみたいだが、貴様の出番は終わりだよ。なあ、そろそろ幕引きといこうじゃないか!」

「たかが依代の分際で、この神に向かって大言を吐くとは何事だぁぁぁぁ!」

「はっ! 貴様こそたかが神の一柱の分際で調子に乗り過ぎだ! いったい誰に向かってそのような口をきいている!」

 

 かつて地上世界の覇を競い、三つの勢力がぶつかり合った。今では歴史の分岐点の一つとして語られる、たった三人の頂上決戦。


 その勝利者である少女は、神を相手に不敵な笑みを浮かべて言い放つ。


「すでに魔界の支配者はこの私、ミスト・フローディアだ! もはや貴様のような旧時代の神などいらん! いつまでも情けなく世界にしがみ付かず、さっさと退場するのだな!」

「ま、そういうこった。俺はもうこいつの下についてっから、後はテメェを倒してハッピーエンドだ。わかったら、さっさと消えな!」


 そんなミストの横に立つのは、光輝く聖剣を携えた、勇者セイヤ。


「ミストっ! それに勇者! 貴様らこの我をコケにした事、奈落の底に落とすだけでは生温い! 生きたままその皮を剥ぎ取り、殺してくれと叫びながら永遠の苦痛を与えてくれるわ!」


 そんな二人を睨みながら、邪神は己の魔力を噴出させる。魔界全土を覆うほど強大な、暗い闇の魔力。一個人が持っていては絶対にいけない、圧倒的な破壊の力。


 だがそんな力を前にしても、ミストは怯まない。己の力を最強と信じ、背後の部下に向かって激励を飛ばす。


「さあ、始めようか! 世界の命運を賭けた、最後の戦いを!」

「「おおおおおおおおお!!!」」


 こうして、地上全てを滅ぼそうと画策している邪神と、聖剣の勇者と、そして黄金の支配者による、最終決戦の火蓋が切られることとなった。

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