エピローグ ラスボス系王女をサポートせよ! 2

「まったく……やり過ぎだ馬鹿もの」

「ミストが可愛すぎるのが悪い」

「旦那様はいつもそれだな。むぅ……」


 温泉から出て再び浴衣になった二人はそんな軽口を叩き合いながら、部屋へと戻ってきた。


 部屋の窓際にある椅子に座りながら軽く風に当たっていると、木々の揺れる音が聞こえてくる。


 この世界には車もテレビもない。夜になると人の時間は終わり、外から涼しげな虫の音や風の音、動物達の息遣いなど、自然の生活が良く聞こえてくるのだ。


「風流だなぁ」


 趣のある旅館で自然の音色を耳に入れつつ、小テーブルを挟んだ先にいる美少女を眺める。

 黒の浴衣に着替えたミストは先とはまた別の魅力があった。

 特に椅子に座った事で少しずれた足の部分から覗く白い太ももは、浴衣の黒との対比でより美しさを増している。


 今この瞬間、この光景を見る事が出来るのが自分だけなのだという事が、何よりも誇らしい。


「ああ……凄い贅沢してるなぁ、俺」

「大陸の政治を全て司っている人間が何を言っているのだ」


 ミストが呆れたように嘆息しながら足を組み直したおかげで、浴衣の隙間から僅かに黒い下着が見えた。風呂場のように全てを晒す姿もいいが、こうして服の上からチラリと見えると違った興奮を感じてしまう。


「目がやらしい」


 見ている先がバレて睨まれるが、不可抗力としか言いようがない。階段の先に短いスカートの女子がいたらつい見上げてしまうように、チラリズムを追うのは男の本能のようなものなのだ。


 まあ、今はミスト以外の女が歩いていても見る気はなかったが。


「先ほどあ、あれだけしておいて……旦那様の性欲魔人め」


 温泉での出来事を思い出したのか、ミストは顔を赤らめて睨んでくる。


「もう駄目だって、何度も言ったのに!」

「そのあと我慢しきれずに何度も喘ぐミストは最高だったな! 特に呂律が回らなくなってから必死に抱き付いてくる可愛さといったらもう堪らん!」

「そう言う事は言葉にするな!」


 トールはチラっと視線を横に向ける。この旅館のおもてなしは完璧で、畳の上には既に敷かれた布団は一枚。しかし枕は二個。


「お、おい旦那様……一応聞くが、なぜ布団を見る……そ、それに! お前それ! さっきあれだけ出しただろ! 何でもう元気になってるんだ!」


 もはや隠しきれないほどのふくらみを見たミストが目を見開き立ち上がる。そんなに凝視されるとすぐにでも襲い掛かりたくなるが、その前にクローゼットへと向かって確認しなければならないことがあった。


「よし」


 最初に確認した通り、クローゼットの中には予備の浴衣と予備の布団はしっかり置いてある。これなら、いくら汚しても大丈夫だろう。


「何がよし、だ! 何を確認した!? おい旦那様、今何を確認したんだ!?」

「愛し過ぎても大丈夫かどうか確認したんだよ」

「愛し過ぎてって馬鹿か貴様んぐぅ!?」


 近づいて来るミストにいきなり抱き付き、そのまま首筋に顔をうずくめ匂いを嗅ぐ。甘い香りと温泉の匂いが混ざり、男の本能が刺激されていくのがわかった。


「っぅ……コラぁ……まだいいって言ってなぃ……んん」


 浴衣の上から優しく指先で撫でると、ミストからくすぐったそうな甘い声が出る。耳元で囁くように聴こえてくるのが妙にエロく、その声が聞きたいがあまり何度も撫でてしまう。


 抵抗のせいか浴衣がはだけ始め、肩から胸までの柔らかい曲線ラインが見え始める。


「綺麗だ」

「はぅっ!」


 耳元で小さく呟いてあげると、背筋をびくっとさせる。まるで猫のようだと思う。しかしもはや力など入れていないのだが、ミストは口では駄目と言いつつ抵抗する兆しが見られない。


 こうなるともう少し意地悪をしたくなる。無言で指を動かしつつ、口で浴衣の襟部分を摘まんでゆっくりはだけさせる。


「ぁぁ……んぁ……ん、ん……何か、言って……」

「駄目か?」


 抱き締めた腕を離し、少し甘え気味に聞いてみた。


 温泉の中で全てを曝け出していた時とは違い、今は浴衣も着ていて大切な部分は全て隠れている。だがそれが余計に支配欲を刺激するのか、中途半端にはだけた今の状態に一層興奮している自分がわかった。


「だめ……じゃない、けど……」

「けど?」

「灯り……消してほしい」


 周囲の魔力で動くライト。これらをさっと消してから、ゆっくりミストに多い被り布団へと押し倒す。


「あ……」

「これでいいな?」


 周囲が暗く月明かりでしか見えないが、ミストは無言で首を縦に振ったのはわかった。軽く覆いかぶさっただけなのに、まるで赤ちゃんが母親に甘えるようにぎゅっと抱き付いて来る。


 首が甘噛みされるが、それも一つの愛情表現だと思うと愛しさが増してくるものだ。トールはしばらくされるがままにしつつ、優しく髪を撫でていた。


 しばらくするとミストの甘噛みが弱くなり、じっとトールを見つめる。


「……しないのか?」


 期待と甘えの含んだ声だ。


「するよ」


 素直に求めて来る彼女が愛おしく、優しく口づけをする。


そして――


「これは……旦那様にだから言う事だが……」

「ん?」


 事を終え、布団で抱き合いながら寝ていると、不意にミストが呟く。


「旦那様と出会って、子を産み、家族に囲まれる。こんな幸せを矜持する自分は、本当に自分なのだろうか。そう思う時があるのだ」


 それはミストらしかぬ発言だ。いつも自信満々で、光に溢れ、未来を見通す統一国家の皇帝。トールの前でこそ甘えを見せる彼女であるが、皇帝としての彼女は依然として世界の覇者に相応しい威厳を持っている。


 そんな彼女が零す弱音。トールは彼女が言いたい事を終えるまで、優しく髪を梳きながら黙って待つことにした。


「かつて邪神に蝕まれていた頃、人を超えた圧倒的な全能感があった。それが無くなりただの人となった私だが、それでも貴様達がいてくれたから、こうしてここまで来れた」


 ミストの統治は完璧とは言えないだろう。だが史上最悪の戦乱期とも呼べる戦国の世を、瞬く間に太平の世へと導いた功績は、誰の目から見ても明らかだ。


 皇帝になり世界に知らぬ者なしとなった今、暗黒教団の規模も昔とは比較にならない。


 情報を特に重視するトールにとって、世界中に支部が存在するこれらは、反乱の余地もなく彼等が生きている限り太平の世は続くと確信していた。


「魔王という旗印がなくなった今、魔族達の侵攻はもうない。生きていると噂されていた魔界大帝も完全に死んだ。大陸には私を脅かす勢力もなく、この世で最も愛おしい男と子を育み、国を慈しみ、そうして一緒に天寿を全うする。それが今の私の願いだ」


 それはトールの願いでもある。動乱の刻を共に過ごし、今の幸せを掴みとったのだ。愛しい女性と結ばれ、可愛い子供達に囲まれ、天寿を全うする。人間これ以上の幸せなどあり得る筈がない。


「だが――」


 だが――

 

「私の中の私が言っている。そのような平穏だけを享受するような女なのか? ミスト・フローディアは、市井の女と同じような幸せを求めるような、そんな平凡な願いを全うすることを望むような女だったのか?」


 トールが最も憧れ、輝きを見た少女はそんな幸せだけで満足するような女だったか? この世界で生きてきて、最も生きていると実感していたのはどんな時だったか?


「否! 否である!」


 そう、否である! トールが一目惚れをし、生涯を賭けて尽くすと決めた少女は――


「このミスト・フローディアはそのような当たり前の幸せ、掴んで当然だ! そのようなもの、求める必要すらあり得ない! 私が求める物は、手を伸ばしても伸ばしても、凡愚では手に入れることの出来ない物であり続けなければならない!」


 ――世界一つで満足するような、器の小さな女ではないのだから!


「かつての人類の誰一人足を踏み入れたことの無い地。前人未到の魔界制覇……取るぞ私は。世界を、この世の全ての世界を一つに纏め上げる!」


 子が出来、国を慈しみ、男を愛する。そんな人生も幸せだろう。だがミストはそれだけでは足りないのだ。彼女は邪神の器。その身に注ぐ欲望の量は、大陸一つで収まるようなものではない。


「貴様には特等席で見せてやる。だから、一生隣にいろ! トールよ!」

「嫌だって言われても、ずっと隣にいますよ。ミスト様」


 少しだけ、昔に戻ったようで懐かしいやり取りだ。


『私は世界の全てを手に入れる。貴様には特等席で見せてやる。だから、一生傍にいろ』


 かつて王国で危険視され、たった二人で命からがら逃げだした後、小さな馬小屋で一夜を過ごしたことがある。そんな馬小屋の中でさえ彼女は自信満々で自分にそう言い切ったのだ。


 その姿はあまりに眩しく、美しかった。


 味方など一人もいない、そんな絶望的な状況で語ったそれは、子供の夢物語ですら有り得ないほど荒唐無稽なものだった


 だがそんな夢物語をミストは実現させた。


 そして今、以前とは違う万全の体勢で新たな野望を語った彼女は、かつて以上の輝きを持っている。


 これで、実現できない筈がない。


「ふふふ、滾ってきたぞ! そうだ、これこそが私だ! この五年ほど、どうやら大人しくし過ぎていたようだな! さあ魔界よ待っていろ! この私、ミスト・フローディアがその全てを支配してやるからな! ハハハ、ハーハッハッハ!」


 まるで邪神に魅入られていた時のように笑う、哂う、嗤う。


 心底愉快そうに高笑いを始めるミストを見るのは好きなのだが、今は深夜の時間帯である。貸し切りなうえ、従業員達の部屋はかなり離れているとはいえ、状況としてはあまりいいとは言えないだろう。


 それに、自分は昔とは違う。彼女の高笑いをただ微笑ましく見ているだけの昔とは、違うのだ。


「ミスト」

「ハッハッハ! 何だ旦那様!」

「そんなに笑う元気があるなら、まだまだイケルな?」

「――っ!?」


 先ほどはミストの体力の限界で終えたのだ。だがこんなに元気なら、止める必要なんてなかった。


「ま、待て! これは違う! あ、そうだもう布団の予備がないぞさっき散々汚したからな! ほら、これまで汚したら寝る場所が無くなるしそしたら旦那様も困るだろ!?」

「大丈夫。夜明けに温泉入ればすっきりするから」


 そしてそれからしばらくして、先ほどの高笑いにも劣るとも勝らない程の音量で絶頂するミストに、トールは満足した。


「一生傍で守るから」

「ぁ、ぁたりまぇだ……ばかものぉ……」


 生涯仕えると決めた主人と、生涯愛すると決めた女性が同一人物であるなど、男としてこれ以上の幸せはないだろう。


 魔界は人が一度も踏み入れたことの無い魔境の地。想像もしないような危険が待っているかもしれない。


 だがそれでも、何があったとしても絶対守る――彼女の幸せは、その先にあるのだから。


 そう決意した夜であった。





 昏い、昏い闇を世界を覆う。地上から漏れる僅かな光を光源とし、つねに曇天の空に覆われた大地――魔界。


 そんな大地の一角、巨大な城壁に囲まれた都市にそびえ立つ荘厳な城の中で、一つの邂逅が行われていた。


「よくぞ召喚に応じてくれました。異世界の勇者よ。今魔界は魔神による侵略によって未曽有の脅威に晒されています。どうか我々をお救いください」

「…………」


 かつて魔王を倒すべく地球から召喚された聖剣の勇者、一条(いちじょう)誠也(セイヤ)はこうして、二度目の召喚で今度は魔界に呼び出されることになった。


 数年前まであまりに強大な魔力を持つゆえに封印されていた、魔王クロノの娘によって。


「魔神の目的はこの大地の全てを根絶やしにすること。我が父である魔王なくしてその軍勢を押さえる事はならず! 私一人では、この地を抑える事で精一杯。もう我々には伝承にある、勇者召喚以外に手立てはなかったのです! どうか、どうかこの世界を救ってください、勇者様!」


 セイヤの前に立つ少女は美しかった。腰まで真っ直ぐ伸びた白銀の髪。水晶のように透き通ったサファイアの瞳。かつて対峙した魔王クロノと同じ人と異なる尖った耳。ゆとりのある蒼銀のドレスの上からでも分かる、大きな胸。


 年齢はすでに二十歳を超えたセイヤより少しだけ下くらいか。


 己の世界が滅ぼされようとしている中、必死に掴んだチャンスなのだろう。セイヤの腕を掴む少女の瞳は不安に揺れていた。


 だが、そんな中にも強い意志を感じる。吸い込まれそうな程の強い意志だ。こんな瞳を彼は知っていた。そして、そんな瞳をする者を、放っておける筈がなかった。


「だからって、何でまた俺なんだよーーーー!」


 そろそろ本格的に異世界で嫁を見つけて永住しようと決めた矢先の出来事。あまりの理不尽な展開に、セイヤは天界に住むと言われている神々を呪わずにはいられない。


「お願いします。お願いします!」

「わかった! わかった協力する! だから胸を腕に押し付けんな柔らけぇだろ!」


 こうして魔界の皇女に召喚されたセイヤは、魔王軍に混じって魔神の軍勢との戦う事を決めるのであった。


 なお、セイヤは高校一年生の時に召喚され、それ以降は戦いの日々だったためまだ童貞である。だが胸を押し付けられた事と、魔界を救う事を了承したことには何の因果もない――はずである。


「そう、勇者様は胸が好きな変態なのね」

「協力するって言った傍から態度変えんの止めてくんね? 毒舌系クール美女とかキャラとして出尽くしてっから」

「何を言ってるか分からないけど、馬鹿にされてるのはわかったわ。それで、変態勇者は私の胸を揉み扱きたいのね? 別にいいけど、凍らせるわよ」

「俺、これからこいつのサポートしてかなきゃいけねえのかな? 一人で好き勝手やりたい」


 魔神と戦う前に心が折れそうな勇者であったが、彼はまだ知らなかった。


 魔神以外にも、この魔界を狙っている者がいる事を。


 それがかつて、聖剣の勇者をしてトラウマにするほど強大な悪だと言う事を。


 勇者セイヤの受難は、まだまだ続く。

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