39. 憧れの南の島(後編)

 3日目。

 ついに沖縄を離れる日が来た。


 その日の朝。

 ホテルの朝食を取っている時。夢葉のテンションは通常に戻っていた。


 そのことを心配する怜と翠。

「なんだ、夢葉。今日は元気ないな」


「なんかあったんか?」


「いえ。別に。ただ今日は、はしゃいじゃいけない真面目な場所に行きますからね」


 その答えで二人は何となく察していた。その日の行き先を。


「今日は沖縄戦の史跡と史料館に行きます。正直、あまり気は進まないですけど、これも沖縄の真実ですから」


「よう言うた。夢葉ちゃん、ホンマええ子やな」


「そうだな。最後くらいは真面目に勉強するか」


 だが、二人の先輩に対し、夢葉は心なしか表情を曇らせて答えを返した。

「もう子供扱いしないで下さい。私だって、もう20歳です。もうすぐ21歳ですよ」


 12月に誕生日を迎えると21歳になる彼女。たまには真面目にやろうと思ったのだった。


 向かった先は、沖縄戦の真実を映し出す、戦争史跡だった。


 まず向かった先は。


 平和祈念公園。


 沖縄本島の南部にあり、摩文仁まぶにの丘と呼ばれる場所がある。そこは、沖縄戦の終焉の地だった。


 国道331号をひた走り、途中の知念ちねん岬で休憩してから、たどり着いた。


 沖縄県平和祈念資料館という大きな建物があり、そこでは実際に沖縄戦の詳細を学ぶことができる。また、この広大な敷地には、各都道府県出身者ごとの戦没者の石碑があり、47都道府県全ての戦没者の名前(不明者は除く)が刻まれた碑が建っている。


 そこで改めて学ぶ沖縄戦。


 夢葉はもちろん、怜も翠も学校の授業で聞いて、ある程度の知識はあった。


 だが、実際に現地で資料を通して学ぶとまた違った認識、知識を吸収することになる。


 沖縄戦は一般には1945年3月26日から6月23日まで行われたとされ、そのうち組織的な戦闘は4月2日から6月23日までと言われている。


 そのうち、日本軍の戦力は11万6400人。うち、陸軍が5万人、海軍が3000人、後方部隊が2万人、沖縄現地招集が約3万人と推定されている。


 しかも、人的損害では、陸軍戦死者が6万7900人、海軍戦死者が1万2281人、沖縄県民の死者・行方不明者が12万2228人、うち民間人死者が9万4000人と言われている。


 それは、まさに地獄のような死闘だった。


 詳しくは歴史史料に説明を譲るが、とにかく凄惨な戦いで、軍が民間人を盾に使ったことでも知られている。


 つまり、平たく言えば、沖縄県民は一生懸命、軍のために尽くそうとしたのに、軍に簡単に見捨てられたのだ。


 そのため、沖縄県内では数々の悲劇が生まれた。


 沖縄の人たちは、そのことを今でも決して忘れていないという。

 それだけ、当時の日本軍は、やってはならない、「業の深いこと」をしてきたのは間違いない。


 そのことを史料を通じて、学ぶ三人。


 終わってみると、夢葉は涙が出そうなくらいに悲しい気持ちになっていた。


 そのことで、言葉を失うほど、悲しい気持ち、怒りすら湧くような気持ちを抱えた三人は、最後に摩文仁の丘の端にある、とある場所へと足を運んだ。


 第32軍司令部終焉の地。


 そこは、摩文仁の丘の端の崖にひっそりと佇む鉄柵のある壕の跡だった。

 つまり、旧日本軍が組織的抵抗を終えた、第32軍の司令官たちが自決を図った場所。言い換えれば沖縄戦自体の終焉の地だ。


 資料館にはいつも人が溢れているが、この隅っこにある、実際の戦闘指揮所の跡には、いつも人気がない。


 それは、恐らくここが「生々しすぎる」からだろう。今にも霊的な物が出てきそうなくらい鬱蒼とした、暗くて、重苦しい雰囲気がする場所だ。


 だが、それだけに真実を語るには十分すぎる。


「こないなところで自決とはな。なんちゅうか、浮かばれんちゅうか、哀れなもんやな」


「まあ、当時の日本軍のやり方は確かにおかしい。民間人を盾にするとか、最悪の手段だからな」


 そんな二人の先輩に対し、夢葉は、この不気味なくらい静まり返っている壕を見て一言、


「かわいそすぎるよ……」

 と声にならないような、か細い声を上げて、今にも泣き出しそうだった。


 そんな夢葉に、心の純粋さと優しさを感じ取る二人。やはり彼女たち二人にとって、夢葉は「純粋」で守るべき存在に見えるのだった。



 続いて、向かった場所。


 ひめゆりの塔。


 ここも同じく有名な場所である。修学旅行などでは大抵、プランに組み込まれる。

 そして、ここは彼女たち女子にとって、男子よりも心を動かされる場所でもある。


 ひめゆり学徒隊。1944年12月に日本軍が中心となって作られた女子学徒隊のうち、沖縄師範学校女子部と、沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成された部隊として知られている。


 とどのつまりが、女子生徒たちの部隊で、彼女たち三人とさして年齢が変わらない若い女の子たちが、戦争の犠牲になった有名な歴史の真実だった。


 そして、この資料館で学ぶうちに、彼女たち3人が知らなかった真実がわかるようになってきていた。


 つまり、元々は「ひめゆり学徒隊」は看護部隊で、前線に出るべき部隊ではなかったのだ。


 しかも、戦死者のほとんどが、部隊が解散命令を受けた6月18日以降に集中している。


 ひどい言い方をすれば、敗色が濃厚になった軍から見捨てられた挙句に、戦争に巻き込まれて、多大な犠牲を出したのが「ひめゆり学徒隊」だった。


 再度、言葉にならない悲しい気持ちを味わった三人だったが、不意に怜が呟いた。


「このちょっと先に実際のガマがあるんだが、行ってみるか?」

 ガマとは、沖縄特有の自然にできた洞窟のことで、沖縄戦当時、多くの民間人がこうしたガマに隠れていたという。


 ひめゆり学徒隊もそうしたガマに隠れていたのだが。


 ひめゆりの塔から5、6分ほど歩いた先に道の両脇にサトウキビ畑が広がる農道があり、左手に雑木林が見えてくる。

 そこにあったのが。


 伊原第一外科壕。


 と呼ばれるガマだった。

 そこには、当時実際に多くの女子生徒たちが身を潜めていたが、米軍の攻撃によって多数が戦死している。


 しかも「ひめゆりの塔」がある辺りにある「伊原第三外科壕」は、1日に5000人以上の人が慰霊に訪れるのに対し、こちらは訪れる人もほとんどいない。


 そのことに衝撃を受ける夢葉。


「ひめゆりの塔があるか、ないかだけの違いなのに、こっちには全然人がいないんですね。同じく無念に亡くなったのに。何だかかわいそう」

 そう言って、手を合わせて祈りを捧げる。


 怜も翠も、黙って手を合わせて、祈りを捧げる。



 いつもとは明らかに違う、真面目なツーリングになっていた。というよりもツーリングにすらなっていなかった。


 そして、最後に向かった先は。


 旧海軍司令部壕。


 沖縄では、珍しい海軍の史跡だった。

 ここには、当時、海軍中将の太田実おおたみのるが沖縄方面根拠地隊司令官として着任していたが、特徴的なのは、その当時の司令部壕がそのまま残っているということだった。


 つまり、実際に洞窟として掘った旧日本軍の司令部壕が見れるという場所で、洞窟ゆえに涼しい場所であるが、霊感が強い人には、霊的な物が見えるとも言われるくらい、生々しい戦跡としても知られている。


 実際に、中は広大な洞窟の跡になっており、そのうちの一室は、司令官たちが自決した手榴弾の跡まで壁に付着している。


 恐ろしいほどに生々しい場所だった。


 そのことに衝撃を受ける三人だったが、最後に太田実司令官が海軍次官に宛てた電報が紹介されていたのが、心に響いた。


 長い原文なので、割愛するが、平たく言うと「沖縄県民は本当に老若男女問わず一生懸命に戦った。だから、県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたい」とお願いしている。


 これは、当時の軍の常識からすれば、異例のものだった。


 特に、陸軍に代表されるように、沖縄県民を盾として、捨て石として使っていた軍からすれば、異質なものだった。


 だが、一口に「軍」と言っても、誰もが残虐非道なわけではない。


 太田実司令官の、この胸を打つような名文は、英語訳もされ、アメリカ国立公文書館に保存されているという。


 司令部壕を見学し終わった後、三人はそれぞれの感想を口にしていた。


「残虐非道って教わった日本軍の中にも、こんな素晴らしい人がいたんですね。歴史ってわからないものですね」

 純粋ゆえに、こういう話には弱い夢葉が、胸に手を当てながらそっと口に出した。


「ああ。結局、歴史なんて真実が語られるとは限らないもんさ。大体、こういうことは学校の授業では教わらないしな」

 と、怜もまた初めて知る真実に驚愕しているようだった。


「まあ、結局は軍の頭が一番悪いんやけどな。いつの時代も、戦争の一番の犠牲者は民間人やんな」

 翠も珍しく、真面目に自分の言葉で意見を述べる。



 こうして、沖縄戦の真実を巡る歴史ツーリングは終わった。ガソリンを入れて、レンタルバイクを返却する三人だったが。


 帰りの飛行機の時間までまだ少し時間があった。


「じゃあ、最後に市場にでも行きましょうか?」

 ようやく元気を取り戻したような顔で、夢葉が先導した場所にあったのは。


 第一牧志まきし公設市場。


 国際通りから少し外れた場所にあるそこは、まさに「沖縄の台所」だった。

 沖縄特有の珍しい産物が所狭しと並んでいる。


 1階には肉、海鮮、フルーツ、お土産など。

 2階には飲食店など。


 店頭に並ぶ魚介類の中から好きな物を選んで、2階で調理してくれて、食べることもできる。


 そんな中、賑やかな声が飛び交う1階の魚介類を見ていた夢葉が思わず足を止めて、見入った魚があった。


 まるで熱帯魚のように、体が透き通った水色で構成されている。


「何、これー? 熱帯魚?」

 興味深そうに覗き込んでいると、人懐こそうなおばさんが声をかけてきた。


「お嬢ちゃん。これは『イラブチャー』っていう魚だよ。食べてみる?」


「いいんですか? っていうか、これ、美味しいんですか?」


 無遠慮にズケズケと尋ねる夢葉に、おばさんは、


「それは、食べてみないとね。人によって、味覚も違うからさー」

 と何とも微妙な回答をしてきた。


 何事もチャレンジだ、と思った夢葉は思いきって、これを買って、2階で調理してもらうことにした。


「ほう。チャレンジャーやな、夢葉ちゃん」


「私はちょっと無理だな。サーターアンダギーでも食うことにする」

 ちなみに、サーターアンダギーとは、沖縄の首里方言で「油で揚げたもの」を意味する、沖縄県の有名な揚げ菓子の一種として有名だ。


 二人が尻込みする中、夢葉は果敢にも挑むことになった。


 2階で調理してもらったイラブチャーは、刺身で味わうことになった。


 固唾を飲んで見守る二人に対し、夢葉は一気に食いついていた。


(うーん。独特の食感)

 最初はそう思ったが、思ったほど不味くはないと思うのだった。


「で、どうだ? どんな味だ?」


「私も知りたいやに」


 二人に対し、夢葉は二口くらい食べてから、口を開いた。


「そうですね。皮はコリコリした独特の食感で、身は白身でさっぱりしてますよ。醤油とわさびつけたら、意外とイケますね、これ」


「なんや、オヤジくさい回答やな」


「ふふ、そうだな」


 それに対し、夢葉は露骨に顔をしかめていた。


「ちょっと、何ですか。聞かれたから答えただけじゃないですか? それなら食べてみます?」


「いや、私は遠慮しておく」


「あ、私も」


 なんだかんだで、二人は食べる気がしないようだった。



 やがて、飛行機のチェックインの時間を考慮し、早めに空港に向かうことになった三人は、モノレールに乗り込む。


 最も、そこから空港まではモノレールで20分もかからない。


 空港に早めに着いた後、時間が余っていたので、最後に空港内の食堂で、再度、食事を取ることになった三人。


 またも、「ゴーヤーチャンプルー定食」を頼む夢葉に、怜は、


「ゴーヤーチャンプルーってそんなに美味いか? 私はその独特の苦みが苦手なんだよな」

 と夢葉の方を見ながら口に出していたが。


 夢葉は、苦笑いしながら、返していた。

「怜さん。それって、沖縄県民を敵に回す回答ですよ。ゴーヤーチャンプルーは、この苦みがいいんですよ。身体に良さそうですしね」


「怜は変なところで、好き嫌いがあるさかいな。私は、基本、何でもいけるで」

 翠はそう言いながら、フーチャンプルー定食を食べていた。


 やがて、チェックインの時間が来て、夢葉たちは飛行機に乗り込む。


 機内の窓から映る、暮れゆく沖縄の、美しい夕陽を見ながら飛行機はゆっくりと離陸していく。


(またね、沖縄。また今度ゆっくり来るよ)


 心の中で、そう強く念じるように、祈るように呟いていた夢葉。


 こうして、彼女たちの沖縄旅行、沖縄ツーリングが終わった。


 季節は冬を迎えようとしていた。

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