14. 水も滴るいい女

 2月は雪が降ったりで、寒く、ツーリングはほとんどしなかった夢葉だったが。

 3月に入り、徐々に暖かくなると、俄然「ツーリングに行きたい!」と思うようになってきていた。


 3月中旬。

 夢葉、怜、翠の三人はロングツーリングを企画。行き先は千葉県の房総半島だった。

 しかも、一周することを企画。ただ、房総半島一周プランとしては、1日で回るには、かなり無理があるので、その日、三人は勝浦に宿を取ることにした。


 東京湾アクアラインを渡り、木更津方面に行き、半時計周りで南端に着き、勝浦からは九十九里浜を抜けて、銚子を目指すプランだった。

(房総半島かぁ。行ったことないなぁ)

 などと、のんきに考えていた、夢葉だったが。


 当日の天気予報は曇り時々雨だった。

「大丈夫ですかねえ、雨」

 と心配する夢葉に、怜は、


「大丈夫だろ」

 と根拠のない自信を見せ、翠は、


「何事も経験やん」

 と、三重弁で笑顔で答えていた。


 仕方ないから、一応カッパを持って、当日は東京湾アクアラインの海ほたるPAで待ち合わせをすることになった。


 初めて走る海底トンネルに、夢葉は興奮気味だった。

(すごいトンネル。真っすぐだし、走りやすい!)


 だが。この先に試練が待ち構えていることを彼女は知らなかった。


 海ほたるPA、午前7時。


 初めて来る海底トンネル、そして海の上に浮かぶ巨大なパーキングエリアに夢葉は感動していた。


「すごいですね、ここ! 何でもありますね!」

 海ほたるPAは、その名の通り、東京湾の海の上に建設された人工島で、5階建てになっている。


 1階が大型車駐車場だが、バイクもここに停めることになっている。2階は普通車駐車場(上り線)、3階も普通車駐車場(下り線)になっていて、4階は土産屋、コンビニ、カフェ、足湯などがあるショッピングフロア、そして最上階の5階がフードコートなどがあるレストランフロアになっており、展望デッキもここにある。

 そのショッピングフロアを見ながら、夢葉は興奮していた。


「まあ、ここは何でもあるからな」

「実はここ、夜景がめっちゃ、キレイなんやで」

 

 怜と翠は来たことがあるようで、興奮気味な様子の夢葉に目を細めながらも、そう言っていた。


 展望デッキに上がると、360度の大パノラマが広がり、東京湾を一望できる。

「すごい! ここからの眺めは最高ですね!」


 展望デッキにある、イルカの像の前で三人で写真撮影をして、上機嫌な夢葉は一人、舞い上がっているようだった。


 この頃までは天気は曇り空だった。


 休憩後、出発する三人。

 今度は、夢葉にとって初めてとなる、海の上を横断する巨大な道路が待ち構える。


 だが、この日は天気があまりよくないこともあり、風が強かった。

 走っていると、車体が軽く、ウィンドシールドもカウルもない、つまり風防がないレブルは風に煽られて、車体自体が押されていくのを感じる。


(うわぁ、風強い、流される!)

 その横風を思いきり浴びて、車体が流され、隣の車線に入りそうになるのを必死に制御する夢葉だった。



 ようやく橋を渡り、三人は袖ケ浦そでがうら市を経て、木更津きさらづ市に入る。

 実はこの辺りから、雲行きが怪しくなってきており、空には濃い雲が出始めていたが、それでもまだ雨は降っていなかった。


 三人は国道127号を真っすぐ南下。

 木更津を過ぎた辺りから、一気に右手に海を見ながら走れる快適ロードに変わる。

 のんびり海を眺めながら、三人は休憩を挟んで、館山たてやま市に到着。

 そこから洲崎すのさき灯台に到着。


 ここは、晴れていれば、富士山まで見渡せるという、海を見渡せる絶景スポットだったが。


「降ってきたな」

 右手を天に向け、怜が呟く。


「せやな。まあ、まだ大したことあらへんし、大丈夫やろ」

 翠は、楽観的なのか、心配していないようだった。


「雨、イヤですね」

 夢葉は表情を曇らせていた。


 そして、出発。

 雨は少しずつだが降ってきていたので、三人はカッパを着用し、次の目的地である、野島崎のじまさき灯台に向かった。


 この辺りは「房総フラワーライン」とも呼ばれ、晴れていれば、走るのに気持ちいい快走路なのだが、天気は弱い雨で、景色は全然キレイには見えず、灰色の景色が続く。


 だが、まだ弱い雨だったのが、幸いしてか、夢葉はフルフェイスヘルメットのシールドが水滴で見にくい不便さくらいしか感じていなかった。


 野島崎灯台、午後2時。


 なんだかんだで、寄り道していた彼女たちは午後2時頃に到着。

 灯台に登ってみるも、雨と風と雨雲でほとんど景色は見えず。


 ここは、房総半島最南端の灯台であり、南国ムード漂うヤシの木が生えていたりする。また、一年を通して温暖な気候で、冬でも路面凍結の心配はほとんどない。


「ほな、天気も悪いし、早めに宿、行こか」

 と、翠は相変わらず、陽気な口調で言っており、


「そうだな」

 怜は短く答え、


「はあ。せっかくのツーリングが雨なんて」

 夢葉は、がっかりしたように呟いていたが、本当の試練はこれからだった。



 結局、その日は弱い雨が降り続き、三人は野島崎灯台から1時間半ほどかけて、ようやくホテルに到着。


「やっと着きましたね」

 と雨の中の走行で疲れた表情を見せる夢葉に、怜は、


「こんなもん、大したことない」

 と言っていたし、翠も


「そうやな。まあ、今日はゆっくり風呂に入って休もか」

 などと言っていたが。


 その日、ホテルで夕食を取り、風呂に入ってから、部屋で天気予報を見ていた夢葉は。


「明日、思いっきり雨じゃないですか!」

 お茶を飲んでテレビを見ていた夢葉は、大声を上げて、表情を硬くしていた。昨日までの天気予報では、降水確率が60%と言っていたのに、今日見たら100%になっていて、朝から夕方までほとんど雨だという。


「ホンマや。まあ、こればっかりはしゃーないんちゃうん」

 いつもは陽気な翠も若干だが、表情が暗いように見えるが、それでも明るい声で言った。


「雨はバイク乗りの天敵だが、ある意味、これも避けられない宿命だからな」

 などと、悟ったように、怜は呟いていた。



 翌日、せめて少しでも雨が弱まって欲しいと願っていた、夢葉の希望も虚しく、朝から雨だった。

 それもかなりの雨量だった。

 ホテルのバイキング形式の朝食を食べながら、夢葉は、窓の外を恨めしそうに眺めて、


「こんな雨の中、走るんですか?」

 と二人のバイク乗りの先輩に尋ねていたが、


「行くしかないやろな。今からなら戻っても進んでも距離も時間も変わらへんし」

 翠はすでに覚悟を決めているのか、それとも諦めているのか、ほとんどいつも通りの感じのように夢葉には思えた。


「まあ、諦めるんだな」

 怜は怜で、こういう時、冷たいというか、冷静だった。


「それより、本格的な雨でのツーリングは初めてだろ?」

 怜は夢葉を気遣うようにそう言った。


「はい」


「それなら気をつけろ。特にマンホール、橋の継ぎ目なんかは滑りやすいからな。速度を落として、急な動きはするな」


「急な動きって?」


「急発進、急ブレーキ、急旋回、全部だ」


「わかりました」

 夢葉は、仕方がないから覚悟を決めて頷いた。


 覚悟を決め、完全防水装備で上下カッパを着込み、バイクに向かう夢葉。


 午前9時、勝浦のホテルを出発。



 だが。

 勝浦まで来ていれば、房総半島一周 ―彼女たちは袖ケ浦から回ったので、完全一周ではないが― は半分以上過ぎて、残りは簡単なはずだった。

 勝浦から銚子までは大体100キロ程度しかないからだ。時間にして2時間半くらいのはずだった。


 国道128号を走り、晴れていれば太平洋を見ながら走れる快適なツーリングルートのはず、だった。


 出発して、30分もしないうちに、夢葉は根を上げそうになっていた。

 降りしきる雨によって、フルフェイスヘルメットのシールドには絶えず水滴が降りかかってきて、視界を遮るその水滴を、定期的に拭わないと前が見えない。

 おまけにカッパを着ていても、水がどこからか入ってくるし、足も靴にまで水が浸水してくる。

 携帯電話によるナビも、防水携帯ではないので、使えず、先導する怜、翠に従って、ひたすら走るだけ。景色も何も見えない状態だった。


「ああ、もう! 雨なんて嫌いだ!」

 走りながらも、恨めしそうに空を見上げるも、一向に晴れる気配はなかった。


 走り始めて約1時間後。


 午前10時頃、九十九里有料道路と交わう交差点まで着いたが。

「この雨じゃ、景色なんて見れないし、つまらないからやめよう」

 と先頭を走る怜が、道路脇の駐車スペースにバイクを停め、この九十九里有料道路を通ることをやめる、と言い出したが、夢葉も翠も頷くしかなかった。


 そこからは、県道30号をひたすら真っすぐ走るだけのルートなのだが。


 雨による疲労というのは、想像以上にライダーを苦しめる。

 絶え間のない雨水による浸水が体温を徐々に奪っていき、疲労感が通常の倍以上は重くのしかかってくる。

 おまけに、この時期、まだ4月前なので雨が降ると、一気に気温が下がり、体感温度も低下し、ライダーは走っているだけなのに、疲労で通常よりも進まなくなる。


(寒い……)

 単調な道が続く、県道30号を走りながら、夢葉は徐々に眠くなってくるような強烈な疲労感に襲われていた。


 仕方がないので、まだ休憩予定地点ではないのに、彼女はクラクションを鳴らした。


 翠と怜が停まり、その横に着けた夢葉は。


「寒いです。ちょっとあそこのコンビニに行きましょう」

 そう提案し、二人も頷いた。


 コンビニで暖かいコーヒーを飲みながら、くつろごうとしたが。


「あーーっ!」

 突然、夢葉が叫びだし、二人は驚いて彼女を見る。


「どうした?」


「財布の中のお札が濡れちゃいました」


 怜が見ると、夢葉の財布の中に入っている、千円札のいくつかが、水に濡れてしわしわになっていた。


「あちゃー。やってもうたな、夢葉ちゃん。カッパは、ホームセンターとかより、ちゃんとしたところで買った方がええで」

 翠の提案に、ハッとする夢葉。


「そうなんですか。ホームセンターの安いの買っちゃって、失敗でした」


 結局、ここで夢葉と翠はコーヒー、怜はタバコを買って、コンビニの外でそれぞれ休憩して、再び出発。


 その日は、予定では色々と見て回って、銚子の犬吠埼に行ってから帰る予定だった。


 だが、何度も休憩を挟み、昼頃になって、ようやく銚子の犬吠埼にたどり着いた三人だったが、さすがにもう気力も体力も限界に近づいていた。


 特に、元々体力がある怜はともかく、夢葉と翠は限界に来ていた。


 犬吠埼、午後12時30分。


 目の前には、本来ならキレイな太平洋の海が見えるはずだったが。

 その日は荒れ狂う荒波のしぶきと、降り続く雨が見えるだけだった。


 その時、携帯を調べていた翠が、

「お、この辺りに日帰り温泉があるやん。もう雨が止むまでそこで休まへん?」

 と、水に濡れながらも笑顔を向けた。


「あ、ホントですね! 行きましょう!」

 もう走る気力もなくなっていた、夢葉が翠の携帯を覗き込みながら喜色を上げる。


「しょうがないな。私はまだ走れるけど、行くか」

 まるでやせ我慢のようにも聞こえるが、強気な怜も納得したようだった。



 三人は、そこからすぐ近くにあるホテルに向かった。

 そこは、通常の観光ホテルなのだが、日帰り温泉も受け付けていた。


 濡れたカッパを脱ぎ、ホテルに入った三人は、早速、温泉に入りに行く。


 暖かい湯に浸かると、疲労感が一気に表に出てくるように思えるのと同時に、もうこのまま寝ていたくなるような気分を、夢葉は味わっていた。


「雨の日の走行って、ホント大変ですね。疲れるし、水滴で前見えないし、眠くなるし……」


「そうだな。まあ、これもある意味、『バイク乗りの宿命』だけどな」

 湯に浸かりながら、目を瞑ったまま怜が呟く。


「ま、よく言うやろ。『水も滴るええ女』ってな」

 翠が疲れた表情の割には、空元気のように明るく言うが。


「いや、翠さん。もう私『水なんて滴らなくていい』です」

 そう夢葉が疲れ切った表情で言ったため、怜は声を押し殺したように笑い、翠は声を出して笑っていた。



 しばらく長湯をした後、風呂から上がり、休憩室で横になる三人。

 さすがに雨の中の走行で疲れた三人は、仲良く川の字に並んで、そのままいつの間にか眠りについていた。


 午後5時頃。


「あー、よう寝たわ」

 よろよろと起き上がる翠。


 怜は無言で起き上がり、夢葉は、

「うーん。今、何時ですか?」

 未だに寝ぼけ眼のまま、呟いた。


 結局、数時間も寝ていた三人だったが、外を見ると、ようやく雨が上がっていた。


 その後、気力と体力を回復した三人だったが、今度は猛烈に腹が減ってきたため、銚子にある、美味い魚が食える店に行き、晩飯を食べ、結局帰宅したのは、夜もだいぶ遅くなってからだった。


(雨の日は、イヤだ。寒いのも、イヤだ。バイクってホント、メンドくさいなぁ)

 夢葉は内心、そう思っていた。


 だが、これほどまでにツラい目に遭っているにも関わらず、彼女はもうバイクの世界に片足どころか、両足を突っ込んでおり、もう今さら戻れない、とも感じるのだった。

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