9. 「鈴菌」って何?

 道志みちでの、事故未遂から夢葉の無理な運転はなくなり、安全運転になった。右折する車の特性も理解して減速していたし、カーブでも無理な走行をしなくなった。


 そのことに安心した怜だったが、今度は怜の身に思わぬ事態が降りかかる。


 11月。地球温暖化の影響か、最近は冬が訪れるのが極端に遅いため、11月でもまだまだツーリング日和は続くし、ある意味、バイクで走るにはちょうどいい季節だった。


 その日、怜は夢葉を誘って、東京都の有名なドライブルート「奥多摩周遊道路」に来ていた。


 全長20キロほどのこの道は、東京都とは思えないような自然あふれる山の上を走り抜け、奥多摩湖に通じるワインディングロードで、昔からバイク乗りにとって、格好のツーリングコースだった。


 また、かつて有料道路だった名残で、片側1車線ながら、道幅が広く、走りやすいため、いわゆる「走り屋」ライダーが多い場所でもあった。


 休日ともなると、かなり無茶な走りをするライダーが現れるし、実際に事故も多い区間だ。単独事故、衝突事故、崖下への転落など、事故が後を絶たないのだ。



 そして、怜はここで、会いたくない奴に会うことになる。

 檜原村ひのはらむら方面から奥多摩周遊道路に入り、「都民の森」を越えて、月夜見つきよみ第二駐車場で、夢葉と休憩していた時だ。


 ――ビィィィィーーン!


 という、特徴的な高いエンジン音を響かせて、白を基調とし、青いラインが入った、バイクが駐車場に入ってきた。


 それは、通称「アオシマ」とも呼ばれた、初期の1型のスズキ RG250Γガンマ(以下ガンマ)だと、怜はすぐに気づいた。

 後のレーサーレプリカブームの始まりを作った1983年発売の古いバイクだが、45馬力を誇り、怜が乗るTZR250 3MAに引けを取らない、レーサーレプリカタイプの2ストのバイクだった。


 直感的に、嫌な予感がした怜。


 ZENITHゼニスの黒いヘルメットをかぶり、ドゥーハンの赤とオレンジと白を基調とし、胸に「REPSOLレプソル」と書かれたライダースジャケットを着た、若い男だった。


 そして、ヘルメットを脱いだ男は。


 整髪料で固めた髪を金髪に染め上げた、ハリセンボンのような頭をした、見るからに「不良」みたいに見える若い男だった。


 しかも、その男の顔を怜はよく知っていた。パッと見はイケメンだが、獣のように鋭く威嚇するような目つき、他人を見下しているような口元が、怜は嫌いだった。


「よう、怜。久しぶりじゃねえか」


 そう声をかけて、近づいてくる男に、嫌悪感を示し、怜は、舌打ちしていた。そして、何も知らない夢葉は、男の不良っぽい格好に、少し怯えていた。


武隈翔たけくましょう。イヤな奴に会ったぜ」


 わざと聞こえるように言う怜。


「相変わらずだな、てめえは」


 お互い、知り合いのようだったが、夢葉にはこの男の空気に、怜と似たものを感じていた。


 それは、一言で言うと「走り屋」が持つ空気に似ている。

 二人の会話を見守っていると。


「翔。てめえは、確かはやぶさに乗ってなかったか?」


「ああ、乗ってるぜ。ただ、最近、中古で状態のいい、このガンマを見つけてな。買ったんだよ」


「そうか。相変わらずの『鈴菌すずきん』ぶりだな」


(鈴菌?)


 何も知らない夢葉だったが、「鈴菌」とは、バイク乗りの間では有名な「スズキ愛好者」のことを言う。


 特にスズキが好きすぎて、いわゆる「スズキのバイク以外は認めない!」という極端な連中も多い。


(怜さん、下の名前で呼んでる。どういう関係かな)


 と、気になって仕方がない夢葉を置いて、二人の会話は続く。


「ここで会うとはちょうどいい。てめえのTZRと俺のガンマで勝負してみねえか」


 いきなりこの人は何を言ってるのか、と思った夢葉だったが。


「勝負だ? 話になんねえな。私が勝つに決まってる」


「それはどうかな? 隼じゃ、排気量が違いすぎるし、さすがにブッチギリすぎて、つまんねえからよ。こいつでてめえと勝負してやるぜ」


 何故か、怜もこの翔という男も、やけに熱く火花を散らせているように、夢葉には見えた。


「つーか、勝負に勝ったら、私に何かメリットがあるのか?」


「お前が勝ったら、二度とお前に勝負を挑まねえ。それでどうだ?」


「いいだろう。じゃあ、お前が勝ったら?」


 そう問う、怜に対し、翔は、夢葉が仰天するような回答を、口元を歪ませながら、言い放った。


「俺が勝ったら、俺と付き合ってもらう」


「えっ!」

 むしろ驚いたのは、言われた怜ではなく、夢葉だった。


(ということは、この人、怜さんの元カレ!?)


 そんな話は、怜から一切聞いていなかったから、夢葉は信じられなかったが、考えてみれば、どちらもヤンキー風だし、傍から見れば、柄が悪いし、似た者同士かもしれない、とも思った。


「いいだろう」


 しかも、怜は怜で、自信満々にそんなことを言って、あっさりと勝負を引き受けていた。


「勝負は、ここから川野かわの駐車場までの10キロ半。いいな?」


「ああ、わかった」


 しかも勝手に決めてるし。と、夢葉は少し不快にすら思っていた。


「おい、そこのちっこい女」


 いきなり、ヤンキーの男にそう呼ばれ、戸惑う夢葉。「ちっこい女」と言われ、内心は不愉快な思いだったが。


「な、なんですか?」


「スタートの合図をしろ」


「えっ、何で私が?」


 すると、怜が横から。


「頼む、夢葉。こいつのツラは二度と見たくねえんだ」


 怜もまた、怖い目つきで、夢葉を睨んで、促している。


 溜め息をついた、夢葉が諦め気味に、駐車場入り口に立つ。


 2人の時代遅れのライダーが、互いに時代遅れの、2ストのバイクにまたがり、ヘルメットをかぶり、そして、キックしてエンジンを始動する。


 怜のTZR250 3MAからは「パランパラン」という特徴的な音が、そして翔のRG250ガンマからは「ドドドド」という低い音が。


 互いに駐車場入口にバイクを停め、そしてわざとらしくエンジンを吹かし始めた。


(うるさい)


 2ストの特徴的な音は、夢葉にはうるさくて、不快にすら感じるのだった。それよりも彼女はレースそのものに不快感を持っていたが。


(しょうがないなあ)


「じゃあ、合図は私がこの手を降ろしたら、ということで!」


 大きな声で言うと、二人は頷く。


「位置について、よーい!」


「スタート!」


 腕を降ろした夢葉の脇をものすごい勢いで疾走する二台のバイク。2スト特有の白煙が煙たいほど舞い上がっていた。


(私も追わなきゃ)

 夢葉は、そう思い、慌てて自分のバイク、二人とは違う新しい、レブル250にまたがり、二人の時代遅れのスピード狂の後を追った。



 最初はガンマが前に出ていた。

 ガンマは6500rpm(回転)以上に回すと、パワーバンドに入り、爆発的な加速を生み出す。

 一方、TZRはそれが7000rpmだった。


 少し遅れて、7000回転に達した怜のTZRは怒涛の加速を見せて、急追する。


 勝負は一進一退を繰り返し、曲がりくねった道のコーナーで、怜が抜いたが、その後、また翔が抜き返し、やがて、下りに入る。


 サーキットでも何でもない道なので、当然、ここには一般ライダー、ドライバー、自転車乗りもいる。


 それら一般人を無視するように、危険な「遊び」を繰り返している二人を追いながら夢葉は、怒りすら感じていた。


(このスピード狂どもめ)


 内心、そう思いながらも、彼女は安全運転でゆっくり二人を追って行った。

 明らかに制限速度を上回る、恐らく100キロ以上は出していると思われる二人に、夢葉は、現代っ子らしい、危険とは縁遠い感性を持っていた。


 ――パァァァァーーン!


 という、甲高いTZR250 3MAの排気音と、


 ――ビィィィィーーン!


 という、RG250ガンマの排気音が、峠にこだましており、さらに両バイクが放つ白煙が山々を汚していた。


 下りに入ってからも、まだ翔が押しており、わずかにリードを保っていたが、怜は「三頭みとうの名水」がある辺りから、急に加速して、一気に翔を追い抜いていた。


 そのまま凄まじいスピードで両者は加速を続けた。直線になると、120キロ以上は出ていたと思われるスピードで、最後には川野駐車場に到達。


 審判はいなかったが、勝負は明らかにTZR250に乗る、怜が上回っていた。



 やがて、やっと安全運転で、夢葉がたどり着いた頃。


「やっぱ速ええな、怜!」


「約束だ。二度と私に勝負を挑むな」


 すでに二人ともヘルメットを脱いで、バイクを降りており、向かい合っていた。


 そこへ、怜も翔も思いも寄らない、鋭い一言が飛んできた。


「二人とも! バカな真似はやめて下さい!」


 バイクを降りて、ヘルメットを脱いだ夢葉がずかずかと二人に近づく。


「夢葉……」


「なんだ、嬢ちゃん。文句でもあるのか」


 突っかかろうとしているのか、翔が前に出るが、ここで夢葉は、怜ですら思いも寄らない態度に出ていた。


「公道はサーキットじゃありません! そんなに勝負したいなら、サーキットでやればいいでしょ?」


「いや、しかしだな、夢葉」


「しかしも何もありません!」


「す、すまん」


 怜がたじたじになるくらい、夢葉は珍しく怒っており、その剣幕で二人を圧倒していた。その眼が怒りに燃えていた。


「大体ですね。私に散々スピード出すな、カーブでは減速しろ、と言っていた怜さんが何やってんですか! ただのスピード狂じゃないですか!」


「いや、別にそういうわけじゃ……。それに私が事故って死んでも、悲しむ奴なんていないだろうし」


 と、少し寂しげな表情を浮かべて呟く怜に、さらに鋭い一言が降りかかってきた。


「私が悲しみます!」


「夢葉……」


「せっかくバイクのことを教えてもらって、楽しくなってきたのに、怜さんが事故って死んだら、私が悲しむに決まってるじゃないですか! もうこんな無茶は止めて下さい」


 怒りは、悲しみとなり、少しずつ泣きそうな顔に変貌していく夢葉の表情。


「す、すまん……」

 ヤンキーにしか見えない、怜が珍しく素直に頭を下げていた。


 だが。

「何、言ってんだ、嬢ちゃんよぉ!」

 一人、翔だけは納得していないようだった。


「あなたもあなたです! いきなり怜さんに勝負を挑んだりして、『鈴菌』だか何だか知りませんが、そんなにやりたきゃ、サーキット行って下さい。次やったらマジで警察に通報しますよ!」


「お、おう。わかったよ」


 その見たこともない剣幕に押され、強気な「鈴菌」男が、押されていた。

 それを見た、怜が小さく笑い出した。かと思ったら、口を開けて笑い出した。


「ぷっ。はははは。お前も言うようになったな、夢葉」


 怜が笑っている。こんな楽しそうな怜を見るのは、夢葉は初めてだった。

 自分が死んでも悲しむ奴なんていない。一体、どんな家庭環境で育ったのか、怜の境遇を知る由もなかったが、その笑顔を、夢葉は可愛いと思った。


 ひとしきり笑った後、怜は、翔に向き合った。

「翔。約束通り、『』勝負を挑むのはやめろ。ただ、こいつに勝負を挑んだ方が面白いかもな」


「あん? こんな素人みたいな嬢ちゃんがか?」


「お前が思ってるより、こいつはずっと強いし、きっと速いぞ。ただし、サーキットでならな」

 夢葉の方に目を向けて、目元で笑っていた。



 こうして、『鈴菌』の、武隈翔との勝負は、怜の勝利で終わった。

 翔が去った後、夢葉は、


「ところで、『鈴菌』って何ですか?」

 キョトンとした表情で、怜に質問しており、怜は苦笑いを浮かべながら、説明するのだった。


「『鈴菌』ってのはな……」

 夢葉の目を見ながら、怜は優しく、丁寧に「鈴菌」について説明するのだった。


 なお、聞き終わってから、夢葉は、

「ところで、どうしてあの男と別れたんですか?」

 と聞くと、怜は。


「あいつが『鈴菌』すぎるからさ」

 とだけ言っていたのが、彼女には印象的だった。二人は、わずか6か月で別れたらしい。

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