宿代③

「馬鹿にすんなよ」

 気付けば口走っていた。

「今までの野郎はどうだったか知らねえけどな、俺はお前の身体になんざ微塵も興味がねぇ」

「じゃあ……」

「家にも帰りたくねぇ、学校にも行かねぇっていうなら、お前は何して生きるんだよ」

 俺が訊くと、沙優は困ったように眉を寄せた。

「だから、住ませてくれる人を探して……」

「俺が追い出したらどうするつもりなんだ?」

「ど、どうにかして次を探すよ」

「どうにかしてって、具体的には?」

「それは……」

 俺の言葉に、沙優は困ったように言葉を濁した。

 どうして、分からないんだ。

 普通の思考なら、安易に見知らぬ男性を誘惑しようという考えに至るものではないと思うのだが。いや、ここまでくるともう何が〝普通〟なのかは分からない。

 俺は怒りとも悲しみとも分からない気持ちを胸の中で反芻させながら、それを振り払うようにきっぱりと言った。

「働け」

「働く?」

「そうだ。学校からドロップアウトしたガキだってな。みんな働いて金もらって生きてんだよ」

「で、でも」

 沙優はさきほどまでの余裕たっぷりな態度からは想像もつかないほど小さな声で言う。

「アルバイトの稼ぎくらいじゃ家賃なんて払えないよ」

 まあ、それは確かにそうだ。そもそも、家に住めるほど稼ぐまでの数か月はどのみちどこかで過ごさなければならないわけで、数か月も野宿というわけにはいかない。

「ここに住めばいいだろ」

「え?」

「住んでいいって言ってんだよ」

 俺が言うと、沙優は信じられない、というようにまばたきを繰り返した。

「で、でも私吉田さんに何もあげてないし」

「お前が持ってるようなもんはいらねぇんだよ。くだらねぇ」

 俺は顔をしかめて、言葉を続ける。

「お金がない! 住む場所もない! じゃあ男を誘惑しよう! とかいう馬鹿極まりないお前の思考を叩きなおしてやる」

「さっきから馬鹿馬鹿って」

「馬鹿だね! 大馬鹿だ。物の価値も分からない甘ったれめ」

 ぐっと言葉を飲み込む沙優。

 正面から顔を見ると、やはり可愛い。

 どうして。俺の中にそんな気持ちばかりがぐるぐると回る。まっとうに青春をして、まっとうに恋をして。そういうふうに生きられなかったのだろうか。

「住む場所ねえんだろ」

「うん」

「じゃあうちに住め」

「……うん」

「で、まずはこの家の家事を全部やれ。とりあえずはそれが仕事だ」

 そう言うと、沙優は驚いたように目を丸くした。

「バイトしろってことかと思った」

「ゆくゆくはちゃんとやってもらう。けど、今は俺とお前の生活ペースを合わせる方が先だ。好き勝手やられちゃ困る」

 沙優が、口をぱくぱくとさせた。

 何か言いたげなので待ってやると、ようやく沙優は言う。

「ずっと住んでていいみたいな、言い方だけど」

「ずっとは困る。家出に飽きたらとっとと帰れ」

「……それまではいていいの?」

 その問いに、どう答えたものかと、迷う。

 ここ数分の会話で分かったことだが、こいつは相当な甘ったれだ。

 男を安易に誘惑して宿を借りて、適当に渡り歩いてきたのだろう。それよりは苦労はするが、もっと健全に歩いてこられる道もあったはずだろうに。

 好きでもない男に色目を使う方が、肉体的な苦労をするよりよっぽどつらいことだと思うのだが、そういう感覚は彼女の中ではとっくに薄れてしまっているようだ。

「好きなだけ居ろ」などと言ってしまっては、本当に何年も住み続けるのではないかという気がしてくる。

 俺は、言葉を選びに選んで、ようやく口を開いた。

「お前の、甘ったれな根性がマシになるまでは置いといてやる」

 そういうと、沙優はどこかぽかんとしたような顔で、首を縦に振った。

「わ、わかりました……」

 俺はふぅと息を吐いて、また床に座りなおす。

 珍しく、熱くなってしまった。他人に説教をするほど出来た人間ではないというのに。

 テーブルの上に置いた味噌汁の入ったお椀を手に取って、もう一口啜る。

「冷めちまったじゃねぇか」

 しかし、沙優の作った味噌汁は、冷めてもそれなりに美味しかった。

「あ、そうだ」

 俺はふと顔を上げて、沙優の方をじっと見た。

「な、なに」

 沙優は俺から目を逸らして訊き返してくる。

 さっきまでの摑みどころのない態度は消えてしまっている。

 俺は沙優に人差し指を向けて、言った。

「次に俺を安易に誘惑したら、すぐに追い出すからな」

「も、もうしないって……」


 こうして、26歳サラリーマンと、家出女子高生の奇妙な二人暮らしが始まった。

 しかし、この時の俺は〝女子高生〟と生活を共にするということの大変さを、あまりにも甘く考えていた。


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