第46話 絆




 掴まれている肩が痛いという事実以外、僕は沢山の事実を視界に入れているはずなのに

 それでもガーネットのを僕は感じ取れていなかった。


 ――そうか……


 僕は何も見てはいなかった。

 ご主人様のことで常に頭がいっぱいで、常に何をするにもまず浮かぶのはご主人様のことばかり。

 ガーネットの心の移り変わりに気づくことができなかった。


 ――いや……


 気づかないようにしていたのかもしれない。

 いくつも気づくべきときはあったのに、それでも僕は“好き”だなんて気づかないようにしていた。

 それがどれだけ彼の心を傷つけていたか、僕には計り知れない。

 それでも……それでも僕は、自分の気持ちに偽ることはできない。それは、ガーネットも同様だ。


「お前のせいだ……お前に会わなければ、私は冷徹でいられたものを……」


 ガーネットは僕に好きだと打ち明けた反面、その感情をどう扱っていいか解らないようだった。悔しさのようなものを滲ませ、込み上げる感情をドロドロと吐き出しているのが解った。


「……苦しいんだね」


 僕はしっかりと掴まれている腕をゆっくりと動かすと、彼は僕をそれ以上強く押さえつけはしなかった。

 その少しばかり自由になった手でガーネットの傷だらけの顔に触れると、彼はどうやら震えている様だった。


「どうしたらいいか……解らないんだよね……」

「知ったような口を聞くな……」

「…………解るよ。僕だって、その気持ちを知ってる……」

「やめろ!」


 ガーネットは僕の口を塞ごうと肩を押さえていた手を僕の口へと持ってくる。勢い余った彼の指は僕の口の中へ一瞬入ってしまった。


「!」


 僕の口腔内の粘膜の感触に振れたガーネットは反射的に手を自分の方へ引き寄せ、その手を震わせていた。

 僕の唾液がわずかに彼の指について糸を引いている。


「ガーネット……」

「はぁ……はぁ……」


 なんだか彼の息が荒い。

 彼の心臓の鼓動が聞こえてくるほど激しく脈打ってるのが解る。身体が熱い。

 彼はゆっくりと、慌てて引いたその震える手で、服をめくりあげるように僕の服の中に手を入れる。

 腹部からなぞるようにガーネットの手が服の中に入ってくることに、僕は慌てた。


「ガーネット……何するの……?」

「……お前、私に何か報酬をと言っていただろう」


 彼の鋭い爪がカリカリと僕の身体をなぞると、ゾクゾクと腹部から脳まで駆け上がるような痺れる感覚がした。

 リゾンに同じことをされたときよりも過敏に反応してしまう。腰が浮いてしまい、脳が痺れる。


「ならお前をよこせ」


 抵抗するように僕は彼の腕を止めようとするが、僕の手にはどうしても力が入らない。

 それは疲れているからなどということではなかった。


「……――――いいよ」


 僕は抵抗するのをやめた。

 ガーネットの腕を掴んでいた腕の力が抜け、ベッドに自分の腕を落とした。


 ――ガーネットなら……いいかな……


「………………」


 ガーネットは何も言わず、荒げる息を必死に抑えながら彼は僕の服のボタンをゆっくりと外していく。

 暗い中でもお互いの白い肌ははっきりと見えていた。ゆっくり、首の方のボタンから下へゆっくりと下へ不器用にも外していく。

 僕の肌が露わになると、ガーネットはそれからどうしていいのか解らない様子だったが、身体を重ねるように覆いかぶさり僕の首筋に口づけをした。

 ガーネットの匂いがする。

 彼の長い髪が僕の顔にかかって、その懐かしい感覚に僕は胸からこみ上げるものを抑えきれなかった。

 僕から流れた涙はガーネットの頬に伝った。何か液体の感触を感じたガーネットは一度僕から身体を離す。

 僕の様子を見て、尚のこと戸惑っている様だった。


「……何故泣いている……?」

「ッ……」


 顔を向けたくない僕は自分の腕で顔を隠した。目元しか隠せない状態で、僕は必死に隠そうとするが溢れる涙を堪えきれなかった。


「泣くほど、嫌なのか……?」

「違うよ……そんなこと……ない……」


 どうしても、ご主人様の面影を拭いきれない自分がいた。

 いつもいつも、どんなに苦しくても抱かれるときはそのときだけは満たされていた。それが求められているという錯覚でも、僕にはもうそれしかなかった。

 それを、今目の前にいるガーネットと重ねてしまった自分のふがいなさに罪悪感を覚える。

 ガーネットに対してそれが申し訳なく、言葉にするにはあまりにも沢山の感情が押し寄せ、上手く言葉が出てこなかった。


「僕は……まだ……きちんと向き合えない……ッ……ガーネットのこと大切だよ……ガーネットならいいって思ってる……けど…………ッ……」


 泣いている僕に対して、ガーネットは僕の身体を抱き起こさせ、躊躇いながらもゆっくりと抱きしめてくれた。


「……泣くな。その言葉だけで十分だ」

「…………ガーネット……」


 僕はガーネットに抱きしめられながら泣いた。

 僕の少し鋭くなった爪でガーネットの背中をギュッとつかむと、自分の背中も痛んだがガーネットは何も言わず僕を抱きしめていてくれていた。

 それでも僕を抱きしめた時に感じる身体の暖かさに戸惑っている様だった。

 ご主人様やクロエとは違う、どこかぎこちない。誰かを抱きしめるということは彼にとって初めてのことだったのだろう。

 担ぎ上げられるのとは全く違う。

 しかし、それに対して僕は気を配れるほど余裕がなかった。ずっと独りで堪えていたものがあふれ出し、涙はとめどなく出てくる。


 ――会いたいよ……そばにいさせて……苦しい……ご主人様……――――


 ガーネットはただ僕のことを強く抱きしめてくれた。彼の鼓動が伝わってくると、彼が生きていることを感じられた。

 いつもよりも激しく脈打っている彼の鼓動をただ成すすべなく感じ、抱きしめていた。


「お前のことが“好き”だ。誰にも渡したくない……私があの男のことなど忘れさせてやる。私を選べ」


 躊躇いながらも、ガーネットは僕にそう言う。

 自分を選べと言いながらも、どこか自信なさげに聞こえた。


 ――あぁ……そうなんだ……ガーネット。やっと“好き”って気持ちが解ったんだね。でもなんで僕なんだろう。僕は……僕は…………


「はは……ガーネット……卑賎な魔女風情などとは……ありえないって言っていたのに」


 泣きながら、僕が笑うと抱き留める力が少し強くなった。


「お前が私をこんな風にしたんだぞ。お前と出逢わなければ私は……こんな気持ちにならずにあのとき死んでいたのに……私を生かしたのはお前だろう。だったら私のこの先の責任を持て。私はお前の眷属なんだぞ……!」


 ガーネットのそんな激しい声に僕は更に涙を流した。怒って声を荒げているときとは全然違う激しさがその声にはある。

 決死のその告白に僕は真摯に向き合わなければならないと感じた。


「解ったよ……好きになってくれてありがとう。僕もガーネットのこと好きだよ。ガーネットがいなかったら僕はここまで来られなかった。本当にありがとう」


 僕はガーネットの深い傷痕が残る頬に、躊躇いながらも口づけをした。僕が唇を離すと彼の顔が見えた。

 彼も、今にも泣きそうな顔をしている。


 ――泣きたいなら、泣いてもいいのに


 そう思いながら、彼の金色の髪を撫でた。以前なら「触れるな!」と手を弾かれたのに。


「身体の異常を隠したのは……お前が私との契約を打ち切って……離れていってしまうと思ったからだ……」

「そうだね……ガーネットが危険なら、僕は解決できる方法を探す」

「そんなことしなくていい!」


 僕の手を掴み、握り締めた。

 まるで僕が逃げないように必死に繋ぎ留めるかのように。


「お前に助けられた命だ……お前の為に全て使う……」

「……ガーネット」


 僕の右手を掴んでいるガーネットの手を、左手でそっと包み込む。やはりまだその白くて細い手は震えている様だった。


「僕らは契約で繋がってるわけじゃない。確かな絆が僕らにはあるんだよ」

「絆……?」

「それは……きっかけは契約だったけど、今はそれだけの関係じゃないと僕は思ってる」


 ずっと怯えていたガーネットの震えが、その言葉で安心したのか止まった。肩からも力が抜けたのか、若干緊張していた身体の力が抜けたようだった。


「ずっと我慢させてごめんね」

「……そうだぞ。お前のせいで……私はいつも気が気ではない……」


 言葉を吐く度にガーネットは気が楽になって行くのか、落ち着いた様子で話す。


「……もういい。服を着ろ」


 先ほど自分が脱がせようとした服から目を逸らし、ガーネットは恥ずかしそうに目元を押さえた。

 言われた通りに僕は外されたボタンを再びかけなおす。なんだか僕も恥ずかしい。今までは何の意識もしていなかったが、ガーネットを意識すると妙に恥ずかしく感じた。

 お風呂で一緒に入った事もあるのに。と、余計なことを思い出すと余計に恥じらいを誘った。


「エルベラをフッたときの“お前のせい”っていうのは……その……契約していて離れられないからっていう意味じゃなくて……僕のことが好きだからって意味だったの……?」

「いちいち確認するな……そうだ」


 服を着終わった僕の方を改めてガーネットがこちらを向く。いつも血色のない白い肌をしているが、今の彼は顔が若干赤らんでいるのが解る。

 そして出会った頃には死んだような目をしていたが、今はわずかに光が灯っているように見えた。


「他のことを言うなら……その……“死の見えざる手”を使わなかったのは…………お前のことが気になって、祈りに集中できないと思ったからだ」

「……そうだったの……ごめん」


 ガーネットの気も知れず、無神経なことを言ってしまっていた。傷ついても何もいえなかったのだと理解したときは何とも言えない気まずさを覚える。

 そう言うガーネットも気まずそうだ。しかし、口火を切った今、全てを話してその苦しみの全てを吐き出してほしいと僕は感じた。


「ずっと思ってたこと、今言ってほしい」

「それは……長くなるぞ」

「うぅ……全部聞くよ。ずっと我慢させちゃってたから……」

「全部終わったら、嫌という程聞いてもらうぞ。今は魔女をこの世から消し去るのが優先だ」

「うん。解った」


 彼は僕の上から身体をどかした。彼は前髪で自分の顔を隠し、まだ恥ずかしそうな様子だった。


「ノエル……」


 先ほどまで顔を逸らしていたが、彼はしっかりと僕の目を見て言う。


「すべて終わったら……私の伴侶ツガイになれ。子孫を残すという意味ではなく……ずっと共にいるという相手としてという意味だ」


 恐らく、レインに聞いた“結婚”という人間の風習を言っているのだろうと僕は解った。いわゆる“求婚”というやつだ。

 実際にそれをされると、クロエやリゾンのときとは異なり、言葉に重みがある。


「……すぐには……返事は出来ないけど、ありがとう。嬉しい」


 嬉しいと言ったのは嘘でも、虚勢でもない。純粋にそう思ったからだ。ガーネットに対して、真摯に向き合えるようになったらそれに応えたい。


「もう行くぞ。ここにいるとまた変な気を起こしそうだ」


 そそくさとガーネットは立ち上がり、扉の方へ歩いて行った。自分の乱れた衣服を正し、呼吸を整えている様だった。


「それは“変な気”じゃなくて普通のことだよ」

「ば、馬鹿者! いちいち言わなくていい!」

「あははは、そんな怒らないでよ」


 ガーネットの表情が、なんだか明るくなったような気がした。それを見て僕はやはり胸が痛んだ。

 僕に募る想いを告白しても、しなくても彼は傷つくことになると解っていたはずだ。


 ――身体の変化について、指摘しなかったらずっと黙っていたのだろうか……


 まだお互いに理解するには時間がかかるだろう。

 僕はガーネットときちんと向き合う必要があるし、ガーネットもまだ知らない僕と向き合う必要がある。

 考えを互いに巡らせながらも、僕たちは七色に燃える蝶を持ってラブラドライトを埋葬した場所へと向かった。




 ◆◆◆




【ガーネット 現在】


 ノエルを抱きかかえて移動することはもう何度目か解らないが、抱きしめた後からやけに抵抗感を感じる。

 ノエルの赤い髪や、赤い睫毛、瞳を見ると鼓動が早くなってもどかしい気持ちになる。

 しかしそれを悟られないように、私は必死にそれを装った。

 そうしてラブラドライトを埋葬した場所にたどり着いた。以前来たときから射して変化もなかったが、唯一私は顕著な違いを見つける。

 弟の上に植えた赤い彼岸花という花は、赤色から青色へと変化していた。


「花の色が変化している」

「本当だ……真っ赤な花だったのに。弟さんの青い目と関係してるのかな?」


 ノエルをゆっくりと降ろすと、少しの名残惜しさがあった。自分のその不純な考えを懸命に振り払いながら弟の上で揺れていた花を丁寧に除け、私はラブラドライトの身体の一部を掘り起こした。

 ラブラドライトの身体は分解が進み、骨が拾えるほどになっていた。

 それを見ると、先ほどまでの浮ついた気持ちが消え、後悔の念に支配される。

 ノエルは少し離れた場所でセージへ祈った時の私のように、木の陰で私を見守っている。

 あまりこちらを注視するのは気が引けるのか、こちらに持ってきた世界を創造する魔術式の紙の解読をしているようだ。

“死の見えざる手”をガラスの入れ物から取り出すと、ひらひらと舞い、私の肩へ蝶は停まった。

 先ほどノエルに対し、ずっと塞き止めていた想いを告げたことで気が散ることもない。

 ずっと感じていた違和感や蟠りが解け、ノエルへの気持ちの整理も多少はついた。


 ――勢いに任せるような形になってしまったとはいえ、ノエルと気まずくなることもなかった。それに私の伴侶になることを言葉の通りに前向きにとらえているようだ……


 それに心の底からホッとした。

 拒絶されるのではないかと思っていたからだ。自分の気持ちの整理がつくと同時に肩の荷が下りた。今までずっと感じていた苛立ちがなくなって余裕ができたような気がする。

 私はラブラドライトの墓の前で、弟の為に祈り始めた。


「ラブラドライト……私はずっと……お前を探していたんだ……」


 蝶が私の祈りを通じて発光し始める。

 虹色に光る蝶は私には眩しかったが、それでもしっかりと目を開き、弟の埋葬されている場所を見据えた。


「助けられずに……ずっと後悔していた……。本当は喧嘩別れなどしたくはなかったが、私は愚かだった。許してほしい……」


 更に眩く蝶が発光し、弟の墓へ舞っていた蝶が一段とに眩く光ると、その七色の輝きの中に見覚えのある美しい顔のラブラドライトの姿が現れた。

 何もかも、昔と同じだ。

 遺体に残っていた奇妙な縫い目もなくなっている。

 長い金色の睫毛から見える青い瞳は、私を捕えると驚いた表情をした後に困ったような表情をした。

 その表情は私は見慣れていた。ノエルがよくする表情と同じだったからだ。


「兄さん……」


 懐かしいその声に、私は目を見ることができずに視線を外して下を向いた。


「……顔を上げてよ兄さん」

「お前に向ける顔がない」

「そんなことないよ。僕、嬉しいんだ……ずっと兄さんの想い届いてたよ。兄さんがずっと苦しんでたこともぼんやりとしか解らなかったけど、届いてた。ずっと」


 そう言うラブラドライトの言葉に、私は涙が込み上げてきた。

 それでも弟の前で泣くまいと堪えると、弟は更に困ったような顔をする。


「僕は死んだはずだから……またこうして話せるのは驚いたけど、兄さんは思ったよりも元気そうでよかった。傷だらけだけど……」

「これは魔女のせいだ……」

「兄さんを庇ったのに……残念だよ……」


 私を庇って犠牲になった弟にこんな傷だらけの顔を向けるのは忍びない気持ちでいっぱいだった。


「いや、私は自ら進んで魔女の制約を受けたのだ。お前を探しに行くために」

「どうして……」

「どうしてだろうな……魔女に腹が立っていたのも事実だ。お前を探しに行くというのも口実だったのかもしれない」

「僕は…………兄さんが助かってくれたなら、それでよかったのに」


 弟のその優しい言葉に、私はついに堪えきれずに涙を流した。下唇を噛みしめる。


「すまなかった……助けることができなかった……」

「いいよ。そんなこと。魔女はみんな酷いと思っていたけど、最後に僕の為に戦ってくれた魔女がいたんだ」


 紹介するべきかどうか迷ったが、会わせるのが筋だろうと私は判断した。


「……お前の言うその魔女は、丁度あそこにいる」


 私が視線を送ると、ラブラドライトもノエルの方を向いた。そしてノエルがいるということに弟はそこで初めて気づいたようだった。


「ここは僕らの故郷でしょ? どうしてこんなところに……というか、もしかして! 兄さんの伴侶……?」

「!? あ……あいつとはまだ……そんな……」

「本当? 驚いた……魔女と兄さんが一緒にいるんだ」


 否定しようとするが、弟には虚勢を張るのは無意味だと悟る。

 話したいことは沢山あるが、どれから話していいか解らずにぎこちない会話になってしまう。


「……茶化すな。初めは致し方なかったが、今は……選択して共にいる」

「そっか……物凄く意外だけど、あの堅物の兄さんが魔女を選ぶってことは相当なんだね」

「あいつは“魔女”ではない。ノエルだ」

「名前で呼んでるの!? 僕ですらろくに名前呼んでくれなかったのに……」

「相変わらずいちいちうるさい奴だな……」


 しかし、その変わらない様子に私は安堵した。私を恨んでいるのではないだろうかと、私に対して怒っているのではないだろうかと私は内心思っていたからだ。


「ノエル、こっちにこい」


 ノエルは私の呼びかけに応じ、少し躊躇いもありながら私の隣りまできた。


「あの時の……戦ってくれた魔女……?」


 ラブラドライトがたどたどしい向こうの言葉で話しかけると、ノエルは申し訳なさそうな顔をして話し始める。


「……そう。僕も、合わせる顔がないんだけどな……助けられなくてごめん」

「それはいいんだ。僕が最後に言った言葉……守ってくれたんでしょう?」

「んん……結果としてね」


 気まずそうに言うノエルは私の方を見て苦笑いをした。


「弟さんと再会できて、良かったね」

「あぁ……」


 蝶の瞬きはまだ眩く輝いてる。

 いつまで弟と話せるのか解らない。しかし、久しぶりに話す弟と会話が途切れてしまうと、何を話したらいいか解らず見失ってしまう。

 あれこれ考えている間に、弟のほうから私に会話を切り出した。


「……兄さんはこれからどうするの? 今、まだ魔女の支配を逃れていないんでしょう?」

「あぁ……今、魔女の女王との戦いに備えている。魔女が二度とこちらに干渉できないように世界を別ち、縛る計画を進めている最中だ」

「そんなことできるの?」

「それはこいつ次第だ」


 ノエルの方に目配せすると、急に話題を振られたノエルは弟と何を話していいやらわからなそうに、目下の話をし始める。


「今、魔術式を解読してるんだけど……解らないところがあってなかなか進まなくて……」

「その手に持っているものがそう?」

「そう。これ」


 ノエルがラブラドライトに術式を見せると、それに熱心に目を通す。数秒目を通しただけなのに、弟はその魔術式を理解したようだ。

 説明をしようにも、蝶の輝きが薄れてきた。

 もう長くは話していられない。弟もそれは感じている様だった。


「どこが解らないの?」

「ここ……すべての力を司る部分」

「ここは、こっちで解放した魔力を一度高密度に凝縮させて……――――」


 弟が矢継ぎ早に説明すると、ノエルは納得したような顔をしていた。何の話をしているのか私には難しかったが、互いに話を理解している様子だ。

 ノエルは言葉に不自由しながらも、なんとなくはこちらの言葉を話している。


「魔王城に資料があるはずだから、そこで調べてみてほしい」

「ありがとう。進みそう。助かった」

「礼を言うのは僕の方。これからも兄さんをよろしくね」


 ノエルに挨拶を済ませた弟は、改めて私の方へ向き直った。


「兄さん、僕はそろそろ行くから…………幸せになってね。僕は最期に兄さんに会えて良かった」

「幸せか……約束はしかねるな」

「大丈夫。ノエルとなら幸せになれるよ」


 蝶の輝きが少しずつ小さくなって行く。


 もうお別れの時間だ。


 結局話したいと考えていたことのほとんどを話せないままだったが、どうしても伝えたかった謝罪だけは伝えられた。


「魔族のこれからをお願いね」

「あぁ。私とノエルで必ず魔女の脅威から抜け出して見せる」


 弟を不安にさせないように、私は胸を張ってそう言った。


「ありがとう……兄さん。愛情を知ってくれて僕は嬉しかった……――――」


 そう言葉を遺し、燃え尽きるように蝶と共にラブラドライトは消えていった。明るかった吸血鬼墓地は再び暗くなり、静寂が訪れた。

 愛情というものをまだ完全には理解していない。

“好き”と愛情とは少し違うのだろう。それでも弟が安心して笑顔で逝けたのはノエルのお陰だ。


「弟さん、すごくいい子だったね」

「……語りつくせないほど沢山話すべきことがあったが、実際に会うと話すことができないものだな……」

「そうだね。だから、僕らはこうやって話ができるうちに沢山話をしておいたほうがいいと思う」


 ノエルの意外な言葉に、私はノエルの方を向いた。赤い髪に表情は隠れがちだったが悲しそうな表情をしていることは解った。

 セージのことを思い出したのか、あるいはあの人間のことを思い出しているのか、それとも両親のことを思い出したのか、辛そうに見えた。

 私は躊躇ったが、ノエルを抱きしめようと手を伸ばした。しかしなかなかそうすることできない。


 ――何故こんなこと……あの男の魔女やリゾンは平気でできるのか……


 手を行き場をなくした手は、行き場をなくしノエルの頭へと置かれる。


「ガーネット?」


 何と釈明したらいいか解らず、ノエルの頭へ置いた手を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でつけた。赤い髪が私の手に軽く絡まる。


「ちょ……ちょっと……何……?」

「人間というのは、あ……愛情を示したり、励ますときにこうやって“撫でる”ということをするのだろう」

「そうだけど……撫でるっていうのは、こうやるんだよ」


 私の頭にノエルの白い手が置かれ、優しく私の頭を“撫でた”。それは私がしたような乱暴なものではなく、優しく包み込むようなものだ。

 妙な感覚がしたが、不思議と不愉快になることはなかった。


「私は……魔女の侵略があってから、それまでも、それからも伴侶を持つことなど考えたこともなかった。まだ……返事をもらってはいないが、それでも私の伴侶としてどう接したらいいか解らない」


 抱きしめる事すらまだ戸惑いを感じる上に、気恥ずかしさでどうにも素直になれない私はどうしたらいいか解らなかった。


「いいよ。今までと同じで。変に意識しちゃうと、上手く接することができないだろうから」

「…………あの人間に会ったら、お前は何というつもりなのだ?」


 困らせるとは解っていたが、それでも聞かずにはいられなかった。ノエルはまだあの人間のことが好きだ。本来であれば私の入る隙など微塵もないほど。


「……なんて、言ったらいいのかな……解らないや……」

「私の伴侶になるとは、お前はあの人間には言えないだろう」

「………………ごめん。まだ……気持ちの整理ができなくて……」


 解っていた。

 ノエルはおそらく永遠に気持ちの整理などできないだろう。

 共に生きられる道があるならば、間違いなくあの人間の方を選ぶ。しかし、それは今、ノエルは叶わないと解っている。


 ――私のやり方は……リゾンの言う通り卑怯だろうか……


 ずっとノエルを追っていた男の魔女もノエルに必死に愛情を訴えるが、やはりノエルはそれに答えるそぶりはない。

 接し方が違うだけで、私に特別な愛情を向けている訳ではないことは理解している。


「気持ちの整理は、少しずつしていけばいい」

「僕は……ご主人様に抱いた感情を、もう一度……ガーネットに対して抱くことはないと思う」


 理解していたとはいえ、面と向かって言われるとどうにもならないもどかしさで胸のあたりがギュッと掴まれたような感覚にとらわれる。


「でも、同じじゃなくてもいいんだよね。大切に思ってることには違いは無いから……その気持ちを大切にしていけばいいんだよね……?」


 確認するように、その言葉一つ一つで自分の気持ちを整理するかのように私にそう尋ねた。

 ノエルは悲しげな表情をしていたが、そう言い終わることにはいつもの困ったような笑顔になった。

 その表情が先ほどまでのラブラドライトと重なる。


「あぁ、それでいい」


 私がそう言うと、ノエルは柔らかく笑った。



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