第8話 旅立ち





 気が付けば朝になっていた。朝日の眩しい日差しで僕は目を覚ます。

 目をうっすらと開けると、育てている薬草が見えた。

 薬草の背丈を真横から見ることは初めてで、自分よりも強く、そして意思を持って生きているような気がした。

 結局僕は部屋に入ることなく、外で眠ってしまっていたようだ。中も外も、硬い石畳だ。さほど変わりはない。

 身体を起こすと毛布が僕の身体にかけられていることに気が付いた。


 ――ガーネットが? それともご主人様……?


 僕が起きて身体を起こすと、ガーネットは起きていた。太陽の光を嫌うように日陰に避難している。


「これ、ガーネットがかけてくれたの?」


 ガーネットは首を横に振る。


 ――じゃあご主人様が……?


 確かにその毛布は僕がいつも使っている毛布だった。いつも床で眠っているせいで少し汚れているが、肌触りがいい毛布だ。


「おい」


 急に呼ばれて僕は飛び上がった。

 振り返るとご主人様が立っている。朝日を浴びて白い肌と銀色の髪が眩しく反射して、僕の赤い眼には眩しすぎた。

 昨日、あれだけ大喧嘩したから顔を合わせづらい僕は目を泳がせる。


「お、おはようございますご主人様……」


 段々と言葉尻が小声になっていく。


「なに、猫に名前なんか付けてんだよ」


 ガーネットに話しかけているところを聞かれていたことに焦り、僕は必死に言い訳を考えていた。

 しかし上手い言い訳が出てこない。僕は咄嗟に嘘がつけないタイプだ。ひたすらに視線が泳いでしまう。相手と目を合わせられない。

 次にどんな言葉が飛んでくるのか予想すると恐ろしくて仕方がない。

 ご主人様を恐る恐る見ると、ご主人様も僕と目を合わせてくれない。頭をガリガリと手で搔き毟りながら、何か言いづらそうにしている。


「昨日のアレ、本当か……?」


 僕が言い訳をするよりも先に、ご主人様がそう聞いてきた。

 少し声に棘があるように感じる。


 ――やっぱりまだ怒っているんだ。どうしよう、捨てられたら……


 彼の言うことを聞いた方がいいだろうか。

 しかし、立ち止まることは出来ない。このままの状態を維持しようとしても、悪い方向に向かって行ってしまうだけだと僕は分かっていた。


「……はい。行きます」


 そうは言ったものの、それが正しいかどうかわからない。自信が持てずに急に弱気になっておどおどしはじめてしまう。

 そんな僕に向かって、ご主人様は歩いて近づいてきた。


「いつ帰ってくる気なんだよ」

「解りません。でも一か月以内には――――――」

「町の外は……魔女がいるだろ。お前が帰ってこなかったら、浮気するぞ」


 ご主人様は険しい表情をしていた。

 浮気だなんて、いつも好き放題しているのに「今更そんなことを言われても」と僕は困ってしまう。


「……遅くなっても、必ず帰ってきますから」


 僕よりもご主人様の方が心配だった。

 身体のこともそうだ。

 何よりも僕が離れているときに魔女除けが壊れたりしたら、あっという間にこの町の住人は魔女に蹂躙されてしまう。

 いつも張っている魔女除けと、更に念入りに魔女除けを張って出るしかない。

 それでも心配だった。これについては心配が尽きることはない。


 ご主人様は僕の身体をゆっくり抱きしめてくれた。

 ご主人様の匂いがする。

 暖かい。

 僕はご主人様の髪を撫でた。

 離れたら、これが最期になるかもしれないと噛みしめながら彼を感じる。


「俺はお前しかいないんだぞ。解っているのか?」


 心なしか声が震えている。抱きしめてくれる手の力も強くなった。


「大丈夫です。必ず戻ってきますから。約束です」

「お前の約束なんか信じられるか」

「約束破ったことなんて、ないじゃないですか」

「俺の言いつけ破って、しょっちゅう怪我してくるじゃねぇかよ」


 確かに、しょっちゅう怪我をして帰ってくるので反論の余地はなかった。

 僕はその言葉に返す言葉に困ってしまう。


「生きて……帰ってきますから」


 自分が、ご主人様にとって滅茶苦茶なことを言っているのは理解していた。

 一介の人間が魔女に会ったらどうなるか、そんなこと考えるまでもない。当然の反応だ。自殺するのと同義だから町の外に出るということを止められても仕方がない。


「お前……初めて逢ったとき、魔女に捕まっていただろ」

「…………」

「また捕まったり、殺されたりしたらどうするんだよ。俺は……お前がいなくなったら俺の世話誰がするんだよ。まずい薬は誰が作るんだよ? なぁ…?」


 抱きしめてくれていた腕をほどき、僕の顔を見つめた。

 彼は泣きそうな顔をしているように見えた。おかしい。僕の代わりはいくらでもいるのに、どうしてそんな必死に止めるのだろうか。


 ――そうだ。人間は愛着というものを形成する……


 最初は何気ないものでも、ずっと使っている内に愛着がわく。

 僕もご主人様にとってはきっとそうだ。僕がいなくなっても、すぐ他の新しい人間をそばに置く。その方がずっといいに決まってる。

 ご主人様だけをみて、彼を愛し、彼の為に尽くす人間が現れるんだ。


 ご主人様との……子供ができる人間が。


「ご主人様……」


 なんて言葉を返したらいいのか、僕には解らなくなっていた。

 それでも、僕はご主人様が助かってくれないと後悔してしまうと解っていたから。


 ――ザッ


 足音がした。

 ご主人様の後ろには立っている。

 僕は血の気が引いた。


「グダグダうるさい人間だな」


 ご主人様がバッと振り返ると、ガーネットが猫の姿から吸血鬼族の姿に戻っていた。

 僕は頭の中が真っ白になり、顔面蒼白になった。


 ――何を考えているんだ。魔族の姿になって人間の前に出たらまずいことになるとあれほど言ったのに……!


「魔族!?」


 僕はどういう言い訳したらいいのか解らなく、混乱していた。

 知能は高くても、やはり空気が読める訳ではないらしい。

 頼むから余計なことは言わないでくれ。と、僕はそう祈るしかなかった。


「そいつなら大丈夫だ」


 僕は「もう駄目だ」と思い、ご主人様がガーネットに向き合っている後ろで激しく頭を横にふった。

 ガーネットはさほど気にしていない様子でご主人様と向き合っている。


「まともに喋れる魔族なんて初めて見たぜ……。なんで魔族がこんなところにいやがる? それに大丈夫ってどういう事だよ」

「人間風情が私に無礼な口をきくな。私はに恩があるから魔女から守ってやろうというだけの話だ」

「コイツに恩だと……?」

「ふん、高位魔族である私がいれば一人、守ることなど容易い。それなら問題ないだろう?」


『脆弱な人間の娘風情』というのは、僕のことを言っているのだろう。

 僕はガーネットに魔女だとばらされなかったことに対してホッと胸をなでおろす。

 それに対して怪訝そうな顔をしたご主人様は僕を見た。


「おい、お前……魔族とどういう関係があるんだよ。俺に隠れて何をしていたんだ?」

「……この前、山に薬草を採りに行ったときに……その……怪我をしていたので処置をしたんです」


 嘘は言っていない。

 しかし、魔族がその程度で恩義を感じるかどうかという点においては苦しい言い訳であった。


「お前……! 魔族に不用意に近づいたのか!? 殺されでもしたらどうするんだ!?」


 もっともらしい反応だ。

 僕がただの人間であったら倒れている魔族には近づかないだろう。


「ぐだぐだうるさいぞ。行くのか、行かないのかはっきりしろ」


 ガーネットは面倒くさそうにそう言った。

 ご主人様の問いかけに答えるべきだったが、それを答えているとますます話がややこしくなってしまう。

 後ろめたさを激しく感じながら、それでも僕はガーネットの言葉に返事をする。


「……僕は行くよ」


 痺れを切らしているガーネットに、僕ははっきりそう答えた。

 その様子を見ていたご主人様は、更に何か言いたげな表情をしていた。不安そうな、悲しそうな、そんな表情だ。


「…………本当に行くんだな?」

「はい……僕は必ずご主人様を助けます」


 ご主人様は酷く不安そうな顔をしていた。それは一瞬だけだった。

 不安を払拭したように、ご主人様はガーネットに向き直って堂々と言い放つ。


「おいお前。コイツは俺のモノだ。解ったか? 手ぇ出してみろ、殺すぞ」

「人間風情が……ナメた口を……!」


 本当に殺し合いが始まりそうで、僕は心底肩身が狭かった。




 ◆◆◆




「ご主人様。では、行ってまいります」


 奴隷の服は着ていけないので、隷衣ではなく先生にいただいた赤いワンピースを着て、首輪や手枷を外した。

 首に何もないというのは違和感があった。いつも僕の首や手首には枷がついていたから。なんだか落ち着かない。不意に手を首にやってしまう。

 僕は町のお世話になっている人何人かに挨拶を済ませて、しばらく留守にすることと、先生には申し訳ないが一日一回はご主人様のご様子を見に来てほしいと伝えた。


 ――もし、倒れていたりしたら……


 どうしてもそのうれいが消えることはなかった。


「あぁ、早く帰って来いよ。浮気したら殺すからな」


 そう言ってご主人様は僕に口づけをした。

 やわらかい唇の感触がする。顔にかかる髪の毛が少しくすぐったい。しばらく声も聞けなくなってしまうのかと思うと僕は辛かった。

 そのままご主人様が僕の首に唇を当て、僕に紅い痣を散した。


「それが消えるまでに帰ってこい。解ったか?」

「頑張ります。けど……」

「あ? 口答えするのか?」

「いえ! ちゃんと帰ってきます!」


 反射的に僕はご主人様にそう答えてしまった。

 そう言った矢先に「しまった」と思う。


 ――……またできもしない約束をしてしまった……


 ご主人様はニヤニヤしていた。僕はそのいたずらっぽい顔を見ると、何でも許してあげたくなってしまう。

 たとえ、どんな罪でも。

 僕の血を使った強力な魔女除けの術式を、ご主人様の家のいたるところにしかけた。これでご主人様は魔女が万が一きたとしても家にいれば安心できる。


「行ってきます」


 僕はそういって、名残惜しさに引きずられるまま進めなくなりそうになっていた。

 ご主人様に中々背を向けられない。

 彼の顔を見ていると不安で押しつぶされそうだ。

 ご主人様も心配そうな顔をして僕を見ていた。


「おい、ぐずぐずするな」


 ガーネットに急かされて、担いでいる鞄をキチンと再び肩にかけなおした。そして再び視線を交わす。

 頭を下げて、僕はようやくご主人様に背中を向けた。

 ふり返ってしまったら、やはり出られなくなってしまいそうで僕は振り返れなかった。

 振り返ることなくガーネットと二人で歩く。

 途方もない旅路へと。


 ご主人様の家から随分離れて、ご主人様の家も、彼自身も見えなくなった頃に僕は一度振り返った。

 もう見えなくなっている。それを実感するとため息が出た。


「ノエル、ノエル、もう顔を出してもいい?」


 カバンから白い龍がひょっこりと顔をのぞかせる。

 レインも置いていくわけにはいかなかったので一緒に連れていくことにした。


「あぁ、良い子にしていてえらいよ、レイン」

「ほんと? あははは」


 レインの身体は相変わらず包帯まみれだった。傷はもう大分良くなったみたいで、町から離れたら僕の肩に元気よく飛び乗る。

 ここまでくればレインが外に出ても大丈夫のはずだ。


「ねぇ、どこに行くのー?」

「ひとまず、ガーネットの記憶を頼りに別の町を捜すんだ」

「あははは、ずっとあそこにいたから僕たのしい! ノエルと一緒!」


 楽しそうにしているレインを見ると、僕はご主人様への心配する心も少しはまぎれた。


「うるさいトカゲだな、本当に連れていくのか?」

「あー! またバカにした!!」


 ガーネットとレインは顔を合わせる度に喧嘩が始まる。

 その様子に僕は頭を抱え、この旅は長くなりそうだと僕は覚悟した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る