第2話 色欲と愛情の狭間




 先生にもらった服を持って、僕は帰路についた。

 町の人が僕を見る度に楽しそうにしていた素振りを失い、コソコソと後ろ指を指す。

 聞こえないように言っているつもりなのだろうが、僕の耳には聞きたくなくても聞こえてくる。


「……あんな汚らわしい服を着て……よく平気でいられる……」

「あの町はずれの男、よくもあんな得体のしれない女を……」

「魔女殺しの英雄も魔女がいなくなればもう用済みだな」


 僕はそんな言葉を聞きたくなくて、耳を塞いで急ぎ足でご主人様の家に走った。

 町の人の冷ややかな目や言葉は鋭く胸に突き刺さる。

 僕のことを差別せずに何も聞かずに傍に置いてくださるのはご主人様だけだ。


 走ってご主人様の家に着くと、家の中から淡い光が漏れていた。

 その手に持っている赤い服を僕は見つめた。よく考えていなかったが、この服をどうしたらいいか途端に解らなくなってしまう。


「服、どうしよう……隠すところもないし」


 こんな高価なものを見られたらご主人様に怒られてしまうかもしれない。

 僕が他の人のことで心動かすのをご主人様は嫌うから。

 どうしようかと考えていると、中々家に入ることができなかった。しばらくそのままご主人様の家の前で入れずにいたが、いつまでもこんなところで立っている訳にもいかない。


 ――きっと、正直に言えばご主人様も許してくれるはず……


 そう決意を抱き、扉を開けようとすると扉は勝手に開いた。

 そのとき、ビクッ……と身体が硬直する。


「あ……」


 開いた扉のから一人の女性が出てきた。

 綺麗に着飾っている艶めかしい女性。僕のボサボサの赤い髪とは違い、長い金色の整えられた美しい髪。

「あぁ、またか……――――」と僕は表情を曇らせる。


「あら、お邪魔しました」


 女は嫌味な笑みを浮かべて僕の横をすり抜けていく。女のいい匂いが僕の気持ちを不快にさせる。

 また僕は、木の扉の前で立ちすくんだ。また入る勇気を失ってしまう。

 扉の木目を定まらない目で追いながらぐるぐると頭の中で複雑な感情が交錯する。


 ――あぁ……入るの嫌だな…………


 そう思いながらも、あまりに帰りが遅いとご主人様に怒られてしまう為、震える手で僕は扉を開けた。


「……ただいま帰りました」

「おう」


 僕は明るく笑う。

 さっきのことは知らないフリをしなければならない。不愉快な顔などしないように僕は暗い感情を押し殺して笑顔を作る。

 短くなっている心許ない蝋燭の光がゆらゆらと揺れていた。また蝋燭を買ってこないといけない頃合いだとぼんやりと考える。

 ご主人様を見るといつもより機嫌がよさそうだった。上半身は服を着ていない。


 ズキッ……


 隠す気もないところもご主人様らしいと言えばそうだ。

 僕はご主人様の寝室の方に視線を泳がせる。


 今日はご主人様の寝室で眠りたくない。


 他の女を抱いた後の寝室へは行きたくない。

 きっとまだあの女の匂いが残っているだろうから。

 暗い気持ちを払拭し、僕はご主人様に服のことを切り出した。


「ご主人様、今日先生に服をいただいたのですが……」


 ご主人様は視線だけ僕の手に持っている服に移す。その鋭い眼光に僕はドキリとした。

 銀色の髪が少し目にかかっているが、その奥にある目の鋭さに全てを見透かされるのではないかという戸惑いが僕を狼狽させる。

 それでも、今は機嫌も良さそうだからきっと服をいただいたことも許してくれるはずだ。


「どうですか? 似合いますか?」


 服を身体に当てて彼に見せる。

 赤い髪、赤い瞳、そして赤いワンピース。肌の白さ以外、僕は赤に埋め尽くされている。

 光が赤い髪を通して目に届くと、その視界は赤く閉ざされる。

 僕は心臓が飛び出そうになりながらご主人様の表情を伺っていると、彼は少しだけニヤリと笑った。


「いいんじゃね? 着てみろよ」


 ――良かった。怒らなかった……


 その思いから僕は内心ほっとする。ご主人様の白い肌が蝋燭の炎の光に照らされている。蝋燭の明かりだけがゆらゆらと揺らめいている。


「では、着替えてきます」

「おい」


 僕が背を向けて歩き出そうとすると、腕をご主人様に捕まれる。彼の手は少し冷たい。


「ここで着替えろ」


 意地悪に笑いながら、ご主人様はそう言った。

 言っている意味は解った。

 要するに「俺の前で裸になれ」と言っているのだと。


「……はい」


 断れない。

 ご主人様の言う事は絶対だ。


 僕は自分の着ている奴隷の服を、ご主人様の前で脱いだ。首の鎖や、手枷の鎖がジャラジャラと音を立て、僕の白い肌が露わになる。

 急いで赤いワンピースを着ようとすると


「そんなに急ぐなよ。お前の身体、もっとよく見せろ」


 ご主人様はそう言って面白そうに笑った。


 ――いつも好きなだけ僕の身体を見ているのに。


 ご主人様が僕の身体に触れる。

 艶めかしい手つきで僕の白い肌に、さっきまで別の女にしていたであろう手つきで触れる。


「後ろ向け」


 僕が後ろを向くと、その指が僕の身体に刻まれている模様に触れる。

 背中左部から左半身に伸びている三枚翼の模様。そして背中右側にある大きな傷の痕にも触れる。


「ご主人様……」


 身体をよじりながら、力なくご主人様の腕に手を置く。


「嫌なのか?」

「そんなこと――……」


 嫌だった。

 さっきの女にした様にされるのは。これがなんて感情なのか僕は知っている。


 嫉妬。劣等感。嫌悪感。悋気りんき

 そんな名前のものだった。


 自分の身体に浮かぶ、まるで火傷の痕のような模様を目で追う。

 この僕の身体の傷のことや模様のことを知っているのはご主人様だけだ。


「あの医者になにもされてないよなぁ……? この模様も見られてないんだろ?」


 たまにご主人様はそう確認してくる。そんなことは大して興味もないことのはずなのに。


「されているわけないじゃないですか。それに……こんなの誰にも見せられませんよ……」

「どうだか……」


 僕は彼の奴隷だ。

 僕は彼のいう事に絶対服従する。それは当たり前のことであって、逆にご主人様がなにをしていようと僕は何も言えない。

 僕はご主人様に従順でいなければならないし、不快になるようなことはしてはいけない。

 それが僕にとって、僕が感じられるやすらぎだった。僕には他に何もない。


「色目でも使っているんじゃねぇのか?」


 僕の首輪についている鎖を引っ張り、僕の目に映る自分の姿を見ている様だった。


「僕のあるじは、あなただけです」

「じゃあこっちにこい」


 その言葉に満足したのか彼は笑みを浮かべた。冷たい笑顔。

 僕の鎖を掴み、立ち上がって僕を引っ張った。鎖を引かれて連れて行かれ、乱暴に彼のベッドに投げ出された。

 そのベッドからはいつもと違う様子が漂っていた。


 ――やっぱりだ……


 違う匂いが少し残っているし、それに心なしか布に湿気がある。それを感じ取ると同時に、胸が痛む。


「着ろよ。その服。それを着て犯されるなんて、医者は思ってもいないだろうな?」


 そういって僕の身体にご主人様は爪を立てた。それと同時に痛みが僕の身体に走る。


 ご主人様のベッドは嫌いだ。

 ご主人様はこのベッドで何人もの女の人を抱いている。

 僕もその一人に過ぎない。

 それを考えた僕は無意識に嫌な顔をしたのだろう。それをご主人様が見逃すはずがなかった。

 彼は僕の首を掴んで自分の方を向き直させる。


「お前、嫌なのか?」

「そんなことは……――――」


 僕は首を絞められて苦しさに身悶えした。その苦しさよりも、僕は彼を怒らせてしまったかもしれないという戸惑いと焦りが先行する。

 ご主人様は僕の苦しそうな顔を見て、満足そうに冷ややかな目で見つめる。


「俺の思い通りにならないことが気に入らねぇんだよ。解るだろ?」

「はい……」

「お前は俺の所有物だって自覚がまだ足りねぇのか?」

「ごめんなさい……ご主人様。あなたの言うとおりにします……捨てないでください」


 僕の首を絞める手の力が緩くなるのを感じた。

 そしてその手を放し、ゆっくりとその指が首から下へおりてくる。


「もっと言えよ、なぁ……?」

「……ご主人様が僕の全てです。他にはなにもありません。許してください。ご主人様……」

「そうだろ? お前は俺の所有物なんだから」


 艶やかな声。ゾクゾクする声。いつもこの声には逆らえない。

 彼が身体の重心を動かすたびに、ギシギシという鈍い音が響く。今は僕とご主人様だけしかいない。周りには家もなく、この家だけが寂しく立っているだけだ。

 大きな音や声がしたとしても、町までは届かない。


「はい……ご主人様」

「お前のこと傷つけてもいいのは、俺だけだ」


 そう言って、ご主人様は僕の首から胸にかけて強く爪を立てた。


 ――痛い……


 痛みをこらえて声を噛みしめる。

 慣れている。

 慣れている自分に嫌気がさしてくる。

 昔からずっと同じことの繰り返しだ。

 彼にたてられた爪で、僕の肌に傷がつき少し血がにじんだ。心許ない明かりで照らされた白い肌に、その僕の赤が存在を露わにさせる。


「……もっと痛がれよ。そっちの方が興奮する」


 僕は痛みよりも、ご主人様の手に自分の血がついてしまったことに気をとられた。


「……ご主人様が僕の血で汚れて……――」


 僕の血は魔女の血だ。

 それに、純血ではない。

 この世で最も疎まれる血。魔女にもなれず、人間にもなれない呪われた血。


「お前の血は汚くなんかねぇよ」


 そうはっきりと言われた瞬間、不意に目頭が熱くなるのを感じた。

 昔のこと思い出してしまう。

 そんなことを言ってくれる人はいなかった。いつも『穢れた血』だって、『呪われた血』だって罵られてきた。

 魔女にも、人間にも。

 僕はとっさに返す言葉を失い、口をつぐんだ。


 ――駄目だ、泣いたら駄目だ……


 自分にそう言い聞かせて彼から目を背けてしまう。


「…………」

「どうした?」


 不意打ちの言葉に動揺を隠せない。

 奴隷として傍にいるのだから、奴隷のように扱われるのが当たり前だ。そんな風に優しくされるのなんて、僕自身望んでいない。

 優しさは僕にとっては恐ろしいもの以外の何かではない。


 だから……――


 返事を困っているとご主人様は怪訝そうな表情をする。涙を見せないように、僕は言葉を喉に詰まらせながらようやく吐き出した。


「いえ、お優しいな……と……」

「お前、俺のこと何だと思っているんだよ。お前の血がきたねぇと思っていたら、こんなことするわけがないだろ」

「……そう……ですよね」


 僕の本当の『血』の意味を知れば、ご主人様も他の魔女と同じことを言うに決まっている。

 そんな考えを浮かべながらも、ご主人様の不敵な笑みを見つめた。


 大丈夫、魔女だってことさえばれなければ。

 この町は魔女に見つからないように僕が強い結界の魔術をかけているから。絶対に魔女には見つからない。

 僕は二度と魔女の手に落ちることもない。

 ご主人様にもう二度と魔女の脅威が及ぶことはない。


 ――大丈夫だ、大丈夫……


 そう自分に言い聞かせながら、ご主人様の腕に身を委ねた。

 愛する人の温かさを感じられるこのときだけが、僕にとって生きていると実感できる。

 それがそんな形であっても構わない。


 僕が彼を必ず守ってみせる。



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