第七章



 その日、アラストルは再び玻璃を置いて大聖堂前の広場へと向かった。

 あのときの赤毛の女を捜すためだ。服装も顔も思い出せない。あの強烈な赤毛以外の記憶が残っていないが、そんなに背は高くなかったと思う。

 たとえ本人が見つからなくても現場にはなにか手がかりはあるかもしれない。

 僅かながら期待を抱き、あの日回収したナイフを見る。

「手がかりは赤毛の女ってのとこのナイフだけか……」

 ナイフのことを玻璃に訊ねようと思っていたが、結局訊ねられないままだ。

「聞き込み、ったってなぁ……宮廷騎士でもない奴が聞き込みしたら余計に怪しい……日ノ本みたいに警察とかあれば話は別なんだろうが……」

 そもそも犯罪国家なので犯罪をまともに取り締まる組織がない。

 在るとすれば王への反逆者を取り締まる宮廷騎士だけだ。それも他国で一般的に犯罪とされることを取り締まるのではなく、女王に背く者を探り当てて裁く組織だ。国王にさえ影響がなければ殺人も強盗も全く取り締まられない。

 情報の当てといえばないこともない。ただ、あまり行きたくはない。昔から世話になっている情報屋はあることはある。ただ、なんとなく、苦手意識を持っている。それはもしもの時の最終手段にすることにし、信仰心は欠片もないが、大聖堂に入ることにした。

 聖堂の中は無駄に装飾が多い。色硝子の窓や女神に纏わる神話の絵。石の女神像まである。それに花の匂い。白い花がたくさん飾られているせいで匂いはかなり強く感じられる。

 見渡しても、中に居たのは一人の女だけだった。少し癖のある栗毛を横で一本に纏めている女は膝をついて祈りを捧げている最中だ。

「あいつは……」

 その女は聖女なのではないかと思わせる神聖な雰囲気を纏っていた。

 そもそもこの国に神を信じている人間はほんの一握りだ。この大聖堂はこの国で唯一の聖堂であり、そして光の国の神を祀っているらしい。

 ただ、なんとなく女に見覚えがある気がする。大聖堂なんて滅多に足を踏み入れることがないというのに。

「あら? どうかなさいましたか?」

 よほどじろじろと見てしまっていたのだろう。女の方から声を掛けてきた。

「いや、なんでもねぇ……」

 少しばつが悪い。けれどももう一度、女の顔を見る。やはり見覚えがある。

「お前……まさかあのときの猛獣使いか?」

 カファロが襲われる前に大聖堂から出てきた女だ。

「ええ、そうです。ひょっとしてあなた、サーカスに?」

 柔らかい笑みに一人だけ時間の流れが違うようなゆったりとした空気。どうもアラストルが苦手な女だ。

「いや、昨日見かけただけだ」

「まぁ……記憶力がよろしいのですね」

 少し驚いた表情。ただ、一瞬なにか見落としたような気がした。

「いや、珍しいと思ってな。ここに入る奴自体が珍しい」

「そうですか? でも、私にとってこの場所は心の支えです。あなたもそうなのでは?」

 そう、女が微笑む。探っているつもりが逆に探られているような、なんとなく居心地が悪い感覚がある。

「いや、俺はただ、なんとなく入っただけだ」

「そうですか。では、これもなにかの縁ですね」

「そういうものか?」

「そういうものです」

 女は微笑を浮かべたまま、アラストルを見つめた。

「なぁ、昨日赤毛の女を見なかったか?」

 早くこの場を去りたい。そう思ってしまったからだろう。強引にその質問を投げた。

「赤毛の……女?」

 女は赤毛、に少し反応を示し、それから首を傾げる。

「いえ、見ていません」

「そうか」

 おかしい、とアラストルは思う。

 今、この女の表情の変化に違和感を覚えたのだ。

 赤毛には強い反応を示した。だが、女と言われればそれは違うと考えたようで訊ね返し、それから否定した。つまり、赤毛の男なら覚えがあるのだろう。

「あの、この女の子を見かけませんでしたか?」

 考え込んでいると、女が一枚の写真を差し出した。写真技術はあるが、まだそれほど普及していない。それを考えればこの女は身形に反して裕福な家なのかもしれない。

「ん?」

 少しばかり警戒しつつ、この女も誰かを探しているのだろうかと思いながら写真を覗き込む。

 写真の中に映っていたのは玻璃だった。

「いや、見てねぇな」

 反射的に嘘を吐いた。女はそれを信じたようで悲しそうな表情を見せる。だが、玻璃を探していると言うことは、つまりアラストルの敵だということだ。

「もう一週間以上も帰ってこないんです。あの、もし見かけたらここの神父様に伝えていただけますか?」

「あ、ああ」

 掴みかかってきそうな程必死な様子の女に思わずそう答えたが、二度とこの場所に足を踏み入れる気はない。

 アラストルの直感が正しければ、この場所は玻璃のマスターと繋がっている。

「お前、名前は?」

 念のため、訊ねておく。

朔夜さくやと申します。あなたの名前をお伺いしても?」

「アラストルだ」

 必要最低限に短く答える。長居をするのは危険だと思った。

「そう、ですか。すみません。昔の知り合いに似ていた気がしたので……」

「そうか」

 朔夜と名乗った女の言葉に戸惑う。彼女が言う知り合いとは言うまでもなくシルバのことであろう。

 不意に玻璃の涙を思い出してしまった。

 なんとなく、女と玻璃が重なった気がする。これ以上彼女の顔を見たくない。

 アラストルは足早に大聖堂を飛び出して、できれば行きたくはなかった情報屋に足を運ぶことにした。

 



 情報屋の店は一見小さな喫茶店に見える。少し奥まった場所にあり、年季の入った外観の全く商売っ気が感じられない店だ。店内には二、三人程度しか入れない。そもそも客用の椅子は三脚しか用意されていないのだ。

 店内に入って白髪交じりの店主に品書きにはない飲み物を注文すれば喫茶店は情報屋に早変わりする。

「フランボワーズ」

 いつだったか教わった注文を口にすれば「少々お待ちください」と静かな声で答えた店主が店を閉める。喫茶店の営業時間は終わりというわけだ。元が店主の気まぐれ開店と言わんばかりの喫茶店だ。閉店していても誰も気にも留めないだろう。

「で? 欲しい情報は?」

 砕けきった様子になる店主の豹変ぶりは何度見ても慣れない。

「昨日、大聖堂前の広場で赤毛の女を見なかったか?」

 あまり有意義な情報は期待できないが、なにか手に入らないかと訊ねてみる。

「赤毛の女なんぞいくらでも居るだろう」

 店主は呆れた様子で言う。よく見れば顔は老けたように見せる化粧で、アラストルと同じくらいか少し下と言った印象の男だ。

「女にしては背が高かった」

 いや、平均より少し高いという程度だっただろうか。比較対象が少なかったせいかはっきりとは記憶に残っていない。

「他に特徴は?」

 店主はこめかみをトントンと叩きながら記憶を探っているようだ。

「ナイフ、このナイフを置いていった」

 店主にナイフを見せる。これが玻璃の物であるのか、そうでないのか。それだけでも知りたい。

 もし、玻璃があの場にいたのなら……どうすればいいのだろうか。

 ナイフを見た店主は驚いたように目を見開く。

「これは……」

「知ってるのか?」

 思わず仕切り席に乗り出す。

「……やつらにだけは絶対に手を出すな……」

 店主は体を震わせ、なにかに怯えているようだ。

「いったいなんなんだ?」

「知らん方がいい……少なくとも……俺は奴らの話だけはしたくない……」

 余程恐ろしいらしい。しかしその反応を見るともう一つ試したくなる。

「やつら? まさか……セシリオ・アゲロってやつが関係してるのか?」

 その名を聞いた瞬間、店主は固まる。

「なぜその名を……」

 店主が驚いているのはなぜ知っているかではなく、なぜその名を口に出来るのかというところだろう。

 おそらく、アラストルが知らないだけで、裏では有名だったのだろう。

「訊いているのは俺だ。識別番号零四壱、ドーリーの情報をありったけ全部。報酬はこれだけ出す」

 紙にペンを走らせ、金額を提示する。平均月収の十倍ほどの額だ。普通はこれで大抵の情報は手に入る。

 しかし、店主は渋っている様子だ。

「いくらなんでもそれは……」

「ならこの倍出す」

 アラストルは苛立ちながらそう口にした。

 正直、これ以上となると流石に懐が厳しい。今回は個人的な情報収集だから経費は使えない。しかし情報は必要だ。

「分かった……だが、俺が言ったということは……」

 店主は相当恐れているらしい。むしろ怯えかもしれない。

「分かってる。誰にも言わねぇ」

 店主の言葉を遮り、じっと見る。片目が見えなくても威圧には成功したらしい。

「ここじゃ不味い。店の奥に」

「ああ」

 店主は仕切り席を押し上げ、内側へとアラストルを招き、厨房に偽装した道を通って奥の倉庫と思われる場所に通す。

「へぇ、こんな場所があったのか」

「こんなもんで驚かないでくれ」

 そう言って店主は、床板をはずす。どうせ食料庫だろうと思ったが、違った。隠し階段だ。

「すげー……地下があるのか」

「ああ、情報の管理場所が必要だからね」

 あまり足場がいいとは言えない階段をゆっくりと下りていく。

 地下は薄暗く黴びた臭いがした。

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