第四章



 玻璃は変わらず考えの読めない、冗談と本気の境目がわからない少し厄介な、それでも積極的に排除しようとは思えない存在だった。

 黒い服を選ぶのは本人の元々の趣味だったらしく、同じような物ばかり選ぶ。買い物に付き合わされるアラストルは溜息しか出ない。女という生きものは自分の中で結論が出ているのにわざわざ意見を求める妙な生きものだという噂は本当らしい。

 アラストルの趣味で言えば、もっと女らしいふわふわとした淡い色を着せてみたい。リリアンは白が好きだった。だったらよく似た玻璃も似合うはずだ。

「女なんだからもうちょっとほら……白とかピンクとか着たらどうだ?」

 近くにあった淡いピンクのワンピースを手に取り声を掛ければいつも通りの無表情で、それでも微かに睨まれたように感じられる気迫で抗議を受ける。

「偏見、変態、セクハラ、三十路」

「だーかーら! 三十路言うなぁ!」

 年齢は仕方がないだろう。年齢は。まだ若いつもりのアラストルとしては現実を突きつけられるのが辛い。しかし玻璃だって一般的には既に結婚していてもおかしくない年齢だ。むしろ、そろそろ焦らなくてはいけない頃ではないだろうか。そう思うが決して口にはしない。アラストルも独身だ。女にはモテない。なぜか男に惚れられることが多い。このクレッシェンテでは同性結婚も勿論可能だし男と女両方と結婚することも可能だ。重婚も認められてはいる。ただし男の方が結婚出来る女はひとりきりという妙な法はある。王が好き勝手に法を決められるというのはそういうおかしな規則が増えていくという意味でもあるとアラストル自身は受け入れている。だからといって男と結婚出来るかと言えば感情的に無理だ。

 アラストル・マングスタは異性愛者だ。それだけは誰がなんと言おうと揺るぎない事実だと信じている。だからこれ以上傷を抉られないように、極力玻璃を刺激しない方向でやり過ごそうと思う。

 しかし、それにしても買い物が随分と長い。金の計算は出来ていないが、それが問題にならないほど金を持っていることも発覚した今となっては所持金を理由に買い物を中断させることも困難だ。

「……ほんっと、女って買い物好きだよな……」

 世の中の女全てがそうとまでは言わないが、すっかりと荷物持ちにされてしまっている現状としては不満が零れる。

「おい、いい加減にしろ!」

 残りは日を改めるとかなんとかしてくれと、思わず怒鳴れば口元に指を当てた玻璃が静かにしろと合図する。

「どうした?」

 できるだけ声をひそめて訊ねる。玻璃がなにかか異変に気付いたことだけは確かだ。

「誰か来る……」

 静かな声に告げられて耳を澄ませば確かに相当な実力の持ち主が一般人に紛れ込もうと努力しているような歩き方の、そしてそれをわざと知らせようとしているかのような足音が聞こえる。

 これは警告だ。アラストルの脳はそう理解する。そしてたぶん正解だった。

 玻璃が怯えたように自分の身を抱きしめる。

「……どうしよう……マスターだ……」

「はぁ?」

 玻璃の親代わりで義兄。面倒な関係のそいつは、少なくとも玻璃の家族であったはずなのに怯え方は尋常ではない。意識を集中させ気配を探るより先に声が響いた。

「随分楽しそうですね。玻璃」

 その声はすぐ後ろから響いていた。いつの間に。気配を感知できなかった。先程までの足音は確かに把握していたはずなのに、その男は突然時空を飛び越えたかのようにアラストルのすぐ後ろに居たのだ。

「僕はその男を殺すように言った筈ですよ?」

 特徴の乏しい声が淡々と響く。声質だけならば爽やかな好青年と感じられたかもしれないが、実際に話せば機械のように感じられる。

「貴女なら出来たはずだ。なぜ殺さなかったのです?」

 微笑みを浮かべているはずなのに、その場に縫い止められる程の威圧感がある。動けない。この男は明らかにアラストルにとっても脅威だ。

 玻璃は頭を抱え、丸まりながら震えている。

「ご、ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 ただ、謝り続ける。決して許されることがないと知りつつもそうする以外の方法を知らないとでも言うように必死に、それこそ祟神たたりがみに命乞いでもするように謝り続けている。

「こいつ……ヤベェな……」

 赤毛のやや背が低い痩せた男。

 外見だけならむしろ弱々しく見える彼こそがこの世界の恐怖の代名詞だった。ある国では西の死神、また別の国では赤い死神とも呼ばれる男。この国の人間誰もが出会いたくないその男は、世界最強の暗殺者。知識としては誰もが知っている。けれども、誰も遭遇したことがないはずの存在だ。

「暗殺者が顔出していいのか?」

 アラストルはおどけるように、声が震えていないことを祈りながら訊ねた。

「ええ、あなた達以外は僕が暗殺者だとは知りません」

 そう言って『それ』は震えている玻璃の頬にそっと触れる。

「玻璃、時間を差し上げます。一週間。一週間以内にこの男を殺しなさい」

 歌うように優しく、まるで慈悲深い神の化身かのようにそう告げると、『それ』は一瞬で消えてしまった。

「消えた……」

 まさかと、周囲を見渡しても『それ』の姿は見当たらない。それどころかあの気配さえ消えたようで縫い付けられたような感覚からも解放されている。

「玻璃、大丈夫か?」

 慌てて声を掛ければ、玻璃は力が抜けたかのようにその場にすとんと座り込む。

「……マスター……すごく怒ってた……」

 怯えきっていた玻璃。本能がすぐに逃げ出せと警告するような得体の知れない気配が漏れ出していた。『あれ』を敵に回してはいけないと全身が告げる程に。

「大丈夫だ。もういない」

 アラストルはなんとか笑って見せた。たぶん笑えていた。

 その証拠に、玻璃は力なく頷いた。

 



「やっぱりアラストルってシルバに似てる」

 帰り道、玻璃がぽつりと呟いた。大分落ち着いたようで老朽化が進んだ煉瓦の道を転がる石を爪先で蹴飛ばし遊び歩く余裕が出てきたらしい。玻璃が蹴った小石がころころと転がりどこかの店の植木鉢に当たって跳ね返った。

「はぁ?」

 一体どうして急にそんな話になるのだろう。追い抜かさないように気をつけながら玻璃の後ろを歩く。

「私がマスターに怒られるといっつもシルバが笑って励ましてくれた」

 懐かしむように言う玻璃を見て、幼い姿が浮かぶ。

 放っておけないのはよく似ているからだろう。

「そりゃ……お前が……あんまり餓鬼みてぇだからつい、な。きっとシルバって奴もそうだったんじゃねぇのかぁ?」

 アラストルは言えなかった。リリアンと重なったからだとは。それを口にすれば玻璃を傷つけてしまうか拗ねさせてしまうかのどちらかだろう。

「ガキじゃないもん……」

 既に拗ねさせてしまっていたらしい。けれどもその仕種もまた懐かしく感じてしまう。

「俺から見れば十分ガキだ」

「うるさい三十路」

「三十路って言うな!」

 怒鳴りつけるものの、ほっとした。もう、あんなに怯えていたのが遠い昔のように普段の玻璃に戻っている。

「とっとと帰るぞ」

「うん」

 先ほどまでの不機嫌も「帰るぞ」という言葉で吹き飛んだのか、玻璃はそれが当然であるかのようにアラストルの手を握る。

「おい」

「いい?」

 少し甘えるような仕種は完全にリリアンを思わせた。

 そういうのは普通、先に訊ねるものだろうという言葉を飲み込んで、その手を握り返す。

「……仕方ねぇな」

 握り返した手は、想像していたよりも小さく、柔らかかった。

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