第5話「戻らない関係」

「ここね」


「ああ」


公園からしばらく歩いて、僕らは昨日の事故現場へとやってきた。

ここだ。僕はこの場所で、バイクに跳ねられた。

閑静な住宅街。団地の駐車場に囲まれた小さな道の交差点。

狭い交差点だから、横道に逸れることが出来なかった。


「道路に白線の引かれた跡があるわね。もう現場検証は終わってるんでしょう」

「派手な衝突だって聞いたけど、周りの家に突っ込んだ跡とかはなさそうね」


「そうだな……」


妙な話だ。

遥の聞いた話によると、バイクに乗っていた誠也はトラックに跳ねられたらしい。

つまり、僕がバイクに跳ねられたあと、誠也のバイクがトラックに跳ねられた。

この狭い交差点で、二つの衝突事故が同時に起きた訳だ。

それなのに、交差点を囲う石壁にも、標識を立てる柱にも、バイクやトラックがぶつかった跡はなかった。


「警察か誰かがいると思ったけど、もう撤退したみたいだな」


「そうね。というか、そもそもおかしいよね」

「誠也は事故を起こしたというのに、その身体は無事みたいだし」


「言われてみれば……」


確かにそうだ。

今まで何の気もなしに過ごしていたけど、この身体に傷らしい傷はひとつもない。


「僕が輪廻したからか……? それで、亡くなるはずの身体が復活したとか」


「うーん……そんな超常現象、ある訳ない……って否定もできないのよね」


その通りだった。まさに今、僕は輪廻という超常現象に巻き込まれている。


「もうひとつ気になるのは、誠也が警察に捕まっていないことね」

「君がこんなことになってるんだから、羽島君の身体には何か異常が起きているはず。事故で人を傷付けたというのに、お咎めなしなんてありえないでしょう」


「……それもそうだな」


ただ、今朝はすぐに家から出てきてしまったし、誠也の携帯電話も彼の部屋に置きっぱなしだ。


「帰ったら、何か連絡があるかもしれないな」


「そうね。ま、こんなことになってるんだから、どんな滅茶苦茶な事実になっているのか分からないけど」


「自由の身であれば何でもいいよ。この姿で拘留されたら、絶望的な未来しか見えない」


「……そうね。さすがの私もそこまではフォローしきれないし」


僕は稲沢誠也についてこれっぽっちも知らない。

こんな状況で取り調べを受けたら、きっと頓珍漢なことを言って酷い結末を迎えるに違いないだろう。

それだけは、避けなければ。

僕の身体も、美咲の安否も、何も知らないまま牢屋に幽閉なんて結末を迎えたくはない。


「足を運んで早々だけど、ここじゃ何の手掛かりも掴めなさそうだな」


「ま、周りの家を巻き込むような大きな事故じゃなかったってことが分かったくらいね」


遥の意見に頷いた。

得られた情報と言えば、それくらいだ。

それなら……。


「やっぱり、麗美学園に行ってみよう」


「……いいの?」


「ああ。外部の人間が話しかけるのは不審かもしれないけど……

僕と美咲がどうなったのかを知れる場所は、学校しかないよ」


「……そうじゃなくて」

「私が心配してるのは、"君"のことだよ。

仮に君の友達と会えたとしても、その子は君を羽島真琴君としては見てくれないんだよ。その覚悟は出来てる?」


「それは……」


……自信はなかった。

僕はまだどこかで、美咲やあかりに会えば僕を僕として接してくれるんじゃないかと思っているような気がしたからだ。


「まだ昨日の今日でしょう。少し気持ちの整理を付けてからでもいいんじゃない?」


「いや――」


でも、それじゃ遅い。

今の僕と美咲の境遇を考えると、のんびりしている暇はないと思った。

事故の前、僕宛に美咲を目的とした脅迫メールが届いた。

それはつまり、動き出したということなんだ。

美咲が囚われ続けている、十年前の事件の続きが。


僕は覚悟を決めた。


「行くよ。いつ行った所で事実は変わらないだろうからね」


「どこまでも冷静な男ね」

「分かったわ。君がそう決めたのなら、付いて行ってあげる」


そう言って付いてきてくれる遥も十分冷静な女だと思うのだが、敢えて言葉には出さなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「何してんの、こんな所で」


しかし、そんな僕らを待ち受けていたのは、

どこか聞き覚えのある、淡々とした声だった。


「えっ」


振り返った先で見えたその姿に、僕は言葉が出なかった。

その声の主は、僕ではなく遥に声を掛けている。

でも、僕はその声の主を知っていた。


「楓先輩! 先輩こそ、なんでこんな所にいるんですか?」


驚いたように、遥が返答する。

そうだった。

そういえばこの人も、三枝の生徒会に所属している人だった。


白楽楓。

羽島家の隣の家に住む、ひとつ上の先輩。

冬でもないのにマフラーを巻く人を、僕はこの人以外に見たことがない。

亡くなった琴姉の親友で、

僕の面倒をよく見てくれていた人だ。


覚悟は決めたつもりだったけど、

いざ、知り合いを目の前にすると心が騒ついた。


「楓さ……」


途中まで出かかった言葉を、僕は飲み込む。


「……誰?」


しかし、ぽつりと呟いた楓さんの言葉に、僕の心は分からなくなった。


「誰って……」


僕のことが、分からないのか……?


焦りと、怖さと、寂しさと。

沢山の感情が鬩ぎ合って、心の中がぐちゃぐちゃになる。


琴姉が亡くなった後、あなたに散々お世話になったでしょう。

琴姉がいないと嘆いている僕を、救ってくれたのがあなただ。

琴姉の親友だったから――と、あなたが姉代わりになってくれたんじゃないですか。


死んで、魂が輪廻したと、その事実は認識したつもりだ。

でも、僕はここにいる。

心の叫びが、思わず漏れそうになる――


「えっと、誠也です。稲沢誠也。ほら、面倒な男がいるって話をしたじゃないですか」


「…………」

「……ああ、思い出した」


が、遥が僕に助け船を出す。

……ダメだ。ここで叫んではいけない。

今の僕は、羽島真琴じゃないんだから。


これは夢でなく現実なのだと、改めて認識させられる。

そうでなければ、楓さんが僕のことを知らないはずがない。


「はじめまして」


ぎこちなく頭を下げると、楓さんはすました顔で軽く会釈をするだけだった。

この人は、人付き合いがあまり好きじゃない。

知り合いでないなら、まともに口を利いてくれないだろう。


「また喫茶店にでも行くんですか?」


遥が聞いた。

楓さんは人付き合いが苦手な上に出不精だから、外をほとんど出歩かない。

出歩くとしたら、楓さんの好きな珈琲をすする時くらいだけ。どうやら三枝でも共通の認識をされているらしい。

しかし、マフラーで半分顔を覆ったまま、楓さんはかぶりを振った。


「今日は別の用事……というか、ここが目的地」


そう言って楓さんは地面を指さす。


「昨日、この場所で交通事故があったでしょ。その事故に、私の知り合いが巻き込まれたの」


……僕のことだ。

楓さんは、僕の様子を確認しに来たんだ。


「知り合いって……」


僕と楓さんの関係性を知らない遥が素朴な疑問をぶつける。


「事故に遭ったって連絡を受けたの。私の、弟のような存在の子がね」


「事故……」


「そう。ここの交差点で、バイクに撥ねられたんだって」


「えっ……?」


驚いた顔をして、遥がこっちを見てきた。

どうやら、事情を察したらしい。

「どうしよう」

目を合わせた遥と、アイコンタクトで言葉を交わす。

正直に話せば信じて貰えるだろうか。いや、このままフリを継続するか――


「ああ、なるほど」


そのアイコンタクトを、楓さんがどう捉えたのかは分からなかった。

だが、楓さんは何かを理解したかのように頷くと、鋭い眼光でこちらを見つめた。


「君が、バイクで事故を起こした子だ」


顔をしかめ、眉を寄せ。僕を捉えたその目は、今までに見たことのない、敵を見るような目つきだった。


「それは……」


この瞬間、僕は絶対に正体を明かすことは出来ないと悟った。

下手なことを言えば、余計に楓さんの怒りを買うことになる。輪廻が起きたなんて言い訳、聞いて貰えるはずがない。


「どうなの?」


問い詰めるように、楓さんは口調を強めた。

僕を想ってくれているその怒りは、胸が痛いほどに嬉しい。

だが、それと同時に、楓さんに向けられた怒りが僕の心を苦しめた。

本当の事を言いたい。僕はここにいると伝えたい。

でも、被害者を偽る加害者の言葉に、誰が耳を傾けてくれるというのだろうか。


「……そうです」


認めるしかなかった。

これが楓さんの直感なら、否定することも出来なくはない。が、事実は事実だ。

嘘を付いたとして、後で楓さんの耳に伝わる方が余計な怒りを買ってしまうに違いない。


「……やっぱりそうだったか。昨日は遥も上の空だったからね。遥周りで何かあったんだとは、思っていたんだよ」


「…………すみ」


「謝らなくていいよ。私は君を特別責めるつもりはない。事故の状況を詳しく知っている訳じゃないし、真琴に非があった可能性もあるだろうからね」


淡々と話すその表情からは、その言葉が本当かどうかは分からなかった。

さっきまで僕を見ていたその目は、怒りに震えているようにも思えたけれど。


「……羽島君は、どうなりましたか」


「知らないからここに来たの。私が知ってるのは、真琴が事故に遭ったってことだけ。彼の家を尋ねてみたけど……誰もいなかったから」


……僕が事故に遭ったと聞けば、僕の母はすぐにでも駆け付けてくるはずだ。

人は二度死ぬ。

僕が輪廻して、こうなっているということは……。

答えは分かっている。だが、それを僕から告げる訳にはいかない。


「……美咲。安城美咲さんは」


「え?」


だから僕は、今1番知りたいことを聞いた。


「事故が起きた時、羽島君の他に女の子がいたはずです。安城美咲さんがどうなったのか……知っていますか」


事故を起こした張本人がここまで鮮明に覚えているのは違和感があるかもしれない。

だが、楓さんなら何かを知っている可能性がある。

楓さんは、僕だけでなく美咲のことも気に掛けてくれていた。

学校は違うけど、普段から連絡を取り合う仲だったはずだ。


「……そっか。君は、本当に何も知らないんだね」


楓さんはそれだけ言うと、ポケットからスマホを取り出した。


「……メールが来たよ。短い文章で、一言だけ」


そうして、そのスマホを僕に手渡してくる。

そこには美咲から送られたメールの本文が映し出されていた。


『私はもう、誰も守れない』


「君に見せるようなものじゃないだろうし、君が見ても意味が分からないかもしれない。だけど――」

「あの子は相当なショックを受けている。全員が全員、私みたいな態度だとは思わない方がいいかもしれないね」


……そんな。


『誰も守れない』

その言葉だけで、僕は全ての状況を理解した。









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