第2話「終わらない夢」

鏡で確認した自分の姿は、僕の……羽島真琴の姿ではなかった。

映っているのは、免許証に映っていた、金髪の男。


「何が起きているんだ……?」


僕は羽島真琴。

麗美学園に通う、高校二年生だ。

今まで十七年間の人生を、羽島真琴として歩んできたはずだ。

昨日まで歩んできた僕の人生は、決して夢なんかじゃない。

夢であるなら、こっちの方だ。


……が、この夢が醒める気配はない。

何より、身体の感覚と思考回路が、本物の現実感を抱かせている。


『稲沢誠也』


部屋に戻り、免許証の名前をもう一度確認してみる。

どうやら『稲沢誠也』というのが、この身体の持ち主らしい。


僕は、稲沢誠也になった……?


まさか、そんな馬鹿な話が。

だが、この身体に対する妙に重たい感覚も、

反響する自分の声への違和感も、

あたかも知り合いのような反応だったあの女の子の言葉も、

全て「稲沢誠也だから」と言われれば納得は出来る。


「……まさかね」


何もかもが、信じられなかった。

思い出した記憶が確かなら、

僕は昨日、交通事故に遭った。


美咲を庇って事故に遭ったあと……そこから先を、覚えていない。


僕がこんな姿でいるのはその事故が原因なのか、

それとも何か別の力が働いているのか。


考えてみたけれど、答えは当然分からなかった。

ただ、僕の身体が別人のものになった。

それだけは、変わることのない事実のようだ。


「……………」


こんな所にいてはいられない。

思考を巡らせて辿り着いたのは、昨日の事故の瞬間だった。


あれから、美咲はどうなったのだろう。

安城美咲。幼い頃から二人で過ごしてきた、僕の大切な幼馴染だ。

僕は昨日、交差点で動けなくなった美咲を助けようとして、事故に遭ったんだ。

結局、彼女が助かったのかどうかは分からない。

それを知る前に、気を失ったのだ。そうして、今に至る。


どちらにせよ、この部屋にいても居心地が悪い。

ここは稲沢誠也の部屋かもしれないけれど、僕の部屋ではないんだ。


ひとまずそれらしい服に着替えて、外へと向かうことにした。

状況は飲み込めないけれど、このままじゃ何も変わらなさそうだ。

他人の財布を持っていくのは気が引けたので、免許証だけを抜き出してポケットに入れた。

まずは学校か、それとも警察か……。

この状況をどう説明すればいいのだろう。


表札を確認すると、そこには「稲沢」と苗字が彫られていた。

やはりここは、稲沢家であるらしい。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


稲沢家から少し歩くと、寂れた商店街が見えてきた。

ここは麗美学園に向かう途中で通る道だ。


よかった。不幸中の幸いだ。

ひとまず、遠くに飛ばされた訳ではないようだ。


どこへ行くか迷っていたけど、まずは学校に行ってみることにした。

麗美学園に行けば、きっと美咲やあかりがいるはず。

警察に一から事情を説明するより、話が早いかもしれない。


「あれ、誠也……?」


だが、この姿で話しかけて話を聞いてくれるのだろうか。

この姿は、僕ではない他人の姿だ。

もしかしたら、話す以前に拒絶されてしまうかもしれない。


……いやいや、大丈夫だ。

これはきっと紛れもなく現実に近い夢なんだ。

他人の身体になるなんて、そんな現実がある訳がない。

美咲やあかりに話しかければ、その瞬間に夢から覚めてくれるはず。


「ちょっと!」


「え……?」


そんなことを考えて歩いている時だった。


「こんな所で何してるのよ?」


さっきの子と同じ、三枝の制服を着た女の子が、僕の顔を覗き込んでいた。


「僕……ですか?」


「あんた以外、誰がいるのよ。電話もメールも全部無視しておいて……家に帰ってきたわけ?」


やはり、僕に話しかけてきている。

そういえば、さっき「誠也」と呼ぶ声が聞こえた気がした。

どうやら、この子も僕を「稲沢誠也」として扱ってくるらしい。

なんだ。僕の身に何が起きてるんだ……?


「……すみません」


「何よ。らしくない反応じゃない」


どう振る舞えばいいのだろうか。

適当にそれっぽくするのも限界があるし、

事情を話すにしても、まず僕が整理しきれていない。


「……ちょっと、記憶が混乱してて」


だから、もっともらしい理由を付けることにした。

嘘は言っていない。


「記憶が? 何があったのよ、大丈夫?」

「……って、それが分かったら苦労してないか。

んーっと……私のことは分かるよね?」


「……すみません」


「本気で言ってるの?」


「……………」


「私よ、私。瀬川遥。

いくら記憶が混乱してるって言っても、私の名前を忘れるのはナンセンスじゃない?」


瀬川遥。

初めて聞く名前だ。

もちろん、一度も話したことはない。


「……分かりません」


「……本当に?」


目の前の子……遥さんは、信じられないといったように目を丸くした。

さっきの子とは違って、まともに話はしてくれそうだった。


「はぁ、これは重症ね。よくこんな状態で家に帰ってこれたわね」

「随分派手にやったって聞いたから、これでも一応心配してたんだよ?

身体は無事みたいだけど、全然大丈夫じゃないわね」


「えっと、何の話……ですか?」


「まさか、それも覚えてないわけ?」

「事故よ、事故」


事故……?


「私も人から聞いただけだけど、あんた、トラックと衝突したらしいじゃない」


「僕が……事故に遭ったんですか?」


「私に聞かれても困るわ。あくまで私はそう聞いたから慌てて連絡したんだけど……って、その敬語やめてくれる?」


……なんなんだ。


たしかに僕は昨日、交通事故に遭った。

でも、衝突したのはトラックじゃない。僕は、バイクに跳ねられたんだ。


おかしい。

意味不明にも程がある。

別人の身体になったかと思えば、事故に遭ったかどうかと聞かれ、

終いには「稲沢誠也」という知らない男の名前で呼ばれている。

何がどうなって、僕はこんなことになっているんだ?


「ねぇ、誠也。ほんとに何も覚えてないの?

あんたが変なのはいつものことだけど、今日はちょっとどころの話じゃないよ?」


「……………」


「教えてよ。一体何があったの?

誠也の力にはなれないかもだけど、私でよければ話くらいは聞くよ?」


「誠也……じゃない……」


「え……?」


気が付けば、そう言葉を発していた。

違う。僕は、稲沢誠也なんかじゃない。

状況の理解に努めていたけど、もう限界だ。理解が出来ない。

内なる自分を否定されたような気がして、僕は訴えるようにして言った。


「一体何があったのか?

それはこっちが聞きたい。僕に一体、何があったんだよ」


何が正解で、何が正しいのか、僕にはもう分からない。

ただ、これが夢ならば、もう早く覚めて欲しかった。


「……あんた、疲れてるんだよ」


そんな僕を見兼ねたのか、遥さんは慰めるように諭した。


「まずは少し落ち着こう?

私でよければ、いくらでも付き合ってあげるから」


遥さんはそう言って、僕をじっと見つめてくる。

冗談を言っているような様子じゃない。

それは、僕を本気で心配している不安そうな表情だった。


この子は一体、僕のなんなのだろうか?

それとも、この身体の持ち主と関係があるのだろうか?


どちらにせよ、そんな顔で見つめられると、なんだかこっちが申し訳ない気持ちになってくる。


……たしかに、そうだ。


僕が事態を呑み込めていないのに、この子へ聞いても仕方がない。

遥さんの言う通り、少し落ち着いた方がいいかもしれない。


この子が僕をどう思っているのかはしらないけど、

このまま話をしなければ、もっと心配されてしまいそうだった。


……話せば、状況を理解してくれるだろうか?


その答えは分からない。

どちらにせよ、この夢はしばらく続きそうだった。


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