思い出は黒い水を弄るように

 太陽が天高くまで昇り、その輝きがぼくの瞼を刺す。強い気怠さと少しの頭痛にうんざりする。目を瞑ったままスマホを探り、なんとか探し当てて、重たい瞼をこじ開けた。

 着信がいくつも入っていた。Mさんからだ。たぶん、ニュースを見たんだろう。メールが届いていて、"怖いから会いに行っていいか"という趣旨のことが書かれている。ぼくはとりあえず、彼女に電話をかけてやることにした。いくつもコールしないうちに通話が繋がった。


「もしもし?Mさん大丈夫?少し眠っていて気が付かなかった、悪かった。」


「...ううん、大丈夫、ありがとう...声が聞けただけでも安心したわ...ねえ、今から、会いに行っていいかしら?迷惑じゃなかったら...。」


「もちろんだよ。」


 心なしか、Mさんの声は震えているようだった。つまり、彼女は怯えている。"あの日"の5人のうち、3人が既に死んでいるのだ、無理もなかったし、ぼくの声も恐怖が滲み出て彼女に伝わっているに違い無かった。しかも、何一つとして手掛かりになるような情報も無かった。そんな状態で、スマホ越しで彼女に昨日何かあった聞くことは、ぼくにはなんとなく怖くて出来なかったし、彼女もなんとなく、ぼくに何かを聞くことを恐れているような気がした。

 じゃあ後で、と通話を切った。20分かそこらで、タクシーが1台駐車場へ入ってきた。タクシーからMさんが降りてくる。白いワンピース姿で、白い日傘をさして、あらためて綺麗な人だと思った。ぼくからすると、彼女は異常なほど綺麗に見える。僕はやはり彼女が好きなんだろう。ぼくは車を降りてMさんを迎えた。近くまで走り寄ったぼくが声をかける前に、彼女が口を開いた。


「とりあえず、車に乗らない?」


 ぼくはにっこり笑って無言で頷き、運転席に乗り込んだ。Mさんが助手席に座り、何も言わず、俯いている。ぼくが車のエアコンを調節していると、Mさんは深くため息を吐いて、話し始めた。


「昨日、何かなかった?」


「何かって?」


「その...馬鹿にしないで欲しいのだけど...幽霊が出た...とか。」


「...AさんとSさんの?」


「ううん...アレが幽霊だったのか分からないけど...黒い水...わたいの部屋の中にね...でも、幻覚だったかもしれないんだけど...もしかしたら君も同じ目に遭ってるんじゃないかって思ったの。」


「Mさんとは違うかもしれないけど、AさんとSさんが...Kくんも、きっと死んだ後に会いにきたと思う...夢か、幻だと思っていたけど...。」


 Mさんは少し落胆したような、困惑したような表情をしている。ぼくとMさん、それぞれ違う怪現象に遭っているからだろうか。彼女は少し考え込んで、次第に思い詰めたような表情になる。


「わたしのところにはみんなの霊は来なかったわ。ただ、最近、黒い水を部屋の中のいろんなところで見るようになって...初めは気のせいだと思ったけど、昨日は水だけじゃなくて、部屋の中に大きな黒い水溜まりが出来ていて、水面を覗き込んだら、顔がね...」


「顔?」


「そう、蒼白くて、目が窪んでいて...髪が長くて...わたしに向かって両手を伸ばしてきて...びっくりして飛び退いたら、もう水溜まりは消えていたわ...わたし、怖いの...次はきっと、わたしなんだわ...。」


 あの顔の見えない記憶の少女だろうか...Mさんは肩を竦めて震えている。彼女のその姿...どこか見覚えがあった。目の前に過去の景色が一気に広がったように錯覚するほど鮮明に思い出す記憶。耳鳴りがザザァとなるように感じ、記憶だけに神経が集中する。

 その記憶は...5人が暗い顔をして並んでいる記憶...あれは...山の中...木々の隙間から古い木造の建物が見える...Kくんが言っていた記憶はこれのことだろうか...。


「いま...思い出した...山の中でみんなで集まったんだ...Mさんは今のMさんみたいに肩を竦めて震えてた...古い木造の建物があって、あれはもしかして、学校なんじゃないか...?例えば、古い校舎とか、廃校とか...。」


 Mさんは怯えた目でぼくを見つめている。


「わたし...わたし、怖いわ...旧い校舎、確かにあるのよ...今まで忘れてたけれど...そこ、確かに山の近くだわ...。」


 ぼくはそのまま続ける。


「そこで...箱を開けたんだ。黒い箱だった。中身は...水だった気がする。水が波打っていただけだった。その後...気が付くと女の子が1人いたんだ。裸足で、どう見ても場違いな子だった...。彼女は言った。”みんなでかくれんぼをしよう”って...。」


「...かくれんぼ?」


「そうだ...記憶が確かならね...彼女は鬼になって...そこから先が思い出せないけど...その場所に行けばもっとわかるに違いない。このままじっとしているより、行くのが良いだろうと思う。行こうよ。」


 ぼくはエンジンをかけてハンドルを握った。Mさんに案内を頼み、車を走らせる。見覚えのある街並みが続き、右へ左へ曲がり、小一時間ほど走ったあたりで民家が少なくなってきて、小高い山のすぐ下に、古びたボロボロの木造校舎が見えてきた。門の前に車を停めて、様子を窺う。

 ところどころ柱が腐り落ちていて、見るからに危険な状態だ。よく形を保っているものだ。そうだ、ぼくたちはよくこの旧い校舎で遊んでいた。何故か取り壊されず、備品もそのまま、鍵も掛かっていないこの場所は、格好の遊び場所だった。5人でよくかくれんぼをして遊んだ。夏には花火をやり、冬にはかまくらを作ってみんなで入った。あまり他人には自慢出来ないようなやんちゃなことも何度かみんなでしたものだった。

 "あの日"は確か、Kくんが言ったんだ。


「...裏の山に神社があったんだ...みんなで行ってみないか...。」


 Mさんが突然呟いた。どうやらぼくと同じ記憶を思い出していたようだ。彼女は虚な目でダッシュボードを見つめて、ぶつぶつと、思い出を呟き続けている。


「Kくんはあの日言ったわ...黒い鳥居...黒い社があったよって...。」


 そうだ。そしてみんなで、裏山に登った。今では入り口は舗装されているけれど、15年前は砂利道だった。車を動かして、記憶を辿りながら山の中に入って行く。しばらく行くと、道路脇に獣道があった。ここだ。

 Mさんと顔を見合わせた後、車から降りて獣道へ分け入って行く。がさがさがさと、植物の葉や枝、蔦が擦れる音がする。この音が100回くらいした辺りに鳥居があるとKくんは言っていた。

 しばらくがさがさと進んでいくと、急にひらけた場所に出た。ボロボロになって半分腐った鳥居が建っていた。思わず2人で顔を見合わせた。


「あった...。」   「あったわね...。」


 鳥居の額束にはあるはずの神額が無い。鳥居の下を見ると、割れた神額が落ちていた。Mさんと2人で破片を元の形になるよう合わせてみた。文字が擦れて消え掛かっているせいで、ほとんど読めない。


「しろ...うーん、読めないな...誰かが削り取ってしまったような跡だな...。」


「ええ、それに、鳥居が黒く無いわね...。」


 Mさんが口を挟む。確かに、鳥居は黒く無かった。木でできたそれは、塗装がほとんど剥げていたが、残った塗装は白い塗料だった。鳥居の柱に手を触れると、15年前もそんなことをした覚えがあった。あの時はもっと柱が濡れていた気がする。雨か、霧か...霧は濃かった気がするな...。


「とにかく、中に入ってみよう。」


 鳥居の奥へ進んでいく。道はずうっと落ち葉に覆われていて、湿気で地面がぶよぶよしている。湿気が立ち上り、腐った土のにおいが吐き気を催した。立ち枯れた木が並び、空は見えず薄暗い。鳥居があるところからは見えなかったが、少し奥まった場所に小さな社が二つある。どちらもやはりボロボロで半分腐ったような状態だった。


「やっぱり、黒く無いね...。」


 Mさんがぼそっと言った。僅かに残された塗料は白かった。ここは白い鳥居と白い社の神社だった。それもかなり小さくて、しかも、どことなく素人が手作りしたような拙さがある、粗末な造りをしていた。大きさもこじんまりしていて、5人で居たところだったのか、覚えがはっきりともしなかった。

 社の中を覗くと、一つは中が崩れていてもう何があったのかわからなかった。崩れた柱や木材の隙間からは何も無いように見えた。もう一つも崩れていたが辛うじて木材の隙間から中が見える。中には、半分腐ったような箱が一つ置いてあった。箱はぼくが入れるくらいの大きさがあり、ふたが少しずれている。箱の置いてある床だけ、黒っぽいシミが広がっていた。


「なんだこれ...?」


 ただ単に四角に組まれた木箱は、単に何かを入れていた梱包箱のようにも見えたが、なんとなく棺のようにも見えて気持ち悪い。良く見えないが、箱の中は腐って真っ黒になっているようだ。何も入っていないように見えるが、この湿気のせいか、湿っぽくなっていて、腐った汁みたいなものが、黒い水となってわずかに滲み出ていた。


「何もない...ここってなんだったんだろうか...もう何かを祀った神社では無さそうなのは確かだけど...。Mさんはどう思う?」


 話しかけながらMさんが居た場所へ視線をやる。彼女はまた虚な目をして、木箱を見つめている。ぼくの声は彼女には届いていないようだった。


「箱...箱は...みんなで開けた...池があって...そう、池...池を探さなくちゃ...。もう一度...約束したから...。」


 池...確かに、何となく思い出してきた。"あの日"は、かくれんぼをした。女の子は”捕まった人はアタシのものになる”と言っていた。みんななにも不思議に感じていなかった。彼女はやたらめっぽうかくれんぼに強くて、何度やってもみんなすぐにみつかった。彼女は鬼以外をやらなかった。もう一度、もう一度と、なんどもかくれんぼせがんできた。

 5人で暗い顔をしていたあの時は、霧が濃く出ていて...池の前で、みんなで並んでいたんだ。一体何があったんだ...肝心なところが思い出せない。それに、黒い鳥居はどこにあるのか。この小さな山では、たぶんこんな場所は2つも無いだろう。そもそも記憶違いだったのか...。

 そんなことを考えているとMさんは池...池...と呟きながらふらふらと社を出て行ってしまった。急いで跡を追いかける。外に出るといつのまにか濃い霧が出ていて、辺り一帯すぐ目の前も見えないような状態になっていた。


「Mさん!?Mさん!!霧が出てるから危ないよ!戻ろう!!」


 Mさんの姿ももう見えなくなっていて、叫んでみたが返事は無かった。彼女は池を探しに霧の中に行ってしまったのか...その時微かに、霧の先で何かが動いた気がした。今のはMさんだろうか。人だとは思うが...胸のあたりがざわざわする。鼓動が少し大きくなった気がした。霧の先の影を追いかけた。今できることはそれしか無かった。霧の中を追いかけるこの景色も見覚えがあった。あの子だ。あの時、みんなであの子を追いかけた。追いかけられた。

 進めど進めど影に追いつく事はなかったが、少し進んだ先で、大きな池があった。Mさんが探していたのはきっとこれだ。池は、真っ黒い水が広がっていて、波一つ立たず、生き物の影も見えない。まるで、あの世とこの世の境のように思えた。


「やっときた。」


 突然真後ろで声がした。体がビクッと反応して振り返ったが何もいない。周囲を見回すがやはり何もいない。今の声...幻聴とはとても思えなかった。湿っぽい吐息の感触までリアルに残っている。やたら低い声だったが、小さな女の子の声だったような気がする。あの子に違いない。あの日、最後のかくれんぼでみんな見つかった時、もう日が暮れそうになっていたんだ。彼女は全員帰す気が無かった。何故なら、かくれんぼで勝ったからだ。ぼくは気持ち悪さで吐き気を覚えながら、この場から離れたくて元来た道を戻った。

 霧はところどころさらに濃くなっていて、何度か迷いそうになったが、うっすら社の形が見えてきた。霧が濃いせいか、社の影がまるで黒い社のように思えた。子供の頃の記憶はこの見た目が修正されたイメージだったんだろうか...確かに、あの日、濃い霧が出ていた...。そんなことを考えながら社に近づいていった。

 段々と霧の奥の実体が姿を表すと、言葉を失うほか無かった。そこに黒い社があった。口が半開きになったまま、社の柱に触れると、びちゃっと真っ黒な水が掌に纏わり付いた。社は真っ黒な水に覆われていた。急いで走り、鳥居まで戻る。予想通り、鳥居も同じように真っ黒な水が滲み出して、黒い鳥居になっていた。

 Aくんは水だ!気持ちわり〜と言った。一気に記憶が蘇る。5人できた時もこうだった。みんなで中に入った。霧が濃くて、はぐれそうだったのが怖かった。Kくんが箱を見つけ、無地の札を剥がし釘をなんとか抜いてみんなで開けた。中はやはり空だった。黒い水が入っていた気がする。それで、みんなで箱を開けた後、気がつくと女の子が1人いた。知らない子だった。みんなで遊んだと思う。あのかくれんぼだ。なんで知らない子なんかと遊んだのか...みんな子供だったからだろうか。最後は池に案内された。そこが家だとか言っていた。みんなあの子を気色悪がった。日が暮れてきて、みんな帰りたがった。あの子は許さなかった。特にKくんが気に入られていて、あの子はKくんを池に引っ張り込もうとした。みんな冗談だと思っていた。確かその時だ。Mさんが女の子を突き飛ばしたんだ。


「ねえ」


 また耳元で声がした。Mさんの声だったが、後ろを振り向いても誰もいない。そうだ、Mさんはどうしたんだろう。池の近くにいるんだろうか?早く探さなくては。嫌な予感しか感じない。鼓動は早く、背中に汗が伝うのを感じた。Mさんを探し走りながら、思い出が鮮明にやってくる。あの時聞いた声、5人の表情がごちゃごちゃと頭の中に落ちてくる。

 女の子が池に落ちて、Mさんは何も言わなかった。あの子は一度池から浮かんできた後...沈んで2度と水面に出てこなかった。あの水はただの水じゃ無い。上澄はきれいな水だがきっとその下は沼になっているんだ。もがくほど沈んでいく。ぼくは助けを呼んでくる、必ず戻るからと叫んで走って山を降りた。みんなもぼくに続いて山を下りた。山を下りると警察がたくさんいた。ぼくたちは遭難したことになっていた。半日経ったと思っていたら、行方不明となって2週間も経っていた。親にこっぴどく叱られ、事情を話しても誰にも信じてもらえず、そのうちにぼくたちはこの大事件を黙っているしかなくなった。そうしてぼくらは人殺しをしたのだった。

 池に着くと、Mさんが池の真ん中に立っていてこちらを見ている。彼女は微笑んでいて、ぼくを手招きしている。...遅かったんだ。きっと僕たちはあの日女の子と遊んでいて、彼女を殺してしまった。その恨みや呪いが、今となってみんなを彼女のもとに引き寄せたんだ...Kくんも、AくんもSさんも、この池に来たに違いない。ここで溺れ死んだ、もしくは黒い水が逃げ出した彼らのもとへ行ったんだ...。そしてMさんまで...。

 ぼくは池の中に踏み込んでいく。底はやはり沼になっていて、ずぶずぶと沈み込んでいく。Mさん...Mさんのところに行かなくては。その時後ろから何か音がして振り返る。真っ黒な水が人の形をして何か叫んでいる。ぼこぼこっと水の音がして、何を言っているのかは全く聞こえない。その黒い水の塊は池に沈んで行くぼくの腕を掴み、強引に引き揚げる。ぼくは溺れ死ぬのではなくてこの黒い何かに殺されるのか...。そう思いながら気を失った。視界の端に居たMさんはいつまでも微笑んでいた。

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