第26話 風邪と緩められないはるか

 月曜日から始まるテストを控えた前日の日曜日の朝。


 朝食の用意をしようとリビングに向かうと、はるかが先に準備してくれていた。そこまでは良かったんだけど、いつもより顔色が悪く、足元がふらついていた。


「おはよう、隆弘……っこほ、こほっ」


 せき込んでもいるし、見るからに体調が悪そうだ。


「ちょっと、はるか!?」


 心配になって慌ててかけよろうとするが、手で制止されてしまう。

 

「けほっ……大丈夫よ。それより早く朝食食べましょ?」

「いや、大丈夫に見えないって……風邪じゃないの?」

「うん……最近少し無理してからかも……けど、熱はないしすぐ治るわ」


 そうは言うけど、熱があることくらい見てたら分かるし、無理もしているんだろう。最近のはるかは、細い糸を極限にまで引っ張るように必死だった。その反動が今日に来たんだろうけど、なんてタイミングが悪いんだ……。


「とりあえず、今日は休も? 悪化してもよくないし」


 咳き込んでいるはるかの背中をさすりながら、僕は優しく促す。

 衣服越しに伝わるはるかの体はひどく熱かった。


「僕も一日中、傍で看病するからさ」


 だというのに……。


「そんなことできるわけない……明日からテストなのよ……今日がどれだけ大切なのか、隆弘だって分かるでしょ……」


 絞るような声ではるかは突っぱねた。それにすごく悲しそうな表情をしていた。一体、何が彼女をそこまで……。


「それに隆弘が来るまでも勉強してたし……けほけほっ、何も問題はないわ」


 リビングにある机に視線を移すと参考書とノートが広げてあった。僕が寝ている間も勉強していたらしい。こんなフラフラだというのに……。


 結局、それからは僕が何を言っても聞き入れてもらえなかった。食欲があるのは良かったけど、悪化しないのか心配だ。ただ、集中したいから一人で勉強するっていう提案だけは却下させてもらった。流石に、今のはるかを一人にしておけない。


 そうして勉強を始めたのだが、


「くしゅっ! ごほっ……うぅ~」


 およそ10分に一回くらいのペースで咳き込んだりしている。頭が回ってないことくらい明白だった。

 その証拠にというか、参考書のページが全然進んでいない。


「はるか……」

「ありがとう、でも大丈夫だから……」


 それに僕がいくら声を掛けても聞く耳を持ってくれなかった。どうも、意固地になっているというか主席以外の何かにこだわっているようにも感じる。

 そのまま、はるかはがむしゃらに勉強を続けていた。


「もぅ……しっかりしなさいよ私。明日はテストなんだから……」


 はるかの体調は悪化し続けているばかりだ。本格的に限界が近づいているんだろう。時計で時刻を確認すると、勉強を始めてから二時間も経っていた。

 そろそろ、無理言ってでも休ませないといけない頃だろう。


「もう二時間も勉強したし、そろそろ休もう? そうじゃないと、明日のテストに支障が──」

「しつこいわよっっ! 勉強の邪魔しないで!」


 僕の言葉が癇に障ったのか、怒鳴ってくる。


「なんだってそんな……」

「私は学年主席じゃないといけないのっっ! 私はあの優木はるかなのよ! そうじゃないと、私の地位も価値も……だから邪魔しないでよっ!」 


(地位も価値も……?)


 どうしてかは分からないが、はるかの話すその二つの単語が耳について離れなかった。ため込んでいたものが溢れ出すようにはるかの言葉は続く。


「あなたは私の彼氏なんでしょ……私のこと好きなんでしょ……だったら、私のこと応援してよっ!」


 目尻に涙を浮かべながら、はるかは大声で僕に訴えてきた。

 今までの僕ならそうはしなかったはずだ。でも、今は彼氏だ。

 だから──


「彼氏だから心配するんだろっ! いいから寝ろ!」


 声が大きくなったはるかに、僕はそれ以上の声で怒鳴った。その『意志』をくじかないと休んでくれないって分かってたから。彼氏として、怒鳴ることになってもはるかの体調を気遣う義務がある。何よりも、心配で仕方なかった。


「な……なによ、もう。そんな……わかったわよぉ……」


 僕が怒鳴ったことにひどく驚いていたが、渋々ながらきちんと自室のベットで寝てくれた。流石に無理しすぎていたようで、すぐに寝息を立て始める。


「う……うぅん……」


 僕はその間傍らで、濡れタオルと風邪薬を用意した。


「っは……はぁ……ぐすっ、隆弘ぉ……行かないでぇ……」

「大丈夫だから、僕はここにいるから」


 安心してほしい気持ちを込めて、手を優しく握る。

 見てるこっちの方が辛いくらいだ。胸が痛い。そんな感覚だ。


「価値と地位か……」


 はるかが先ほど言っていた言葉。当たり前だけど、はるかの価値も地位も学年主席以外にあることなんて明白だ。でも、今の彼女はそこにとらわれているような気がする。


 だったら僕がすることが一つしかない。僕はすぐさま、それに取り掛かった。

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