第14話 無事着地

 日がたっぷりと暮れた八時、私とグレースとジェイソンの三人は、黒装束に身を固めホテルを出発した。ホテル内でその格好は怪しまれるため、カモフラージュ にパーカーやジャケットを羽織る必要があったほど、如何にもこれから大泥棒でも働くという出で立ちだった。

 ホテルを出て街外れに向かう中、グレースは緊張の面持ちでいた。車の中は自然と静まり返る。何処かで聞いたことのあるヒット曲が、貧相なラジオ音質で気休めの様に車内へ流れていた。

 道路に激しい渋滞はなく、世間は日常の時を刻んでいる。約二十分で集落の南端にたどり着くと、私たちは素早く道具の点検をした。

 グレースには、一人でエリック邸の裏手に行ってもらう。私が一緒に行ったら安全だが、その場合私の車へ戻る時間が余計に掛かる。出来るだけ速やかに作戦を実行出来るよう、そこは個別行動とした。

 片眼の暗視スコープ、木に塗りつけた特殊塗料を見る為のメガネ、拳銃とナイフ、小麦粉、木登り用のザイルとスパイク、携帯をグレースの背負うナップザックに入れる。

 そして三人の携帯を、マルチトークサービスで繋げた。ヘッドセットでお互いの音声が聞こえる事を確認する。

 頭からすっぽりとマスクをかぶったグレースに、私は言った。

「携帯は繋ぎっぱなしにしておけ。道は分かるな」

 グレースが頷く。目と口しか出ていないマスクのせいで、細かな表情は分からないが、やはり緊張気味のようだ。

「エリック邸侵入は十時半だ。ジェイソンが鉄塔に待機するが、彼にお前の場所は見えない。何かあっても援護射撃はできないから、緊急時はジャングルの中へ逃げろ。何処でもいい、出来るだけエリック邸から離れるんだ。どこへ行っても、俺がお前を見つけて救出する。レーザーには気をつけろ。あれに触ったら、今日の作戦は中止だ。昨日と同じように、慎重に下をくぐるんだ。細かなところは携帯で連絡を取り合う。何かあったら声を出せ。俺とジェイソンがお前の声を聞いている。何か質問はあるか?」

 彼女は頭を左右に振った。時刻は八時半だった。

「よし、作戦開始だ」

 グレースはナップザックを背負い、エリック邸へ繋がる道路を横切り、森の中へ姿を消した。

「マイクテストだ。声は聞こえているか?」

『大丈夫。聞こえる』

 ヘッドセットは良好なようだ。

「木に塗ったマーカーは見えているか?」

『見える。問題ない』

「分かった。俺もこれからヒルトップへ向かう。時間は充分ある。焦るな。慎重に行け。歩く速度は昨日の半分でいい」

『オーケー』

 しっかり落ち着いているようだ。彼女の歩く音が、電話からリズム良く聞こえている。その音が響いているうちは、彼女が順調に進んでいるということだ。

 私とジェイソンは、ヒルトップへ向かう国道へ入った。国道といっても片側一車線の、細く曲がりくねった登り道だ。一応舗装はされているが、街灯のない暗い道だ。

 離陸ポイントまでの直接距離は六キロ程度だが、蛇行しながらの道だけに、走行距離は直線の一.五倍となる。しかし、掛かる時間はせいぜい二十分だ。時折道端にレストランや民家が現れるが、人影はない。前後には対向車も同じ方向へ向かう車もいなかった。

 私が目的地へ到着するのは、九時を少し過ぎた辺りを予定している。グレースがエリック邸の裏へ到着するのは九時半、ジェイソンが集落へ引き返し鉄塔にへスタンバイするのは九時五十分だ。そして私の離陸が十時十分である。エリック邸への着地予定は、十時十五分だった。

 今のところ、全て予定通りだ。いや、この段階で何かが狂うようなら、今日の計画は即刻中止すべきなのだ。全員が所定の位置に到達してからが、本番となる。

 先ずはエリック邸の屋根に、無事降りなければならない。天候は予測の通り穏やかだ。

 エリック邸の屋根は、ヨーロッパによくある天然スレートだ。その事は鉄塔から確認済みだった。建物はコンクリート作りで、そこにスレート材がきっちり乗っていれば、多少の振動は建物内部に響かない。

 屋根に平らな場所は意外に多かった。着陸の際、受け身を取るスペースはまあまあある。屋根にはオウトツも多いため、ロープを引っ掛ける場所も多そうだった。

 後は爆弾付きリモコンカーを放ち、ジェシカのいる部屋までロープにぶら下がり降りる。そして鉄格子を王水で外す。誰にも見つからなければ、後はジェシカを連れて窓から悠々と逃げるだけとなる。

 グレースは、順調に進んでいるようだ。特に異変はない。地面を踏みしめる音が、変わらぬ調子でヘッドセットから聞こえている。

「グレース、聞こえるか?」

『何? もう着いたの?』

 相変わらず前へ進みながら、彼女は応答した。足音がなりやんでいない。

「あと十分で到着だ。こちらは異状なし。そっちはどうだ?」

『私は大丈夫。木に塗った目印のおかげよ』

「分かった。レーザーをくぐるときは慎重にやれ」

『オーケー』

 横で運転しているジェイソンは、特に心配ないだろう。彼の役目であるバックアップは、無事に事が進捗すれば不要なのだ。そして彼は、随分錆びついたとはいえ軍隊出身のプロだ。グレースのような素人ではない。危険を察知する能力があり、何かが起きても独自の判断で臨機応変に対応できる。

 標高が上がり、左手に時折セブの夜景が見えるようになった。電飾に煌めく街が見えるのは、ほんの一瞬だ。丁度切れ目があるのだろう。

 私の決めた離陸ポイントは、もう少し高地の開けた場所だった。助走のほとんど不要なパラグライダーでも、飛び立つ時にはそれなりの広さが必要となる。離陸時やその直後、風を受けるパラシュート部分が何かに引っかかれば、当然その先の飛行はできない。そして強風や無風、あるいは乱気流が発生している時には、飛行を断念しなければならない。

「もうすぐ到着する」

 ジェイソンのじかの声と、コンマ何秒か遅れた声がヘッドセットへ届く。無意識にダッシュボードの時計を見ると、もうすぐ九時になろうとしていた。

 彼の申告通り車は国道から左折し、未舗装の狭い道へ入った。車の砂利を踏む音と共に、車体が揺れる。道路の脇は背の高い藪で、ヘッドライトの光が届かない先は闇に包まれていた。

 突き当りで車を停車させ車外へ出ると、辺りに虫の声が響いている。

「グレース、俺は目的地へ到着した。そっちは順調か?」

 相変わらず、彼女の足音がヘッドセットに届いていた。

『順調よ。問題ない』

「了解。そのまま気を付けて進め。ジェイソンはこれから鉄塔へ向かう。目的地へ着いたら連絡しろ」

『分かった』

 彼女の声が途切れ、再び足音だけになる。

 私は用意した機材をトランクから取り出し、ヘッドライトの明かりの中で、ナップザックの中身を点検した。勿論何も問題はない。

「ジェイソン、装備はオーケーだ。鉄塔へ向かってくれ」

 彼は無言で頷き、車へ乗り込むと一旦バックし、国道へと向かった。

 車のエンジン音が遠ざかると、その場は月明かりだけが頼りの、藪に囲まれた辺鄙な場所になる。虫の音が一層うるさく響いた。気温は随分低く、長袖を着込んでもまだ肌寒い。

 装備を担いで藪の中を進むと、直ぐに視界が開けた。セブシティーの明かりが、眼下に広がる。暗い山中から見ているせいで、充分な光量を感じさせる見事な夜景だ。普段人が入り込む事を想定していない、ベンチも何もない場所だが、時折夜景を見に来る人がいるせいで、断崖から十メートルの半円を描く様に藪が無くなっている。万が一誰かがそこへいたら、夜景を楽しみながらナイト飛行を試みる酔狂な人間の振りをし、素知らぬ振りでダイブするつもりだったが、幸い誰一人そこを訪れている人はいなかった。

 離陸予定の十時十分まで、充分時間がある。私は地面にパラグライダーを広げる準備を始めた。海側からいい具合に風が吹き上げている。離陸は簡単そうだ。

 グレースから、エリック邸の裏手に到着したと連絡が入った。時計を見ると、予定より十分早い。

「レーザーは大丈夫だったか?」

『問題ない。きちんと下をくぐり抜けたから大丈夫と思う』

「次は昨日と同じ木に登り、内部の様子を探ってくれ。ジェイソンが鉄塔に待機したら、作戦をスタートする。内部に変わった様子があったら知らせてくれ」

『オーケー』

「木の登り方は問題ないな」

『大丈夫。これでも運動は得意だから、心配ない』

 頼もしい返事だ。離陸まで一時間近くある。私は風の様子を注意深く観察した。

 実はジェシカを連れてエリック邸を抜け出す方法について、私はまだ迷っていた。

 ジェシカの部屋へ入り込んだら、彼女へスワミベルトを装着し、そこからが分かれ道だ。

 ジェシカのいる部屋から弓矢で塀の外へロープを飛ばし、それをグレースが塀の外で木へ固定する。斜めに張られたロープを滑車で滑り下りることで、自分たちがエリック邸の外へ逃げ出すという案が第一候補だった。この方法の難点は、ロープが塀の上に張られたレーザーへ触れたら警報が鳴るかもしれないことや、滑り下りる際に他の部屋から見えてしまうことだった。通常、電気をつけた部屋から暗い外の様子は見えないが、万が一誰かが庭を覗けば見つかってしまう可能性がある。

 そのリスクを避けるには、パラグライダーでエリック邸の屋根に着地し、ジェシカの救出後は再びパラグライダーで飛び立つという案もある。この案は、風の調子次第で使えるだろう。

 もし屋根からパラグライダーで飛び立つとしたら、高さが不足しているためすぐ上昇気流に乗らなければならない。万が一失敗しても、せいぜい森の中で木から宙ぶらりんになるくらいだが、上手くいくようであればできるだけパラグライダーで遠くへ逃げてしまいたい。

 ただしその場合、帰路もグレースを森へ残すことになる。どの案にも少なからず穴があった。

 しかし、離陸を前にして決断しなければならない。

「グレース、救出方法をオプションBにする。俺たちがエリック邸から飛び立つことができたら、お前はすぐに集落へ引返せ。ただし、離陸が上手くいかない場合はお前がバックアップになる。俺たちが上手くいくのを見届けてから移動を開始してくれ」

 すぐに彼女から、オーケーの返事が返ってくる。彼女に迷っている様子はない。

「ジェイソン、今言った通りだ。エリック邸を出た後、俺はできるだけ集落方面へ飛ぶ。誰かがこちらの様子を見ていないか、鉄塔から観察してくれ」

『了解』

「二人とも聞いてくれ。とりあえずオプションBでいくが、何かがあればその場で作戦を切り替える。その時上手く連絡を取り合えるか分からない。その場合、それぞれの判断で対処してくれ。基本は各自逃げることだということを忘れるな。グレースは森の奥へ行き、ジェイソンは自宅方面へ車を走らせる。それが基本だ。グレース、お前がどこにいようと、こちらからお前の場所は分かるようになっている。だから森の奥へ隠れたら、もう動く必要はない。じっと俺の救援を待っていればいい。これが緊急時の動きだ」

 二人が同時に、分かったと言った。

『佐倉さん、エリックの家は今、とても静かよ。特に変わった様子はない。多分彼らは、何も気付いていない。ジェシカの部屋には電気がついている』

『佐倉、俺もこれから鉄塔へ向かう。十分後には奴らの様子を報告できる』

「助かるよ。とにかく二人とも、無理はしないでくれ。俺から言いたいのはそれだけだ」

 私はパラシュートを背負っていくが、それを使わず、パラグライダーでエリック邸の屋根に着陸するイメージを頭の中で膨らませる。今日の風なら、いけそうな気がした。三十分後には離陸だ。

 今度は、ジェイソンが森の中を歩く音が聞こえ出した。いよいよ彼も鉄塔へ向かったようだ。涼しい気温でさえ、身体にじわりと汗が滲む気がした。

 パラグライダーを操るのは、実に三年ぶりだ。日本では、指導者の資格を持っている。つまり本来、日本でのパラグライダー飛行は行政が指定する場所のみ可能で、しかも許可なく飛行はできないことを知っているのだが、フィリピンのルールがどうなっているのかは知らない。しかし山の近辺は、航空管制区域になっていないはずだ。つまり、通常運行される旅客機の飛行ルートにはなっていない。着陸は全てが海側からのアプローチになっているし、離陸はすぐに海へ抜けるか、せいぜい島に沿って飛行するだけとなる。わざわざ障害物となる山沿いは飛ばない。

 時間が迫ってきた。私は透明色のゴーグルをつける。

『佐倉、俺は鉄塔へ上った。エリックたちに変わった様子はない。屋敷内は静かだ。出入りする車もない。鉄塔の上は、まあまあの風がある。風向きは南西だ。おそらく屋根から飛び立つ際は、シティー側へ向かえる。やや道路と並行するから気をつけろ』

 ジェイソンから細かい情報が入った。

「分かった。風の情報はありがたい。俺は最後の点検をしてから離陸する。飛んだらもう一度連絡する」

 セブシティーの夜景に向きながら、パラグライダーのハーネスを身体に付けた。要は、身体をパッセンジャーシートに固定したのである。タンデム用のため、後でジェシカを載せて飛び立つことが可能だ。

 いよいよ離陸となる。私はパラシュートの繋がるロープを、力強く引いた。途端にパラシュートが風を受け、上側へ持ち上がる。身体がやや持ち上がった。断崖へ数歩進むと、私は意図も簡単に飛行状態へ入った。

「今離陸した。ジェイソン、そこから俺が見えるか?」

『ああ、見えている』

「これから北東へ進み、エリック邸の西側から侵入する。着陸まで十分も掛からないだろう。しばらく操縦に専念するぞ」

 山から少し離れると、私は左のブレークコードを引き、左側へ旋回した。足元に広がったセブの夜景が、自分の右手へ移動する。胸ポケットから別携帯を取り出し、グレースのGPS信号を確認した。画面には、自分とグレースの位置が表示されている。一先ずエリック邸の裏手にいるグレースに向かっていけば、コースを誤ることはない。

 パラグライダーの時速はおよそ五十キロメートルくらいだろう。画面上で自分とグレースの距離が順調に縮まっていく。私はその距離を考慮し、左右のブレークコードを同時に引きながら徐々に高度を落とした。

「ジェイソン、エリック邸の庭には誰もいないか?」

『庭にもベランダにも誰もいない。今のところ車の出入りもない。問題があれば報告する』

「グレース、そっちはどうだ?」

『こっちも大丈夫。何も変わったことはない』

「オーケー、もうエリック邸がよく見えている。これから速度をぎりぎりまで落として、屋根に降りるぞ」

『気を付けて』

 既にエリック邸が間近に見える場所まで下りていた。南北の窓から見えないよう、西側のエリック邸真横から入ろうとしている。五十メートルというところで、私は一気に左右のブレークコードを引いた。急激にブレーキが掛かり出す。エリック邸の西端に差し掛かった。足はまだ着いていないが、速度が時速五キロ辺りまで落ちた。ブレークコードの引く力を下限しながら、エリック邸の東側へゆっくり近づき、中央を通り過ぎたところで再びブレークコードを思いきり引き寄せる。ほぼ速度ゼロの理想なかたちで、屋根の上へ着陸した。次の瞬間、パラシュートの繋がるロープをゆっくり手繰り寄せる。ここで引き寄せる勢いが強いと、せっかく着陸した私の身体は再び風で持ち上がってしまうため、神経を使うところだ。

 パラシュートが上手く折れ曲がってくれる。まだ風を受けているため、その力とバランスを取りながら少しずつ手繰り寄せる。その結果、パラシュートは上手く屋根の上へ収まった。

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