第7話 兵馬城

 カッポカッポ──

 ガラガラガラ──


 城下町でもっとも道幅が広い中央通りは、人だけでなく馬や荷駄車の往来も盛んである。


 そこには太郎太と善吉の姿もあった。

 例によって、意気揚々たる太郎太と不安そうな善吉。


「おい太郎太、まことに仕官しかんを願い出るのか?」

「そのためにはるばる参ったんじゃろうが」

「急に訪ねて叱られないかな? 先にふみで知らせといたほうが……」

「なにを臆することがあるんじゃ? わしらは九代将軍足利義尚あしかがよしひさの軍さえ退けたほまれ高き甲賀忍び様じゃぞ」


(ああ、やっぱり本気だったのか……)

 と善吉は嘆く。

 怖くてビビッているというのもあるが、今は手鞠への甘酸っぱい想いで感情の大半が占められている。心も体もかつてないほどフワフワしているのだ。とても仕官に望むような気分ではなかった。


「ほら、もうそこじゃ」

 前方に、兵馬城ひょうまじょうが見えてくる。



 兵馬城は、天然の水掘である幅の広い川にぐるりと囲われているため、大手道と大手門は木橋によって繋がれている。

 太郎太と善吉はその木橋の前で、突っ立ったまま口をあんぐりと開けて見上げていた。


「……さすがに立派なもんじゃな」

「あ、ああ……」


 二人ともすっかり気圧けおされている。

 兵馬山の頂上から望んだときの印象よりも、はるかに高大なのだ。

 高さ10メートルはあろう丘肌の急斜面が眼前に迫り、城全体はとても視界にはおさまりきらない。


 太郎太は気を取り直して、

「もういい! わしらが務めるにふさわしい城であることは十分にわかった」

 そう言うと、木橋を渡った先にある大手門に顔をむける。

 格式があって頑丈そうな櫓門やぐらもんだ。

 門の両脇には、槍を手にした門番がそれぞれ一人ずつ立っている。頑固そうな老門番と屈強そうな若門番である。


「よし、行くぞ!」

 太郎太は決然として、老門番のほうに近づいていく。

「う、うん……」

 覚悟のできていない善吉も後ろからついていく。


「何用じゃ?」

 老門番は、露骨に不審そうな顔をしている。


 太郎太は屈託ない調子で、

「仕官を願いたいので、そのむね取り次いでいただけませぬか?」

「はあ? 仕官?」

 老門番は、改めて太郎太と善吉の姿をジロジロと眺めまわし、

「おぬしらがか?」

 と念を押す。

「はい。尼中弾正あまなかだんじょうさまをわがあるじと見込みまして」

「ここはおぬしらのような小僧どもが来るところではない。帰れ!」


 善吉は不安そうにオロオロしている。


 そこへ若門番が近寄ってきて、

「仕官したいじゃと? 下男げなんにして欲しいのまちがいではないのか?」

 と馬鹿にしたニヤニヤ笑いを浮かべる。


 太郎太はムッとして、

「よいか、われらは甲賀流を会得えとくした術者じゃ。さように申して取り次いでくだされ、上様にな」


 門番たちは怪訝そうに顔を見合わせる。


「急いでくれぬか。〝甲賀〟じゃぞ、〝こ・う・が〟!」


 門番たちはドッと爆笑する。


「よいか、あやつらは人にあらず、魑魅魍魎ちみもうりょうの類なんじゃぞ。痛い目に遭いとうなかったら、甲賀者などと大それたホラを吹かぬことじゃ」


「なっ、なんじゃと!? わしらは正真正銘甲賀の──」


 老門番は槍先を太郎太の顔にむけ、

「いいかげんにせい! 小僧のたわむれなぞにつきあっておれるか!」

 太郎太はギョッとひるむも、

「そうじゃ! ならばわしらの忍術をご覧いただこう。さすれば納得されるはず」

 と思いつきを提案する。

「忍術? ここでか?」

 少し興味を持ったのか、老門番は槍をもどす。


 太郎太は若門番を指さし、

「その者の得物えものを、今からぞうさもなく奪いとって見せましょう」

「なにい……!」

 若門番は険しい顔つきとなる。プライドを逆撫でされたようだ。その体格から、おそらく膂力りょりょくにはひとかたならぬ自信があるのだろう。

「こやつの槍をか? 相撲で鳴らした男だぞ」

 老門番も半信半疑の顔つき。


「善吉、〝狐狸こりの術〟じゃ!」

「え、そんな急に!?」

 善吉はあわてふためく。

「はようせい!」


 善吉はしぶしぶ組討くみうちのような構えを見せて若門番と対峙する。大男の若門番とひ弱な善吉とでは、大げさでなく倍ほどの体重差がある。

 若門番はいちおう警戒して、槍を両腕でしっかりと握っている。


「……?」

 老門番は、若門番の背後に太郎太がコソコソと回り込んでいるのに気づく。

 若門番は目の前の善吉に気をとられて、太郎太の怪しい行動に気づいていない。

 太郎太は若門番の腰の刀の柄をそっと握り、気づかれないようにそろそろとかすめ取ろうとする。

 だがすぐに若門番にも気づかれ、

「何をしとる」

 ドカッ!

 と槍の柄で脳天をたたかれる。

「ぐぁ!」

 と短いうめき声を上げ、太郎太は痛そうに頭を押さえる。

「だれも槍を奪うとは言っておらん! はじめから刀を狙っておったんじゃ」

「刀も奪えてないじゃろ」

 老門番にツッコまれる。

「……んお?!」

 太郎太は時間差の脳震とうを起こして意識が遠のき、倒れそうになる。

「太郎太!」

 善吉はあわてて駆け寄って肩をかす。

「そ、それではこれで……」

 太郎太の重い身体をなんとか支えながら、すごすごとぶざまに立ち去っていく。

「さっさと田舎に帰れ! 二度と城へ近づくでないぞ!」

「グワッハッハーッ!」

 老門番の怒声と若門番の勝ち誇った嘲笑が、さらに追い打ちをかける。


 


 兵馬城を囲っている水掘沿いの道を、太郎太と善吉はとぼとぼと歩いていた。


「くそっ! あと一歩じゃったのに!」

 太郎太は本気で悔しがっている。

「〝狐狸の術〟なんて一度も成功したことないだろ」

 善吉は力なくぼやく。

「かように無礼千万な扱いを受けるとは思わなんだ。いやしい木端こっぱ侍では話にならんわい」


 ワイワイ──

 ガヤガヤ──


 前方に人だかりができている。

「何かあるのか?」


 太郎太と善吉は人だかりをかき分けていく。

 二人の目の前に現れたのは、獄門台ごくもんだいさらされた男の生首である。


「さらし首!」


 怖れながらも、二人とも好奇の目でまじまじと眺める。


 そばに高札こうさつが立っており、善吉が読み上げていく。

「〝この者、金目きんめ衆の忍びなり。不届きにも弾正公のお命を欲して当城におかし入らんとたくらんだ故、捕えて打ち首に処するなり〟」


「なんと、一国の領主の首を狙ったか!」

 太郎太は感心して声を上げる。

「金目といえばそこそこ名の知れた忍び衆だな」

「まあ甲賀には遠く及ばぬがな」


 そばにいる町人の男二人が立ち話をしている。

「また刺客が忍び入りをくわだてたか。まったくもってりん奴らよ」

「晒し首は今年になってこれで三つ目だったか?」

「いや、たしか四つ目じゃろう」


「もし、弾正殿はさほどに幾度もお命を狙われておられるのか?」

 太郎太が男たちの会話に入る。

「ん? あんたらよそ者だね?」

「刺客騒ぎは、今やこの町の恒例行事のようなもんよ」

「では黒幕の見当はついておるのか?」

「それも周知の事よ。隣国を治める小暮こぐれ一族の仕業じゃ」

「小暮一族は、われら兵馬との戦に負け続けて疲弊し、いまや滅亡寸前のありさまでな」

「それ故に、なりふりかまわずかような卑怯な手を使いよるのよ。ほんに見苦しいことじゃ」

「ほほう……!」

 太郎太は妙に興味を示している。

「じゃがそれも無駄なことよ。兵馬城は俗に〝忍び殺し〟と称されるほど堅牢堅固な守りなんじゃからな」




 兵馬城の水掘沿いの道の脇に岩場があり、そこに二人は腰を下ろしている。人通りがなく静かだ。

 太郎太は、眼前にそびえる壮大な巨城をあらためて見上げる。


「善吉、もしこの城に忍び入るとしたら、おぬしならどうする?」

「無理だろ。まずあの斜面がのぼれん」


 丘陵を削った10メートルほどの急斜面の上には、さらに石垣と塀が待ち構えており、曲輪くるわ全体を堅固に囲っている。


「あの斜面を這いのぼる術か。わしなら……やはり手甲鉤てっこうかぎかの」

「手甲鉤? あれで登るっていうのか?」

「そうじゃ」

「あれは登器とうきでなくて、鉄の爪で敵を引っ掻く武器だぞ」

「武器にもなろうが登器にも……」

「それは俗説だと座学で習ったろう。おぬしは寝てたかもしれんが。あんなもので崖に取りついてもすぐに滑り落ちてしまうぞ。ちょっと考えればわかろうに」

「………」

 太郎太は、さすがにバツが悪そうだ。


 だがすぐに気を取りなおし、

「それはそれとして、この水掘をわたる方法じゃが、やはり水蜘蛛みずぐもを使うべきかの」

「あんなもので水の上に立ったらすぐに沈むぞ。とても体重を支えきれん。これも座学で習ったろう」

「なんじゃそり!? たしかに忍術書には水の上を渡れると書いてあったぞ」

「それも座学で習った。万一、忍術書が他の者に見られたときのことを考えて、わざと嘘を書いてあるんだ。口伝くでんでは、水蜘蛛は〝沼浮沓ぬまうきぐつ〟というそうだ。ほら、沼堀ぬまぼりに守られた城は難攻不落というだろう」


 ここでいう沼とはいわゆる泥沼どろぬま泥濘でいねいの湿地のことである。そこはぬかるんで歩くことも泳ぐこともできないため、天然の堀としては最強のものとされている。


「だけど水蜘蛛をつければ泥沼も走ってわたれるそうだ」

「でもここは川じゃろう!」

「だから水蜘蛛は使えないんだ。おまえが言い出したんだろう」


「……昔、わしら二人で城壁破りの忍器にんきを発明したことがあったじゃろ」

 太郎太がまた話を切り替える。

「あれか。傑作だと大騒ぎしたよな」

 忍びにとって忍器は命である。侍の武器に匹敵するほどに。二人は幼い頃から、斬新な忍び道具を考えては書き留めたり実際に作ったりしていた。その数はかなりになるが、なぜか先輩忍びに褒められたことは一度もなかった。


「この城に通用するかな? かようなこともあろうかと絵図を持ってきとるんじゃが」


 太郎太は懐から紙を取りだして広げる。

 鉤縄かぎなわ状になっている矢を、巨大な弓を使って二人掛かりで上方に発射している絵図。いかにも子供っぽい幼稚な画力で描かれている。


 善吉は脱力し、遠い目をして、

「……これ描いたの八つの頃だったよな」

「大弓を作る竹を見つけねばならんな。あとは鉤縄の先が塀まで届きさえすれば……」

 太郎太は大真面目である。


「ん? あれはなんだ?」

 善吉が石垣のほうを指差す。

「なにって〝忍び返し〟じゃろう」


 忍び返しとは、文字通り城内に忍びを侵入させないために設置する、先の尖った竹や釘のことである。

 その忍び返しが、塀と石垣の境目あたりに取りつけられている。


「めずらしくもない。あのくらい越えられんでどうする」

「いや、それにしてもあれは──」


 よく見てみると、そこいらの忍び返しではない。まるで短剣の花ビラからなる花冠かかんのような凶悪なデザインだ。それがびっしりと横列状に咲き乱れているのだ。


「あれは人じゃないのか?」

「なに?」


 よくよく見てみると、その花冠のひとつに紺色の布がからみついている。

 さらに目を凝らしてみると、それは忍び装束であり、今も白骨化した男がまとっているのがわかる。まるで主のいない蜘蛛の巣にかかった虫ケラのような無惨な姿をさらしている。


「……身動きがとれなくなって無念の死を遂げたか。哀れなものだな」

 善吉が怯えながら陰鬱につぶやく。


「……城壁越えばかりが忍びの術ではないしな」

 太郎太もあきらかにビビッているが、負け惜しみは忘れない。


 善吉はふと怪訝けげんに思い、

「さっきからやけに忍び入りにこだわるな?」


「わしらで弾正の首を頂戴ちょうだいできんものかな」

 太郎太はしれっと言い放つ。

「小暮一族に弾正の首を差し出したら、わしらの勇名は一躍天下に轟くぞ。あの忌々しい惣領の鼻も明かせるし」


 善吉はいまさらこんなことでは驚かない。

 いつもの考えなしのその場かぎりの狂騒なのは明白だからだ。

「馬鹿もたいがいにしろよ」

 と軽く釘を差しておけば十分だろう。

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