第4話 スタートアップ

 雑草が生え放題になっている荒地。

 球状に近い大石がぽつんとある。

 太郎太と善吉は、その大石の上に腰をおろしている。

 ここは幼少の頃からの、二人のお気に入りの席だった。ただし八つの頃とはちがい、今では狭苦しそうに身を寄せ合わなくてはならないが。


 善吉はサッパリとした顔で、

「あれだけのことをしでかして、よくかほどのおとがめですんだよな」

「かほどじゃと?」


 太郎太と善吉の両腕には、古びた木製の手枷てかせめられている。


「たしかに不便だけど半月の辛抱だし──」


「わしらは稽古場を出入り禁止になったんじゃぞ! つまり忍びにはもう成れんということじゃ。命を断たれたも同然だろうが!」

 太郎太が熱く吠える。


「寄合の評議で決まったことは絶対だし。どのみちわしは……」


 村の神社に近いこともあって、ここから半町ほど先に見える雑木林には通り道が作られている。その雑木林から姿を現したのは、久吉と九兵衛である。


「あいつら……!」

 太郎太は敵意を込めてにらみつける。


 久吉と九兵衛は談笑しながら歩いている。いつもより小ぎれいな衣服を身につけているようだ。二人で初仕事の成功祈願でもするのだろうか。

 久吉と久兵衛はチラッと太郎太たちのほうを一瞥するが、とくに気にする様子もなく通りすぎていく。


「善吉、あやつらが選抜された仕事、いかなる仔細しさいか知っとるか?」

「いや、耳にしてないな」

「ミカンを積んだ荷車の警固じゃと。金や銀ならともかく、菓子だぞ。そんなものが忍びの務めといえるか? 選ばれんで幸いじゃったわい」

 負け惜しみが見え見えの口ぶりである。


 久吉と久兵衛の楽しそうな笑い声が小さく聞こえてくる。

 太郎太はすぐさま反応し、二人の後ろ姿をカッとにらみつける。


「今の……わしらのことを笑ったのか?」


「ちがうだろ、たぶん」

 善吉はどうでもよさそう。


 太郎太は気を取り直して、

「まあいい。それよりもっと大切な話がある」

「ん?」


「これを機に、わしらは里を出るべきじゃろう。仕官しかんして、城持ちの大名に仕えるんじゃ」


「仕官? 寝惚ねぼけてるのか? 感状かんじょうを持ってるような歴戦の侍がやることだぞ」

「城落としの孫六まごろくや刀抜きの八右衛門やえもんだって、今のわしらの年頃で里を飛びだしとるじゃろう」

「いや、でも、かれらとわしらとでは……」


 いずれもそののち、〈名誉の忍び〉と称されるようになる伝説的な忍術名人たちである。


「そもそもわしらには、かような山奥の田舎はせますぎるんじゃ」

 太郎太は熱弁する。

「土地だけじゃねえ、古臭い因習や掟ばかりで人も小さい。わしらには、もっとふさわしい輝ける場所があるはずじゃ!」




 *    *    *




 真夜中。空には満月直前の小望月。


 磯尾家の作業小屋から、

 ゴリゴリゴリ、という音が漏れ続けている。


 円盤状の薬研車やげんぐるまを前後に往復させて、善吉が薬の材料を引き潰しているのだ。黙々と一人で。

 明かりは、格子窓から差し込んでくる月の光と一本の自作ロウソクだけ。手枷は嵌められたままなのだが、貧弱な細腕のせいで肘までずり上げることができるため作業が可能なのだ。なんともわびしく哀れを誘う姿である。


 小屋の中には、薬材が所せましと並んでいる。植物の葉や根っこや木の実、トカゲの黒焼きにマムシの油壺漬け。天井から吊るされたコウモリのミイラまである。製薬に疎い人間が見たら、おぞましい呪術師の部屋だと勘違いしてしまいそうな光景である。


「ふう……」

 善吉はうんざりとため息を漏らし、手を休める。

 そのとき、コンコンと戸をノックする音。


 善吉は慌ててまた薬研車を動かしながら、

「ちゃ、ちゃんとやってる! 言われたとおり、今夜中に終わらせるから!」


「わしじゃ。開けてくれ」


 その聞き慣れた声に胸をなでおろし、善吉は立ち上がって戸を開ける。


「かような夜更けに……その出で立ちはどうしたんだ?」

「どうしたもこうしたもあるか!」


 太郎太が怒鳴りながら小屋の中に入ってくる。すげ笠をかぶり、右の腰に鹿皮の大きな巾着袋をさげ、背中には愛用の忍者刀を差している。手枷は嵌めたままだが旅姿だ。


「里を出るといったじゃろ!」

 善吉は困惑して、

「まさか本気だったのか?」

「あたりまえじゃ!」

「大きな声を出すな! 親父が目を覚ますだろ」

 ヒソヒソ声で注意する。

「はやくおぬしも旅支度せい!」

「わしらは謹慎中の身だぞ。それに無断で仕官することは掟で禁じられてるだろ」

「それはすでに忍び働きをしとる者に限ってのことじゃ。わしらは何ものにも縛られん勝手自由の身じゃろ」

 めずらしく正論で押してくる。


「でも急にいなくなったら家の者も心配するだろうし……」

「心配? あの情けの薄い親父殿と兄殿がか?」

「………」


 そう指摘されて善吉が思い浮かべたのは、薬作りの人手が一人減って不機嫌になっている二人の姿だった。ちょっといい気味だと思ってしまう。


「書き置きでもすればよかろう。わしもそうした」

「だいたい仕官するってどこへ……」

「仔細は後じゃ! はよう支度せんとおいていくぞ!」




 *    *    *




 日はまだ昇っておらず、あたりは薄暗い。

 太郎太と似たような旅姿になった善吉が、憂鬱な顔をしてトボトボと街道を歩いている。手枷を嵌めたままなので、まるで強制労働にむかう囚人のように見える。


「おい、早うこい」


 先を歩いている太郎太にせかされる。


(なんでこんなことに……)


 善吉は嘆く。結局、いつものように太郎太の強引なペースに押し切られたのだ。


「ここじゃ、ここでよかろう」


 太郎太と善吉は、道脇に設置されている石造りの里程標りていひょうのそばで立ち止まる。里程標には、〈甲賀一里塚〉と彫られている。旅人のための目印として、街道の脇に一里ごとに設置してあるのだ。これは甲賀のもっとも南に位置する里程標だった。


「この先はもう甲賀じゃないのか……」

 善吉は心細そうに漏らす。


 善吉も太郎太も、生まれてこのかた一度も甲賀の地を出たことがなかった。甲賀は隣接する伊賀の国とはちがい、近江国に属する一二の郡のうちの一つでしかない。だが二人にとっては、甲賀以外の土地はすべて見知らぬ外国だった。


 太郎太は大張りきりで、

「さあ、やるぞ! わしからじゃ!」


 石造りの里程標の目の前に立つと、自分の手枷をその上部にガンガンと打ちつけはじめる。


 ガコンッ!


 古くて乾燥している木製の手枷は、すぐに音を立てて壊れる。


「よし! 次はおぬしじゃ」

「あ、ああ……」


 コツ、コツ……

 コツ、コツ……


 善吉も里程標の上部に手枷を打ちつけはじめるが、乗り気ではないのでなかなか壊れない。


 太郎太はじれてきて、

「ええい、ほら!」

 善吉の両腕をつかみ、強引に力を貸して打ちつける。


 バカンッ!


 手枷は音を立ててバラバラに壊れ、両腕は自由になる。

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