14.病蔓延る里

 背負った体は、スイを抱えた時と同じぐらいに軽いものだった。

 体温がない花人の体は、より軽く感じられてしまい、ともすれば風に飛ばされるのではないかという危機感もあった。


「重ね重ね、本当にすまない……」


 耳元で聞こえた声はとても弱々しく、今にも消え入りそうだ。本当に、次の瞬間には休眠状態にはいってもおかしくはないと思えるほどだ。花だけはきちんと咲いているのも、弱っている姿を外敵に見せないために気を張っていたからだろう。

 実際はユグドラシル遣いであるスイの気配も分からないほど、周囲の索敵に力が回らない状況なのだろう。


「困ったときはお互い様ですよ。それに、スイたちは貴方を助けに来たのですから。隣里のフヨウさんも心配していましたし、きっと助けてくれます」


 レイの重い荷物を持って歩くスイは、サルスベリを心配するように見上げながら屈託なく言い切った。頼まれごとではあるけれど、花人に何かあったのなら助けたいという気持ちは本当だ。その言葉を受けて安心したのか、サルスベリは力なく笑った。


「それで、何が起こったんだ? 一年の間里に閉じこもったままだと、物資も足りなくなるだろ」


 本題を聞き出すためにレイが問えば、サルスベリはきゅっと唇を引き結んで「行けばわかる」とだけ答えた。目に見える変化があるということなのだろう。


 改めて前を向けば、サルスベリの花の数が視界の中に徐々に増えてきた。

 花畑を中心に加護を発生させる一年草や多年草の花人と違い、樹花系の花人は森の中に眷属となる樹々が本体の樹を中心に散らばっている。それは本体に近付けば近付くほどに、眷属の木々の数は増えていく。


 艶やかな緑の中に紛れているサルスベリの樹。それは他の樹木に溶け込んで、桃色の花弁が飾りのように森を彩っていた。道が開けて薄暗さも解消されていることもあり、それは楽し気な雰囲気にも見えてしまう。背負ったサルスベリが弱っていることを知らなければ、見事に咲いた花に見惚れていたのかもしれない。


 そうしてもうしばらくレールを伝って歩いていると、アーチの形となった木製の柵のようなものが見えた。里の入り口だろう。


「ここで降ろしてくれ」


 サルスベリは顔を上げ、里の入り口を見るとそう告げて、自分から降りた。

 花は一度深く呼吸をすると背筋をのばして歩き出した。それは二人に襲い掛かってきたときのようだ。どうして里に向かうのに気を張るのだろうと、二人は顔を見合わせて首を傾げる。そしてレイはスイから荷物を受け取ると、足早に追いかけた。


 何事もなかったかのように歩くサルスベリについてアーチの柵をくぐる。

 レールは里の中を突っ切るように伸びており、それに沿って奥に進むとレールの上に四角い見慣れない箱のようなものが見えた。


 コケと植物に覆われたそれは、いつものコンクリートの建物ではない。近付いてみるとそれは窓のようなものがついている、さび付いた鉄製の箱だ。側面には車輪のようなものがついていて、扉もある。レイも初めて見るものだった。それは一つの細長い箱が、いくつもの鉄の輪を下にしてレールの上に並んでいる。


 その箱のさらに奥で、レールは途切れていた。両脇には朽ちた駅の名残である、灰色の岩がぽつねんと存在している。

 駅の先に、ひと際大きなサルスベリの樹が堂々と佇んでいた。人が数人乗っても折れないだろう太さと大きさがあるそれは、間違いなく本体の花樹かじゅだろう。太い幹には、人が一人はいれるだけの洞があった。


 樹の根元には、小さな人影が皆一様に樹を囲むようにして膝をつき、手を合わせて一心に祈っていた。それはみな、どう見積もっても成人に満たない子供たちばかりだ。

 近付くと、その中でも一番年上だろう少年がサルスベリの気配に気づいたようで、ハッと顔を上げてこちらに顔を向ける。


「おかえりなさい!」


 その声を合図に、祈っていた人影は皆顏を上げて一斉に駆け寄ってくる。「おかえりなさい」「大丈夫だった?」「寂しかったよ」と、幼い声を上げて次々にサルスベリに群がった。花は笑って子供たちを受け止めている。


「大人が、いませんね。樹の周り以外に、人の気配はありません」

「サルスベリは行けばわかると言ったが、こういうことか」


 サルスベリの帰還にいち早く気付いた少年が一番の年長者に見える。十代前半に差し掛かるぐらいの年齢だろう。他にも十数人ほどの子供がいるが、ぜいぜい十代にはいったばかり。下で五歳児程度か。到底大人と呼べるような人間はいない。

 大人に何があったのか分からないが、今この里には子供たちと花人しか残されていないのだろう。この子供たちがサルスベリが弱り果てている理由なのは明白だった。


「アナタたちは、誰ですか?」


 少年がスイとレイに気付いて首を傾げた。警戒する素振りがないのは、サルスベリと一緒にいたからなのか。はたまた子供特有の警戒心のなさか。


「俺はレイ、こっちがスイ。訳あって隣の里から様子を見に来たんだ……薬と食料をもって」


 子供に視線を向けられれば、レイは作り笑顔を張り付けてにこやかに対応する。薬は兎も角、食料と聞けば子供たちがぴくりと、まるで長い耳を伸ばしたウサギのように反応した。


 レイはカバンを地面に降ろすと、干し肉や魚、保存のきく野菜などの入った革袋を取り出した。里全員を賄う量ではないものの、一時しのぎにはなるだろうと、フヨウの里で預かったものだ。子供たちでこの人数なら今日の分としては十分だろう。


 それを年長者らしき少年に手渡せば、嬉しそうな、ほっとしたような表情を見せた。どうやら、食料には困っているらしい。ボロボロの服の下から覗く子供たちの手足は、隣の里の子供と比べればずっとやせ細っている。


「あっちで火を起こして食べてくると良い。オレはこの人たちと話があるから、喧嘩せずいい子にしてるんだぞ?」


 サルスベリが促すと、子供たちは元気よく返事をして里の奥へと走り去っていった。

 その姿が見えなくなるまで見送ってから、サルスベリは糸が切れたようにその場にしゃがみ込む。子供たちを心配させぬために無理をしていたのか。

 そんな花に肩を貸し、三人は本体の樹へと移動する。サルスベリを根元に座らせれば、些か悪かった顔色が幾ばくかよくなった。


「――大人たちに何があった?」


 痩せた子供に弱った花。ただの食糧不足であるなら、花は眠らぬ必要がなく、大人は隣の里に助けを求めに行くはずだ。だが、その気配はなかった。

 考えられるのは——。


「皆、死んでしまったよ。オレが寝ている間に」


 問いから僅かに沈黙があって、花人は悲痛な面持ちで語り始める。

 それは一年前の休眠から目覚めた時のこと。その時にはすでに大人たちはこの世を去っていた。まだ自力で生き抜くことが困難な子供たちを残して……。


「原因は?」

「子供たちの話では、病気だったらしい。オレが前に寝ている時に起こって終わっていたから、詳しい状況は分かってない。冬に発症して、春に入ったころには大人たちは全員手遅れだったそうだ」


 それだけを聞くと疫病の可能性が高いものだが、そうなると子供たちだけが無事な理由の説明はとても難しい。この手の被害は珍しくはないが、まずは大人より免疫力の低い子供や老人から罹患してしまうことが多い。けれど子供たちは生きている。これには理由があるはずだ。


「子供には感染しない病原菌というのも妙な話だな。大人……老人もいない理由も同じなのか?」

「そうだ。老人も春先に皆なくなっているようだ。オレは、誰一人看取ることもできなかった。日に日に減っていく聞きなれた声たちも、助けを求める声も、夢の中ですべて聞こえていたにもかかわらず……」


 花人は、人を守り共存することを定められた生き物だ。それが天命であり、自分たちの存在意義だと胸を張る花人もいた。たとえどうにもならなくとも、人に寄り添い悲しみを分かち合って、いつ滅びるか分からぬ未来を生きる。


 中にはその運命を否定する花人もいるが、サルスベリは人を肯定し生きることを良しとしていることは会話の中で伝わる。ならば尚更辛い事だろう。守るべき者たちを目の前にして何もできない自分を責めただろうことは、想像に難くない。


「だから、一年も寝ていないのか。命取りになると分かっていて」

「……オレが寝たら、誰が子供たちを守るというんだ?」


 狩りもできず、大人たちのような体力もなく、生きるために受け継ぐはずの知識や経験を蓄積せぬままに自立を迫られた子供たち。

 この一年の間、大人の立場として動けるからこそ、その責任がサルスベリを眠らせることを許さなかった。けれどこれではジリ貧だ。まず先に、サルスベリが安心して休眠に入れる環境を作らねばならない。


「とりあえず、お隣の里に子供たちを連れて行くのはどうです? フヨウさんならきっと、快く向かえてくれると思います」

「いや、それは悪手だ、スイ」

「どうしてです?」

「大人たちが死んだのは病気だ。感染する病の可能性がある以上、フヨウもおいそれと子供たちを受け入れるのは難しい」

「……オレも、逆の立場なら躊躇するな。里の大人たちも反対しただろう」


 こてんとスイは首を傾げて、神妙な顏をした年上たちを見上げる。いくつの里を巡っても、まだ大人たちの複雑な事情が分かるほど、この子は世界の悪意に慣れていない。


「病の原因は不明。子供ではなく大人にかかる奇病だとしても、子供たちが大人になった後にどうなるか分からない。子供たちが発病せずとも、もし下手に病原菌をよその里に持ち込み、それで隣里の大人が病に罹ってしまったときが悲惨だ」


 もちろん、感染経路が空気とは限らないのだ。けれどどういう質の病原菌なのか、何から罹ってしまったのか、発症の条件や潜伏条件などが何一つハッキリしていないのだ。その状態で外の里には連れ出せない。


 迂闊うかつに連れ出し、他の里の人間に感染したのだとしたら、それこそ子供たちは殺されてもおかしくはないのだ。

 だからこそ一年もの間、サルスベリは子供たちが飢え死にせぬように世話をするしかなかったのだろう。もしかしたら、大人たちも同じ考えだったのかもしれない。


「なら、レイは大丈夫なのですか?」

「まぁ、完全に安全とは言えないだろうな」

「なんでそんなに落ち着いているんですか!」

「感染病というのもあくまで可能性の一つだ」

「それでももう少し危機感を持ってください!」


 スイは外套を両手でつかんでレイの体を揺する。花人は見た目が繊細といえ、成人男性以上の力は備わっている。ぐいぐいと外套を引かれれば体も揺れるものだ。

 サルスベリも花人の力を分かっているために止めたほうがいいとは思っているものの、この場合はレイの物言いに問題があるともすぐに理解して、苦笑するに留めた。


「わかったから、引っ張るな、のびる」


 貴重な外套が壊れでもしたら困るのだ。それはスイも理解しているようで、引っ張るのはやめた。その代わり唇を引き結んで、不機嫌な表情になる。


「まぁ、俺の安全確保のため、サルスベリが寝られるような状況にするため、病気の正体は突き止めないとな」


 兎にも角にも、この先どうするのか決めるのはそれからだろう。病の正体と、感染経路……そして今後の危険性。それが判明しない限りは、誰の安全も保障されないのだ。病気は人間だけでなく、植物にだってあるのだから。

 レイがそう言えば、サルスベリは驚いたような顔をした。


「いいのか? ここまで連れてきてしまったオレが言うのもおかしな話だが……少なからず危険がある。それにレイは旅人で、スイもユグドラシルを目指すことを何よりも優先するべきだ。隣の里の頼み事とは言えそこまでする義理はないだろ? ここの資源は石炭ぐらいで、渡せる食料も旅に使えそうな特産品もない」


 危険があっても、利点はない。石炭は貴重だけれど、旅に持っていくには不向き。

 ユグドラシルを目指して戻らぬ旅をしているのだから、恩を売る必要すらないのだ。もちろん隣の里にも。だからこそ、食料と薬を届け、隣の里に現状を報告するだけで事は足りる。もうレイたちが危険な場所に留まる必要性もないのだ。サルスベリはそう言いたいのだろう。


「……どうして義理が必要なのですか?」


 レイの代わりに、スイが疑問を返した。それはスイだから言える言葉なのだろう。花人ですら忘れかけてしまう、打算も何もない幼い言葉だ。

 スイの言葉に戸惑ったように、サルスベリはレイに視線を向ける。


「困ったときはお互い様……文明時代には、こんな言葉があったらしいぞ」


 肩を竦めておどけて見せれば、樹に体を預けたままのサルスベリは力なく笑った。

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