7.命のやり取り
崩れた建物が、道沿いに並ぶように点在している。
原型を残しながらも植物に侵食され、なまぬるく埃っぽい空気を醸し出す建物。
半壊して、木々が家の中で生えていたり、木の根に潰されてしまっていたりする建物。
完全に崩れ去り、小動物や虫たちの巣となっている建物。
それらは深い森の自然に覆われ、取り込まれ、文明の名残として自然の一部になっていた。
そんな鬱蒼とした山道を、小さな足跡をたどりながら進む。
「マリーゴールドさんの気配はもう少し先です」
「あの子、やたら足が速くないか?」
とんとんと軽やかに進んでいくスイは、レイとルドーよりも前を行く。
ぜえぜえと息を上げて追随するルドーは、同じく隣を走るレイに文句交じりの疑問を嘆かけた。
「辛いなら里に戻ったほうがいいぞ」
「冗談言うな。あいつもマリアも子供もお前たちも……ほっといて帰れるか」
提案は一蹴される。帰れと言われて引き返す性格ではないことは十二分に理解したため、レイはそれ以上何も言わないことにした。
しばらく黙々と進んでいると、前を走っていたスイが唐突に足を止める。
「レイ! マリーゴールドさんを見つけました!」
坂道を登りきると、樹の幹に体を預けている花人がいた。顔色は悪く、走っていたのか息は荒い。
「お前、なんでそんなに辛そうなんだよ……?」
「っ……何でもない」
里では決して見せなかった弱った花人の姿に、ルドーは愕然とする。対して、花人は何も言わずに顏を背けた。まさか里人に見られるとは思ってもみなかったのだろう。止めていた足を慌てて動かすものの、その足取りは覚束(おぼつか)ない。
「マリーゴールドは、あの突然変異種を里に近付かせないために無理をしていたんだ」
こっそりルドーに耳打ちして、レイは花人に駆け寄る。
「後は俺たちに任せて、里に戻ったほうがいい。限界が近いだろう」
「そういうわけにも、いかないよ」
花人は調子のいい時であれば、加護の行き届く範囲を行き来することはできる。けれど体が弱っている時に花畑から出るのは消耗するだけだ。
本来ならばすぐに眠ってしまってもおかしくはない。それでもマリーゴールドの意志は固く、説得して戻らせるのは厳しそうだ。
花人の様子を見て、ルドーは舌打ちをする。そのまま花人に駆け寄って、強引に腕をとって自分の肩に回した。
マリーゴールドは驚いたように目を瞬かせ、そのまま彼の歩みに合わせて体を引かれる。
「どうして? キミ、ボクのこと好きじゃないだろうに」
「うっせえ。今はそんな小せぇこと言ってる場合じゃねぇだろ。そんなフラフラしてるのにほっておけるか」
彼は彼なりに思うところがあったのだろうか。レイはスイと顔を見合わせて、二人の後を追う。
(案外、この出来事はいいきっかけになりそうだな)
ルドーに頼んでみようと思っていたことを思い出して、レイは内心で少しだけほっとした。お互いがマリアのことで互いを避けていたのだろうが、特段相性が悪いという訳ではなかったようだ。
「……? なんか、静かだな」
ルドーが呟いて、全員が静けさを認識する。愛らしい鳥の
小動物たちの営みを感じることができる、森特有の賑やかさは也を潜めていた。
晴れているにも関わらず、こころなしか冷え込んでいる気がする。突然変異種が現れるときの、独特の空気感が漂っていた。
坂道を下り始めると、森の静寂に川のせせらぎが響き始める。少しして、道に沿うように流れる川が見えた。
と同時に、空気はより張りつめて、重くなっていく。
「近いですね……」
ざわっ、と背筋を這い上っていく悪寒。自然と四人は無言になる。緊張感が歩く四人の間にある沈黙を満たした。
ガサッと近くの木々が揺れたのか、ガサガサって大きな音が鳴った。鳥たちが羽ばたく。
「……! マリア!」
「こっちです!」
同時に、花人たちが異変に気付いた。火事場のなんとやら。マリーゴールドは弱った様子から一転し、弾かれたように走り出す。
とんとんと木々の根を飛び越えて行くと、階段が見えた。その上に建物があるのだろう。
花人たちが数段ずつ飛ばしながら駆けあがっていくのを、レイもルドーも必至で追いかける。
数十段ほど飛びこえて、朱い木製のアーチをくぐると、真っ先に目に飛び込んだのは黒い巨大な熊の背面。突然変異種だ。
正面の崩れた建物の前に、子供が数人。子供たちを庇うように、マリアが真っ青な顔で両腕を広げていた。
「マリア!」
彼女を呼ぶ声が、二つ響いた。
マリアの顔が、一瞬だけ安堵する。けれどそれと同時に、熊の腕が、虫を払うかのように彼女の身体を薙ぐ。子供たちの悲鳴が上がる。それを見てマリーゴールドが即座に動く。華奢な体は、地面に激突する前に受け止められた。
「大丈夫!?」
「ま、マリー……?」
胴を殴られた衝撃で、上手く呼吸できないのだろう。咳き込む花守を抱きかかえて、安心させるようにその眼を覆う。
「後は僕らに任せて、おやすみ」
強くなる花の香りに安心したのか、マリアは糸が切れたように気を失った。
けれど、間髪入れずに熊が吠える。
それは新しい獲物への歓待か、はたまた脅威となりえる花人たちへの威嚇か。
「ルドー、子供たちを頼む!」
まだ熊の真正面で震えている子供たちを見て、レイは足元に転がる尖った石を、力任せに熊の後頭部に投げつけた。
ガッと鈍く固い音が響いたが、それで致命傷を与えられるほど突然変異種は甘くない。
うっとうしいとばかりに、熊の腕がレイに向かって振り下ろされる。巨体の割に早いそれは、スイがレイを抱えて飛びのいたことで空振り、地面を叩いた。
石や砂が巻き上げられて、土煙を上がる。もくもくと立ち上るその向こうから、赤く濁った熊の目が不気味に浮かんだ。
「やっぱでけぇな……」
子供たちの元にたどり着いたルドーの声が上ずっていたのは、恐怖を感じたからだろう。その反応は正しいものだ。後ろ足で立ち上がれば、五メートルは超えるだろう巨体だ。一度見ているとはいえ、樹の上から見るのと地上で対峙するのは訳が違う。
これが里に入ってきたのなら、誰も太刀打ちはできなかった。
「スイ、動きを止めるぞ!」
「分かりました!」
スイが地面を蹴って高く跳躍する。
両手の長い袖の下から、きらりと刃物が覗いた。熊の腕が小さな体を払おうと腕を振るう。その腕が届くより先に、スイは熊の腕に足をついて、そのまま相手の頭部に向かって飛んだ。顔を隠す頭巾がとれてしまったが、気にしている余裕はない。頭を超え、後ろに落ちながら
森を震わせる怒りの雄叫びは、全員の鼓膜を盛大に叩いた。
スイはそれに構わず、両足で熊の首を蹴り、後退する勢いで突き立てたナイフ引き抜く。血が噴き出した。
地面に降りたスイは、続けざまに踵を狙ってナイフを振るうが、二撃目は浅い。掠めたが、動きを止めるまでには至らなかったようだ。
スイートピーには毒がある。あまり強くない神経毒だけれど、敵の動きを鈍らせるのには十分ことが足りていた。けれど、この熊はなかなか動きが鈍る様子を見せない。
「レイ、毒が回り切りません!」
「これだけ巨大なら仕方ない、攻撃を続けてくれ!」
再び降ってくる攻撃をかわしながら、スイは叫んだ。レイは返答しながら持ってきた得物を構える。
銃と呼ばれるそれを熊に向けて、レイは狙いを定める。
心臓より頭だろう。しかし、激しく動くそれに狙いを定めることは容易ではない。弾丸は有限、次に補充できる機会がいつになるか分からない以上、無駄撃ちもできない。スイの毒が回り、動きが鈍る時を待つ。
「あの嬢ちゃん、花人だったのか……?」
白と薄紫の、人にはあり得ない髪の色。外套が翻って覗くのは花の花弁のような装い。人を超える身体能力。それはマリーゴールドへ感じる異質なものと一緒だ。
ただの子供だと思っていたが、それならばレイが討伐に連れてくる理由も理解できた。
子供たちを自分の後ろへ下げながら、場違いとも感じる自分の無力さが恨めしい。
「……ルドー、マリアをお願い」
「は!? っておい!」
呆然と見ていると、駆け寄ってきたマリーゴールドが眠っている彼女をルドーに抱えさせる。続いて彼の前に出て、マリーゴールドは地面に両手をついた。
すると周囲の地面から蔓状の植物が伸びあがり、熊の振り上げた片腕を捕らえた。そして反対の腕、両足、首と次々に捕えていく。
「マリーゴールドさん……!?」
「長くはもたないよ! 今のうちに!」
力が弱っている花人に、大型を長時間縛り付けておくだけの力はない。不意打ちの足止めが精一杯だ。
それを理解しているからこそ、レイは動いた。熊の足元まで、確実に命中させるために。
熊がレイの姿をとらえて、首を絞める蔦を振り払おうともがきながらレイに向かって大口を開けた。その瞬間を彼は逃さない。
パァン、と乾いた音。
鼓膜を
弾丸は、熊の
雄叫びが響く。
怒りと憎しみの残響。熊は蔓の戒めを振り払い、濁り始めた瞳をマリーゴールドに向けた。
それは最期の抵抗だったのだろう。自分の邪魔をし続けた花人に対する報復か、それとも人に対する報復か。
力を使って動きの鈍った花人に、熊は牙を向ける。スイが咄嗟に首元に飛んでナイフを突き立てたが止まらない。レイも銃を構えたが間に合わない。
しかし牙が届く前に、花人の横を掠めたものがある。ルドーの放った毒矢だった。
それは熊の眼球に届いた。
直後に響いたのは断末魔。
太く長く空気を震わせたそれは、ほどなくして細くなり、そして止まった。
静寂が一瞬だけ場を支配し――地響きと共に、獣は倒れ伏す。
潰されていないほうの濁った眼球が、マリーゴールドを虚ろに映していた。
「流石に眼に矢を受けたら倒れるか……」
完全に絶命したことをレイとスイが確信して、ようやく張り詰めていた空気が緩んだ。
森に賑やかさが戻ってきたような気がした。ひんやりとした空気は穏やかな風に流され、木々のざわめきと共に消える。
けれど濃厚な血の匂いと獣の臭さは、今しがた起こったことがすべて現実であると物語っていた。
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