第7話 サラ・クラヴィッツ

 モニカには、サラ・クラヴィッツという友達がいた。

 サラは赤ちゃんの時ではなくて、五歳の時に、母親を亡くしてドム・シェロトへ来た。

 初めてここへ来た時、たまたま食堂でモニカと同じテーブルに座ったのが、出会いだった。


 その時のサラはお腹が空いていたのか、出された食事をがつがつと食べてから、ちょっと物足りなさそうにきょろきょろした。世話係の年長の女の子は、おかわりのパンをもらってこようとしたけれど、その前にモニカが、ロスウ(麺入りコンソメスープ)のたっぷり入った皿を、スッとサラの前に出した。

 サラは非常に驚いた様子だった。


「モニカ、ちゃんと食べなくちゃ駄目でしょう。そんなんだから小さいままなのよ」

 年長の女の子がたしなめたが、モニカは一度決めたことはなかなか曲げない性格だった。

「お腹がいっぱい」

 モニカはそれだけ言った。


 モニカが小食なのはその子も知っていたから、これ以上とやかく言わなかった。サラは差し出されたロスウを恐る恐る口にして、「美味しい」と言い、たちまち平らげてしまった。


 それからサラはモニカにくっついてくるようになった。サラがドム・シェロトに馴染んだころには、逆にモニカがサラにくっついて遊ぶようになっていた。


 サラは痩せていたけれど背が高かった。モニカと違って、はきはきとした性格だった。

 茶色の髪とハシバミ色をした瞳の持ち主で、目が悪かった。施設に来た次の日にサラは、先生に、丸い眼鏡を買ってもらって、以来それを宝物のように大事にしていた。


 サラはイディッシュ語しか知らなかったので、モニカはポーランド語を教えてあげた。サラは恐ろしく覚えが早く、あっという間にすらすらと読み書きまでできるようになっていった。

 特に書くのが好きらしく、ドム・シェロトの院内誌「週刊新聞」に寄稿しては、度々採用され、記事が載った。低学年の子どもの記事が頻繁に採用されるのは珍しいことだった。ここには百人以上の子どもたちが暮らしているのだから……。


 モニカは歌で表現するのが好きで、サラは文字で表現するのが好き。


 勉強熱心なサラは、快活に遊びまわる傍らで、本を読んだり新聞を読んだりしていた。そして逆に、モニカに色んなことを教えてくれるようになった。


 サラは特にコルチャック先生の書いた本が好きだった。子どもが国を治めるために奮闘する物語『王様マチウシ一世』は、彼女の愛読書だった。これは突然父親が亡くなり王様になることになった小さなマチウシが、大人と比べて如何に子どもが不自由に暮らしているかを実感し、子どもに優しい国を作ろうと奮闘する話だった。サラはそれを自分でも読んだし、先生の読み聞かせにも熱心に聞き入った。お話のシンボルである緑色の旗は、孤児たちのシンボルでもあった。

 サラは社会問題にも関心があった。隣国ドイツでユダヤ人差別が激化して、ついに公民権が剥奪されただとか、東アジアの方では日本と中国が戦争をしそうだとか。

 サラに引っ張られるようにして、モニカも少し勉強するようになった。


 さて、毎週の土曜日は安息日で、学校が無い。なので子どもたちは思い思いに、川へ散歩に出かけたり、映画を見に行ったりした。ある日モニカは、サラを連れてヴィスワ川に行ったが、人魚は見当たらなかった。やはり、夢の中でしかカヤには会えないのだろうか。


「人魚がいるかなと思って来たんだけど……」

 そうぼやくモニカに、サラは聞いた。

「人魚伝説なんてもの、本当に信じてるの?」


 人魚については、先生との約束があったので、モニカは黙っていた。が、しばらくしてこう言った。

「人魚がいるかも知れないと思うと、素敵」

「それは、そうね」

 物語が好きなサラは同意した。それで、ヴィスワ川は二人のお気に入りの場所になった。ドム・シェロトからはやや遠くにあるヴィスワ川だったけれど、この川はモニカとサラだけではなく、ワルシャワの人々の、ひいてはポーランドの人々の心の拠り所なのだった。

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