第3話 ホテル

 二日前にオープンしたばかりのホテルに到着した。


 さすがに新しいホテルは気持ちがいい。


 表側の駐車場には数台の車が止まっている。見ると、やはり関東圏のナンバーが多いようだ。現場や仕事関連というよりも、綺麗に磨き上げられた観光の乗用車が多い。


 オープン記念に寄せられた花の匂いを嗅ぎ、チェックインカウンターに進む。今回はカミサンが自分で全てを段取りしてくれたので、カミサンの名前を告げると、受付の綺麗な女性が対応してくれた。


「私、できないから。お願いね」

 全てを任されていたので、私がカミサンになりきって、手続きをすることになった。宿泊者名簿を書き、カミサンのポンタカードにポイントを付け、カミサンのクレジットカードで支払いをする。


「こちらに暗証番号をお願いします」

「これはわかんないな。いくつだ?」

「えー わかんない… 私、わかんない」


 カミサンは自分のカードの暗証番号を思い出すことができなかった。


 少しおかしな感じに、受付の女性が気を利かせてくれ、サインでも大丈夫ですからご用意しますね、と、暗証番号を入力しないでも済む方法で決済させてくれた。助かった。


 部屋は二日前にオープンしたばかりの新品だ。思っていた以上に広く、気持ちが良く、私とカミサンは心からくつろぐことができた。特にベッドの堅さが絶品で、二人ともそれぞれのベッドで、テレビもつけずにただ、ゴロゴロしていると、とても幸せな気分になることができた。


「あたし、今、普通に喋ってるよね」

「大丈夫だぞ」


「顔もひきつってないよね」

「大丈夫、いつもの顔だよ」


「あー怖かった。ごめんね。何だか目では見えてるんだけど、それが何だかわからなくなっちゃって。ちょっとまだ変だけど、たぶん大丈夫だと思う」

「今は何が変なの?」

「左の耳の裏の所が、猛烈に痛いんだよ。あと、ちょっと右側が見えないかな。数字もちょっと自信ないし」

「ここでゆっくりすればよくなるよ」

「そうだね」


 しばらく部屋でくつろいだあと、すぐ近くのセブンイレブンに買い物に出かけた。とても広い敷地に、今までで最高の広さだとカミサンが言う店内。こちらもまた開店したばかりらしく、とても気持ちがいい。お店のバイト君もとても感じが良く、カミサンが名付けた「バイトリーダー」は、私達の買った商品を、素早く丁寧にエコバッグに詰めてくれた。


「これ、おいしいよ」


 カミサンは、バイトリーダーに詰めてもらった蕎麦を、美味しそうに全て平らげた。言葉も元に戻り、食欲もあるようなので、私は安心した。


 私は当初、ホテルの風呂を楽しみにしていたが、時節柄、念のために控え、部屋のシャワーで済ますことにした。これでも十分に気持ちがよかった。朝食のバイキングも楽しみだったが、これも予定変更し、再びバイトリーダーにお願いする運びとなった。


「何か食べる?」

「悪いけど、甘いパン、お願いします」

「ヨーグルトはいい?」

「あ、お願い」


 夜が明けた頃、私一人で気分転換も兼ね、買い物に出かけた。近くの交差点は、久しぶりに見る黄色と赤の点滅信号だった。私は普段、セブン銀行と、コンビニコーヒーを買う以外は、殆どコンビニを使わないので、この感じは新鮮だった。


 労働者風の人が制服で一人、ネクタイを締めたサラリーマン風の人が一人来て、パンや飲み物やおにぎりなどを買っていた。私もこんな風になるのかな、と、変なことを考えてしまった。


 ただただホテルの部屋にいて、気持ちのいいベッドにゴロゴロして、適当にコンビニで買ってきた物を食べたり飲んだりしながら、二人で話をしているだけだったが、とても幸せな時間だった。


「私のせいで、こんな風になっちゃってごめんね。早く治して元気になって、もう一度来ようね」

「そうだね、二人でがんばろう」

 

 カミサンは、病に冒されている自分の身体が一番心配だろうに、いつも私に気を遣ってくれる。二人で頑張って、これからもいろいろな所へ出かけよう、と約束し、ホテルを後にした。


 

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