監視社会の大阪都市 両者の罪悪感を

 白い物体が東大阪階層のビルの合間を過ぎ去って行く。

 緑色のモニターが赤く切り替わり、船内に煩わしい警告音が鳴る。

「ふん。なかなかやるね!」

 考古は表示されたタッチパネルの画面を急いで開く。

「とにかくヨシ! 諸君、どっかに捕まって」

 小型飛行船が加速して、天井に吊るされた大きな金鈴がガランガランと重い音を鳴らす。

「何を始めるんだ」

「まあ見てなさいって」

 考古は小さく「大発見」と呟き、操縦席のレバーを力強く押し上げる。

 飛行船は急に大きく旋回し、方向転換をしてビルに向き合った。

 柱監の男が操縦席に手を伸ばす間もなく、小型飛行船はビルにどんどん近づいていく。

「おい隊長! 死ぬ気か!?」

「そりゃどうかな? ひゃっはーー!!」

 ビルに衝突する寸前、苗と柱監を乗せた飛行船は神隠しにあったかのように忽然とそこから姿を消していた。 


「これからも変わらず、ここはこう在り続けて欲しいもんやな」

 森に囲まれた場所で石に腰掛ける二人組の男。坊主の男が相方のグラサンの男に言った。その言葉にグラサンの男は軽く相槌を打つ。

「般若がここを占拠するのも時間の問題や……」

 グラサンの男がビールの缶を片手に寂しげに言う。

 自然の音に耳を傾けていた坊主の男は異変を感じた。

「なんか変な音聞こえへんか?……噴霧器の吹き付ける音のような」

「そう言われてみれば、確かに聴こえるな」

 その音が急に大きくなり木々が騒めきだす。二人は上空を見上げた。

 音が一瞬消えた瞬間、二人の上空を大きな影が覆い隠した。

 二人は上空に紙飛行機型の巨大飛行船を目にする。

「なんやぁ!?」

「こりゃ……驚いた」

 その飛行船は速度を上げたまま、男たちの真上ギリギリを通過する。数秒後木々がバキバキと折れる音が周囲に響き渡った。

 二人は顔を見合わせて、それが墜落した現場へ急いで走っていった。 

 墜落地点へたどり着いた二人は辺りを見渡す。しかし、そこは木々がなぎ倒された形跡しか残っておらず、飛行船はどこにも見当たらなかった。

「こないなことは……」

「わいもグラサン越しやけど、確かにこの目で見たぞ」

「……幻覚か?」

「おいおいおい。そんなわけないやろ」

 グラサンの男が前に進もうと足を踏み出すと、顔をガツンッと何かにぶつける。

「っでえ!!」

 声をあげて鼻を押さえた。

 坊主の男は鼻を押さえるグラサン男の先に手を伸ばした。その手が冷たく硬い何かに触れる。

「こりゃ……金属か?」

「わいの鼻の心配もしたれやぁ」

 次の瞬間、白い小型飛行船の機体が一平方メートルの範囲ごとに四角く徐々にあらわになった。

「なんやこれ……信じられへん」

 機体の一部分がシュッと音を立てて外側に迫り出すと、柱監の男がそこから現れた。

「お二方。お怪我はありませんでしたか」

「わいは少し鼻をぶつけただけや。こん機械は一体なんや?」

「私の飛行船です。この森の管理者には連絡をしておきます」

 失礼します、と言った柱監の男が、小型飛行船に戻ろうとするところをグラサンの男が引き留めた。

「なぁ待てや、あんた逃げて来たんやろ?」

 柱監の男は不意を突かれた様子で「え」と声を漏らした。

「何があったかは知らんが、隠れるにはここがちょうどええぞ」

「ここは私有地やから般若もおらん。自分らのことを心配してくれる人間が悪い奴やとは思えへんし」

 柱監の男は手を止めて二人に礼をした。

「ほいで、どないなことがあってこうなってんのや?」

「それは話せません。機密情報なので」

 グラサンの男はグラサンを掛け直すと柱監の男に言う。

「あーええから、わいらの助けがいるんとちゃうんか?聞いた感じよそから来たんやろ」

「ここの森は私の私有地や。話を聞かせてください」

 坊主の男はそう言った。柱監の男は二人組の男を見ると「分かりました」と一言。

 彼らに逃亡者の少女の話を伝えることは気が引けたが、こんな状況では誰かの手助けが必要だった。

「研究所の逃亡者を一人、この小型飛行船にかくまっています」

「研究所の逃亡者!? ……そりゃ大ごとやな」

「なら、なおさらここにおった方がええで」

「ありがとうございます」

「よろしく。自分高橋言います」

「わしは小林や。自分なんて言うん?」

 柱監の男は渋った様子で「機密情報なので……」と口ごもった。 



「直せそう?」

「いやぁー完全に動力エネルギーの重要な部品が逝っちゃってんね。でもまあ時間さえあれば直せるかな」

 苗は「そうなんだ」と言って伊達眼鏡のレンズを袖で拭いた。

「現在地は北大阪の磐船神社付近。地点の設定は上手くいったみたい」

「北大阪階層?大阪階層にいたはずなのに」

「その秘密は、この船の〔ある機能〕を使ったんだ」

「どんな機能?」

「超光速移動! 光速を超える速さで移動できる高度な技術」

 考古は片腕を腰に当てると、人差し指を画面の上にヒュッと向けた。

「今言った超光速移動移動に透過技術、レールガンや光線銃の武器も装備。水陸空に……この強度なら無重力空間もいけそうね」

 考古は画面に背を向けてモニターに数字の羅列を映し出す。

「この端末は明らかに柱型都市監視組織が作れる代物じゃない。現に製作年代の表記は2054年11月28日。この小型飛行船は地上時代の遺物で間違いないと思う」

「じゃあ、誰が作ったの?」

 考古は「うーん、一体誰なんだろう……」と言って小型船の修繕作業を再開した。 



 小林は何かに気づいた様子で柱監の男をまじまじと見つめる。

「あんたまさか……柱監か!」

「そうです。ある二人組の逃亡者を捜索する経緯でここに」

「なら、わいの知り合いに豊堀という男がおる。般若の情報を誰よりも知ってる人間や。そいつに……」

 小林が何かに異変を感じて後ろを振り返った。グルグルと渦巻く森林の空間から人型の何かが姿を現す。

「し、真蛇……」

 高橋はそれを目にした瞬間に腰から崩れ落ちた。小林も信じられないという目でそれを凝視する。

 出現した人型が被るお面は、ツノが尖っており牙が口の両側から突き出ている。

 般若よりも凶暴そうな見た目のそれはグリンと柱監の男の方を向いて、ガタガタとお面の音を立てながら言葉を発した。

「標的を発見した。殺害を開始する」

 真蛇は背中に提げた武器を掴んで、斜めに振り上げる。

 金属武器の先端から赤い電気の帯が分散して伸びると、斧のような形を形成した。

「にぃ、逃げるで!!」

 柱監に叫んだ小林は腰を抜かした高橋の腕を引っ張って立たせた。

 柱監の男は二人の後ろを追い森の奥へ走る。

 小林が心配そうな様子で柱監に言った。

「小型飛行船は無事なんか?」

「透明化をしているから安全なはずです」

 高橋は走りながら柱監に真剣な面持ちで言った。

「真蛇は般若より数が少ないが信じられんほど強い。今までも多くの市民が……助かるかは分からへん」

「今は逃げることだけを考えましょう」

 しばらく森を走ると立ち止まった小林は、葉っぱで覆われて隠されていた古い鉄扉を両手で開いた。

「この隠し通路を通るで」

 ぼやっと見えるその通路は隠し通路というにはとても広い場所だった。

 高橋は重い扉を閉めて出入り口の真横にあるレバーを下げる。

「この道を行けば小型飛行船のある場所に出られるんや」

 点灯した明かりが長いコンクリートの通路の先を照らす。大きな道の両側に大きな鉄の四角い塊が見えた。

「ここは何に使われていた通路なんですか」

「鉄道として利用されていた道や。随分前に廃線になったみたいやがな」

 小林はそう答えると、グラサンを外して通路の脇にある路線図を眺める。

 私は通路のあちこちに生えた苔を見て昔のある記憶が頭によぎった。

 数十年前からずっと消えることのない、あの記憶だった。 


ー 


 柱監の試験に合格した最初の業務は法の違反者の断罪。

 指揮官に連れてこられた場所は暗く冷たい牢獄だった。

 部屋の中心には顔を袋で覆われた死刑囚が椅子に括り付けられている。

「こいつを殺せ。5分以内にな」

 指揮官はそう言って柱監の青年に書類を手渡す。鍵を掛けた音が牢獄に重く響き渡った。

 青年は書類に目を通す。その男の罪状には“内乱罪”とだけ、詳細は書かれていない。

「あんたが執行人か」

 袋の下でくぐもった男の声が柱監の青年に向けて発せられた。

「これじゃ息苦しいし話しづらい。顔の袋をとってくれないか」

 柱監の青年はその人物に近づいて、男の袋を剥がす。

 凶悪な顔をしているのかと思ったが、その男はヘラッとした顔をしていた。

「若いな。あんたいくつだ」

「……十六です」

「青年か。人を殺すのは今日が初めてだって顔だな」

「あなたは何をしてここにいるんですか」

 男はニヤついていた顔をスンと真顔にして目つきを尖らせた。

「俺は地上伝説を広めただけだ。いや、地上〔真実〕が正解か」

 青年は「それだけですか?」と声を漏らす。

「あんたはまだこの組織のことを何も理解してない。この組織の裏の顔は、地上伝説に関わった人々を片っ端から殺していく。そんな野蛮な組織だ」

 柱監の青年の目を見た男は、はっきりとした口調で言った。

「俺は無実だ。ま、あんたに言ってもしかたないだろうが」

 無実の罪という矛盾した束縛の中にいる彼に、何もできないことが悔しかった。

「ここから逃げましょう」

「馬鹿か。あんたも俺と一緒に組織に殺されるぞ」

 柱監の青年は悔しそうに、苔の付いた地面に目を落とす。

「一人が死んで一人が生き延びるか、二人ともここで死ぬか。その二択しかない」

 柱監の青年は自分の持つ武器をぎゅっと握った。

「この武器で無実の人は殺すことはできません。大切な師匠の形見なんです」

 柱監の青年は束縛された男の顔を見て、武器を地面に置く。

「ふはっ。あんたは俺が会った中で誰よりも信頼できる人間だな」

 束縛された男は柱監の青年だけに聞こえる小声で話した。

「あんたにある重要な秘密の暗号を託す。〔翡翠の桜模様〕。俺が一生かけて見つけ出した暗号。これは俺からあんたへの遺言だ」

 牢獄の天井に設置されたスピーカーから《あと30秒》と音声が鳴った。

「最後にまともな人間に会えて良かった。これで長年の努力を無駄にしなくて済む。早く武器を持て」

 青年が武器を拾い上げた様子を見て、ニヤついた男の顔で涙が頬を伝った。

 スピーカーから「あと10秒」と音声が聞こえる。

「すみません」

「やれ。青年」

 柱監の青年は腰から引き抜いた武器を起動し、緑色に射光した武器で男の心臓を貫いた。 


ー 


 ガタン、という電車の小さな揺れで我に返る。

 窓を見るが明かりひとつなく、どこを進んでいるのか全くわからない。

「電車が動いて良かったな。あのままやと真蛇に追いつかれとったで」

 高橋は運転席の引き出しの中から"POOM  新たな電車"と書かれた解説書を出す。

「『永久機関回路によって、さらなる進化を遂げたプームの魅力をお伝えしましょう』やって。よーわからんな」

 運転席に座った小林は両腕を前に差し出すと空を掴んだ。

「いやハンドルないで!? こいつ止めるにはどないしたらええんや?」

 小林は解説書を捲った。最初のページに載っていた操作説明を読む。

「『先進的な自動運転技術による円滑な旅をお楽しみください』。運転せんでもええってことか……?」

 棚を漁っていた高橋は電卓のようなものを見つけた。一から十五まで数字が書かれており、その隣には数字ごとに小さな画面がついている。

「壱に参人で他は零人。……こりゃ乗車人数か」

 その時、柱監の腰に提げていた通信機に連絡が届く。柱監は通信機のスイッチをつけた。

『もしもーし。聞こえたら返事!!』

 電話の相手は大きな声で明るく話す。考古の声だ。

「考古隊長。苗は安全か」

『大丈夫。問題はそっちの車両内で電波障害が発生してる。真陀の可能性大』

「何号車にいるかわかるか」

『電波障害の発生源を突き止めた。十二号車で間違いない』

「分かった。私が行くまで引き止めることができるか」

『出来る限り努力する』

 考古が通信を切る。柱監の男が十二号車へ向かおうとしたところを高橋が引き止めた。

「向こうは危ないんやろ?いくべきやない」

「いえ、行かなければいけません。私は二人の命を背負っているので」

「それなら自分も行きます。真陀のことを知っているのは自分と小林のおっさんしかおらへん」

 そう言った小林は震える手を隠すと、まっすぐな目で柱監の男を見つめる。

 十二号車を出ようとする二人に、操縦席で寝ていた小林が言った。

「んへぇ? ちょ、置いてかんといてや!!」



 通信を切った考古は眉間に手を当てる。

「今のは?」

「柱監隊員。かなーりまずい状況になってるみたい」

 考古は何度か画面に表示されたホログラムをタッチするが「うっわ。だめだこりゃ」とホログラムを閉じた。

「セキリュティーにやばめのコンピューターウイルスが引っ付いてる。これは手出しできないな」

 考古は「ひとまず船の修理は終わり!」と言い、苗の顔色を伺って話しかけた。

「……隊長の昔話聞きたい?」

 苗が「うん」と言う。隊長は帽子を外して床に置いた。

「隊長は昔、大企業の大手動画共有サイトで、隊員さんたちと雑談したりゲームをしてた。毎日のように」

 考古の画面に動画の進行状況バーが表示される。

「何が起こったの……?」

「それは、動画共有サイトが永続的な停止を発表をした日のこと」

 考古は帽子を両手で持つ。悔しそうに肩を落とした。

「仮想世界の管理局から『電脳世界は強制的にシャットダウンされる』ってメッセージが届いた」

 画面の背景が荒れ始める。真っ黒に濁った空。考古は帽子をギュッと抱え込んだ。

「直後に電脳世界の崩壊が。でも隊長は生き延びて……崩壊していく世界で優しい後輩に助けれられてね」

 考古は帽子を被って運転席の椅子に寄りかかった。

「目覚めたらあのモニターの中。随分長い間あの場所で助けを待ったよ」

 そう言った考古の瞳はまるで、宝箱に置き去りにされた錆びつく銅貨のように見えた。



 七号車を歩く二人組と柱監の男。高橋は乗車人数を表示する機械をポケットから出す。

「真陀は十号車におるで。……武器使わへんのか?」

「私に使う資格はありません。数年前に罪の無い人の命を奪ってしまった」

 小林は急に立ち止まると、ため息混じりに柱監の男に言う。

「なぁ、あんたは守りたいって人がおるんやろ?あんたが死んだら誰がその人を守るんや?」

 小林は作業服のポケットからとり出したビールの缶をプシュッと開けて、空になった缶を片手でゴミ箱に投げ入れた。

「あんたが今背負ってんのは罪だけやない。生きとる人の命や」

「……この武器は使わない」

 十号車のドアの前に立ち止まる。ドアの窓から中を見るが、車内の様子は真っ暗で確認できない。

 小林と高橋に目線で合図を送ると、柱監の男は十号車のドアを開けた。

「三体の標的を確認した」

 車内に入った直後。声と共に数メートル先で真陀が赤い斧をかまえた。

 柱監の男は地面に落ちていた、列車の天井の破片を拾い上げる。

 真陀が柱監の男を目掛けて斧を振りかざす。

 それが柱監の持つ破片を切り裂き、紅色の火花を周囲に撒き散らした。

 柱監の男は素早く斧を避けて、片足で蹴り付けて真陀を通路の奥へ突き飛ばす。

 真陀は斧を列車に突き立て、瞬時に体勢を立て直した。

 真陀が投げた斧を武器で受け止めた柱監の男は、強い衝撃を受けて客席に飛ばされる。

 斧を拾い上げた真陀は、客席に倒れた柱監の男に斧を振り上げた。

 その直後、柱監の男は右足で真陀の腹を蹴りつける。

 真っ赤に発光した武器が客席を明るく照らしながら、真蛇は後ろに倒れ混む。

 柱監の男は客席から通路に出ると、客席で拾い上げたスーツケースを両手で持つ。

 柱監の男が投げたスーツケースが、真陀が切りつけた武器で両断された。

 火花を散らしたスーツケースが地面に刺さり、真陀が立ち上がる。

 ギィィイと床を削りながら近づいた真蛇の振り上げた斧刃が炎のような朱色に光を発した。

 それを横にかわした柱監の男は、客席に真陀の武器を固定させた。

 引き抜こうとする様子を横目に、柱監の男は自身の武器を起動する。

 真陀が柱監の男を見た瞬間、真陀のお面スレスレに緑色に射光した武器を近づけた。

「真陀。武器を置け」

 武器をドスッと地面に落とした真陀。高橋はすぐに武器を回収する。

「……柱監。道理で手強い訳か」

 真陀の声には心当たりがあった。小型飛行船で通信を盗聴した時、最初に聞こえた声と全く同じものだった。

「連絡をとっていた男たちの正体は知っているのか」

「……何の話だ」

「二人の男と通信をとっていただろう。隊長は『般若と研究所の人間との会話』と言ったが、あの声にはどうも心当たりがあった」

「私がお前に話す情報はない」

 柱監の男の武器が服を緑色に照らしたとき、真陀の服に見覚えのあるバッジがついているのに目がいった。

 柱監の紋章だった。

「なぜ組織のバッジをつけている?」

 真陀は少しの間沈黙すると、口を開く。

「……分かっただろう。現在の大阪都市の柱監の行方を」

 そう言った真陀は、般若の時と同じく中心に吸い込まれるように消滅した。



「そしてビルの倍以上もある空色の剣が街全体を見下ろすように聳え立つ。地域で最も栄えた巨大都市。その名も……」

 考古はいつの間にか、革ジャンにブーツを履いてテンガロンハットを被っていた

 考古が両手を広げて片足を台座に乗せたその時、丁度画面を見る苗と目が合う。

「あ……ごめん。仮想世界の話に没頭しすぎちゃった」

 苗は微笑んで首を横に振る。

「ううん、もっと聞きたい」

「そう? なんか嬉しいな」

 苗は伊達眼鏡をかけると、恥ずかしがっている考古に言う。

「もし、私がずっと前に"はいしんしゃ"のころの隊長に出会ってたら、"りすなー"になってたと思う」

 考古はその言葉に、不意打ちを喰らった様子でバッと画面から背を向けた。

 そして、画面に背を向けたまま、声のトーンを変えずに苗に言う。

「……ありがとう。苗ちゃん」

 振り返った考古は両手を合わせて二回手を叩く。

 すると、飛行船内の壁が軋む音を出しながら木材の模様が消え、別の模様がじわじわと浮き出てきた。

 薄灰色の花菱の模様に変化した壁紙は、壁一面に隙間なく一瞬にして広がった。

 天井に吊り下げられていた鈴は、いつの間にかぼんやりと周囲を照らす緑色の提灯に変わっている。

「どうなってるの……」

「隊長好みにイメチェンしてみた。香料効果機能を試しに使ってみたんだけど……どうかな」

 苗は目を瞑って呼吸をした。数秒前に雨が止んだような、森林の清々しい香りを感じた。

「いい香り……」

「……あと、無駄な空間に隊員さんの個室を作ってみた。苗隊員は飛行船の左翼側。きっと気に入るよ」

 壁に出現した腰帯模様の襖を開けた途端、苗は驚きの声を漏らした。

 抹茶色の壁に、畳の床には紅色の和箪笥や飾り棚が置かれている。

 床の間の橙色の提灯の淡い光は、鶴たちが水浴びをしている掛け軸を照らす。

「そこの丸窓は外からは見えない仕組み。あと扉横にカードキーがあるからそれで戸締りしてね」

 苗は「うん」と言ってカードキーを手に取る。考古は嬉しそうにする苗の様子を見てニッと笑った。



 通天閣三階の屋上にある庭園の椅子に腰掛けたユズは、柵に寄り掛かる雀の顔色を伺った。

 雀は柵の向こうの大阪都市の街並みを、もの悲しげな表情で眺めている。

 ユズの隣に置かれたオオキニは、瞬きをするように目をバチンとならす。

「フタリハ、ナニヲサガシニキタ?」

「金尾科学研究所に関する情報を探しに来ました」

 ユズが言うと、オオキニはカチカチと関節パーツから音を出し、両腕を上げて喜ぶ動作をした。

「コレデハナイカ?」

 突如オオキニの口から四角い何かが勢いよくバシュンッと飛び出す。

 ユズが素早くキャッチしたそれは、赤色のフロッピーディスクだった。

「こちらはどこで見つけたんでしょうか」

「サイジョウカイニアルガラスケースニハイッテイタ」

 ユズはそのフロッピーディスクを片腕に挿入すると、すぐに雀に言った。

「雀様。情報の貯蔵庫を発見しました。彼が持っていたようです」

 雀は「え?」と聞き返してユズのそばにくると、オオキニを膝に乗せる。

 ユズが雀にフロッピーディスクを手渡した。

「なんでこれをオオキニが?」

「ソウジシタトキニスイコンダキオクガアル」

「え……?セキリュティーは?」

「おそらく、清掃機械は侵入者とみなされなかったのでしょう」

 オオキニは「役にたてた?」というように首をグリグリ動かして二人を見た。

 その時、ユズの持っていた通信機が突然作動した。ユズがスイッチを押すと、豊堀の声が聞こえる。

「どうされましたか」

『緊急報告や。二日後に孤児院の受け入れが決まったで』

「あと三ヶ月はかかるって言ってましたよね?」

『自分も驚いたが、なんや特別にってことらしい。ほんで"明後日の朝八時に研究所の出入り口に来るように"ってや』

「了解しました」

 通信が終了すると、オオキニは上げていた両腕を静かに下ろした。


【東京都市 台東区 雷門付近】


「IDの情報によれば、"考古みちる"の人工知能で間違いない」

 スーツの男が隣を歩く男に透明なプレートを手渡す。

 それを受け取ったパーカーの男は「うす」と言ってポケットに突っ込んだ。

「だけど相棒、仮想世界はとっくの前に崩壊したはずだろ?」

「どうにか逃れたのだろう。野放しにしておくには危険だが……」

 スーツの男は端末に映された考古のプロフィール画面を切り替える。

「私達にとって彼女は大きな問題ではない。対処するべき問題は」

 切り替えた端末には、女性の姿をした機械生命体が映された。

「UZ-1が目覚めたことだ」

 パーカーの男は「ふははは」と奇妙な笑い声をあげ、フードを深く被ると人混みの中へと消えた。

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