監視社会の大阪都市 新秩序の都市で

 少女はひたすらに走っていた。

 灰色に濁った水溜りをべしゃっと踏みつけた彼女は、服に跳ねた泥も気にせず走り続ける。

 淀んだ空気が漂う巨大迷路のようなコンテナ倉庫は、少女の足取りを重くしていた。

 少女を追う男達は少女の足元に銃を数発撃ちこみ、怒鳴り声を上げた。彼らとの距離を引き離した少女は、出口への道を曲がる。

 その先にいた人物に気付かず、驚いた少女は足を滑らせ、床に頭を打ち付け気を失ってしまった。

「驚かせてしまったようです」

 ユズは首を少し傾けて言った。少女の長い髪が地面に散らばっている。数ヵ所の切り傷から血が流れていた。腰のベルトには短刀の鞘と、レンズのはいっていない伊達眼鏡を提げている。

「怪我してる……。急いでたみたいだけど、誰かから逃げてたのかな?」

 ユズはそれを聞いて、すぐに左腕を振動感知器に変形させた。それを地面にそっと当てる。

「近くに六人の人間がいます。彼らは銃器を所持している可能性が高いです。ここから離れたほうが良いでしょう」

「銃器って……とりあえず、その人たちにバレない場所に逃げよう。その腕をちゃんと隠してね」

 雀は気絶している少女を担ぐと、足早にコンテナ倉庫を後にした。  


 すぐに多くの人が行き交い、色々な店が立ち並ぶ騒々しい大通りに出た。なにやら香ばしい香りが鼻をかすめる。柱監に見つからないように静かな路地裏に入って少女を降ろした。

「えっと……大丈夫?」

 声を掛けると少女は小さなうめき声を出してゆっくりと目を開いた。と、すぐに少女は腰に隠し持っていた短刀を雀たちに突きつけた。

「待って、その……私達はただ怪我の手当てをしてあげないと、と思って」

 雀が言うと少女は大きく首をふった。

「嘘。どうせ、私を研究施設に渡してお金を貰うことしか頭に無いくせに」

 ユズはスッと一歩前に出ると、少女に微笑みながら言った。

「こんにちは。私はユズです。こちらの雀様と旅をしています。つい先ほどここに来たばかりです。ですので、貴方のおかれている状況や、貴方を追いかけていた彼らが何であるかも何一つ分かりません。ですが、私達はあなたの助けになります」

 そう言うけれど、私達は助けになるどころか柱監に目をつけられているのだが……。

「……本当?」

 雀はユズにつられてしぶしぶ頷いた。

「私は……蓄畑苗」

 少女は手に持っていたナイフを腰の鞘にしまった。

「私とユズは、柱監に追われてる。詳しい事情は言えないけど」

「へ? 柱監って……あの組織?」

「そう。……苗ちゃんはどうして武器をもった人たちに追われてたの?」

「……ここでは話せない」

 苗の着ている服は酷く汚れていて、このままでは追手に簡単に気づかれてしまう。

 雀は鞄を漁った。家を出るとき、着替えをいくつか突っこんできたのだ。

 彼女は私より背丈が低い。まだ十歳前後だろう。トップスはともかく、ウエストが合わないかもしれない。

「あ」

 紺のワンピースがあった。これなら、彼女が着ても裾の高さが変わるだけで、それほど違和感はないはすだ。

 苗はワンピースに着替えるとベルトを腰に締め、着ていた服を近くのゴミ箱に捨てた。

「……ありがとう」

 着替えをして伊達眼鏡をかけた苗は、少し落ち着いた様子だった。

「地図情報によれば大通りの奥まったところにカフェがあります。そこに行きましょう」

 薄暗い路地裏から商店街に出る。人混みを避けながら橋の手前までくると、右側のビルに取り付けられている大きな古い看板が現れた。タンクトップの男性が両手と片足を上げて笑顔を振り撒いている。胸には「グリコ」と赤い文字で書かれていた。

「ねぇユズ、ここはなんていう場所なの?」

「地図情報によれば"道頓堀"のようです」

「道頓堀……昔、おじいちゃんと来たような……」

 大きな橋を渡って、一つ奥の大通りに出る。左手に"ホノルルコーヒー"の看板が見えた。足早にカフェに入ると外の騒がしい環境音が遠く小さくなる。ハワイアン風の落ち着いた店内にはコーヒーの香りが漂っていた。

 出入り口と窓の死角にあるソファーの席に座る。真っ白でいかにも甘そうなマカデミアナッツクリームパンケーキと、力フェ内に甘い香りを漂わせているコナコーヒーのセットを二つ頼んだ。

「何があったのか教えてくれる?」

 壁に飾られたハワイアンのイラストを見ていた苗は、窓の外の建物を小さく指差した。

「窓の外に円柱形の真っ白で大きな建物があるでしょ。あれは金尾科学研究所、数百人の孤児を養護する施設」

「研究施設で孤児院って、変わってるね」

 苗は雀を見つめて一言「うん」と言い、斜め後ろの出入り口を確認した。

「あの男たちは孤児院にいる子供を研究の実験台にしてる。週に二人、必ず子供が消えるの」

「……いなくなった子供を見たことある?」

「出口を探してたときに、一度だけ」

 そこで苗は言葉を詰まらせた。

「でも……、解剖、されてたの」

 苗は伊達眼鏡を外して、すぐに服の袖で目元を隠した。雫が頬をつたって、机にポタポタと落ちている。

「柱監はなにもしてくれないし。私だって、なにも出来なくて……」

 突然、別の誰かの声がかかった。

「柱監に追われてるのに事件の手助けか? ……全く」

 いつの間にか少女の後ろに柱監の軍服を着た男が立っていた。雀は一瞬身構えたが、顔に見覚えがあることに気づく。

 以前住んでいた家から逃げる時、私とユズを見逃してくれたあの男だった。片手にはやはり縦長の武器を持っている。

「お嬢さん、隣いいかな」

 苗が雀に不安な視線を送る。信用出来る人だと雀は頷いた。

 雀が「どうぞ」と言うと、男は苗の隣に音もなく座る。雀と目を合わせて言った。

「話は大体聞いていた。それで、どうする気だ? 目立つような行動は、すぐ柱監に見つかることも分かっているだろう」

「それは……」

「柱監の別名は〔柱の風〕だ。都市を誰でも住みやすい環境にすることが役目だと思っているが……」

 と、言い終えないうちに六人組の男が入ってきた。誰かを探している様子からして、間違いなくコンテナ倉庫にいた男たちだろう。

 苗は彼らを見つけると涙をふき、机に置いていた伊達眼鏡をかけてすぐに顔を下げた。

 男たちは足音高く雀たちの座っている近くまで来ると、その一人がドスの効いた声で言った。

「柱監か。目障りだ、すぐに消えてくれ」

 男たちは柱監の男を後ろから睨みつけたが、男は意にも介さずコップを口に運ぶ。

 男はコップを机にコトッと置くと、彼らを一瞥もせずに言葉を返した。

「今、私は大事な話をしている。後にしてくれないか?」

 男たちは顔を見合わせると、語気を荒げて言った。

「さっさと失せな。怪我するぞ」

 私はコンテナ倉庫で、少女を追っている男たちが銃器を持っているとユズが話していたことを思い出した。

 彼の命が危ない。

「行った方がいい」

 雀がそう言うと「あぁ、そのようだな」と柱監の男は立ち上がった。

 男たちの間を「失礼」と言って通り過ぎる。

 と、六人の男の一人がカフェを出る柱監の男に向かって吐き捨てるように言った。

「仮装が趣味ならハロウィーンの渋谷に行きな」

 男がそう言った途端、柱監の男は足を止めた。

 暖かなカフェの空気が一瞬にして冷え込んだように感じる。きっと他の客もこの張り詰めた空気を感じているだろう。

「清き風は風車を回す」

 柱監の男は重い落ち着いた声で淡々と言った。

「それが私の信条なんでね」

 男は手に持っている武器で三度床を突く。

「君たちに教えてやろう」

 男は武器を器用に使い、出口に近い机の上に置かれていたグラスを、六人の真ん中に立っている男のこめかみに直撃させた。

 グラスが当たった男はその場に大の字で倒れこむ。柱監の男は武器の先端を地面に強く打ち付けると、スッと彼らに振り向いた。

「この店の空気に君達は似合わない。すぐに出ていけ」

 男たちは驚いた様子で、倒れている男を担ぐと足早にカフェから出ていった。柱監の男は何事も無かったかのように平然と席に座り、カフェの客はなにも見ていないフリをする。

 男はうつむいている苗を見て、残りのコーヒーを飲みきりコップを静かに置いた。

「これは君達が簡単にどうこう出来る問題ではない。しかも、柱監に追われている身じゃないか」

 店員が手を震わせながらパンケーキを持ってくるとユズが受け止った。ユズは苗に「どうぞ」という。

「……じゃあ、あなたはなんとかできるの?」

「それは……」

「誰からも見放された時の辛い気持ちは、私が一番よく分かってる。……私が苗ちゃんを助けたい」

 男は深いため息をつき、窓の外の巨大な研究所を見つめた。

「大阪都市全域は柱監の管理対象から除外されているのだが……」

 呆れた様子で腰に掲げている緑色の端末を取り出し、指で操作すると雀たちに差し出した。

「これは研究所の古いデータだ。管理対象の除外以前に我々の組織が秘密裏に調査していたらしい」

 端末には金尾科学研究所の間取り図や、周辺住民の聞き取り調査記録が写し出されている。

「私も協力するが、君達を守れる保証はない」

「分かってる。ありがとう」

 雀が礼をすると男は机に目をそらした。

 タブレットをユズと覗き込む。一階から二十五階は研究所で二十六、二十七階は孤児院となっている。

 すぐに特異点を見つけたユズは、間取り図の一ヵ所に指を指した。

「この空間は何でしょうか?」

 ユズが指を指したその空間は、研究所の五階のほとんどを占めており、部屋の名前が書かれておらず赤色の斜線だけが引かれている。

「……そこは孤児院の子供が消えるところ。そこから出てきた子供はいない」

 パンケーキを食べながら、苗は小さい声で言った。

「ここを調査する。そのためには……私とユズで孤児としてこの孤児院に侵入しなきゃ」

「私も同じ意見です。内部の職員に気付かれず施設に侵入できる確率はかなり低いでしょう」

 男はなにか言いかけそうになったが口を閉じ、再び口を開いた。

「君達が侵入している間、少女の護衛を引き受ける。研究施設の追跡者は君達には相手に出来ない」

 男はよろしくと苗に頭を下げるが、苗は男をよく思っていない様子でパンケーキを食べていた。

「私達が柱監と関わってることを知られる前に別行動しよう。完成したら計画書をその端末に送るから」

 男は掴んでいた武器を握りなおすと、席を立って店を出ようとする苗たちに礼をした。

 危うくあのことを伝え忘れるところだった。

「コーヒーとパンケーキ代は今度返すから!」

「必要ない。……君達の無事を祈る」 


 道頓堀の大通りは店に入った時と変わらず、多くの人で賑わっていた。行き交う人々の足音や話し声が止まずに耳に入り込んでくる。

 川沿いに目をやると、街の雰囲気とそぐわない不気味なものがいることに気がついた。少女を連れていた時は見逃していたようだ。

 黒の羽織に灰色の袴を着て、般若のお面を被っている。微動だにしないそれらは、町行く人々を監視している様に見える。

「ユズ、道に並んでるあれ、なんだろ」

 観光パンフレットを眺めていたユズは顔を上げて、それらを凝視した。

「町の装飾のようには見えないし……町の人たちに聞いてみようか」

 ユズは目の辺りからピピッと機械音を出すと雀に向き直り「はい」と返事をした。

「すみません」

 道を歩いていた老人に雀は声をかけた。

「なんや?」

「般若のお面をつけた人たちについて聞きたいんですけど、」

「そないなこと知るわけないやろ!!」

 言い終わるや否や、その老人は顔を青ざめて大きく顔を横にふった。フードを深く被り人混みの中に走り去っていく。道行く人は驚いた表情で雀たちを見つめている。

 その時、般若のお面をつけたそれらが一斉にこちらを向いた。川を挟んで反対側の般若たちもこちらを向いている。その姿はまるで標的を見つけた狙撃手の様だった。

「ここから離れましょう」

 意味がわからないままユズに連れられて、戎橋の下に逃げ込んだ。

「お面をつけた人たちが何なのか聞いただけなのに、何で狙われたの?」

 柵に寄りかかりタバコを吸っている男が笑みを浮かべた。雀たちの話を聞いていたらしい。

「そりゃ狙われるに決まっとるやろ。あないなことがあってもまだ直接奴らに関わろうとする奴がおるとはな。自殺行為や」

 タバコを口にくわえて鼻をすすった男は、ポケットから鍵を取り出すと橋下の壁のくぼみに差し込んだ。右に回すとカチッと音が聞こえて壁がゆっくりと開く。

「ついてきな。この先は安全とは言われへんが、般若どもはいーひん」

 壁の向こうには、壁沿いに等間隔に並んだ灯篭の明かりが一寸先だけを照らす暗いじめじめとした通路があった。同時に鼻を刺すようなツンとした匂いが漂ってくる。恐怖心が込み上げてとても抵抗感がある。

「ユズ、腕掴んで良い……?」

「はい、滑りやすくなっているようですのでお掴まりください」

「そうじゃないけどぉ……」

 不気味な通路に動じないユズの腕に抱きついて足を進める。錆びついたむき出しのパイプからは大きな水の流れる音が絶え間なく聞こえ続けている。時折、小石がパイプに跳ね返る音が通路に響き渡る。

「あんたら大阪初めてやろ」

 男はタバコの吸殻を道に放置された傾いた灰皿スタンドに投げ入れた。

「まあ、そうやないとあんなイカレた事はしぃひんか」

 男はしゃがみ込んで通路の壁に掛かっている消火器をどかし、その後ろに隠されたスイッチを押した。

「ここは"地底の太陽"。般若どもを秘密裏に調査する秘密結社や」

 男が石の壁に擬態した古びた木製の扉を開けると、こじんまりとした綺麗な事務所が姿を現した。  


 ◇ 


 目の前の少女が柱監を嫌う理由は、柱監が大阪の管理権を研究所に譲渡したせいだろう。

 今では都市は常に監視され、法の違反者は即抹消される冷酷な社会になってしまっている。

「ごちそうさま」

 苗は席を立って出口へ向かう。柱監の男はすぐに会計を済ませると少女に追い付いた。

「……巨大ビル連続倒壊事件の真実を知りたい」

 巨大ビル連続倒壊事件。行方不明者は二万人。死者は六千人。八年前、大阪都市で起きた最大規模の倒壊事件だった。

「〔地盤の老朽化〕と世間では片付けられたが……研究施設の無理な建築により、周辺の建物を支えている鉄骨に負荷がかかったことが原因だった」

 当時飛多都市の情報伝達員として勤務していた私は、緊急報告の通信によって事件の真実を知った。

 しかし、研究施設は嘘の声明を発表して事件をもみ消し、証拠は闇に消えてしまった。

「その事件で親を失った子供は、孤児院の職員に連れて行かれた。……私もそう」

 苗は傷だらけの拳を握りしめた。

「強欲かもしれないが……、私は彼女達に研究施設の真実を暴いて欲しいと思っている。私も自身がするべきことをしていくつもりだ」

 その時、道の端に立っていた人にぶつかってしまった。すぐにぶつかった人物に頭を下げる。

「すみません」

 顔を上げると、ぶつかった相手は般若のお面をつけている。苗はそれを見て大きな声で男に叫んだ。

「走って!!」 


 ◇ 


 雀とユズは事務所のソファに座った。窓を覗くと建造物を支える何本もの巨大な鉄骨が地盤を支えている広大な風景が広がっていた。

「これはなかなか見られへん風景やで。なんせここは違法建築やからな。紅茶は飲むか」

 男は大人びた笑みを浮かべる。

「いただきます」

 男が事務所のスタッフルームに隠れるタイミングを合わせるようにユズが言った。

「般若の解析結果が出ました。78%金属物質で出来ています」

 思いもよらない事実に、私は驚きを隠せない。金属という言葉に自分自身は混乱していた。

「えっ……般若は機械生命体?」



[おまけ]


【飛多大阪間往復線懸垂式軌道18号車】


「ねえ、あのさ」

 ユズが顔をスッと上げた。モノレールに乗ってから二時間ほど経つ。

「わからないことがあったら何でも聞いてね」

「いいんでしょうか」

 私は首を縦に振る。ユズは少なくとも私が生まれてからずっと眠っていたのだ。今の世界を知って慣れてほしい。

「それでは、道ゆく人は皆機械を使っているようですが、機械生命体の存在は知らないのでしょうか」

 雀は胸ポケットから、表紙に"地上の足跡"と書かれている小さな本を取り出す。それをユズに手渡した。

「残念だけどみんな知らない。機械生命体はここではあくまで"地上伝説"として語り継がれてる」

 ユズはあっという間に本を読み切り、雀に手渡した。

「地下都市の機械の概念について説明するね。まず、機械は三つの世代に分かれてるの」

 雀は自分の腕時計をユズに見せた。

「第一世代はこれ。歯車で動いてる機械のこと」

 雀が天井の監視カメラを指差す。

「第二世代は、あの監視カメラや柱監が持ってる端末や武器とか。柱監とかじゃないと使っちゃいけない機械」

 雀はユズを見つめた。ユズは雀の目をじっと見つめ返した。

「ユズは第三世代。人工知能生命体とか自我を持つ機械のこと」

 柱監の目を盗んで逃げたあの時が嘘のように、車内の時間はゆったり進んでいた。

 走行車輪の重く回転する音と、空いている窓から吹き込む風の音が微かに聞こえている。

「やぁ、俺は杉田っていうもんだ。お二方は旅人さん?」

 向かいの席の男性が馴れ馴れしく話しかけてきた。スーツを着て浪人笠で顔を覆っている。

 その男性は掌底で笠の鍔を少し持ち上げる。

「初めて大阪都市に行くなら気をつけたほうがいい」

「気をつけるって、何にですか?」

「監視カメラの数……とか数えてみたらわかるかも」 

 よく見ると座席の個々、天井に複数の監視カメラが付いている。

「なんでこんなに……」

「他の都市を往来している商売仲間からは、ここは警備がとんでもなく異常だって言われてる」

「そうなんですか。商売の仕事を?」

 浪人笠の男性は椅子の下にしまいこんでいた大きなスーツケースを引き出した。

「骨董商だよ。商品は大体十五鈴ぐらいかな」

「一鈴は何円でしょうか?」

「確か……八十六万円ぐらいだったかなぁ? 今じゃ何万円持ってても紅茶一杯さえ飲めないな」

「そうだったのですか……」

「それにしても、あねさん"円"なんてずーいぶん古い硬貨知ってるね」

 ユズは危険性があると思ったのか「趣味なので」と一言付け加えた。

「ちょっと見てもいいですか?」

「どうぞ。全部何に使うかわからないけど、いいもんあるんじゃないかな?うん」

 商人のスーツケースの中には今まで見たことのない不思議なものがぎっしり詰め込まれていた。

「最初は砂時計一個だったんだけど、売買してるうちにこんなに増えちゃってさ」

 ガサガサとスーツケースの中に手を突っ込みながら商人は言った。

「今年で商人始めて十八年だったかなぁ?」

 そう言いながら商人は古びた砂時計を取り出した。

「昔はこんな監視社会じゃなかった。俺もよく知らないんだけどいろいろあったらしいんだよー」

 商人は砂時計を回転させて、砂が落ちてゆくのを見つめた。

 それから、スーツケースの内側のポケットから黒色の球体を取り出すと雀に手渡した。

「え……これなんですか?」

「表面を指で撫でると文字があらわれる時計だよ。六時半には自動で"新しい朝が来た"って歌が流れるんだ」

 雀は恐る恐る真っ黒な球体を撫でると[三時二次ゅ分でよ]とバグり気味に文字が表示された。

 商人はスーツケースのさらに奥に手を突っ込んだ。

「まあ、目立つことしなければこの都市はいいところだよ。はいパンフレット」

 どこからともなく取り出した使い古されたそのパンフレットには、「大阪都市観光」と大きな文字で書かれていた。

「ありがとうございます」

「いいってことよ」

 男性はそう言うと、スーツケースを手に提げて隣の車両に歩いていく。

「親切な人だったね」

「パンフレットをいただきました」

 ユズが片手でパンフレットを開く。大阪のグルメやスポットが、ページの余白がないほど書かれていた。

「ユズって味覚はあるの?」

「味覚スキャナーが搭載されているので味を感じることができます」

「私、ユズに聞きたいことたくさんあるんだけど……一気に聞くと混乱しちゃうかもだから、まず今日は一つだけ聞いていい?」

「はい。なんでも聞いてください」

「……地上のことをどこまで知ってるの?」

「"全て"です。人類の歴史のデータベースが記録されています。ですが、重要なデータには強力なパスワードがかかっています」

「ちょっと待って」

 私は祖父の辞典を開いてわからない単語のページを開いた。

 ——————————————————

【データベース】(database)

 ・検索や蓄積が容易にできるよう整理された情報の集まり。

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【パスワード】(password)

 ・特定の機能・権限を使用する際に認証を行うために入力する文字列。

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「何の歴史を知ってるの?」

「ここでは危険性が高いので人が少ない場所で話しましょう」

 私は監視カメラの存在をすっかり忘れていたことに気がついた。

「うん、それがいいね」

 大阪都市へ到着のアナウンスが流れたと同時に、窓に巨大な大阪都市駅が姿を現した。

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