第37話

「ふふ。どうかしら秋葉くん」


 ああ、見事なもんだ。

 村雨先生から運転を教えてもらってから数日後。

 今度は俺から瀬奈に伝授すること番だ。

 瀬奈はやはり機器の扱いに関して抜群のセンスを持っていた。

 発進手順、車両・車幅感覚も一瞬で飲み込んだあげく、そもそもあまり運転に恐怖というものを感じていなかった。

 もはやあまり意味をなさないかもしれないが、一通りの標識も覚え終えている。ライト、エアコン、バックミラー、それからキャンピングカー内の機器の操作方法も問題なさそうだ。

 これで車を運転できるのが、村雨先生、俺、瀬奈となった。十分当番制で回していけるそれだろう。

 というわけであとは霧島先輩さえ習得してくれれば、数少ない娯楽――旅も問題ないだろう。


「ああ、さすがだな。まさかここまで飲み込みが早いとは大したものだ。それと精神面こっちは村雨先生の担当にはなるが言っておきたいことがある」

「なにかしら?」

「感染者は当然として健常者らしき人間を轢いても気にするな」

「……それはまたなかなかのご命令ね」


 瀬奈の表情に翳りができる。

 当然だ。轢き逃げ上等。気にやむ必要はないと伝えられたのだから。

 俺のように表層意識と深層意識を分けられる人間ならともかくごく普通の女子高生には酷な指示だろう。まあ、天才ハッカーである瀬奈が一般に分類されるかどうかは疑問だが。


「理由はある」

「こういうときの秋葉くんって本当に機械的ね」


 淡々と伝えようとする俺に瀬奈はため息をこぼす。


「不快か?」


 俯瞰すればたしかに俺の指示は機械的なそれだろう。別に無自覚というわけではない。もう少し感情を込めた方がいい場合もあることは承知している。

 そうする方が好ましいときは躊躇わずにそうしているつもりだ。

 しかし、瀬奈にはその対応は必要ないと感じていたのだが。


「いいえ、全然。むしろ命を預けるリーダーらしくてこちらの方が好きよ。私は、ね」


 本当に瀬奈はよく頭が回る。つまり俺の言動は人によって逆上させてしまう恐れがあることを示唆している。

 これからは健常者でさえ脅威になる世界で無意味に恨みや怒りを買うことは得策じゃない。中途半端な対応が最も危険だろう。

 やるからには徹底的にやらないとな。


後方支援バックアップ担当からそう言ってもらえると心強いな」

 医療担当の村雨先生。戦闘担当の霧島先輩。そして後方支援担当の瀬奈。

 本当にバランスの取れた素晴らしいチームだと思う。メンバーに恵まれたリーダーというのは色々と楽になる。


「で? その三つというのは何かしら」

「一つ。予めルールを決めておかなければ、自分を責めることになるからだ。たとえば感染者の大群から急遽逃げ出す必要が生じたとする。走行できるのは直線上の道路のみ。二重の意味で突っ切るしか道はない」

「ええ」


「そんな状況に直面したときに健常者の命を優先するという、これまでの価値観で運転していた場合、秋葉チーム五人よりも、感染しているかしていないか定かじゃない他人を優先してしまうかもしれない。わかるな? ハンドルを切れば事故の恐れがある。だが、ここで試験と同じく『迷ったらこうする』という行動を決めていれば、時間や命を浪費しなくて済む。どの道、これから生き延びることができるのかどうかさえ分からない他人だ。自衛が最優先の世界でそこまで気にしている余裕はない」


「なるほど。二つ目を聞いていいかしら」

「もはや言うまでもないが、俺は顔も名前も知らない人間よりも当然お前を最優先に思考する。仮に他者を犠牲にしたり、利用することで瀬奈が助かるなら一瞬の躊躇もなく引き金を引く。そこに迷いはない。命は平等という価値観はこれからは通用しない。即刻捨ててもらうための思考特訓だ」

「じゃあ村雨先生と私と霧島先輩が――「それは問わない約束だ」」


 この発言したときに飛んでくると予測していた言葉をかぶせるように遮る。

 瀬奈と霧島先輩、村雨先輩が同時に捕らえられたとき、俺の優先度はどういう順番か、ということだろう。

 時と場合によるが、正直に告白すれば自分なりの答えはある。ただし、それは様々な物差しで評価してから行動に移すことになる。

 そもそも、考えたくないが、そんな状況になってしまった時点ですでに負け戦とも言える。むろん、何が起きるかわからないだけに、そういうシュミレーションだけは欠かさずにやっているつもりだが。


「むう」

「悪いな。女の扱いが上手い男なら全員にお前を最優先すると告げておくところなんだが」

「ああ、それなら結構よ。なにせ後で痛いしっぺ返しを食うのは貴方だもの」

「……あっ、ああ。だからこそ黙秘権を行使させてもらう。リーダーという立場があることに理解を寄せてくれるとありがたい」

 ここで瀬奈、村雨先生、霧島先輩それぞれに有事の際は貴女の命を最優先すると伝えておくのも選択肢としてなくはない。

 だが、バレたことによる不協和音は間違いなく指揮系統を破壊する。

「じゃあ最後は?」

「健常者を殺めることに慣れて欲しいからだ」

「……っ!」 


 さすがの予想外だったのか。言葉に詰まった様子だ。


「勘違いはして欲しくないが、なにも冷徹で残酷な人間になれと命令しているわけじゃない。中にはこの世界でも、善良に生き続ける人間もいるだろう。問題は感染者以上に危険な思考と言動を取る外道や畜生だ。なまじ人間である分、不利な状況に立たされる俺たちの方が罪悪感を抱くという厄介な存在になる。断っておくが、俺はそういう連中に対して容赦を加えるつもりはない。場合によっては瀬奈の前で躊躇なく殺すつもりだ」


「……すっ、すごいわね」

「それぐらいの覚悟はある」

「違うわよ。世界が崩壊に向かう中で即座に思考と価値観の切り替え――感情や倫理観を切り離すことができる貴方が、よ」

 だろうな。俺は俺が普通でないことは理解できているつもりだ。やはり化け物秋葉純一郎から生まれてきたことと関係あるんだろう。


「よし。それじゃ次は霧島先輩だな」

「――ちょっと」


 誇張でもなく車内の温度が二、三度下がったような錯覚に陥る。

 絶対零度の放出先はわかっている。隣にいる瀬奈である。


「自分のヤリたいことだけヤってすぐに違う女に取っ替え引っ替え。これじゃ女の敵ね」

「……はぁ?」


 突然の不機嫌に首を傾げることしかできない俺。ヤリたいことだけヤってすぐに違う女に?

 意味がわからない。突然瀬奈は何を言い出して――⁉︎


「覚えておきなさい秋葉くん。女は言葉や態度で感謝を示してもらわないと納得できない生き物なの。相変わらず人使いは荒いようだし、報酬を要求するわ」


 ああ、なるほど。言ってしまえばキャンピングカーの運転は旅をしたいという俺の願望からくるものだ。

 終末世界で車の運転は覚えておいて損はないとは、あくまでも俺の指示だ。

 瀬奈たちからすれば覚えたく覚えているわけではないということか。運転の必要性を説くことも考えられるが、心の中の小さな俺がそれは違うと首を振っている。なぜか、はわからないが。


「――俺は何をすればいい?」

「そうね――それじゃ今夜、一緒にベッドで寝てもらいましょうか」

「……」

「なによ? 何か言いなさいってば」

「――チームの命を預かっている司令塔が寝不足になってもいいならそうさせてもらおう」

「ちょっ、それは卑怯じゃないかしら⁉︎」

 なんとでも言えばいい。いくら感情や思考を切り離すことができるとはいえ、肉体は十代のそれだ。思春期を迎えた今、猿と変わらない。そんな状況でいい匂いがする上に美少女の瀬奈と同じベッドで寝るなど自殺行為もいいところだ。


「わかったわよ。じゃあ、頭を撫でる、とかはどうかしら?」

 なんだ。そんなことでいいなら――、

「ちょっ、まだ心の準備が――うっ、うう〜。どうして口にした本人の方が恥ずかしくなっているのよ。屈辱的だわ!」

 

 瀬奈の艶やかな黒髪を優しく撫でると頬を紅潮させながら犬歯を剥いていた。

 なかなかに忙しいやつだな。感情表現が豊か過ぎる。有事の際に情緒不安定にならないことを祈るばかりだ。


「私ばっかり……いいわ。受けて立ってあげるわよ――あっ」

 と棒読みで運転席の下に何かを落とす瀬奈。周囲に感染者がたむろしていないことを確認してか、道路脇にキャンピングカーを停止させている。

「……おい」

 いわゆるジト目と呼ばれるそれで瀬奈を見つめる。

 そんな俺に対して瀬奈はどこ吹く風。

 勝気な笑みを浮かべて座席下を指さしてくる。こんな状況でもつけ爪。オシャレには人一倍敏感な瀬奈らしいが。


「悪いけれどヘアピンを落としてしまったわ。私は周囲を監視しておかないといけないから拾ってもらえるかしら」

 おいコラ。

 自然と視線が瀬奈の下半身に吸い寄せられる。心なしか制服のスカートがいつもより短いことにようやく気がついた。

 健康的でムチムチという表現が適切な太ももが大胆に露出している。

 その先もスラリと伸びる真っ白な美脚は十代男子には目に毒過ぎるそれである。

 ……こいつ。


「早くしないとエンジン音に釣られて感染者が集まってくるわよ」

 どうやら俺は負けず嫌いの瀬奈の矜持をどこかで傷つけたらしい。

 この顔は知っている。座席下に潜らないと意地でも動かないそれだろう。

 はぁー、とため息を胸中で吐いて覚悟を決める。いくら世界がこのありさまでも、たまにはガス抜きの一つや二つは必要だろう。周囲を確認したところ、感染者が襲ってくる気配も感じられない。

 拾ってすぐに顔を上げれば数秒もかからないだろう。

 そんな俺の思惑とは別に、

「えい♪」

「うぼっ!」

 艶かしい太ももが俺の両頬を挟み込むように接触する。

 おもわず人格も忘れて柔らけえ! と叫んでしまいたくなるそれを必死に堪える。

 しかもミニスカ状態かつ俺は屈んだ状態である。

 視界いっぱいにスカートの中が見えそうで見えないという禁断の状況である。

「ふふっ。もしかして中が気になるのかしらポチ。いけない犬ね」

 俺はどこで間違ったのだろうか。明らかに瀬奈に変なスイッチが入っている。

 早く拘束を解かなければ。そう思い、挟んでいる太ももに手を触れた瞬間、

「ひゃあ!」「どうした秋葉。さっきから停車したまま――」

 それは考えられる中でも最悪だった。

 運転席下から現役女子高生(それもミニスカ状態)の太ももに挟まれたあげく、引き剥がそうと触れてビクッとなっている瀬奈。

 その感触を楽しんでいるようにしか見えない、口をタコのようにした俺。

 ご乱心だ。

 誰がどう見てもご乱心。遊びが過ぎている。しかもそれをあろうことか霧島先輩に目撃されてしまうという――。


「――秋葉。後で話がある。悪いが長くなるぞ。覚悟しておけ」


 俺の見下ろす瞳と声音は絶対零度に相応しいそれだった。鬼のそれだと言ってもいい。

 そんな俺の失態がおかしいのか。

「くくく……」と楽しそうに笑い声を堪えようとして漏れてしまっている村雨先生のそれが聞こえてくる。


 勘弁してくれ。

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