第22話

【秋葉傑】

 勝負は勝たなければ意味がない。

 勝者は美酒を味わい、敗者は苦汁をなめる。

 これが世の原則。父、秋葉純一郎――からそう教わってきた。


 家族の贔屓目や誇張抜きに父さんは神に近い存在だ。

 人間の域を超越している。

 聖徳太子が十人の意見を聞き分け、的確なアドバイスを施した――なんて伝説があるが、父さんはそんなものじゃない。


 大震災が発生した際、有識者や専門家は口を揃えてこう言った。

「これだけの災害を最小限に食い止めた功績は大きい。さらに数十万人の死者・重傷者が出ていてもおかしくなかった」と。

 当時、官房長官を務めていた父さんは激務で倒れた総理の代わりに的確かつ迅速な指示を二十四時間送り続けた。


 友人の父親(官僚)に当時の父さんの様子を聞いたことがある。

 彼はしみじみと短く告げた。

「すごい人だよ」と。


 その瞳には尊敬と忠誠、そして畏怖が込められていた。

 詳しく聞いてみると、秋葉純一郎が震災対応の指揮を取ると決まったとき、霞ヶ関が湧いたそうだ。職員たちの士気は上がり、激務を意味する指示に異を唱えることなく、業務に当たったという。その裏話を証明するように父さんの最高支持率は八十九%越え。


 前後することはあれど六十%を下回ったことなど一度もない。その信頼は内外に広く伝播していた。

 政治家に成るべくして生まれてきた人なんだろう。

 そんな父さんのことを俺は大好きだった。尊敬と憧れが尽きなかった。


 そう。だった。過去形だ。

 俺は幼少期から厳しい教育を受けてきた。

 順位があるものは常にトップであることを求められたんだ。


 当時の俺は期待に応え続けていくことが楽しくて仕方なかった。

 父の血を濃くして生まれてきたのだろう。トップの座を欲しいままにしていた。

 だがそれは父にとって当たり前。褒められたことなど一度もない。失望されないことが俺の生きがいになっていた。


 だが忘れもしない。俺を見る父さんの眼差しが期待から無関心に変わってしまったあの日のことを。俺を失望と絶望に追いやったあいつのことを。


「……る、すぐ……傑!」

「あっ、ああ、どうした?」

「どうしたじゃねえよ。お前いますごく怖い顔してたぞ。大丈夫かよ」


「ちょっと考えことをしていただけだ」

 声をかけてきたのは悪友の藤堂だった。美術室は俺が占拠し、すでに二十人近くの生徒を確保している生徒のランク付けも済んでいる。ヒエラルキーは俺を頂点にして出来上がっていた。こいつらは駒だ。


 この世界は二極化が進んでいる。

 持つ者がより多くのものを得、下の人間は奪われ、虐げられていく。

 誰しもが幸せになれる世界。そんなものはただの幻だ。


 感染者が溢れ出したいま、どんな手段を使ってでも生き延びた人間こそが勝者。

 非情に、冷徹に、冷静になれなかった者から抜けていくデスゲーム。

 良心など不要だ。


 だからこそ――、

「それよりこれからどうするつもりだよ?まさかこのまま籠城を決め込むつもりじゃねえだろうな」

 と藤堂。答えはそのまさかだ。


「いずれは脱出を試みるべきだが、今はまだその時期じゃない」

 なにせ俺の手にはまだ捨て駒がたくさんあるからな。それは藤堂、お前も含めてだ。

 もちろん口には出さないがな。


「けど籠城するにも食料はどうするつもりだよ」

「それなら心配いらない。どうして俺がカップルを匿っていると思う?」

 他の生徒には聞こえないよう耳打ちする。


「まさかお前……」

「彼女持ちの男子生徒にチームを組ませて調理室まで向かわせる。もちろんカメラを設置させてな。食料を持ち帰ってきたら解放するとでも持ちかければいいさ。彼女を人質にすれば何人かは命からがらで戻ってくるはずだ。全員が彼女を捨てるようなクズじゃなければだがな」


 言葉が出ない藤堂。これから俺が発する言葉をそれなりに予想しているのだろう。

柿谷かきたに、柴田、大鳥を調理室へ、大前、星野、倉田を職員室だ。調理室グループは水を含め食料を、職員室グループは車の鍵を取りに行くように命令する。ここに連れて来てくれ」

「わっ、わかった……」


 美術室の別室に集まった彼らを前に俺は告げる。

「お前たちの彼女を慰み者にされなくなかったら、これから俺の言う通りに行動しろ」

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