第3話
霧島
「……えっと、呼び出す相手を間違えていません?」
兄、秋葉傑はボクシングで日本一に輝いたことがある。中学生のときだ。
容姿が良くて、運動神経抜群、何をやらせても達者な順応性……。
当然女子生徒からの告白は絶えず、選り取り見取り。
当然面白くないと思う輩もいるわけで。
だが彼らが兄に敵わないと思い知るのに時間はかからなかった。
兄は突然絡まれた様子を隠しカメラで録画しておき、しかも腕に自信のある不良を一発でKOさせていた。
反射神経の良い兄にちょっとガラが悪い程度のガキが勝てるわけもなく。
鼻の骨をへし折られ、歯が二本吹き飛んだ光景を見れば、喧嘩を売るバカはいなくなった。
とはいえ人間でいる限り嫉妬や怒りという感情は芽生えてくるもので。
兄に敵わないならその親族――すなわち弟の俺を痛みつけてやろうという謎の思考に至る。
「てめえの兄貴は強過ぎるんだよ。だからお前で勘弁しといてやるって言ってんだ」
そんな理屈ある? むちゃくちゃじゃねえか。
もちろん俺も痛いのは嫌なので口だけは動かすのだが、
「俺が兄にチクるかもしれませんよ?」
「安心しな。俺の代わりに弟ならボコしてもいいって直接聞いたからな」
なんでだよ。どういう関係だよそれは。
俺を囲む不良は兄のことが嫌い。けどあまりの強さから逆らうことができない。鬱憤はたまる。そのヘイトは弟で解消しろという兄。なんじゃそりゃ。
意味不明ではあるが、俺の兄はそういう人種だ。
今となってはもう怒りの感情さえ起こらない。
「……はぁ」
「よしっ、お前らやっちまえ……!」
――それから十分後。
「……はぁ…はぁ…きょうの、とこは……はぁ…はぁ、このぐらいにしといてやる」
大の字で倒れる俺を睨みつけそそくさと撤退する不良たち。
地面で空を眺めながら休憩する俺と違って取り巻きは全員、肩で呼吸をしている。
全集中。肩の呼吸だ。なんちって。
それから数分。起き上がるのも面倒くさい俺は青空をジッと眺め続けていた。
あー、あの雲綿菓子に似てるな。甘いもんに目がないんだよな俺。
それにあっちの雲はソファにしたらきっと気持ちいいいだろうな……。
あっ、ダメだ。眠たくなってきた。
瞼を閉じると、誰かが俺のそばに寄ってくる。さっきまでの不良と違い洗練された気配を感じる。武道に身に覚えのある人間は足音からしてもう違う。
「良かったら冷えたタオルでもどうかね?」
それが霧島彩綾先輩に初めて声をかけられた瞬間だった。
☆
「君は本当に興味深い。どうしていつもやられた振りをしているんだね?やり返せばいいじゃないか」
おいおい色々と冗談がきついだろ、この女。
「まさかいつも見てたんですか?」
「ああ。楽しく拝見させてもらっているよ。今となっては私の楽しみの一つだからね」
ドSじゃん。マジでやべえよこの先輩。後輩がチンピラに好き放題されているのにそれを黙って見ているだけじゃなく、喜んでいるらしい。
命懸けのゲームに参加している貧乏人を暖房の効いた、ふかふかのソファで高級ワインを片手に楽しむ富裕層かよ。
なんて呟いた俺に、
「あっはっはっはっ……!」
いや笑ってんじゃねえよ。大爆笑じゃねえか。
「あの……もしかしてドSですか?」
「ぷっ、ふふ……すまない。あまりこの手の冗談を後輩から聞かされたことがなくてな……ツボに入ってしまった」
嫌なツボだな。
霧島先輩はひととおり笑い転けたあと、目尻に溜まった涙を拭って、
「気に入った」
「どこをだよ!」
いかん。年上の先輩ということも忘れて素でツッコんでしまった。
「そうだな。強いて言えば――能ある鷹は爪を隠す、を高校生ながら実行できている点かな」
さっきまでのお茶らけた雰囲気から一転。真剣な表情で言う先輩。
一瞬で空気にピリッとした緊張が走る。なるほど。やっぱり本物か、この人も。
「先輩も人違いじゃありませんか? 能ある鷹は兄の方ですよ」
「兄の方……ああ、あのしつこい男か。あれはダメだ」
なんとパーフェクトヒューマンである兄を一刀両断。ずいぶんとお眼鏡にあう男のレベルが高いことで。
「彼が才に恵まれていることは認めよう。だがそれをこれ見よがしと言わんばかりに披露するのはいただけんな。私から言わせて見ればションベン小僧だよ」
ションベン小僧……ガキってことか。まあ佇まいや言動に品がある先輩からすればそう見せるのも無理はないか。
「私が主張したかったのはそこさ。兄は恵まれた才を見せびらかしている。それで悦に入るようではまだまだ子どもだ。だが対照的に君は隠し通そうとしている。だが、爪が甘い。この高校には本物が少なくとも数人はいる。我々を騙し通すには、これぐらいでバレないだろう、という投げやりな演技を改めるべきだと思うがな」
「買いかぶりじゃないですか?」
「ではなぜ寄って集った君に暴力を振るおうとしていた方が息が乱れているのか説明してもらおうか?」
……へえ。なかなか良い目をしてるな。
「兄がボクシングが得意なことはご存知ですか?どうやら出涸らしの俺でも反射神経だけはそれなりに引き継げたようです」
「なるほど。悪くない答え方だ。では次だ。あまり身体が痛そうに見えないのはなぜだ?」
この女……。本当によく見てるな。後輩が集団リンチされている現場に居合わせながら、どこ見てんだよ。
なんなら止めに来いよ。そこまで見極められるってことは相当の達人だろ。竹刀一本あれば複数人でもやれるだろ。いや、男が女に言う台詞じゃないから言わねえけども。
でもせめて教師を連れて来るとか色々あるだろ、普通は。
「やだなー。やせ我慢に決まっているじゃないですか」
「ほう」
そう言って霧島先輩は目を細めたあと、
――パチンッ!
まさしく光速。俺の襟を掴みにかかってきた。
一生の不覚だったのは、あまりの殺気と本気にそれを俺が払い退けてしまったことだろう。
「それだけの反射を見せておきながら身体の節々が痛い……ねえ?」
「言ったでしょう。反射神経だけは良いと。おかげでとっさに動いたので殴られたところが痛い痛い」
「よく言うよ。殴られる場所も自分で誘導していた後輩くんが。よしせっかく体育館にいるんだ。剣を交えようじゃないか」
「ええっ……」
こうして俺と霧島先輩はなぜか剣道の試合をすることになってしまっていた。
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